【北から南から】

ミャンマー通信(30)

中嶋 滋


●大洪水被害、総選挙への影響は?

<想像を超える甚大な被害>

 日本のメディアも報じているように大洪水の被害が広がっています。街のあちこちに学生たちが救援カンパを募る活動を展開しています。CTUM(ミャンマー唯一の労組ナショナルセンター、ITUC加盟)も被災組合員を中心に救援活動を展開しています。保険制度がないミャンマーでは、あったとしても貧しい農民や工場労働者は掛け金が払えませんから無縁ですが、被災者は復興費用の全てを個人で被ることになります。

 特に深刻な被害を被ったのは、西部のラカイン州、チン州、ザカイン管区の3州・管区ですが、他の州・管区にも被害が広がっています。家も家畜も農機具も田も畑も全てを流された農民が数えきれない程います。AFFM(CTUM加盟の農民組合)が状況把握と救済活動を進めていますが、被害の全貌は未だ把握できていません。只でさえ通信・交通状況が悪いのに、洪水によって破壊されて更に悪くなっているから仕方ありません。洪水によって大量の毒蛇が流され下流の村々を襲うという日本では考えられない被害も出ています。

 そんな中、農作物が流され土砂に埋まった田畑をどのようにして再び耕作地に戻し何を作付けしたらよいか、という技術指導を求める声が高まっています。洪水によって鉱山からの有害物質を含んだ汚染水が田畑を覆った可能性が高いという農村からの土壌検査と復興支援の要請もあります。こうした被害の多くは、少数民族の住む貧しい村々に起っています。高い農業技術を誇る日本が大きな役割を果たしうる分野です。

 2008年の巨大サイクロン「ナルギス」の場合も、多くの農村で甚大な被害がでました。直撃を受けたエラワディ管区の農村の中には7年経った今も復興していないところもあります。ヤンゴンで道路清掃や家庭ゴミ収集に従事している人や、空き缶やペットボトルを収集して生計を立てている人の少なからぬ数がそれらの村の被災者だといいます。時の軍事政権は、甚大な被害からの国民生活の復興を優先させるべきだとの声を封殺し、憲法承認国民投票を強行しました。周知のように信じられない高投票率・賛成率で、現憲法は承認されました。

<総選挙への影響>

 その憲法に基づいて、NLDがボイコットした2010年総選挙が行なわれました。その選挙で、軍政の全面支持を受けて生活道整備などの利益誘導を行なって圧勝したのがUSDPでした。ミャンマーの国政選挙は全ての議席が小選挙区で争われます(国軍最高司令官指名による軍人議席を除く)。NLDのボイコットはUSDPを圧倒的に有利な情勢に導きました。その上に様々な利益誘導や不当な権力行使などの選挙違反があって、「軍服に上に平服を纏った勢力」が圧勝した訳です。

 NLDが参加する今回の選挙は、前回のようにUSDPが多くの選挙区で事実上「不戦勝」することになりません。そこで、周到で大規模な選挙違反があり得ると心配する声があります。救援や復興支援に名を借りた洪水被害を悪用する違反も考えられます。
 ヤンゴンの街中でも道路のふちに奇妙な石碑を見かけることがあります。前回の選挙に向けてUSDP関連組織が生活道路整備を実施したいわば記念(宣伝)碑です。ミャンマーでは有力者による寄附によって学校などの公共施設や寺院の建設・補修がなされる例が多いのですが、必ずと言ってよい程、これは誰それによって寄贈されたものだという碑やレリーフがつくられます。こちらに来た当初、建物等の歴史的由来などが書かれているのかと思い尋ねたら、寄贈者の名前や肩書きが書かれているだけだと笑われたことがありました。
 いずれにしても洪水被害を悪用する違反の横行が懸念されます。公正選挙を確保する監視活動が必要とされています。もっとも、友人たちによればミャンマーの人たちは「支援と投票は別物」としたたかに対応するというのですが。

 洪水被害による総選挙への影響は、手続上の日程変更に出ました。候補者リスト提出期限は、当初8月8日だったものが延期され8月14日となりました。そして、〆切前日の13日朝、一部マスコミが「大統領によるクーデター」と評した事件が明らかにされたのです。

●混沌とする総選挙情勢:候補者リストの作成・提出

<与党USDP内の対立と混乱>

 USDPは、8月11日に候補者リストを発表しました。この時点での衝撃は「大統領出馬せず」でした。それとともに大統領側近と言われている有力閣僚がリストから外れていました。マスメディアの多くは、大統領派は無所属で立候補することになるだろうと報じました。シュエマン下院議長が率いるUSDPから大統領派が追い出されるかのごとき様相でした。

 そして候補者リスト提出に向けて最終的な会議を行なっていた12日夜、事態は一変しました。突如、治安部隊がUSDP本部に踏み入り、同時にシュエマン議長自宅に「警備体制」を敷いたのです。党内の主導権争いに治安部隊を動員したのですから、「クーデター」と呼ぶのもあながち外れているとは言えないのです。
 事態は一変しました。シュエマン党首をはじめ党執行部全員が更迭され、テインセイン派の人々による新執行体制が確立されました。これが厳正な手続きを踏んでなされたとは到底思えません。国軍の武力を背景にした極めて強引な「転換」でした。

 NLDの幹部が、この騒動によって選挙戦は更にNLDに有利となる、と語ったと報じられましたが、テインセインに対する評価は大きく変ったと思われます。民主化と経済自由化政策を手堅く進めていて、政治・経済の安定的な発展を考えるともう1期やってもらうのが良い、という肯定的な評価は大きく後退することになろうかと思います。私の周りにも、強欲でダーティーと言われるシュエマンの方がある意味正直で、テインセインの方がずる賢いことが分かり幻滅した、とテインセイン批判をする人もいます。国民の多くは、また国軍がやったとかなり冷ややかに見ているようです。地元新聞も、水に浸った椅子の上で頭を突き合せ争う2羽の鶏の漫画を載せ、洪水被害救援をそっちのけにした国民不在の派閥争いと皮肉を込めた報道をしています。

 2人の国軍元大将を頭にいただいたこの主導権争いは、大統領や閣僚は在任中に政党活動をしてはならないという法的制約があり、自由に活動できるシュエマン党首・下院議長が断然優位に進んでいました。その法的規制には、投票日が公式に発表された後はできる、という例外があるのですが、それをなくす法改正をシュエマンが主導して下院で可決しました。大統領と閣僚は政党活動が出来なくなりますから無所属で選挙活動をせねばならなくなるので、巻き返しが図られ、上院では否決されて両院合同審議に持ち込まれましたが、改正には至りませんでした。

 これに引き続いて、テインセインの左右の腕と言われている2人の大統領府上級大臣(ソーテイン、アウンミン)の選挙区移動申し入れを拒絶し、無所属で闘わざるを得ない状況に追い込んだのです。更に、シュエマン派でない閣僚や国軍退役将校の党公認申請を拒絶し、対立は非妥協的で先鋭なものになったのです。周知のようにシュエマンは軍政時代の序列No.3でした。国軍のことは熟知していたはずです。しかも、テインセインと国軍最高司令官ミンアウンライン将軍とは近い関係といわれているわけで、国軍が動くことは考えなかったのか、どうして徹底したテインセイン派排除を急ぎ強行しようとしたのか、疑問は多くあります。
 最大の疑問は軍政時代のNo.1、タンシュエ上級将軍が関与したのか、いかなる役割を果たしたのか、ということです。両論あります。しかし、今回の事態のように、裏に誰が居ようが居まいが、国軍の判断と行動とで政治動向が決定づけられるのは、この国の民主化への途は依然として遠く険しいといわざるをえません。

<一方NLDは?>

 NLD優勢の下馬評の下、USDPの混乱が露になっている中で、益々有利な状況になっていると思われがちですが、どうもそう単純ではないようです。私の友人たちも過半数を確保するのは難しいのではないかという人が多いのです。政党としての組織体制が未成熟で、とりわけUSDPと比較すると脆弱すぎると言われます。そのことが影響してか候補者選考にも色々な問題が出ています。候補者選びが原因で大勢の脱退者が出た地域があります。候補者差し替えを求めて党に抗議と申し入れがなされ、差し替えられた人が無所属で立候補するなどの問題も起っています。

 大きな問題のひとつが88世代の扱いです。NLDは、88世代の著名人に党の候補者として選挙戦をともに闘うよう公式に働きかけたことはしていない、と言明しています。しかし、入党し候補者申請した人は少なからずいます。その人たちが従来からの候補者とバッティングして調整困難に陥ったケースもあります。国民的な著名人で広く尊敬を集めている人であっても地域に馴染まない人もいる訳です。それと、集会やデモで不当逮捕され現在係争中の人や亡命していてこの10年間ミャンマーに居住していない人など、立候補資格に欠けることが判明して「意中の人」がダメになるケースもあります。

 NLDは候補者リスト提出〆切最終日に50人以上の候補者を入れ替えました。候補者選びと選挙区調整に苦労したことが現れています。

<90政党が参加、下院330・上院168を争う>

 2010年選挙での参加政党数は37であったので今回の90は驚く程の政党数です。これを民主化に向けた良い兆候と思いたいのですが、いかがでしょうか。明らかな特徴は、少数民族の政党が非常に多く増えたことです。前回選挙では1政党が民族を代表する形で参加したのに、今回は4つに増えている州もあります。そうなるように働きかけた勢力がありその結果だと、友人はいいます。
 主な政党からの立候補者数をみますと以下のようになります。

   政党名  候補者総数  下院   上院   州・管区議会

------------- ---------- -------- -------- ----------------

(1)USDP   1,088    299    157     632
(2)NLD    1,037    300    148     589
(3)NUP     730    200    94     436
(4)NDF     236    78    39     118
(5)MFDP    206    69    24     113
(6)SNDP    197    56    18     123
(7)SNLD    126    38     9     79
(8)KPP     118    24    18     76

注:USDP (United Solidarity Development Party)

   NLD   (National League for Democracy) 
   NUP   (National Unity Party) 
   NDF   (National Democracy Force)
   MFDP (Myanmar Farmers Development Party)
   SNDP (Shan Nationalities Democratic Party)
   SNLD (Shan National League for Democracy) 
   KPP   (Karen People Party)

 (上記数字は登録直前のもので、最終のものではない)

 ミャンマーの総選挙では、上・下院議員ともに7州7管区の議会議員が選ばれます(州・管区の首長は大統領の任命制)。州・管区議会が実際に果たしている役割がいかなるものであるのかわからないのですが、民主化に向けた制度改革の一環としてある訳ですから、この結果にも注目する必要があります。

 これから11月8日の投票まで、激しい選挙戦が闘われる訳ですが、その動向とともにシュエマン下院議長らがいかなる処遇を受けるのかも見届けていきたいと思います。現行法では、上・下院議長とも罷免手続が明記されていないようで、USDP新執行部がその法整備を急遽議決するよう求め、8月18日に議決される予定だといわれています。そうするとシュエマンは下院議長の座も失うことになります。この影響がどう出るのか、これも注視せねばなりません。
 彼は軍政時代から権力を保持し続けてきた実力者(軍政時代の序列No.3)で、その影響力は多大でした。彼自身を含め、「平服の下に軍服が透けて見える体制」だとはいえ、一応、民政の形を擬している訳ですから、軍政時代と全く同じようにはいかないと思うのです。例えば、彼には3人の息子がいて、1人は経済界で活躍し(クローニーの典型といわれている)、後の2人は国軍オフィサーになっていて、また彼とともにUSDP執行体制を担ってきた有力者も多くいますが、それらを一掃することなど出来るのでしょうか。

 今回の国軍の力を使った「クーデター」と呼ばれる「混乱」は、このまま完全終息とは行かないように思えます。

 (筆者はヤンゴン駐在・ITUCミャンマー事務所長)