【コラム】風と土のカルテ(86)

ミャンマーの「希望の星」、ササ医師の訴え

色平 哲郎

 ミャンマーでは、2月にクーデターを起こした国軍の暴政が止まらない。少なくとも子ども72人を含む民間人約900人が軍によって殺害されたという(下記の基調講演による)。以前の連載でも書かせていただいたが、私はかつてミャンマーへの医療支援に関わったことがあり、現在の状況を大変憂慮している。
 国家顧問のアウン・サン・スー・チー氏、ウィン・ミン大統領を含む多数の民間人が軍に拘束されたままだ。報道機関、ジャーナリストへの弾圧も続いている。

 そうした中、医師でミャンマーの「希望の星」、スー・チー氏の後継者といわれるドクター・ササの「基調講演」をオンラインで聞く機会があった。現在、ササ氏は、スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)の議員たちがクーデター後に立ち上げたミャンマーの「国民統一政府」(NUG)の国際協力大臣兼広報官に任命され、少数民族勢力や国連機関などとの交渉役として前面に出ている。

 その講演内容を紹介する前に、ミャンマーとつながりのある日本人などが運営する「みんがらネットワーク」のホームページ(https://www.mingalar-network.jp)に掲載された「ドクター・ササの歴史―ミャンマー地方在住の友人から―」などを基に、ササ氏の来歴に触れておきたい。

●最貧地域の村で育ち苦学して医師に

 ササ氏は、1980年ごろ、ミャンマー北西部の急峻な山々に囲まれたチン州のライレンピーという村で生まれた。「1980年ごろ」と書いたのは、村では誕生の記録管理の習慣がなく、正確な生年月日が分からないからだ。
 母は雨の日に、自宅の台所で、1人でササ氏を産んだとか。ライレンピーは電気や水道などのインフラが整っておらず、山が深くて物流も困難。ミャンマーのなかでも最貧地域といわれる。

 ササ少年は、13歳(ぐらい)になって、進学するために命がけでヤンゴンを目指す。村人が餞別にくれた、たくさんの鶏を竹の棒にぶら下げ、650km離れた大都会まで歩く。20日間かけてたどり着くまでに「学費の足しに」もらった鶏を食べ尽くしたという。
 ヤンゴンでは、色々な仕事をし、1997年、高校卒業試験に合格した。当時、反軍事政権の学生運動が活発で、大学が閉鎖されていたので、進学をあきらめて村に戻る。

 ボランティアの教師として、子どもに勉強を教えながら、何ができるか考えた。彼が教えていた子どものうち3人が、下痢による脱水症で亡くなる。親戚の女性は妊娠中に命を落とした。村人が簡単に死亡するのに気付き、医者になろうと決心する。

 1999年、村人が協力し、ササ氏を陸路でインドへ送った。またも鶏をたくさん担いでインドに着いたところ、泥棒と間違われ拘留される。釈放され、なんとかデリーに着いて、英語やコンピューターを無償で教えてくれる Prospect Burma 校に入る。この学校の奨学金を支給され、アルメニアの医科大学に進み、苦学の末に医学を修めた。

 2008年、医学校6年生のときに英国・ロンドンでチャールズ皇太子と出会い、チン州に医薬品と食糧を支援してもらった。翌年、医学の学位を取った後、道路も電気もない故郷に戻り、毎日400人以上の患者を診る。

 このままでは体が続かないと思い至り、プライマリー・ヘルス・ケアの世界的バイブルである、デビッド・ワーナー著『Where There Is No Doctor』を使って基礎保健師の養成に乗り出した。Health and Hope という財団も立ち上げ、チャールズ皇太子が顧問に名を連ねる。この財団は、チン州から100人以上の若者を外国留学に送り出す。

 ササ氏は、生活インフラの整備にも関わり、チン州の近代化を進めた。日本でいえば、明治、大正、昭和初期にかけて、医療から公衆衛生の制度、都市建設の基盤をつくった後藤新平のような存在といえばいいだろうか。

●貧困と飢餓が待ち受ける中...

 昨年11月の総選挙で過半数を獲得したNLDは、ササ氏の手腕を買い、要職に起用する予定だった。ところが、2月1日、ササ氏が首都ネピドーに滞在していたときに国軍のクーデターが勃発。ササ氏はタクシー運転手に変装するなどし、3日3晩かけて脱出したという。

 国軍が「ササ医師を反逆罪で罰する」と逮捕令状を出すと、「国軍が私に逮捕令状を出したことを誇りに思います。これで私はミャンマー国民と一緒に戦っていることが証明されました」と強烈な皮肉で返した。ササ氏は、少数民族ロヒンギャに対しても「市民権」を付与する考えを示している。

 このような背景を持つササ氏が、6月6日、日本の国会議員や研究者らによる「最新情勢を学び、次の一手を考える勉強会」(第2回ミャンマーの悲劇を食い止め、市民の希望をかなえるための日本の役割)のオンライン基調講演で、胸の内を率直に述べたのだった。

 ササ氏は、まず、日本政府が日本在住のミャンマー市民の在留資格を延長したことなどに謝意を表し、国軍の非道さを赤裸々に語った。国軍が中国やロシアから武器を購入していることにも言及した。

 「(国軍は)国民や国から盗んだ資産で購入しています。そのため急速に破綻国家となりつつあります。100万人近くが避難民となり、食料が急激に不足します。国連開発計画は、1年以内に人口の過半数の2,700万人が貧困に陥ると予測、国連世界食糧計画は300万人以上が数カ月のうちに飢餓に直面すると分析しています」

 今後、ミャンマーを待ち受けているのは貧困と飢餓だ。そうした状況下での、自分たち主権者の行動について、力を込めてこのように述べた。

 「勇気を持って平和に抵抗することで、暴力、大量虐殺、犯罪的虐殺行為、貧困と飢餓の悲劇を防ごうとしています。軍は、血に染まった兵器で、自由と民主主義を奪おうと試み続けています。勇敢な保健・医療従事者、教師、学生が平和な市民不服従運動(CDM)を率い、何十万人もの公務員、民間企業労働者が加わり、衰えることなく続いています」

 そして、日本の国民や政府などに3つの要請をしたいとササ氏は語った。その内容は次の通りだ。

 「ミャンマー国民の唯一の正当な代表として国民統一政府(NUG)との関係を築いてください。民主的な総選挙で選ばれた指導者と少数民族の居住する州や地域の指導者で構成されています。ミャンマー国民は私たちを唯一の合法的な政府として認めており、日本も私たちを唯一の合法的な政府として協力してくださることを願っています」

 「深刻化する人道危機への対応に協力してください。私たちは援助を必要としています。国民統一政府は、援助を必要なところに届ける方法を知っています。内戦や新型コロナウイルス感染症のまん延で人道的危機が高まっています」

 「軍事独裁に対し、より強い経済的、外交的圧力をかけるようお願いします。私たちに賛同する世界の国々が協力してさらなる制裁措置を講じることが重要です。残忍な独裁者への収入の流れを断ち切ることになります」

 なお、ササ医師の基調講演は「ミャンマーの人々を応援する有志の会」によって和訳が作成され、日本語字幕付き動画が YouTube でも公開されている。

◎字幕入り基調講演はこちら
 https://www.youtube.com/watch?v=3bjbIwGZWak

◎基調講演和訳(仮訳)はこちら
 https://drive.google.com/file/d/1Ji_wIsxVlNH_ZWItUM4uvivgJXEcEPHd/view

 (長野県佐久総合病院医師、『オルタ広場』編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2021年6月30日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/202106/570943.html

                         (2021.07.20)
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