■【エッセー】

メイ・サートン「今かくあれども」―老いと介護① 高沢 英子

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  「私は狂気ではない。年をとっただけだ」メイ・サートンが、1973年、6
1歳のとき発表した小説「AS WE ARE NOW」(「今かくあれども」)
は、いきなりこの言葉で始まる。
  当年76歳の女主人公カーロ・スペンサーは、もと高校の数学教師。生涯独身
で、自立して暮らしてきたが、心臓発作を起こしたのがきっかけで、ただひとり
の身内である兄夫婦に、老人ホームに送り込まれる。

 そこは、彼女の表現を借りるなら、「老人の強制収容所」「人が、親や身内を
がらくたのように捨ててゆくいくごみ溜め」である。小説はカーロの手記という
形を取って進行し、カーロは「私はこの手記を「死者の書」と呼ぶ」と宣言し、
「完成するまでに、私はこの世を去っているだろう」と書く。

 人里離れた農家を改造した、陰気で、掃除の行届かない不潔な、埃だらけのホ
ームの劣悪な環境。2本の楡の木があり、ホームの名は「双子ニレの家」という。

 ここで、すべてをとりしきっているのは2人のデブの女、中年のハリエットと
その娘ローズ。それに、ハリエットの年下の愛人という「きまじめな顔をして、
ろくに口を利かないひからびた若者」が「台所で最下等なシガーをくゆらせてい
る」。女たちは嘘つきで、口がうまく、内心、老人たちを見下げている。

 日常のぞっとする環境が詳細に生々しく描かれ、閉じ込められた、老いたカー
ロの苦衷と怒りの激しさは、日を追って膨れ上がる。彼女に言わせれば、女たち
は「貪欲で不機嫌な豚」だ。同じ頃、サートンの「独り居の日記」の中に、彼女
が、敬意を籠めてしばしば描いていた、気骨に富んだ庭師パーリー・コールが、
老いて重い病気にかかり、娘たちによって入れられたナーシングホームを何度か
訪ねる記述がある。

 訳者解説によれば、カーロには、どうやらこの老人の俤が重なるらしい。彼は、
また、作中で、ホームに訪問してきたメソジスト教会の牧師に「たいへんは一生
つづいたことでさ。今にはじまった話しじゃないす。いずれにしても同じこった。
こんなふうに終わるたあ、思ってもみなんだってことさ」と呟き、「神様の祝福
だと!冗談じゃねぇや。神さんには住所はねぇ。神さんは村のよろず屋より遠く
にお出ましになることはねぇ。神さまだと?」と喚き散らし、薬も食事も拒み、
やがて、病院へと搬送される救急車の中で死んでいった、愛すべきスタンディッ
シュ・フリントなる老人にも、濃い影を落としている。

 社会的に無用の人物となり果て、抗しがたい肉体的な衰えを意識しつつ、迫り
来る死の影を見つめ、人間としての尊厳を保とうとする魂の叫びが、全編に響い
ている。

 カーロは「病気であれ老齢であれ、あるいは監獄であれ、人間が力を奪われた
場所には共通したつながりがある。それは、囚われ人が英雄的な勇気で耐える無
力さだけでなく、絶対的な支配力をあたえられたとき、看護婦や看守などにその
力がなにをさせるかということだ」と書く。この小説は、これからさらに、この
牧師やその家族などとの交流、知人の訪問と、興味深い展開をみせる。それにつ
いては次回でもうすこし考察を進めてみたいと思う。

 繰り返すように、作品全体に充ち充ちている怒りの激しさは、読むものをたじ
ろがせずにおかない迫力がある。そして、これが、かつては感性豊かで知性的、
教育者として自立して暮らしてきた孤独な女性の終わりの姿だ、といわれたら、
周辺を見回して、また、日本もアメリカと同じようなものかも、と思う。日本の
老人たちの境遇も、あるいは似たりよったりかも、と首を縦に振らないわけにゆ
かないケースがいくつか思い浮かぶ。

 数日前、我が家の娘はある老女が最近入ったケア・ハウスに見舞いに行った。
彼女は今年81歳、昨年暮れ、5歳年上のご主人が突然世を去ってから急速に気
力を失ったが、頭はしっかりしていた。娘は、20代で、50代からリュウマチ
を患っていた彼女と、伊豆の国立温泉病院で知り合った。その後、長い空白の後
で、東京に来て間もなく、病院で偶然再会したのである。

 2人とも同じ主治医にかかっていた。住まいが同じ区内にあったので、娘はよ
く病院の帰り、彼女を車で自宅に送り届けてあげたりしていた。ご主人もお元気
で、病はかなり重篤ではあったが、まだ歩けたし、電車にも乗れ、家事もこなし
て、元気だった。娘さんが2人居て、それぞれ家庭を持ち、都内で暮らしている。
下の娘さんが、最近子どもを引き取って離婚している、とは聞いていた。

 会って見ると、彼女はまだ元気で、頭もしっかりしてはいるが、すでに車椅子
にのせられており、もともと痩せていたが、体重も25キロになっている。最近
すっかり食欲が衰え、何が欲しい、と聞くと、果物、それも手のかからないイチ
ゴなどがいい、といったという。歩いて歩けないことはないが、それをしようと
努力すると、今後、なにがあっても、やってくれなくなりそうで怖くてできない、
と訴えていたらしい。

 今年、松の内も過ぎた時季に、京都に住んでいたとき娘を可愛がってくれた近
所の老婦人から、電話があった。一戸立ての家で独り暮らしを続けていたが、2、
3週間後に、丸太町の老人ホームに入ることになった、という。現在91歳で、
仏師だった息子と2人で暮らしていたが、20年前、かれが突然早世し、以来独
り暮らしを続けていたのである。

 彼女には娘もおり、兄が亡くなった当時、勤め先の花屋で知り合ったオランダ
人のフラワーデザイナーと結婚していた。東京都内の住宅地で、夫の仕事を手助
けしながら、2人の娘を育て、聞くところではなかなか裕福な暮らしぶりなのが、
その老婦人の自慢の種であった。

 今回、老婦人は彼女のおかげで、なかなか入れない人気のあるホームを契約し
てもらえた、と喜んでいて、入ったら、すぐまた報せる、と言っていたが、その
後連絡が途絶えている。

 私のところにも最近あちらこちらの老人ホームから、さかんに見学会だの、昼
食会、宿泊体験会だの、という、カラフルで、大事にされているにこにこ顔の老
人の顔写真入のパンフレットが送りつけられる。共同スペースの、高級ホテル並
みの豪華な写真も添えられている。価格は破格で、私にとっては無縁の世界だが、
読んで眺めるだけは眺めてみる。

 不思議なのは、そうしたパンフレットの殆どが、肝心の個室写真をほとんど掲
載しないことである。せいぜい18平米程度のベット、小卓、窓に安物のカーテ
ン、といったひっそりした部屋を片隅に紹介しているケースもあるが、個、とい
うものを重んじない国民性がこんなところにも顔をだしているのか、と思うと気
が重くなる。

 数日前、娘の担当のケアマネージャーが恒例の見回りにやってきて、4月から、
また介護時間が減らされることになったと通達してきた。娘は現在要介護2であ
るが、東京に来た最初の頃は週2回、2時間づつ、という取り決めだった。

 同居している夫が健常者であり、母親のわたしもいるということで、かなり、
渋々ながら、リュウマチという特殊な病気の時は要介護1だった、という事情な
どを知っているケアマネージャーなどの意向も取り入れられたのか、特例として
認められる形だったが、昨年くらいから1時間半となり、4月からは1時間にな
るという。

 最近東京の公営住宅で2人の老女が死んでいるのが見つかったと報じられた。
死後1ヶ月が経過。異常に気付いた近所の人や民生委員らの通報で、住宅管理を
している公務員がやってきたものの、何にもしないで帰ってしまった。65歳以
上は見回りの義務があるが、63歳だからしなかった、というのが当局の言い分
である。

 姿の見えないところで権威を振るうこうした理不尽な仕組み。何とかならない
ものか、と思いながらも出口は見つからず、時だけが過ぎてゆき、世の中はめま
ぐるしく動いていく。

          (筆者は東京都在住・エッセースト)

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