【コラム】
ケニア・タイ二都物語―国連で25年~南の国から大好きな日本へ~

世話するより、世話されている――ペット連れの海外ひっこし

大賀 敏子

◆ できれば避けたい

 最近タイからケニアへ移転した。中年の雄ネコも一緒だ(本稿ではこれをCと呼ぶ)。Cはケニア生まれで、2年前ケニアからタイへ、今回はタイからケニアへ旅行した。

 こんな話を聞いたことがある。ある人が海外転勤になり、ペットのもらい手を探したが見つからず、ペットを置き去りにした。別の人は、病気がちのペットを飼っていたが、海外転勤を前に獣医に頼んで安楽死させた。筆者がこのようなオプションを取らずに済んでいるのは、幸いにも条件が整っていただけだ。ペットの海外移転は、できれば避けた方がよい、飼い主にも当のペットにもたいへんなことなのだ。
 おまけに今年はコロナ禍だ。国境を超える移動が、ペットがいようがいまいが、ともかく特別に難しい。

 ペットの海外ひっこしというテーマは、限られた人しか興味を持っていないかもしれない。筆者自身も、根っからの動物好きというわけではない。Cがいるのも成り行き上で、C以外にペットを持ったことはない。それでもあえてここに書くのは、学ぶことの多い体験だからだ。

◆ フライトを探す

 バンコク・ナイロビ間は、ケニア航空の直行便が9時間と最短だ。国境封鎖になるとは予想もしないころ、チケットを買った。5ヶ月待ち、8月中旬にケニアの国際線発着が再開されたが、ケニア航空の当該路線は就航のめどが立たず。仕方がないので、ほかのエアラインを一つ一つ当たった。

 ペットのひっこしの方法は3通りある。飼い主と別のフライトでペットだけ移動する航空貨物、飼い主と同じフライトだが、預けるか、または、客室に連れて乗るか。たえずペットと一緒にいられる客室がいちばん安心だが、ほとんどのエアラインはこれを認めていない。
 それどころか、コロナと何の関係があるのだろう、方法を問わず、「いまはペットは受け付けない」というエアラインがいくつもあった。

 乗り継ぎが不便で値段も高いのが難点だが、ドイツのルフトハンザにも問い合わせた。地下鉄やレストランを、ペットがあたりまえのように出入りしているお国柄だ。キャリーのサイズと総重量が基準以下なら、客室に入れるとのこと。キャリーを前の座席の下か、鎖で座席につないで足元に置く。ペット料金は、120ドル強だった。
 キャリーを探しにペットショップへ。Cは大柄なので、基準の8キロを超えないように、少しでも軽いものを求めた。これにCが好きな毛布を敷き、慣れさせる必要がある。

◆ 書類をそろえる

 人の旅行にはパスポートとビザが必要だが、ペットの場合は、輸出許可、輸入許可、健康証明書⋆だ。人間のパスポートは写真と署名で個人を特定するが、ペットではマイクロチップ装着がこれにあたる。

 ⋆ ケニアとタイそれぞれでの規定であり、国によって異なる。

 輸出入許可には、狂犬病の予防接種を受けていることのほか、国によっては狂犬病抗体値、条虫駆除などが求められる。入国後の住所が、自宅なりペット可のホテルなり、はっきりしている必要もある。許可には有効期限がある。輸入許可は2~3ヶ月ほど、輸出許可は1週間ほどだ。これに応じて旅行日程を組む。

 健康証明は有効期限がもっと短い。出発当日か、古くても前日のものしか認められない。旅行直前は、荷造り、自宅の整理、お礼やお別れを言うべき人たちへのあいさつなど、ペットがいなくてもあわただしいものだが、それに輪をかけることになる。
 加えていまは、行先に応じて、飼い主のコロナウィルスの検査を受け陰性証明を取っておく必要もある。これも出発前○○時間という時限つきだ。

 つまりペットの輸出入は、ペットと飼い主の両方のスケジュールをバランスさせ、何層もあるプランニングの輪をくぐり抜けていく必要がある。輪が一つ外れても、万事休すだ。
 事実、これもコロナの影響で、予定していたフライトはキャンセルされ、出発は3日延期された。むっとせずにそれに従って予定を一つ一つ変更する、その心のゆとりを計算に入れておくのもプランニングのうちかもしれない。

◆ 動物検疫所

 検疫所など公官庁とのやりとりは、国情をよく知ったエージェントに任せると負担軽減になるものだ。このため、輸出許可と健康証明の申請は、タイ入国時に世話になったエージェントに任せようとした。ところが当のエージェントが「その必要はない、ご自身で大丈夫だ」と言う。確かに、タイの空港動物検疫所は連絡が取りやすく、指示も明瞭だった。あらかじめメイルで問い合わせをすると、きちんと英語で返事が来た。

 やりとりのなかで予想外の指示を受けた。条虫駆除も、必須ではないがぜひしておけとのこと。動物病院に行く予定はなかったが、権限を持った公務員に抵抗してもCのためにならない。従った。出発1週間前のことだ。
 出発前日、嫌がるCをキャリーに入れ、健康診断のために動物検疫所へ出向いた。犬を連れた短パン姿の欧米人、ネコを連れたタイ人男性らの後ろに並んで、書類ができるのを待った。

 確実を期すため、あらかじめ運転手付きの車を借り上げていた。「何時間かかるのか」と運転手が尋ねるが、筆者のほうが知りたいくらいだ。結果的には1時間ほどで済んだ。
 書類を待ちながら携帯をチェックしたら、病院から筆者のコロナの陰性証明書が届いていた。その前日検査を受けていたものだ。これでCのも筆者のも、旅行のための書類はそろった。

 一方、ケニアの輸入手続きは、エージェントに任せた。おかげで効率よく通関を済ますことができた。

◆ 保安検査

 生き物が入ったキャリーを、普通の手荷物のようにベルトを通すのだろうか。中のCはこわくてならないだろうし、放射線被爆も気になる。問い合わせると、エアラインも獣医も「大丈夫、心配ない」と言うが、ともかく小さな一つ一つのことが不安のタネだ。
 実際は、確かに「大丈夫」だった。バンコクの係官の指示は「ネコをキャリーから出して抱きなさい」「抱いたままボディスキャナーを通りなさい」。Cを抱きしめてゲートを通るだけで済んだ。係官がタイ人らしい微笑みをうかべて「私もネコは大好き」と言っていた。

 フランクフルトの係官は仏頂面だったが、慣れていた。「ネコをキャリーから出して抱きなさい」と言われ、抱いている間に空のキャリーをスクリーンし、次にCをキャリーに戻して筆者だけゲートを通る、こうして、Cはベルトを通らず、放射線も浴びなかった。
 係官の虫の居所だろうか、筆者が挙動不審だったのだろうか、手荷物が開けられ中身が一つ一つ取り出された。尋常ではない荷造りをしていた。ネコ用タオル、毛布、針なし注射器、ネコ用スナック、エリザベスカラー、トイレ用シート、トイレに使うトレイ、フライトが遅れた場合の予備のキャットフード、万一のための薬、注射器、アルコール綿……、これらのネコ・グッズがずらりと検査のテーブルに並んだ。
 ちょっと重量のある袋を取り出して、にこりともせずに係官が尋ねる「これは何だ?」トイレ用のネコ砂だ。

◆ トランジット

 乗り換えのフランクフルト空港。ここにはペット・ラウンジがあり、乗り継ぎ時間が3時間を超えるなら、飲み水を取り替え、ケージを掃除するなどのサービスがあるとの由。もっともこれは預けたペットに限るし、飼い主がラウンジに立ち入れるわけではない。

 ソーシャル・ディスタンスの表示がそこいらじゅうにあり、マスク着用義務を伝えるアナウンスが繰り返される。ショップもラウンジも半分近くは閉められたままで、どこか閑散としている。乗り換えだろう、犬がリードを引きながら、栗色の髪の女性と通り過ぎた。殺風景な空港風景が、そこだけちょっぴり色づく。犬はそれでいいだろうが、Cをキャリーから出すわけにはいかないし、Cも出たくないだろう。

 搭乗手続きに先立ち、乗客一人一人がコロナ陰性証明の確認を受けた。不機嫌なCが入ったキャリーを背中にしょったまま、長蛇の列に並んだ。

◆ 体調管理

 風邪症状、呼吸不全、下痢、嘔吐などあったら、輸出許可がおりないし飛行機に乗せられない。Cは糖尿病体質でインスリン注射を続けていた。そうはっきりは言わないが、Cの主治医(タイ人獣医)は旅行にいい顔をしない。悪化の引き金になり、命の危険をもたらすこともありうるからだ。
 飛行中におこりうる緊急事態と応急措置は何かと尋ねた。ありうるのは体温低下、心拍数低下、呼吸困難、昏睡で、対応は、はちみつかシロップを与える、毛布でくるんで抱きしめる、必要ならマウス・トゥー・マウスで人工呼吸をする、とのこと。さらに、ナイロビ空港から自宅ではなく、直接、ケニアの獣医がいるクリニックに向かう段取りもした。人間の救急救命と同じだ。

 出発の数日前から、いつも以上に水を飲ませなさいとも言われた。Cの顎をつかみ、針なし注射器で水を飲ませた。普段なら家じゅう追いかけっこか、爪を出して抵抗されるかだが、キャリーから出られないからいやいや飲んでいた。
 これは珠玉のアドバイスだった。Cが健康を維持できたのは、このおかげに尽きるように思う。1日くらい食べなくてもよい、大事なのは水だ。

 ペットをキャリーから出してはならないのがルールだ。飛行が安定し、食事サービスも済んで客室が静かになると、Cはキャリーから出せと騒いであばれた。じろりとこちらを見るドイツ人のキャビン・アテンダントの視線。Cにスナックを与えてしのいだ。

◆ ペット自身

 飼い主の立場からいろいろ書いた。しかし、なんと言っても、いちばん気の毒なのは当のCだ。
 お気に入りの場所で日向ぼっこしたり、毛づくろいしたりという日常を奪われ、せまいキャリーに入れられる。知らない場所に連れて行かれ、なじみのない人に触られる。
 ペットは敏感だ。スーツケースを詰めていると、何かが普通ではないと悟る。飼い主の緊張はすぐ伝わる。しかし言葉で説明できないからわからない。わからないから、協力しない。

 「いま以上に太ったら8キロを超えて、客室に入れてもらえなくなるからね」
 「病気になると旅行できないから気をつけて」
 「今夜は空港に行くから、なるべくトイレは済ませておいてほしい」
 と忠告したが、Cが理解したとは思えない。

 2年前のケニアからタイへの移動には、ケニア航空が客室に入れるのを認めていなかったので、ケージごと預けた。最短とは言えまる半日くらい、Cはわけもわからず異常な環境に孤立させられた。自分がそうされることを思えば、ほんとうに気の毒なことをしたと今でも思う。その後のCの体調不良の原因は、かなりこのときのストレスにあるだろう。遠回りになっても、客室移動が許されるかぎり、その方がいいと考える。

◆ 最大の難関

 コロナ禍の下ではあったが、国境再開の細いチャンスができれば、それに滑り込んで移動を果たした友人知人が何人かいる。どの国かを問わず彼らに旅行の様子を聞いた。これが励ましになった。
 なるほど、生き物が国境を越えて病気を持ち込まないようにするという制度の趣旨では、ペットの輸出入管理も、人間のコロナ水際対策も、まったく同じなのだ。ペットの移動だけが、とくに難しいのだとは言えない。はじめはすっかりこんがらがったように思えても、一つ一つ、忍耐強く糸をほぐしていけば、道筋が見えてくるかもしれないと考えられるようになった。

 むしろ最大の難関は、筆者自身が勝手につくり出していたように思う。つまり、不安だ。Cに万一のことがあったらどうしよう、どうしよう、と。いったん不安になると、それはどんどん膨らむ。
 相手は生き物だから、最善のことをしてきたつもりでも、思いどおりになるとはかぎらない。病気になったり、トラブルを引き起こしたり。万一のことも、遅かれ早かれ、必ずあるものだ。ところが、不安に打ちのめされてしまうと、これを忘れてしまう。

◆ 教えられる

 いまこれを執筆する横で、Cは毛づくろいに余念がない。はっとした。
 この日常を得るために、なんと大勢の人の手を借りてきたことか。空港職員、エアライン、ケニア大使館、エージェント、タイ人獣医、ケニア人獣医ばかりか、会ったことも、この先会うこともない、縁の下の力持ちも多い。筆者一人の力でできたことではまったくないのだ。

 ペットばかりではない。健康、仕事、他者との関係など、人生には大事なことがいろいろある。ところが、自分が努力と工夫を重ねてさえいれば、なんとかコントロールできることは、思いのほか少ない。人の手を借りて、どうにかこうにかしのぎ、思いどおりにならないなら、ならないなりにその現実を受け止め、むしろ自分の希望の方を見直せないだろうかと考え直す。なかなか難しいことだが、そのための謙虚さを忘れてはならぬと、Cは教えてくれているのではないか。
 Cの世話をしていると言うよりは、筆者が世話をされているように感じるのは、こういうときだ。

画像の説明
 (元国連職員・ナイロビ在住)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧