【歴史的転換期としてのポスト・コロナを考える】

ポストコロナは歴史的転換期

江田 五月

 ◆ 1.はじめに

 2020年は、世界でも日本でも年初には思いもよらない大変化の1年となった。中国・武漢で発生した新型コロナウイルス感染症は、あっという間に世界中に拡散し、累計感染者は12月時点で6,000万人を超え、死者数も150万人を超えて今も拡大中だ。

 日本でも、2月の大型クルーズ船ダイヤモンドプリンセンス号のクラスター発生を皮切りに全国に拡大し、全国一斉休校や、4月の緊急事態宣言発令など、私たちの生活様式は一変した。卒業式・入学式・入社式の類いの恒例行事やイベントが自粛・中止され、オリンピック・パラリンピックも延期された。人の往来も世界中、国内中で移動制限され、私が利用する新幹線もガラガラの状態が続き、航空機も欠航が相次ぎ、遂に航空会社と空港は世界中で経営危機に陥る会社が相次いでいる。

 国内では失業者が7万人を超え、働き方は大きく変化し、リモートワークやWEB会議などが普通のことになった。幸いにもわが国では、「三密を避ける」、「マスクの着用」、「手洗い」等を国民が励行する事により、欧米のように爆発的な感染拡大やロックダウンに追い込まれる事態は起きていないが、気温と湿度が低下する冬を迎え、いわゆる感染の第3波を迎え、医療現場は正念場を迎えつつある。

 政府のコロナ対策は「人命か経済か」の優先順位の選択に揺れ、漠然としており、正しい情報が伝えられないことに国民はいらだち、「コロナ差別」といった新しい人権侵害も起きた。一日も早いワクチン開発等により、感染収束が待ち望まれる。この大変化の一年に起きた事象を検証しながら、ポストコロナについてささやかな考察をしてみたい。

 ◆ 2.菅政権と新しい政治の必要

 さて、昨年8月末に7年8ヶ月もの長きに渡った安倍晋三首相が突如退陣し、菅義偉政権に変わった。安倍政権が長く続いた要因は、ひとことで言えば「アベ政治」を終わらせる力が野党になかった事だろう。国民もまたそういう野党を応援し、育て、政治を活性化させようという気力をなくしてしまい、政治に対する大きな不満が行き場のない失望に変わってしまった。そのことは目を覆わんばかりの低投票率が物語っている。
 「アベ政治」の最大の罪は、様々なものを私物化したことで、国民の気力を奪ってしまった事だ。公文書改ざん問題等で「忖度」という言葉が流行し、官僚もみな気概や矜持を失ってしまった。

 そしてその「アベ政治」を継承した菅首相は、目指す社会像として「『自助、共助、公助』、そして『絆』」をあげているが、早速学術会議の任命拒否問題、そして再燃した「桜を見る会」前夜祭の費用補填問題への対応など、より強権的なふるまいが目立ち、新政権になって「世の中が新しくなるのだ」という希望を国民はまったく持つことができない。

 ◆ 3.ポストコロナは歴史的転換期

 ポストコロナは歴史的転換期となるはずだ。単にコロナが終わって次の時代になるというだけでなく、社会の基本構造の変化が起こらなければならない。コロナ禍という劇的な変化の前後を、同じ勢力が政権を握って動かしていくということは健全ではない。新しい時代には新しい政治が生まれ、引っ張っていかないと新しい社会にはならない。そういった観点からみると、アベ政治を継承した菅政権が続く日本は不健全と言わざるを得ない。

 例をあげるなら、第二次世界大戦中のイギリスの政治はチャーチルがずっと牽引していた。そして勝利した。勝ったのだからその後もチャーチルが政権を握ったかと言えばそうならなかった。労働党のクレメント・アトリーが選挙で圧勝し、新しい福祉政治を実現した。時代が変わる時には本質的な大きな変化が起きなければならない。

 日本においても野党はそういった変化を起こすことを託されているはずだが、残念ながら民主党政権崩壊後の野党には時代の変化を担うほどの力量がなかった。しかし今回の変化(菅政権樹立)の直前に旧・立憲民主党が芽吹き、双葉が出て、合流新党・立憲民主党という本葉になってきた。野党の議員には、それをこれから一本の大きな木に育てるという自負と覚悟を持って頂きたい。

 ◆ 4.私の国政40年

 私は1977年から2016年まで国政に関与していたが、この40年を「前20年」と「後20年」とに分けて考えている。「前20年」の77年から97年の間は政権交代を目指し、それを可能にしうる野党をつくるために四苦八苦した。
 93年には、まだそういう野党が完成しないまま、思いがけず8党派政権と言われた細川内閣が転がり込んできた。しかしやはりうまくいかなかった。98年に新・民主党が出来たところからが「後20年」。民主党がいろいろな経過を経て2007年に参議院選挙で第一党となり私が参議院議長になり、2009年についに政権に辿り着いた。しかし残念ながら3年で崩壊し、バラバラになったところで私の国会議員としての仕事(国政40年)は終わった。

 この40年の歴史にどこかで一度区切りをつけて、日本は次の時代に入っていかなければならない。そしてその区切りは、この数年内にあるべきだ。次の時代を引っ張っていく主役として、合流新党は生まれるべくして生まれた。世界史を見ても、スペイン風邪やペストなど様々な事がおきて、社会も経済も文化も変革してきた。

 これまでの日本の40年は、新自由主義優位で経済が最優先され、与野党でどちらがより上手に経済を動かせるかということを競っていた。しかしその結果社会は分断され、人々の絆が弱ってしまった。経済は人間のためにあるべきだ。しかし今の経済は人間の気力も信頼関係も失わせて、弱者を切り捨てている。そういったところを今回のコロナ問題が見事にあぶり出している。
 感染しても多くの人は回復するが、高齢者や、基礎疾患のある人たちには大きな被害が出る。しかしそういう人たちを守ろうとする姿勢が、安倍政権にも菅政権でも見えない。経済も人間のため、政治も人間のためにあるべきだ。これからは、人間というものを基盤に据えた時代に変わっていくべきだ。

 ◆ 5.新しい野党の役割

 昨年11月のアメリカ大統領選挙は大変な激戦の末、民主党のバイデンが、現職の共和党のトランプを破った。トランプは「自国第一主義」を掲げ世界を分断させ、対立構造を作ってきた。アメリカの市民は銃口の代わりに選挙権を行使して、トランプを打倒してバイデンを選択した。これにより世界がどう変わるかについては、もちろん予断を許さないし、楽観主義をとるべきでもない。しかし民主主義が機能したことは事実だ。

 私は、選挙結果を受けたカマラ・ハリス氏(副大統領候補)の演説を聞いて、感激した。彼女は、「民主主義は状態ではなく、行動である」と喝破し、「それは戦いによって初めて手にすることができる」と選挙結果を評価し、「希望、結束、品位(decency)、科学、そして真実を選んだ」と結んだ。私は、彼女がアメリカ初の女性大統領になる可能性は十分にあると思う。

 中国もそれに真正面からぶつかった。両国が「自国第一主義」をかざしたら周りの国は大変だ。分断の潮流の中で日本は「日米関係を第一に」とアメリカについていき、中国には「お隣ですからまあ仲良くしましょう」といった姿勢だ。

 日本国憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と書かれており、アメリカにも中国にもきちんと日本はものを言うべきだ。そして憲法9条を掲げる日本が、世界を分断させない新しい方向に導いて行くという役目を、新しい政党には果たしてもらいたい。改正ばかりに囚われている自民党にはそれはできない。それにはやはり「人間」、人々のつながりが必要だ。つながりの小さな単位が、それぞれの場所で行動しながら、横に網の目をつくって拡がっていく。それが国境を越えた市民のつながりとなる。かつて「万国の労働者、団結せよ!」などと言われたように、「地球市民の絆」が新しい世界を作るのだ。

 大統領選挙で勝利したバイデンには民主主義と国際協調の回復を目指して行くことを望みたい。

 ◆ 6.市民の連帯と新しいビジョンによる歴史的転換を

 コロナ問題が示す通り、地球規模の課題は一国では解決できない。気候変動や核軍縮体制の構築等々、国際社会の持続可能な安定と成長をめざす普遍的な理念の構築が今こそ求められている。必要なのは国際社会の新しい発想、国の新しい発想、そして、全国一斉休校の時のように国の決めたことには全部従ってしまうのではない、地方自治を中心とした市民の連帯の新しい発想をどう作って行くかが求められている。歴史的転換を図ることができるかどうかが今、問わ(試さ)れていると思う。

 (弁護士)
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