【オルタの視点】
<フランス便り(26)>

フランスの新聞

鈴木 宏昌


 日本でも、電車の中で新聞を読む人は見かけなくなったが、パリも同様である。みな小さな画面のケータイをみているか、電話をしている。私が日本で現役であったとき、一時間弱の通勤電車の中で新聞を読むのは楽しみだった。電車という密閉された空間なので、ほかにするすることがなく、適度にリラックスできる新聞は丁度よかった。ところが、2000年前後から、電車の中で新聞を読む人がぱったり少なくなた。その頃、ゼミの学生がまったく新聞を読まなくなったのを知り、少なからずショックを受けたのを覚えている。

 どうも若いジェネレーションの新聞離れはフランスでも同じようで、パリ郊外の研究所の若手研究者は、ほとんど紙媒体の新聞を読んでいない。その昔、私が留学生でパリに住んでいたときには、Le Monde 紙を読むことは、インテリ層の日課になっていた。夕方に発売される Le Monde は、当時はまったく写真も広告もなく、記事の分量は半端でなかった。
 格好をつけて、私もときどき Le Monde を買ったが、全部を読むことはまったく不可能だった。よく読んでいたのは、政治欄、経済欄と死亡記事だった。有名人の死亡記事になると、紙面2、3枚をつぶして、その人の生い立ちから業績まで、実に詳しい記事が書かれていた。日本の簡単な死亡記事とは雲泥だった。
 ということで、今回は、フランスの新聞業界の状況を紹介し、日本の新聞と比較してみたい。

◆◆ 全国紙の衰退傾向

 多くの国と同じように、メディア産業は、かつてのように、新聞・雑誌、テレビ、ラジオと分野がはっきり分かれていたものから、いまではインターネットを媒介とした google、facebook などが参入し、境界が分からなくなっている。同時に、全国紙は、近年、WEB上の配信にと力を入れているので、次第に複合的なメディアになっている。とはいえ、伝統的な新聞の退潮傾向は否めない。

 フランスの新聞では、全国紙と地方紙に大別される。一般的な全国紙は、数も少なく、発行部数は極端に少ない。日本の大新聞が600万部あるいは800万部を誇っているのに対し、フランスの大きな全国紙はわずか30万部くらいでしかない。また、本当に全国紙といえるのは、2紙のみである。

 Le Monde は、第2次大戦後、大新聞記者であった H. Beuve-Méry により創設され、夕方に発売される新聞で、一般的に、中道左派と考えられている。知識層が読む高級紙で、政治家や大学教授などの専門家が論壇に投稿することが多く、政治、国際関係が充実している。その昔、長い間、日本でこの新聞の特派員として活躍したロベール・ギランの名前を覚えている人はいるだろうか? 当時、日本に関して、フランスで最も造詣の深い大専門家だった。最近では、フィリップ・ポンスが長いこと日本や韓国・朝鮮のことをカバーしている。彼も、日本に関する多くの著作があり、専門家以上の知識を持っている。

 この例が示すように、各地域あるいはそれぞれの専門分野に立派な専門知識を持つ記者がいるのがこの新聞の強みである。発行部数は昔から限られていて、最高の発行部数を誇っていたときでも、50万部くらいであった。最近の状況は、2000年に39万部、2010年に32万部、2016年に27万部へと減少が激しい。経営的には、赤字続きで、何回となくオーナーが代わっているが、現在は、ネットの富豪と元銀行家が所有している。ただ、編集の独立性が高いので、路線に口を出すことはないようだ。この新聞は、近年、WEB上の販売に力を入れていて、購読料でも紙媒体のものよりはるかに低い価格に設定されている。

 Le Figaro は19世紀から続く有名な新聞で、政治的には保守系である。選挙の際には、はっきり保守党を支持し、昨年の大統領選挙では、フィヨン候補を支持していた。政治欄を除くと、国際、経済、文化など広い分野で、質のよい記事が見受けられる。論壇には、保守系の論客が投稿する。有名な小説家 J. Ormesson が論説欄を長いこと担当していた。
 経営的には、航空機などを作っているダソー・グループの傘下にあり、そのトップの富豪ダソー氏は保守党の議員を務めたことがあった。発行部数は、2000年に36万部、2010年に33万部、2016年には31万部と落ちてきているが、Le Monde ほどではない。

 このほか、日本の日本経済新聞に相当する Les échos は、質の良い経済記事を提供し、固定した読者を持っている(発行部数は、2016年に13万部)。以上が本当の全国紙で、それ以外にも、左翼のインテリを読者に持つ La Libération(発行部数は2016年に7万5千部)とカソリック系の新聞 La Croix(発行部数は2016年に10万部)、共産党の機関紙 L’Humanité(発行部数は2016年に4万部弱)がある。

 全体的に退潮気味の全国紙とは別に、地域密着型の地方紙は意外と元気がよく、発行部数は大きいものが多い。大手の地方紙としては、Le Dauphiné libéré(グルノーブル地方:2011年に発行部数96万、2011年)、Le Progrès(リヨン地方:2011年に発行部数84万2011年)、La Dépêche du Midi(ツールーズ地方:2011年に発行部数77万)などがある。首都圏をカバーする Le Parisien(2016年に発行部数が36万)も、地方紙のひとつとも考えられる。

 地方紙は、価格は安く設定され、家庭に郵送されることが多い。紙面は限られていて、国内政治と国際の報道は1ページくらいでしかない。経営的には、地方紙はかなり統合が進んでいる。また、大企業が多角化の一環で地方紙を買収することも多い。なお、Le Parisien はルイ・ヴィトン社が大株主だが、本当の所有者はフランス一の大富豪 B. Arnault 氏である。全体的に、地方紙の所有者には大企業の功なり、名を遂げた実業家かあるいは多角的にメディアを経営しているグループが多い。

 ところで、これまで、主に発行部数を中心としてみてきたが、実はオフィスなどが購読し、グループで読んでいるものもある。ある調査は、この回し読みを考慮して実際の全国紙の読者を推計している(ウイキペディア:Presse en France)。これによれば、トップは Le Monde で、次に Le Parisien そして Le Figaro の順となる。確かに、Le Monde は良い新聞だが、駅などで求めると2.6ユーロ(約380円)である。Le Parisienはその半額でしかないので、この価格の差からグループ購読が Le Monde に多いと想像できる。Le Figaro の読者は、経済的に恵まれた人が多いので、グループ購読は少ないものと思われる。

◆◆ 全国紙の内容

 ここまでは、主に新聞業界の状況を紹介したが、すこしフランスの全国紙と日本の新聞とを比較してみたい。まず、一番感じるのは、フランスの全国紙の情報量が圧倒的に多いことにある。日本の新聞でもっとも情報量が多いのは日本経済新聞と思っているが、10ページをすこし超えるくらいだろう。そのうち、多くは株価などの数字なので、本当に日経の記者が書いた記事はその半分あるいはそれ以下かも知れない。また、その記事も、多くは、通信社の情報にすこし書き足した記事が大半である。
 これに対し、Le Monde は毎日25ページから30ページが記事で埋まっている。日本の新聞と比べると、紙面は小さい(3分の2くらい)が、活字は小さく、広告は少ない。Le Monde が得意としている国際情報は、毎日3、4ページある。政治と社会欄は2、3ページくらいである。そのほか目立つのは、科学、文化や映画などにフルに2、3ページが当てられる。少ないのはスポーツ欄で、時にはほとんどスポーツ記事がない日もある。経済欄は、だいたい5ページぐらいが当てられる。原則的に、すべての記事には記者の署名が入っている。専門家や政治家が寄稿する論壇は2、3ページあるので、しっかりした議論をすることが可能である。Le Figaro もほぼ同じパターンだが、記事の分量はすこし劣り、日本の新聞に近い。

 さらに、記事の内容にも日本と大きな違いがある。日本では、スキャンダルがらみの三面記事が多い気がするが、Le Monde には、滅多に、そのような記事は載らない(私が接することの少ない地方紙の場合は違うのかもしれない)。むしろ政治がらみで、労使の動向や失業・貧困の問題が多く扱われる。一連のテロ事件の影響が大きかっただけに、テロ対策やイスラム教やイミグレに関する長文の記事は多い。ただし、その記事はほとんど客観的なルポが多く、一方的な記事はみられない。また、これは Le Monde だけのことかも知れないが、セクハラや差別問題に関する記事が最近多かった印象がある。

 たとえば、女性の穏健派グループの文章(有名な映画女優のカトリーヌ・ドヌーヴも署名した)に、急進的なフェミニストが噛み付く論争などが紙上であった。政治欄では、やはり大統領選挙や議会の選挙が中心だった。大統領戦の前には、有力候補の動向や田舎町の有権者の動向などが詳しく報じられていた。全体的に、客観的な報道の仕方だった。これに対し、Le Figaro はあからさまに保守系のフィヨン候補の応援記事と左翼の政策批判に終始していた。
 フィヨン氏が敗れると、論説などのトーンが変り、覚めた形で、決選投票をみていたようだ。読者層が保守系だけに、安全の問題や過激なイスラム教徒に関する記事も多い。警察や兵隊に対するテロ事件があると、必要以上に大きく取り扱う傾向がある。もともと、この新聞の読者は、恵まれた生活の高齢者が多く、カソリックの影響も強いと言われている。19世紀の頃から、貴族、金持ちの子女の結婚の知らせは Le Figaro と決まっていた。

 国際面で扱われる記事にも大きな違いがある。地理的な違いがあるので、日本で韓国、北朝鮮、中国の記事が多いと同じように、フランスの近隣諸国、たとえばドイツやイタリアのことが頻繁に記事となっている。同様に、EU関連の記事も目立っている。EU以外では、中東やアフリカに関する記事も多い。中東やアフリカが地理的に近いこともあるが、もうひとつは、人権との関係であるように思われる。
 戦争に巻き込まれる市民の悲惨な状況などを詳しく報道する。この傾向は、とくに Le Monde で強い。最近では、ミャンマーのロヒンギャの大量の避難民問題が大きく扱われていた。アメリカについては、毎日の様に、ドナルド・トランプの奇抜な行動を批判的に報道している。

 社説は、Le Monde と Le Figaro 両紙とも論説委員が交替しながら執筆しているようだ。社説で記憶に残っているのは、1960年代の Sirius と署名された Le Monde の社説で、社長の Beuve-Méry が筆をとったものだった。1968年の「5月革命」で混乱が深刻になると、ドゴール政権のやり方に警鐘を鳴らし、民主主義を守るために、格調の高い社説を書いていた。この社説が出ると、みんなが緊張して読むほど権威のあるものだった。

 では、日本の報道とフランスの報道で、何が非常に違うのだろうか? 少々、私の個人的な意見も入ることを許して欲しい。

 まず、日本の新聞で気になっているのは、客観的でバランスの取れた報道が少ないと感じている。新聞の紙面が少ないことを考慮しても、読者が自分で考え、判断できるような客観的情報が少なすぎる。いつも、何人かの専門家の意見を紹介するだけで終っている。
 一例を挙げてみよう。北朝鮮の問題に関して、皆が神経質になっているのは分かるが、核爆弾を持ちたがるこの国の指導者の歴史、韓国人の対応、そして、米軍および韓国軍と北朝鮮の軍隊との力関係、できれば、北朝鮮の一般市民の生活などの情報があれば、私たち個人、個人が判断することができる。日本の新聞は、客観的な報道を避け、情緒的な報道のみで、最後は専門家の発言を引用し、ごまかしているように思われる。さらに言えば、それらの専門家の選択が危ない気がする。どうも、読者を一方的な方向へ誘導していることもありそうだ。

 それから、もうひとつの日本の新聞の欠陥。報道がセンセーショナルな事件を追うことが多いので、その裏では、報道されない大切な情報があるのではなかろうか?
 2011年の東北大震災のとき、福島の原子力発電所が危ないとすぐに教えてくれたのは、アメリカ人の先生からのメイルだった。ドイツやフランスの大使館も、なるべくすぐに東京を離れることをドイツ人やフランス人に勧めていた。日本のテレビや新聞の国際デスクは、福島の原子力発電所が危ないという情報は震災後つかんでいたはずである。もしかすると、重要な情報や分析が編集デスクの段階で没になったのかもしれない。尖閣諸島、憲法改正への動きでも、報道されない大切な情報が多いのではないのだろうか? 情緒的に流れ易い日本だし、ソーシャル・メディアからの発信が多くなっているので、今こそ新聞の果たす役割は重要なのだが…  (2018年2月8日、雪のパリ郊外にて)

 (早稲田大学名誉教授・オルタ編集委員)

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