【コラム】酔生夢死

ホントに豊かで自由なの?

岡田 充


 大学の授業で、財務省元次官のTV女性記者に対するセクハラ事件に話が飛んだ。財務省もセクハラの事実を認定し、元次官を処分した。そこで「麻生太郎財務相に任命責任はないか」、「辞任要求する野党の主張は?」と学生に聴いてみた。ある女子学生の答えは「そんなことは上が決めればいい」
 二の句が継げなかった。「そんなこと」ってどんなこと?「上」ってだれ?「君は有権者じゃないの?」… すぐに沸いたたくさんの疑問を手掛かりに、突っこんだ議論をするのが大学の授業と思ったが、終業チャイムがそれを邪魔した。
 大学生は有権者だ。しかし多くの学生は政治や国際問題に驚く程関心がない。女子学生の言う「そういうこと」とは恐らく、政治や国家の世界を指し、自分とは無関係の別世界と考えているのだろう。「上」も曖昧だが、必ずしも「首相」を指すわけではなく、政治を司る「上の世界」程度の意味ではないか。

 では彼らは、自分が住むこの社会をどう認識しているのだろう。「日本は豊かで自由、民主主義が発達した先進国」と、思い込んでいる学生がいかに多いか。経済力では中国にどんどん引き離されているのに「中国は貧しい」という固定観念に縛られている。経済格差が拡大・固定化している自分の足元は見ずに、日本では「平等」が保たれていると誤認する。
 中国や北朝鮮の統治システムには多くの問題があるが、「民主も自由もない独裁国家」といってすましていられるだろうか。上は中央官庁から中小企業に至るまで、日本の組織を貫く最優先価値は「組織防衛」。組織が危機に直面すると、法律や自由な言論など普遍的な価値を封印する「空気」が、組織とそのメンバーを縛る。決して「上」が押し付けるのではない。「空気」が自由な議論を許さないのだ。

 そのことを「モリ・カケ疑惑」や財務省セクハラ事件、日大アメフト事件まで嫌というほど知らされた。真綿で首を絞めるような日本社会の「言論不自由」の在りようを、いったいどれだけの人が自覚しているだろう。「そんなことは上が決めればいい」と漠然と考える有権者が多ければ、為政者にとってこんなに統治しやすい国はない。
 報道の自由は? 言論空間にも依然としてタブーがある。それは「拉致問題」だ。歴史的な米朝首脳会談が開かれ、日朝関係改善への機運が高まる。しかし安倍政権は「拉致被害者の即時全員帰国」を、正常化の前提条件にしている。実現するとは思わない非現実的要求だと思うが、そんな声を大手メディアは絶対に報じない。メディア自身が、同調圧力下で自己規制する典型である。

画像の説明
  財務次官のセクハラ事件で会見する麻生太郎財務相(ANNニュースから)

 (共同通信客員論説委員)

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