■【エッセイ】 高沢 英子

不死身のバートフス
-アハロン・アッペルフェルド著 武田尚子訳 をめぐって-

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◆文学がたんなるトランペットに過ぎなくなったら、それは危機に瀕している◆
アッペルフェルド『ホロコーストを超えて』より


 
  この中編小説「不死身のバートフス」は一九七九年、ヘブライ語で書かれた。
作者は一九三二年、当時ルーマニア領だったブコヴィナ地方の裕福なユダヤ人家
庭に生まれ育った、アハロン・アッペルフエルドである。

 残念ながら、アハロン・アッペルフェルドの名は、日本の読者界には殆ど知ら
れていない。筆者も、今年の夏、知遇を得ることになった、アメリカ在住の翻訳
家、武田尚子さんが贈ってくださった彼女の翻訳小説で、はじめてその名を知っ
た。武田尚子さん訳「不死身のバーとフス」は1996年に、みすず書房から出版さ
れている。 

 巻末に、訳者武田尚子氏が紹介されている作者アハロン・アッペルフェルトの
経歴は驚くべきものである。それに拠りつつ、簡単に作者の少年時代の環境をな
ぞってみる。

 一九四一年、八歳なかばで、ドイツ軍とルーマニア当局の共謀によるユダヤ人
虐殺で、母と祖母を殺され、父とともに収容所に送られる。やがて父とも引き離
され、半年後に脱走。金髪だったことと、ウクライナ語が喋れたことが幸いし
て、森の中で盗賊の一味に拾われ、かれらの手伝いをしながら養われる。

 二年後イタリヤに逃れ、ナポリ近辺でカソリックの神父に助けられる。やが
て、解放後の1946年、難民船に乗船し、パレスチナに渡った。十四歳の時であ
る。こうして、ようやく父祖の地に戻ったものの、不法入国者として英国政府に
より、収容所に入れられて一冬をすごす。

 出所後、キブツで働きながらヘブライ語を学び、高校卒資格をとり、大学へ。
処女作は短編集「煙」で、アッペルフェルド30歳の年である。
  訳者が「不死身のバートフス」のあとがきで引用しているかれの言葉を、ここ
に孫引きさせていただく。

 「私が主として書いているのはユダヤ人の話であるが、私はホロコースト作家
ではない。
  私のテーマは、根を引き抜かれた人間、孤児、戦争だ・・・私の興味のひとつ
は東欧で彼らの文化を失い、品位と洗練を奪われたユダヤ知識人である。私は政
治的な作家ではなく、フイクションの中で発言する。しかも多くを発言している。
・・・文学が単なるトランペットに過ぎなくなったら、それは危機に瀕してい
る」

 小説の読後、私はなんとも言えない感動に包まれた。的確な言葉が見つからな
いが、それは、「これは人間の小説だ」といった感動で、これまで知っていたつ
もりの文学とはひと味もふた味も異なった人間存在のリアリティを、描いたもの
として、痺れるように心打たれたのである。そして、旧約聖書を、近代人的常識
を持って読もうとしたとき、しばしば不意になぎ倒されるような衝撃を受けるこ
とがあるように、主人公を、謎と魅惑の霧に包まれた伝説的古代ユダヤ人の姿と
重ね合わせたのだった。

 全体は十六章に分かたれ、不死身というニックネームを持つ50歳のユダヤ人バ
ートフスが主人公である。まだ子供の頃に、収容所から生き延びて解放され、イ
タリアから船でイスラエルに戻った難民の一人である。肉親は既にだれも世にな
いという設定で、具体的に詳しいことは何一つ書かれていない。

 物語は、男の一年を追うかたちで展開する。事件らしいものは何も起こらな
い。かれは、毎日早朝に起き、コーヒーを淹れ、タバコをのみ、カフエに坐りに
ゆく。わずかの時間に、密輸と金の取り引きをするのが仕事だ。ときには海への
長い散歩をする。夜更けに家に帰り、装飾というものを一切排除した裸の部屋で
ひとり浅い眠りを貪る。
 
  毎日同じ繰り返し。妻と娘がいて、必要な生活費は渡しているが、口はきかな
い。かつてイタリアの渚で知り合った妻は、かれの根源的な渇きを理解せず、か
れは貪欲な妻に嫌気がさしている。娘たちはすっかり母親に言いくるめられ、父
親に対しては、母親と憎しみを共有している。そもそもこの二人の娘たちが、果
たして彼の実の子供なのかどうか、それも定かではない。
 
―「おいといてくれた」
  「なにを?」
  「私の頼んだものをさ」
  「覚えてない」
  「思い出しなよ」
  「なにを?」
  「スーパーへゆく金がいるっていったじゃないか」―
 
  これが、彼らがたまに交わす会話のすべてだ。結局かれはそれを妻にやり、家
を出る。"来る日も来る日も、かれはこんなふうにやってきた"のである。
 
  冬が去り、春から夏へ、そして夏の終わり。孤独なかれの宝ものは
  金の棒3本。現金5千ドル。ネックレス二本。金時計数個。
  母の写真数葉。父のパスポート写真。妹の小さな学校写真。

 以上がかれの目下の生存のよりどころである。考え抜いた揚句、かれはそれを
細長いスチールの箱に入れ、凝った鍵で封印し、穴蔵のなかに慎重に隠している。
  特に家族と称しているものたちから守るために。そして"愛する女にささげる
ような優しい情念をささげていた"のである。誤解されないことを祈るが、かれ
はそれを決して吝嗇からしているのではない。心の掟に従っているのだ。宝もの
は、断じて汚されてはならない。

 アッペルフェルドがマックス・ブロートの薫陶を受けた、と知り、カフカを想
起するのは容易である。しかし繊細なカフカが震えるように予感していた、疎外
感と不安は、世界のひとびとに、どこまで届いていただろうか。

 何千年もさまよい続けてきたユダヤ民族の悲しみは、かの恐怖のホロコースト
を経験した作家たちによって、磨きをかけられ、練り上げられた、といえるかも
しれない。  
 
  アッペルフェルドは、この作品で、ホロコーストが心にもたらした深い傷跡を
、修復するてだてを、探り続ける、ひとりの孤独な男の姿を、抑制された文章で
刻み付ける。

 日常の言葉を使い、すれちがう普通の群像たちを観察しつつ描き、かれらの動
きと言葉を、いびつに組み合わせ、淡い光と影の交錯するイスラエルの海辺の四
季の中で、一切の虚飾を拒絶して自己の定めた規範に従い、一見淡々と規律正し
く生きている不死身のバートフスの姿を、見事に浮かび上がらせる。変わり映え
のしない無味乾燥な日々を、突如引き裂く過去の思い出が、意味のない日付が、
明日も生きていく、ひとりの男の希望をつなぐ。

 旧約聖書の神人たちが立ち上がり、寄り添いつつ影のように動く思いに捉われ
る。彼らは不死身だ。神という言葉はどこにもない。しかし、かれとともにいる
のは、明らかに神であると思えるのだ。
 
  かつて、モーセに「わたしは『わたしは在る』というものである」と告げ、シ
ナイ山で、角笛の音とともに「わが名をみだりに唱えてはならない!」と告げた
神だ。

 40年前、ダッハウを訪れたとき 九歳の娘と交わした会話がある。それが今、
この小説を読んで、重なり合った。建物の外に出たとき、彼女はため息をついて
小さく呟いた。「あの人たちが、ここにいたとは信じられない。あの写真の顔
は、ほんとにこの世に生きているように見えなかった」と。
 
  主人公のバーとフスの人生は、生存者のその後の人生のひとつの象徴であり、
その意味では、永遠に生き続け、不死身であるかもしれない。

 なお、同じ著者による中編小説「バーデンハイム1939」が、やはりみすず
書房から、ヘブライ語学者、村岡崇高光氏の翻訳で出ていると知り、早速それも
取り寄せて読んでみることにした。こちらは1975年に発表されている。

 アッペルフェルドが「不死身のバートフス」を書く4年前であるが、オースト
リアの保養地を舞台に、そこに定住して同化していたユダヤ人中産階級の人たち
が、つぎつぎ市の衛生局員によって抹殺されてゆき、生き残った人たちも最終目
的地に輸送されていく物語が、冷静な筆致で描写されている、という。

            (筆者はエッセースト・東京都在住)
 
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