■【エッセイ】

    ~ヴァレンタイン.カードに寄せて~          武田 尚子
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●●「ひとたび愛にふれた人は、ことごとく詩人になる。」●●
                      プラトン

 アメリカ暮らしも十数年をすぎたある冬の日。買い物に行ったドラッグストア
から、セロファンに1本ずつくるんだ紅バラを、大きなかごいっぱいに盛って出
てくる女性に出会った。ああ、うっかりしていたが、明日はヴァレンタイン.デ
イなのだ! めずらしく店は混んでいて、とりわけカード売り場のあた りには
大勢の人が集まり、カード選びに余念がない。
 
  売り場の熱気につられて足を向けると、まず、ひときわ大型のカードが目につ
いた。開いてみる。「愛する妻へ」と題された詩が記されている。カードの表紙
は、露をのせた大輪のバラである。拙訳でご紹介しよう。

  ああ もしぼくにできるなら
   天にさざめく 星屑と
   露をいただく 地のばらを
   あまさず集め 夕焼けの
   くれないに  包んで贈りたい
   こんなにも君を 愛していると―

 チャーミングな詩ではないか。おおらかなイメージに惹かれて、この日の言葉
をもっと探ってみようと、さらに何枚かのカードを開いてみる。

  「言葉はこの浜辺に無限にひろがるわが愛の真砂の、ただ一粒をもみたして
    はくれません」
   「何千年も人は愛の言葉を口にしてきた。しかし僕の抱く君への愛は、新し
    い歴史の始まりだ。」
   「後ろを見るな。何もかも捨てて跳びこんでおいで!」 

 乱舞する愛の言葉のなかには、思わず立ち止まって読み返したくなるのもある。

  君よ、もしぼくのヴァレンタインになる気がないなら
   このカードは必ずお返しねがいたい。
   ぼくは信念にもとづき
   樹木を救うため
   リサイクリングにまわすつもりだ。
 
  あるいは:
   ヴァレンタイン ヴァレンタイン
   あたしは あんたの思いびと
   あんたは あたしの思いびと
   雨の降る日も 照る日にも
   愛し合いましょ ゆびきりよ
   そうして これから80年
   ふたりはなかよく 90歳!

 センスのあるエコロジストにも、高砂のじじばばを夢見る小さな恋人たちの行
く手にも幸運を祈る。

 機知に富んだもの、愛らしいもの、熱烈なものとさまざまなヴァレンタインカ
ードの氾濫だ。もともと、カードではなく贈り物が主だったが、ヴァレンタイン
の送り主の名は秘められるのが伝統だった。カードが使われるようになってから
も署名をせず、他人の筆跡を真似るいたずらも再々行なわれたという。

 19世紀の中ごろから20世紀にかけて、相手をちょっとからかったり、笑わせた
りするコミックな内容のヴァレンタインカードが1セントで売られるようになっ
た。それには やさしい愛の言葉の代わりに、相手を皮肉ったり、侮辱したりす
るものもあって「恐怖の1セント」(Penny Dreadful)とも呼ばれ、
ヴァレンタインデイを迎える娘たちを怯えさせたものだという。

  作り笑いにカールも よいが
   パっドでふくらませ コルセットで締め上げりゃ
   身をかがめるのもむりだろう
   あきらめたまえ それで
   ヴァレンタインを見つけようなんて
   問屋がどっこい おろさんよ
 
  とりわけ昨今のアメリカなら、こんな風な「恐怖の1セント」が生まれてもお
かしくないだろう。

  会いたかったよ、
   ほんとに久しぶりだね おや
   しばらく見ないまに
   なぜか今日はちがってみえるね 
   愛らしいそのくちびるにキスをしたいが......
   おっと 君まさか 
   シリコンをいれたのじゃあるまいね
   小さな鼻はもともと悪かなかったが...
   なんだかあごが尖ってきたね
   なに? ぼくの思い過ごしだって?
   そうかもしれない  とは思うが
   疑い始めたらきりがない。
   いってくれ
   いったいどこまでが ほんとの君なんだ?

 冗談をいささか通り越したこんなヴァレンタイン.カードをもらいかねない娘
たちの怖れには、おおいに同情できる。

 欧米で盛んに祝われるヴァレンタインデイの由来についてはいくつかの説があ
るが、大筋で共通している話はこうだ。
  ローマ皇帝クラウデイオ二世は、外敵に囲まれ、くだり坂に向かったローマの
栄光を回復しようと軍隊を募ったとき、妻帯者は強い兵隊になれないと、青年の
結婚を禁止した。しかしヴァレンタインという僧侶は若者に同情し、皇帝に反抗
して秘密裏に一組の男女を結婚させた。それが明るみにでて、ヴァレンタインは
西暦270年に死刑に処せられた。だが彼は後世には、殉教者とみなされるように
なった。

 ローマカソリック教会は、西暦498年に、2月14日を聖ヴァレンタインデイと
定めて布告した。それまで祝われていたローマの、愛と結婚の女神ジュノの祝日
のかわりに、キリスト教のヴァレンタインデイを導入することが、異教の追放に
役立つと考えたらしい。

 さらにローマは、毎年2月15日に始まるルパーケイリアの多産の祭りが下火に
なることをも期待していた。この祭の前夜には、若者はつぼに入れられた多数の
女の子の名前を書いた紙切れを拾い上げ、自分の引き当てた名の娘とその一年は
性的なパートナーになるとされていたのである。ちょうどそれは小鳥がつがいは
じめる日取りだとひろく受け入れられていたことが、ロマンチックな連想をもよ
び、若者にはことに楽しいヴァレンタインの習慣が成り立ったのでもあろうか。

 ヴァレンタイ.デイはこうして、ロマンスや情熱を祝福するどころか、キリス
ト教道徳に従って、若者の性的な情熱を抑制しようとする教会の試みが、むしろ
反対の結果を生んだらしいのは歴史の皮肉であろう。
  もっと面白いのは、カソリック教会はその初期から1500年間の歴史においては、
結婚そのものも高く評価しなかったらしいことである。

 6世紀のグレゴリ―法王は 「結婚は厳密に言って、罪悪とはみなされない。し
かし夫婦がセックスから肉体の喜びを得るようなことは絶対に非難を免れない.
」と断じた。 また12世紀の信ずべき記録によると、結婚した夫婦がロマンチック
な情愛を分かち合うことが、結婚の絆を甘いものにするのを否定はしないが、そ
んな感情を鼓舞することは結婚の役目ではないし、ロマンチックな感情から結婚
に走ることも大まちがいだという。

 だから教会は、女性をランクづけして、最高は処女、次が未亡人、最低が妻で
あるとした。 また結婚とは男の奴隷になることだと説いて(まるでフェミニス
トのように)娘たちに独身の誓いをすること(つまり尼僧というキャリアをもつ
こと)を奨励したのである。

 したがって結婚は、恋に落ちた男女の意志によるのでなく、さまざまな利害得
失をおもんばかる両親や親戚や他人の手で整えられた。それが社会秩序の安定に
つながるとされ、夫婦間の不和や姦通、しばしば暴力さえも結婚生活の常道であ
り、結婚に高い期待を抱かないことがむしろ望まれた。

 しかし時は移り、18世紀ごろから次第に、若人は自由に相手を選べるようにな
った。 ただ、結婚生活により高度の充足が求められる現代、離婚率が大幅に高
まったのは周知のとおりである。
 
私の子供たちが十代だった80年代、70年代から見ると大幅に減ったとはいえ、
アメリカの離婚はまだまだ多かった。長男のボーイスカウトのグループ7人の
うち、離婚していない両親は私たちだけだったし、次男の場合も似たような状況
だった。新しい母親のもとで自分は居候だと私に打ち明けた十代の子もいたし、
幼稚園児でも、父母が多少のいさかいをしてさえ、離婚を心配した。以後アメリ
カの離婚率は下降をつづけているが、現在のストレスの多い家庭生活に、離婚は
いつ現れるか予断を許さない伏兵であることにかわりはない。

 こうした世相を反映してだろう、ヴァレンタインデイには、祝福し謳歌すべき
愛のカードの傍らに、まるでセットのように「さよならーFarewell」と
分類されたカードのあることに気がついた。

 「さよなら」カードはいうまでもなく、別れてゆく配偶者や愛人にむけたもの
で、「別れる前に、僕の胸に君の手をあてて、この破れたハートの鼓動を聞いて
おくれ、過ぎ去ったあの日の思い出に」という、かつてのポピュラー曲「バーミ
ンガム ジェイル」の引用から、「別れる前に、これからあなたのいくところ
に、たっぷりチョコレートがあるかどうかはちゃんと確かめておいたんでしょう
ね」と未練を茶化したもの、また「ほんとうにいっちゃうのか、俺のことを哀れ
な奴と呼ぼうが、落ち込んでるといおうが、むさくるしい中年男と呼ぼうが一向
構わないが、とにかく...電話をかけてくれ...それもしょっちゅうな!」
とかなり切ないものもある。
 
  ところでこんなカードを買うのは一体どんな人なのだろう。別れがあまりにつ
らいので、人はプリントされた他人の言葉を借りることで、生の傷口に触れるこ
とを避けようとするのだろうか?あるいはユ―モアに托して、傷ついた心を伝え
ようとするのだろうか?まるで別れ自体を軽いお遊びにしてしまおうとするかの
ように。

 それもないとはいえないだろう。しかし、別れにのぞんで出来合いのカードを
送るのは、それとは逆に、手軽にロマンスの成立する時代の手軽な愛にふさわし
い、長くは続かない思いを象徴しているようにも思える。

 ヴァレンタイン.デイの習慣は、英国では1400年ごろから始まった。アメ
リカでは1800年ごろから普及しはじめ、南北戦争時代にピークに達した。そ
のころの一新聞は、クリスマスを除いて、これほど人々に喜ばれる祝日はほかに
ないと報じている。ヴァレンタイン.カードは始めはもちろん個々人が手作りし
てできばえを競ったが、さすがはアメリカ、1847年に、マサチューセッツの女性
が量産を企てた。

 多数の女性を雇い、押し花やレースやリボンをのり付けしたカードを流れ作業
で作り、当時で年商10万ドルの企業にして巨万の富を築いたという。興隆する資
本主義の流れに乗ったカード商品は、郵便事業の発達とあいまって庶民にも手が
届くようになり、多くのアメリカ人の日常に組み込まれるようになった。

 「ホールマークの日」とも呼ばれる祝祭日を中心にしたカード売り場には、一
年を通してやってくるいろいろの記念日、誕生日、お見舞い、謝礼、ベイビーシ
ャワー、クリスマス、婚約、ブライダル.シャワー、結婚式、聖餐式、成人式―
バーミツバー、父の日、母の日、お悔やみ などと分類された多種類のカード
が、何でもござれと並んでいる。

 クリスマスやヴァレンタイン、父の日、母の日など限られた日のカードは、年
中売られているわけではなく、その日が終わると、ものの見事に翌日は片付けら
れている。そのために拡張された売り場も元に戻り次の祝日を待つのである。

 まとまりもなく浮かんでくる想念のままに、カード売り場を歩きまわりながら
ふと目にはいったのは「ユーモア」のタイトルにいれられた一群のカードである。

 母から娘にと題されたカードには「35歳になった今日のあなたに、心をこめ
て申します。今年だけは立身出世を忘れなさい!」 「'男の心を捉え、それを
つなぎとめるには'という本を見つけました。あなたの誕生日に最もふさわしい
贈り物と信じて。」「ヒステリーと涙は、私の世代をふくむ女たちの武器のひと
つでした。今あなたの手にしたキャリアは、それらにまさる有力な武器になりま
したか?あなたの本音を聞きたいものです。」 

 なんということだろう。母親たちは、つい3-40年前まで、娘たちに高学歴
を持つ必要を説き、オムツを替えほうれん草をゆでる女の愚を説いたのではなか
ったか。「男の前で皮肉はぜったいご法度ですよ。」というのもある。どうも、
キャリアウーマンの娘を持つ母親も複雑な気持ちらしいのである。

 こうしてカードを開いているうちに、アメリカにきて間もないころ、ショック
を受けた一枚のカードを思い出す。
 
  それは夫の誕生日に寄せて、高齢の彼の伯母から送られたものだった。「ただ
一人の甥に」と印刷されたカバーを開くと「おまえがこんなにハンサムで、才能
に恵まれ、魅力いっぱいの男になるとは想像もできませんでした」そして次の行
にはちょっと小さいプリントで「少なくともあなたの親からはね」とあって、思
わずふき出さした。

 私は何よりもまず「ただ一人の甥」のための誕生日カードが存在することに、
ひどく驚かされたのである。こんなカードがあるくらいなら、姪でも、孫でも、
ひ孫でも、ひいじいさんでも、従兄弟のためのカードでもあるのではないか。そ
して後日、カードの専門店に行けばその通りだと教えられた。もっとも親戚は従
兄弟どまりまりらしくて「親愛なるはとこーDouble Cousin―に」はおそらく存在
しないと、アメリカの友人は笑ったが。

 そして私は、若いころマルキシズムに傾倒して共産党を支持し、サッコヴァン
ゼッテイ事件では座り込みにも行き、哲学書や文学書に通じ、熱して政治を論じ
たという夫のインテリおばさんが、出来合いのコマーシャルカードを使うことに
驚いたのである。しかしその後、一生独身を通した伯母と、結婚して子を生んだ
姉である私の姑の間に、一種の対抗意識が終生つづいていたことを聞かされた。

伯母はおそらく、たまたまこの冗談を見つけて、「少なくともあなたの親からは
ね」という本音を吐露して、ちょっと胸をすっきりさせたのかもしれない。だと
すれば、なかなか微妙なカードの使い方ではある。アネット伯母さんもやるじゃ
ないのと、一人にんまりする。

 こんな風に見てくると、市販カード全体が、アメリカ人のプラグマテイズムに
おあつらえ向きの市場商品の一つにすぎないことはよく理解できる。時間に追わ
れて働く人々には、とうてい机について内奥の思いを文字にする暇はないだろ
う。だとすればそんな人たちにとって、カードは紙コップや紙皿のように、便利
な必需品なのにちがいない。

 またカードは、アメリカにやってくる移民たちのために、代書屋の役目をして
もいるのだろうか。英語の表現に自由でない移民の若者が、恋の相手に送る美し
い絵と言葉が、マーケットでたやすく見つけられる。あるいは故郷の肉親に送る
一枚のカードは、身一つでやってきた自分が、立派にアメリカ人になったことを
自らにも他にも証しする一つの方便なのだろうか。

 おそらくそれもこれも事実だろう。しかしもっと考えられるのは、多くの人々
が、大事なことについやする時間を失ってしまったということではないだろうか。
いや、失ったことにさえ気がつかないことではないだろうか。

 多すぎる選択に迷わされるこの時代、優先順位をきめるいとまもなく、時は容
赦なくながれる。クリスマスがくる、新年がくる、ヴァレンタインデイがくる、
イースターがくる、家族や友人の誕生日が次々に追いかけてくる,、、、それだ
けではない。昨今のフェイスブックなどのソーシャルメデイアによれば、情報や
意見を自由に発信したり受信したりすることが可能なばかりでなく、写真でも音
声でも、テキストでも何でも、使い方は使い手にゆだねられるという、未曾有の
通信空間が実現した。それとともに押し寄せる情報の氾濫は、われわれに何を与
え、何を奪っているのだろうか。

 現在では、かなりぜいたくな市販カードでも、一昔前の複雑な切り紙や折り紙
などで趣向を凝らしたものは姿を消し、ドライな時代を反映してか、感傷的な愛
の言葉も少なくなった。それに、プリントされた愛の言葉は、どんなに美しくと
も、しょせんは他人の言葉に過ぎない。エレクトロニクスのカードの出現は、ま
すますそれを助長するだろう。技術の新鮮さへの驚きが失われたとき、その他大
勢に瞬時に発送できるインターネットのカードが、いったい心に何を残してくれ
るのだろう。

 このカードの売り場では愛情の表現がいくとおりかに規格化されているよう
に、これを買う人々の心も、しだいにテクノロジーと資本主義の強いる規格に、
無意識のうちにはめられてゆくように思える。私たちが失いつつあるのは、時間
だけではない、自分の心なのだろうか....「了」

       (筆者は米国ニュージャシー州在住・翻訳家)

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