【コラム】宗教・民族から見た同時代世界
ダライ・ラマ後継者は「転生」と決まったが・・・
去る7月6日、ダライ・ラマ14世が90歳の誕生日を迎え、亡命先のインド北部ダラムサラで信者たちとの祝賀会が催された。
だが、国外のメディアの扱いは小さく、国際的な注目度の低下を印象づけた。
目玉は、後継者選びにかんする声明が発表され、自身の死後に生まれ変わりを探す「輪廻転生」の制度を維持する方針が示されたことだ。
後継者選びが公に議論されはじめたのは、14世が80歳を迎えた10年前くらいからだ。
とりわけ2018年には、ダライ・ラマ14世自身が、「私は民主主義の信奉者だ」としたうえ、「ダライ・ラマ制度は古い制度だ」と指摘し、「制度を存続させるか否かは、チベットの人たちが決めるべき」と語り、「ローマ教皇が枢機卿らに選ばれるような制度も可能だ」と付言した。
これを受けた高僧たちの会議では、後継者選びは、①14世の存命中に高僧が選出する、②14世自らが生前に指名する、③従来どおり死後に「生まれ変わり(転生者)」を探す、の三つの選択肢で進めることが決定された。
これは、大変なことであった。観音菩薩の化身とされるダライ・ラマは死後に生まれ変わりの少年を探しだして後継者とする、この数百年続いてきた伝統に基づくダライ・ラマの権威の根源じたいが揺らいだのだ。
◆ラマの「転生」とはなにか
そもそも歴代のダライ・ラマが観音菩薩の化身とはどういうことなのか。
チベット仏教ではすべての生き物は「輪廻転生」すると考えられている。だから人も次は虫か鳥か獣に生まれるかもしれない。しかし、悟りを開いた菩薩などは、次も次も人間に生まれ、生きとし生けるものの救済に働き続けると信じられている。観音菩薩の化身とされるダライ・ラマはその一形態だが、ダライにかぎらず、ダライに次ぐ権威をもつとされるパンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身であるし、弥勒菩薩や文殊菩薩の化身もいる。
これらを一般には「転生活仏」といいならわしているが、菩薩や如来のみならず、過去の偉大な高僧の化身もあるので、「化身ラマ」(チベット語でトゥルク)とよぶのが正しいとされる。ラマは「師僧」の意。
因みに、中国政府によると、チベットで化身ラマは現在、350人を超える。
ではその継承はどのように行なわれるのか。化身ラマが遷化すると、弟子たちがラマの遺言や夢告、託宣などに基づいて転生者を捜索し、候補者が見つかると、その童子に先代ラマの遺品を選び取らせるなどして前世の記憶を確認し、確かに先代ラマの生まれ変わりと確信されると、高僧たちによって化身ラマと公式に認定され、以後、名跡を継承しラマとしての厳しい英才教育を受けることになる。
現ダライ・ラマ14世もこのような手続きで1939年に青海省で「発見」され、4歳にしてダライ・ラマに認定されている。
◆「転生」制度は政治の産物
化身ラマの転生継承制度を初めて法主の選任に採用したのは14世紀、カギュ派のカルマパ(観音菩薩の化身)の創設とされる。16世紀にはゲルク派もそれに倣ってダライ・ラマを創設した。
チベット仏教でも本来は師資相承が基本だったが、中世の一時期、権力を持つ高僧の地位を特定の氏族が世襲的に独占する、氏族による教団支配がすすみ、そのことへの教団側の対抗策として、この化身ラマ転生継承制度が、僧侶の妻帯を禁ずる戒律復興の動きとも重なって、各宗派に取り入れられたと考えられる。すると、今度は逆に、教団側が、この制度をつうじて転生者に認定した者が属する有力氏族を、自派のパトロンに組み込むシステムとして働くこととなった。
そのような経緯をへて、当初はゲルク派の指導者にとどまっていたダライ・ラマは、17世紀の5世のとき、モンゴルの豪族の後ろ盾を得て、チベット全体の政治的支配者となった。これが、聖俗両界に亙るチベット民族の最高指導者とされるダライ・ラマの成り立ちである。
◆後継者問題とは中国との葛藤
関係者の関心を惹いてきた14世の後継者選びの方針は、一応、転生継承に落ち着いたようだ。しかし、これで「一件落着」とは言い難い。中国政府の介入が必至だからである。
これにはすでにチベット仏教序列2位のパンチェン・ラマの例に示されている。ダライ・ラマ14世がインドに去ったあとも中国にあったパンチェン・ラマ10世が、1995年、死去すると、ダライ・ラマ14世は亡命先から転生者を認定した。しかし中国政府はこれを認めず、別の少年を後継者に認定し、ダライ・ラマが認定した少年は消息を絶った。
中国政府によって認定されたパンチェン・ラマ11世には、親中国のチベット民族指導者としての役割が期待されていることはいうまでもない。
2007年に中国政府は、「活仏管理規定」を制定し、ダライ・ラマを含む化身ラマの後継者認定は中国政府の権限に属すると規定している。亡命政府側は「他のいかなる者にもこの問題に干渉する権限はない」と反発しているが、ダライ・ラマ14世がこれまでに、「政争の具と化した転生継承制度は自分の死とともに廃止すべき」と語ったり、「新たなダライ・ラマは自由世界から生まれる」と語ったりしてきた、揺れる発言は、こうした背景があってのことである。
思えば、1950年の中国によるチベット併合や、59年の蜂起に伴うダライ・ラマ亡命以来の、中国政府とチベット民族との長い葛藤の、そしてまた、中国と欧米社会との長期に亙る起伏ある関係の、象徴としてあり続ける、ダライ・ラマ14世という存在である。
(2025.8.20)
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