【コラム】槿と桜(141)
スターバックス不買運動
韓国では「별다방」(ビョルダバン 星の喫茶店)と親しまれているスターバックスが2026年5月18日から始めたキャンペーンで消費者から一気に不買運動を巻き起こされてしまいました。
日本から見ますと、これまで繰り返して日本商品に対する不買運動を起こしていた韓国ですから「また不買運動なの?!」「日本商品ではなく、今回はスターバックス?」と思う方も少なくないのではないでしょうか。
発端の一つは「5月18日」だったこと。もう一つは「机にドン!」というキャッチフレーズだったことです。
「5月18日」が問題となったのは、46年前の1980年5月18日に起きた韓国の民主化運動の中での大きな悲惨な出来事として知られている光州民主化運動の記念日だったからです。
当時、全斗煥軍事政権の独裁的な政治運営に対して民主化を求めて抵抗していた光州を中心とした学生、市民に軍事政権の戒厳軍は戦車で学生、市民に発砲、160人以上の命を奪う武力弾圧を行いました。それが「5月18日」だったのです。
それ以降、韓国では「5月18日」は民主主義国家体制を強く求める人々にとって忘れることのできない日となり、7年後、1987年6月29日の「民主化宣言(6・29宣言)」につながることになりました。韓国ではこの日に毎年、歴代の大統領が出席して記念式典が行われていて、韓国では光州民主化運動の記念日は民主主義を守るという意味で忘れてはならないという思いを持つ人びとが多くいます。
ところが、スターバックスはこの「5月18日」にコーヒータンブラーの販売促進キャンペーン始め、しかもこの日を「タンク・デー」としました。スターバックス側からすれば、英語で容器を意味する「タンク(Tank)」、つまりタンブラーを売り込むつもりでした。
でも、英語の「タンク」には「戦車」という意味もあり、しかも「5月18日」から販売促進キャンペーンを始めたため、それが開始されるや、インターネット上では「タンク」が1980年5月18日に政府が人びとを弾圧するために使った戦車を連想させるというコメントが多く現れました。
スターバックスはアメリカ資本の会社ですから韓国の民主化をめぐる歴史をよく知らないまま国民感情への配慮が足りなかったのだろうと日本では思う方も多いかもしれません。ところが韓国のスターバックスは日本とは異なって株主はアメリカのスターバックス本社ではありません。韓国の「Eマート」(新世界グループ)が資本の約67.5%、シンガポール政府系の「GIC」が約32.5%を持っています。そのため法人名は「SCK Company」で、店舗のブランドだけ「Starbucks」を使い、経営権は「Eマート」(新世界グループ)が握っています。スターバックス本社は「スターバックス」という看板を貸し(ロイヤリティ)、コーヒー豆の供給などのライセンス契約で関わっているだけです。
今回の不買運動が起きるや新世界グループの鄭溶鎮(チョン・ヨンジン)会長は謝罪とイベント中止を指示し、ただちに韓国スターバックスの孫正炫(ソン・ジョンヒョン)最高経営責任者(CEO)を解任しました。アメリカのスターバックス社からの動きがなかったのはそのためでした(その後、スターバックス本社も謝罪声明を出しました)。
話がややそれてしまいましたが、今回の不買運動のきっかけになったもう一つの「机にドン!」には1987年にソウル大学の学生・朴鍾哲(パク・ジョンチョル)氏が民主化推進の運動家だったため警察に拘束され、そこでの拷問によって死亡するという事件が起きました。その時、警察側は事件を隠蔽するため、「机を〝ドン〟とたたいたら〝ウッ〟と言って心臓麻痺で死んだ」と説明しました。国家が国民の目をごまかそうとした、これまた軍事政権による弾圧と隠蔽主義を象徴する言葉だとして、それを持ち出したと批判の声が上がりました。
なんでも今回のキャンペーンは20〜30歳代の若手の担当者たちの提案だったとかで、案を考える段階でAIを活用したそうです。「ここでもAIか」と私などは思ってしまいますが、若手の提案者たちがAIに与えた情報に「韓国(人)の民主化に対する歴史認識」が薄弱だったことが推測されます。新世界グループが「不適切なマーケティング」について謝罪していたことから、それが窺えます。
このように韓国の民主化の歴史に対する認識は決して一様ではなく、今回の不買運動で中心的に活動しているのは、光州の市民団体、民主化運動重視グループ、現政権母体の「共に民主党」の支持層などです。民主化運動の歴史を重視し、それだけに「5・18民主化運動」に特別の思いがあります。だからこそ、今回の「タンク」が、1980年5月18日に民主化要求の抗議活動弾圧に軍事政権が投入した戒厳軍のタンクにすぐさま結びついたのでしょう。さらには「机にドン!」という民主運動家を拷問死させた軍事政権の言い逃れを想起させたのも当然でしょう。そのため、光州の市民団体はスターバックスへの不買だけでなく、新世界グループ全体への不買運動を展開しようとしています。
ところが5月18日、李在明大統領みずからがスターバックスの今回のキャンペーンに対して「低俗な商売人の非人間的な行為」と激しい言葉で批判し、21日の首席補佐官会議でも「国家による暴力を美化したり犠牲者を侮辱したりする行為は厳しく処罰する」など、日本では考えられない一企業の宣伝手法に向けての批判を展開していました。それだけでなく、政府は同社に対する「不買」まで宣言していました。
一方、野党側の「国民の力」などはこうした李大統領のスターバックス批判と政府の対応に「大統領による国家暴力」と批判するなど一気に政治的な対立案件となってしまいました。ここには6月3日に実施される全国自治体選挙があったことが大きな理由として考えられます。
李在明大統領にすれば、自分が民主化運動家でもあり、「共に民主党」のリーダーであるだけに今回のスターバックスのキャンペーンから起きた不買運動を最大限に利用し、支持者増、選挙勝利につなげようと考えるのは自然でしょう。だからこそ、「国民の力」など保守派は李大統領を「大統領による国家暴力」と批判し、「スターバックスでコーヒーを飲もう」と呼びかけ、スターバックスでコーヒーを飲むことを「表現の自由」と主張して、「共に民主党」に対抗しています。
一企業の販促キャンペーンに対して民主化推進グループから起きた不買運動を与党の「共に民主党」がすばやく吸い上げ、今や韓国社会を二分する政治案件になってしまっているのは、いかに韓国らしいとも言えます。日本のビール不買運動が起きたときには日本製ビールを飲んだ韓国人を〝売国奴〟とレッテルを張っていました(それでも日本製ビールを飲んでいる人はかなりいました)。
今回はスターバックスのコーヒーを飲むか、否かで、与野党どちらの陣営かに色分けされてしまうとなると、何とも息苦しいと思っている韓国人も多いはずです。
さて、その後のスターバックスはどうなっているのでしょうか。6月6日に『KOREA WAVE』がおよそ次のように伝えていました。
・スターバックスの売上高が一時的に約26,3%急減。親会社(新世界グループ)の株価にも影響が及んだ。
・地方選挙でこの問題を政争の具として利用したが、選挙が終わり、不買も沈静化に向かうとの見方が浮上。
・消費者離れが長期化するか不透明だが、対話アプリ「カカオトーク」のギフト機能では、6月3日にはスターバックスのモバイル商品券がカフェカテゴリーの1位になっている。
・業界関係者は事案の重大性はあるが、地方選挙が終わり、事態も徐々に鎮静化へ向かうのではないか。
まだ不買運動を続けている人びとはいるようですが、韓国人のコーヒー好きはよく知られています。一年間の一人当たりのコーヒー消費量は大雑把ですが日本は280杯前後に対して韓国は400杯超と言われ、アメリアを越えて世界有数のコーヒー好きな国民と言えそうです。
こうした状況を考えれば、韓国民に最も人気のあるスターバックスだけに今回の不買運動はそう長続きしないのではないでしょうか。
大妻女子大学教授
(2026.6.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ/掲載号トップ/直前のページへ戻る/ページのトップ/バックナンバー/ 執筆者一覧