フランス便り(その11)

拡がり続ける世界の所得格差―衝撃的なT.Piketty教授の大作「21世紀の資本」―

                   鈴木 宏昌


フランスの正月は味気がない。大晦日に大いに飲み新年を迎えると、その場にいる友達、家族を抱擁し、新年を祝う。1月1日は、飲みすぎと寝不足で、多くの人は家でゴロゴロする。1月2日は普通の労働日なので、会社、店は平常どおり開く。フランスでは、クリスマスは大きな祭日(ただし、宗教色は少ない)だが、正月は平凡な休日に近い。ところで、私の今年の正月はひどいものだった。大晦日に咳がひどくなり、その後、のどと気管支をやられ、2週間ほど我が家にこもっていた。
幸い、暮れに研究所の図書館から4,5冊本を借りていたので、それらの本を読んでいた。私の昔からの友人R.SalaisのEUに関する新著も面白かったが、Pikettyの近著(2013年出版)には大変なショックを受けた。全体で1000ページに近く、本に盛られていない統計表(WEB上で公開)を含めると、その数倍の資料を駆使した大作である。専門書でありながら、広い読者を目指し、なるべく専門用語を避け、やさしい表現で先進国の所得格差の長期動向を描きだす。フランスやイギリスの読者にはなじみ深い古典であるバルザックの「ゴーリオ爺さん」やジェイン・オースティンの「分別と多感」などを引用し、なるべく一般の人の興味をひきつけようと工夫している。
とはいえ、多くの統計分析を基盤にしているので、簡単に読み流せるものではない。私は、長いこと、労働経済・労使関係の本をかなり読んできたつもりだが、これほど革新的で、衝撃を得た本は少ない。内容としては、長期の視点で、所得と資産の格差を国際的な視野で徹底的に分析したもので、その構想の壮大さと統計資料の豊富さに圧倒された。たとえば、長期の期間も桁外れで、少なくとも2世紀以上の先進国の所得・資産の変動を入手可能な統計を集め、慎重に吟味しながら追ってゆく。近年、経済格差の拡大に対する本は数多く書かれているし、グローバル金融の危機に関する本は多いが、大体、実証の部分が弱く、説得力に欠けていた。
ところが、Pikettyの新作は、これでもかというほどの統計を使い、実証から出発している。しかも、その分析は10年、20年というタームではなく、なんと何世紀というスケールである。長期にわたり、フローとストックの面から、資産の巨大な蓄積、そして2回わたる世界大戦による所得と資産格差縮小、そして1970年以降の格差の拡大を見事にいくつかのグラフにまとめて見せる。富の偏在とその拡大傾向という大きな経済・社会問題を提示し、現在の正統経済学に挑戦する。主流の経済学は小さな技術的なテーマに関して、数学的なモデルを積み上げる抽象化された世界に隔離されているので、経済格差の拡大という、大きく、緊急の現実の経済問題に対し、なんら役立つ理論も仮説も持たないと一刀両断している。
Piketty氏自身、若い頃(まだ、若い学者だが)、優秀な研究者としてアメリカでも活躍し、一流の専門誌に数多くの論文を載せているだけに、彼の経済学批判には迫力がある。なお、日本のことについても、この本はかなりのページを割いているので、日本の読者も興味を持つのは間違いない(誰か翻訳する元気な人はいないかな?)。なお、彼のホームページを見ると、2014年にHarvard大学から英語版が出版されたようだ。 今回は、このPiketty氏の大作のエッセンスを紹介しよう。
1Pikettyの横顔とデータ
個人的にPiketty氏と会って話したことはないので、彼のプロフィールを彼の履歴書やウィキペディアに基づいて描いてみよう。彼は、1971年にパリで生まれとあるので、まだ42歳でしかない。バッカロレア取得後、エリートコースの入り口である準備コースで2年間高等数学を中心として勉強した後、ENS(高等師範学校 :超エリート校)へ入学、卒業時の22歳のときには、EHESS(高等社会科学学院)とLondon School of Economicsで同時に経済学博士号を取得。その論文はその年のフランス経済学会の最優秀博士論文に選ばれる。卒業と同時にMITに招かれ、2年間アメリカで講師を務める。
その後、歴史研究に没頭するためフランスに戻り国立科学研究所研究員を経て、2000年には(29歳!)でEHESSの教授(directeur d’études)に任命される。2007年からは、新設されたParis School of Economicsの教授も兼ねている。2001年には、フランスにおける高所得層の長期分析の本を出す。これはフランスの税務資料や相続関連の史料を20世紀の初めにまでさかのぼり、実証分析したものだった(その要約は,格の高いAmerican Economic Reviewに掲載される)。多分、この頃から、仲間の経済学者とともに、先進国の高所得・資産のデータ・バンクWorld Top Incomes Database作成に没頭する。
このデータを使いながら、所得・資産格差に関する専門論文をアメリカ・フランスなどの専門誌に数多く掲載する。と同時に、社会的な発言も積極的に行い、社会党のブレインとして、税制改革などの政策提言を行う。2007年には、同年大統領選挙で敗れた社会党のセゴレンヌ・ロワイヤル候補の経済顧問の役割を果たす。その後も、税制、社会保障の改革などの提言を行うとともに、左派系の新聞Libérationの論説委員としても活躍している。
以上の経歴が示すように、絵に描いたようなフランスのエリート研究者である。格差の経済学を専門としていることで分かるように、社会党(ロカール元首相・ストロス・カーン氏の路線)に近い。両親が、その昔、極左の活動家だったが、その後、田舎でヤギを飼っているとウィッキペディアにあったのが印象的だった。
さて、所得・資産の分析に使われるデータの多くは、WTIDである。これは、先進国に関して、主に国民所得と税務統計を使い、所得分配の統計を集めているデータベースである。とくに、フランスとイギリスについては、2世紀前からある税務および相続に関する資料を集め、それをコントロールすることにより長期の時系列データを作成している。イギリスに関しては、その分野の先駆者A.Atkinsonのデータを多く使っている。アメリカについては、仲間のSaez 氏らとともに集中的に高所得者の長期変動を計測した。
なんといっても面白いのは、所得や富の分散(上位1%、上位10%、中位数、下位50%)がふんだんに使われ、富裕層への所得・資産の集中傾向を数字で示す。国際機関がよく使うGINI係数に関しては、様々な要素を総合した集合係数なので、不平等の実態は分からないと批判している。なお、ストックの資産(資本)は、土地、家、会社、株・債権などの金融資産すべてを含むものとしている。
2 拡がり続ける所得格差;2010年に、アメリカの上位1%富裕層は、全体の所得の20%を占め、下位の50%の人はは同じ20%の所得を分け合う。
まず、この大作の注目すべき結論部分から紹介しよう。この本のエッセンスというべきものは、いくつかの簡単な表にまとめてある(PP.390-392)。フローの概念である所得は、労働から得られる所得(賃金、社会給付)と資本(配当、利子、企業あるいは不動産からのゲインなど)から得られる所得からなる。格差が拡大しているアメリカ(2010年)では、上位10%の所得は何と全体の所得の50%にまでなっている。とくに、上位10%の中でも、最上位1%の所得が高く、彼らの所得は全体の20%に及ぶ。それに対し、下位50%の所得合計は全体の20%にしか過ぎない。すなわち、同じ20%の所得を1%の富裕層と総人口の半分が分け合うというすさまじい格差になる。
アメリカの所得格差の拡大は1980年から傾向的に続いているので、何らかの政策介入なしには、今後も所得格差は広がると予測する。これに対し、フランス、イギリスなどのヨーロッパ諸国では、上位10%の所得は全体の 35%であった(2010年)。歴史的にもっとも平等社会であった北欧諸国では、上位10%の所得は全体の25%であったという。しかし、ヨーロッパでも、アメリカほどではないにしても、所得・資産の集中傾向が加速していることも指摘する。
なお、日本についても本文中に言及しているが、所得格差に関しては、フランスやイギリスと同じような動きをしていると述べている。また、これらの全体の所得は、労働から得られる所得と資産(資本)から得られる所得の合計だが、労働から得られる所得のみを見ると格差が低い錯覚におちいる(アメリカで、上位10%の層の所得は全体の35%くらい)。高額所得者は、単に給与が高いのみではなく、多くの所得を資産の運用利益から得ていると注意を引いている。
さらに、アメリカの所得の長期動向を見ると、1940年までは高いレベル(上位10%の所得が全体の45%前後)で推移していたが、第2次大戦とその後30年は大きく低下した(35%に落ちる)後、1980年から急速に格差拡大の傾向となる(2000年代には45-50%の水準)。ヨーロッパ諸国(フランス、イギリス、ドイツ)に関して、フローの概念である所得とストックの概念である資産の比を見ると、次のような推移が確認される。19世紀から第1次大戦まで、ストックの資産は、国民所得の600-700%の水準で推移していたが、二つの大戦間に資産は大きく目減りし、200-300%の水準まで低下した。
しかし1970年以降増加傾向に転じ、現在では、400-500%の水準に戻っている。つまり、ストックの資産は圧倒的に富裕層に集中するので、全体の資産レベルが高くなればなるほど富の集中が加速する。そして、資産(資本)から得られる所得(歴史的に資産運用の利益率は4-5%と高い水準で安定的に推移)が増えるに従い、さらなる資産の蓄積と集中がなされる。経済格差の拡大を抑える唯一の手段は、富裕層の資産と所得に課税する以外にはない。
以上がこの大作の主な結論だが、そこにたどり着くまでに、Piketty氏は実に周到なステップを踏む。まず、所得の不平等と経済発展の関係では、有名なクズネッツの仮説―経済の発展時には一時的に所得格差が拡大するが、その後不平等は減少するーに関して、1950-1970年という特殊な戦後のキャチアップの時代の統計に基づき組み立てられた仮説で、長期データでは格差縮小の傾向は確認されないと否定する。
その後、フローの概念である所得とストックの概念である資産を別個に考察する。19世紀から20世紀の初めにかけて、所得の源泉は資産(主に土地)である(賃金労働者は数が少なく、しかも低賃金)。このストックである資産は、20世紀初めには、フランス・イギリスで、フローの所得の6-7倍の高さと推計する。だが、その集中度はすごい;上位10%の富裕層が全体の資産の90%を独占していた!とくに、上位1%の資産(土地、不動産、債権、企業の所有)は全体の50%であったという。つまり、中産階級がなく、一握りの富裕層がほとんどの資産を保有、庶民は住む家すら持っていなかった。
ところが第1次および第2次大戦とその後の復興期に状況は一転する。戦禍による資産の破壊、対外資産の喪失、悪質なインフレによる資産の減少などにより、旧富裕階層はその大部分の資産を失う。その結果、フランスやイギリスにおいては、ストックの資産はフローの所得の3倍くらいまで減少する。そして、資産・所得の格差も急速に低下する。高度成長期から次第に資産の蓄積が回復し、現在では、フローの所得の5倍水準にまで戻っている。つまり、資産と所得の不平等は二つの大戦という人為的なショックにより大きく減少した。さらに、戦後の復興期に、先進国は累進性の高い税システムを採用したので、格差が縮小した。
しかし、1970年以降になると、低成長の時代となり、賃金はあまり上昇しない一方、資産の運用利益率は5%前後と高い率で推移する。したがって、富の集中の傾向が顕著になる。アメリカの格差の歴史に関しては、Piketty氏は、1940-1970年代を低格差の時代と定義する。この頃は、所得税の累進性が非常に高い。ところが、1980年以降、ネオリベラルの思想の普及、減税の連続、金融のグローバル化などにより、所得格差は拡大傾向になる。近年になると、経営者、トレーダーといった高所得者の給与(ストックオプションなどを含む)水準は、停滞気味なその他の給与の水準とはかけ離れ、猛烈なスピードで上昇している。上位1%の給与が賃金総額全体に占める比率は、1980-2010の30年間に25%から35%と10ポイントも上昇したと指摘している。

3 資本の利益率と経済成長率の乖離
以上は、印象に残った格差の実証の部分だが、もうひとつ興味深いのは、格差拡大の理論的な論拠だった。Piketty氏は、資本の利益率は、歴史的に見ると、安定的に5%くらいの高い数字で推移し、正統経済学者が予想したように、資本の利益率が均衡に向かって縮小する傾向はまったく見られないと主張する。経済成長率がこの歴史的な資本の利益率に近いときには、資本の蓄積は進まない。たとえば、戦後の高度成長期には、フランスも5%前後の経済成長を示し、給与も資本も同等の変動をする。しかし1980年以降の低成長期になると、資本・資産の利益率と停滞する労働からの所得との乖離が大きくなる。となると、労働の源泉である生産資源に投資するよりは、金融資産、不動産など様々な資産活用の方が有利となる。不動産の利益率は、フランスでは、3,4%だが、株などの資産運用はより高い利益率を確保できる。
となると、資産を持つものが、さらに富を獲得する構図となり、資産の蓄積が進む。たとえば、フランスの最大の富豪、ロレアルの実質オーナーであるベタンクール未亡人は、働いたことはないにもかかわらず、彼女の資産は1990から2010年にかけて、20億ドルから250億ドルと上昇している(フォーブス誌の推計)。年率に直すと10%を超える利益率に相当する。同じように、ビル・ゲイツの資産も引退してからも上昇している。
バルザックの名作「ゴリオ爺さん」の中では、パリの法学部で勉強しようとしていた貧乏貴族のラステニャックに対し、ヴォートランという怪盗は、豊な娘と結婚する方が仕事をするよりはるかに豊になると説教する。インフレのまったくない時代である19世紀前半の資産運用の利益率が5%とすると、ラステニャックは裁判官になり、給与を得るよりは、金持ちの娘と結婚する方が裕福になったのは間違いない。ただし、昔話であった資産運用による富の増加は、低成長の現代では、過去の話ではなくなる可能性が強い。
運よく、アメリカの大会社の経営者やトレーダーになれば、高い所得と資産の蓄積が可能だが、それ以外の人は持ち家ひとつくらいの中産階級以上になることはない。このような富の偏在を修正できるのは、累進性の高い税制のはずだが、アメリカでは、ネオリベラルの影響で、むしろ高所得者の税率引き下げが行われている。また、フランスでも、高額所得者は様々なやり方で税制の網をくぐり、実効税率は非常に低い(低い法人税、財団の設立と運用、金融商品の運用、あるいはタックスヘーブンへの逃避)。
まあ、このように、この本は経済事象の中心にある所得・資産格差の拡大を様々なアングルから示し、経済政策の介入を提言している。現在の経済学は、細かな問題を扱う方法は持っているかも知れないが、経済活動の要である所得・資産格差の拡大には、何の答えも出せない。また、資産の歴史的変化は、二つの大戦という政治・経済の大変動を視野からはずすことはできない。無意味なミクロの経済モデルのみを科学と信じる正統経済学に反発し、Piketty氏は最近経済学者ではなく、社会科学者を名乗り、政治経済学の復活が重要と主張している。私が昔からもやもやと思っていたことを、ここまで明快に書いてくれたのには感激した。
フランスは景気が悪く、失業とか大学教育の質の低下などあまり明るい話題が少ないが、時に独創的なすばらしい俊才エリートが現れる。高等師範学校は、フランス大革命の時代1794-95年に起源を持ち、1820年以降現在の形となった名門校で、何人ものノーベル賞受賞者(物理、化学)や日本でも知られているサルトル、シモーヌ・ヴェイル、ポンピドゥ元大統領、ドミニーク・メダなどを輩出して来た。Piketty 氏が出てきたのも名門校の伝統だろうか?なお、フランスでは、この大作への注目度は高く、Le monde紙が2ページをさいて書評を載せたと聞いた。そのうちに、アメリカでの評判を見てみたいものだ。
2014年1月16日パリ郊外にて、
(筆者はパリー在住・早稲田大学名誉教授)


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