【沖縄の地鳴り】

沖縄で今、何が起きているか?
〜三上智恵監督の映画『戦場ぬ止み』


<はしがき> 辺野古新基地反対の座り込みが始まったのが2014年7月7日。あれから600余日を経た。友人の一人から、沖縄の映画を観に行こうと誘われた。沖縄の著名な女性監督で「標的の村」を作った方だと聞いた。辺野古のことを撮った作品をということで興味を持った。主催者は長い付き合いのある大竹財団研究所であった。大竹さんとも会いたかった。研究所は東京八重洲口の前だったと記憶しているが、もう二十年近くたっている。八重洲駅前は高層ビルに変貌して昔の面影などない。ともかく訪ね歩いてやっと到着した。12階の堂々たるビルの11階が会場だった。チラシには、「沖縄で今、何が起きているのか? 『標的の村』三上智恵監督が沖縄の決意を日本に、そして世界に問う、衝撃のドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』が緊急公開決定!」とあった。

 すでに中野ポレポレなどで公開されていたことも知った。2時間の長編だったがあっという間に時間が過ぎた。まさに沖縄の戦後と辺野古を描いて、その実相を私たちに突きつけた映画だった。涙し、笑い、憤りの連続だった。なかでも86歳の文子おばあの迫力。名護市に住む戦争体験者の文子おばあの「死んでもこの戦争基地を止める」という決意と行動に圧倒される。そして監督は名護地区の条件派にも温かい目を向ける。裏切り者という視線ではなく、彼らをそうせざるを得なくした、戦後の基地沖縄の歴史に迫る。「俺は漁師をやりたいんだ」と反対派に一線を画す青年が、最後の場面で高江地区の反対派の忘年会に美味しい海の幸を運ぶ姿も感動的だった。
 ネットで、三上監督のインタビュー記事を見つけた。下手な論評より、これを見てほしいという思いで一部を転載させていただいた。この対談そのものが辺野古新基地反対運動のすぐれたレポートとなっている。(編集部・仲井富)
  

◆三上智恵監督インタビュー 沖縄の人が止めたいのは「戦争」

 映画『標的の村』で、高江のヘリパッド建設に反対する住民が通行妨害で国から訴えられるという前代未聞のSLAPP訴訟と、オスプレイ配備に反対する市民による普天間基地のゲート封鎖の攻防をドキュメンタリー作品として世に問い、日本中で議論を呼び起こした三上智恵監督が、現在、辺野古の海とゲート前で起こっている激しい衝突を記録し、再び世界に向けて発信したのが映画『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』だ。基地問題を20年間にわたって取材し続けてきた三上監督にとってこの映画は「沖縄の負担を減らして欲しいなどという生やさしいものではない」と言う。沖縄の人達が国と全面対決してでも止めたいのは、日本で息を吹き返そうとしている「戦争」そのものであると。東京での緊急先行上映を目前に控えた三上監督に映画に込めた思いを語っていただいた。
(インタビュー:加藤梅造/写真:(C)2015『戦場ぬ止み』製作委員会)

──映画に専念するためにQAB(琉球朝日放送)を昨年退社されたんですよね?

三上 専念するためというよりは、もう破れかぶれで辞めたというのが実態なんですが(笑)、2年ぐらい前からなんとなく辞めるだろうなと思っていて、辺野古のことは自主で撮り始めていたんですね。『標的の村』では、高江でヘリパッド建設反対の座り込みをしていた住民が通行妨害で訴えられるといういわゆる「SLAPP訴訟」(※大企業や政府が市民を恫喝するために起こす訴訟)を取り上げていますが、あれはもともと防衛省が辺野古移設の前にやったテストケースだったんです。これまで沖縄の住民が最後の抵抗の手段としてずっとやってきた座り込み。それさえも禁じ手にしてしまおうという防衛省の悪巧みを白日の下に晒して、二度とSLAPP訴訟という手を使えないようにしなければいけないというのが『標的の村』を作った大きな理由なので、辺野古を止めなければ高江の苦しみも終わらない。だから辺野古を撮るのは高江の延長線上のことで、単に『標的の村』の評判がよかったから続編を作ったわけではないんです。20年間ずっとこの問題に関わっているので、私にとっては必然ですね。

──ゲート前は7月の段階から激しい衝突の場面が多いですよね。私も7月に辺野古に行ったんですが、たまたま映画にも出てくる「トラックの下に潜って車両の侵入を食い止めよう」という場面に居合わせて、これは大変な現場に来てしまったと思いました。

三上 それは貴重な場面に遭遇しましたね(笑)。ゲート前は最初から激しくなると予想していたので、誰が怪我しても、誰が逮捕されても抗議の正当性を自分のカメラで証明しないといけないと思ってずっと現場にいました。ただ予想外だったのは、85歳の島袋文子おばあが、まさかゲート前で座り込むとは思ってなかったし、ましてや工事トラックの前に立ちはだかるとは予想外でした。私が焚きつけちゃった面もあるかも知れないんですが、文子おばあがどんどん武闘派になっていって。(昨年11月機動隊との揉み合いの最中に)おばあが怪我しちゃった時には本当に後悔しました…。

(写真1)文子おばあ
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──三上さんは10年前から文子さんを取材しているそうですが、今回の映画の中心に据えたのは、壮絶な戦争体験と戦後もずっと苦しんできたという彼女の人生が沖縄の悲劇を体現しているからでしょうか?(註:文子さんは15歳の時、沖縄戦で米軍から火炎放射器で焼かれながらも奇跡的に生き延び、戦後は母と弟を養うために働き続けた。「生きてきて、楽しいと思ったことは何もなかった」と言う)

三上 最初に私が文子さんに注目したのは、とにかく言葉はきついし、目は怖いし、戦時中に負った腕の火傷を見せて啖呵を切るしで、この人凄いなあと。なんで誰もこの人を取材しないんだろうと思って、近寄っていったんですが最初は「私は取材は大嫌いだし、何も話さないよ!」って言われて…、いつも怒らればかりでした。文子さんは誰にでも好かれる愛くるしいおばあではないけど、誰よりも一途で、ピュアで、寂しがり屋で、人間としての弱さや、かわいいところもすごくあって、私はそんな彼女が大好きなんです。「文ちゃんのかわいさが分かるのは私だけ」って思うから、よけいに近づきたくなる(笑)。彼女の家に行くと、手作りのブローチやリボンなどかわいい小物が沢山飾ってあるんです。私のおばあちゃんもそうでしたが、青春時代が戦争だったから、かわいいもの、キラキラした物を何一つ身に付けられなかったんですね。少女時代に何もできなかったから、ようやく今になってフリフリしたものを壁一面に飾って、来る人みんなにプレゼントするんです。一見男勝りな文子さんの中には、本当にかわいらしい「文ちゃん」がいるんです。

──そんな三上さんが撮影してることもあって、映像から文子さんのやさしい人柄がすごく伝わってきます。

三上 文子さんのことを戦争を体験したから基地に反対しているんだって安直に理解できるものではないんです。だって、戦争を体験した人がみんなトラックの前に立つかって言ったら、そんなわけないでしょ。なぜ彼女が80歳を過ぎてまであれだけ激しく闘うのかって考えると、それは人生の落とし前というか、自分が生き残ったことを肯定できないまま85歳まで生きて来て、自分の人生は一体何だったのか、心の中で暴れ回るものを抱えているのではないかと思うんです。彼女を主人公にしたのは、単なる戦争体験者という象徴からは見えてこない、ある一人の孤独な女性の生涯、それを描きたかったんです。

──見ているこちらも嬉しくなるのは、県知事選の勝利の後に文子さんが「生きてきてよかった」って言うシーンですね。

三上 85歳になってようやく生きてきた意味をつかみ取るって、考えてみればすごい話ですよね。

──その文子さんが「私は沖縄のためだけにやっているんじゃない、日本が二度と戦争をしない優しい国になるために闘ってるんだ」と言ったのが強く印象に残りました。

三上 まさに11月の県知事選の頃は、全国から沖縄に応援が来ていて、この知事選に負けたら日本は終わりだってぐらい盛り上がってたじゃないですか。私はそんなに沖縄に何もかも覆い被せないでよって思ってましたが、沖縄の人はそれを引き受けたんです。日本の戦争を止められるとしたら沖縄からしかない、そこまで闘うなら上等だって。それが文子おばあの言葉にもヒロジさんの言葉にも表れてます。沖縄の「島ぐるみ闘争」の振動を激震にして安倍政権にぶつけてやるというぐらいの勢いでした。だから『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』という言葉を、日本の戦争の息の根を止める、それができるのは沖縄からなんだという誇りを込めて映画のタイトルにしました。

(写真2)ゲート前
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──ゲート前のリーダーである山城ヒロジさんもすごく魅力的に描かれてますね。

三上 もう私、ヒロジさんが大好きなんです。彼も誤解を受けやすい人で、とにかく喧嘩っ早いし口が悪いしで、反対派の中にもあんなチンピラと一緒にやりたくないって人はいますね。特に7月頃はそういう批判もあった。でもヒロジさんって怒ったと思ったら笑ってるし、泣いてると思ったら踊ってるしで、みんなだんだんその魅力にやられていくんです(笑)。警察だって本当はヒロジさんのことが好きなんですよ。今ヒロジさんは闘病のため休養していますが、抗議現場を離れる日にはいつも対立している警察が数人駆け寄ってきて「早く帰ってきて下さい」って握手されたらしいんです(笑)。私はその話を後で人から聞いてすごく感動して、すぐヒロジさんに電話したんです。そうしたらヒロジさんは「握手なんかしてないよ」って。それは彼らの立場を慮ってそう言ったと思うんですが、そういう所も含めてヒロジさんってとことん優しいんですよね。

──抗議中、機動隊に対して「君たちを敵だとは思っていない。君たちを戦場に行かせたくないんだ」ってよく言ってますよね。敵は目の前の警官ではなく、その後ろにいる防衛局や政府だってことを常に意識しているというか。

三上 そうですね。だから彼が本当に怒った時はウチナー口(沖縄方言)になるんですが、それも同じ沖縄人への愛があるからで、ウチナーのおじさんがウチナーの青年に語りかける言葉だからこそ通じるものがあるんですね。「お前ら島の青年なのに、本気でこの島を壊そうとしているのか」という言葉はウチナー口だからこそ届くと思うんです。

──何も知らない人があれは左翼の運動だとよく言いますが、そうじゃないことがよくわかります。

三上 文子さんもヒロジさんも、あと渡具知さん親子や、由里船長、寿里ちゃん…、みんな島に生きる一人の人間としてやっている。現場に来ればすぐわかることなんですけど、来たこともない人がプロ市民の運動だと揶揄するんですね。賛成か反対かという単純な問題ではない。

──映画には基地に対する様々な立場の人が出てきますが、地元の漁師の人達の複雑な立場がよく伝わってきました。ある漁師が「賛成なんかしてない。容認だ」と言ってるように、立場的に反対派ではないけど、心情的には反対派に共感している部分があるんだなあと。

三上 やっぱり地元の漁師さんは既に補償金をもらっているので今さら反対とは言えなくなっているんです。反対派の船の人に対しては、戦い方があまいとか、船の扱いがなってないとか、海をバカにするなとか、いろいろ悪口を言うんだけど、抗議のための船を出す船長さんの無謀さや勇気は、どこかで漁師の人達にも通ずるものがあるんです。ここまでして海を守ろうとしている気持ちに対しては、やっぱり一定のリスペクトがありますよ。海が荒れそうな時は、今日はやめておいた方がいいってアドバイスしたり、いつも気に掛けてますね。たとえ立場や主張が違っても繋がっている部分は大きいです。

──反対派の和成船長は地元の漁師さん(海人)をすごく擁護してましたね。「ここの海人はすごいんだぞ。海人を基地賛成か反対かで見ないでくれ」って。

三上 彼はずっと大浦湾でツアーのガイドをやっていたので、地元の海人をすごくリスペクトしているんです。だから「お金をもらったから漁師はだめだ」って批判を聞くと、「そんなに簡単な問題じゃない」と言って猛然と反発するんです。和成さんが地元の漁師を尊敬するのも、また海保(海上保安庁)に勤めているウチナーのおじさんを尊敬するのも沖縄の儒教の伝統なんです。年上の人には丁寧に接する、おじいおばあを大事にする、それは徹底してますよね。(後略)

(写真3)山上智恵監督
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