【自由へのひろば】

ジョンになりたいシン

工藤 寛治


 勲章がきれいに映える制服に身を固めた軍隊の高官たちに囲まれて、気持ちよさそうに話しているジョン。誇らしげに最新兵器を並べた軍事パレード。歓喜の表情で拍手をする人民に迎えられて視察をするジョン。
 同じ三代目でありながら、どうしてこうも違うのだろうか、と予は考えている。ジョンは国中のものから尊敬され、国の運営も軍事行動も自分の思うままに決めている。かれの一言一言が法であり命令である。ジョンは権力者にとって理想の人物だ。

 予はジョンと違って、不自由な生活を強いられている。例えば少しばかり法を読み違えたり、思想信条を同じくする者に便宜を図ったりしても、一部民から文句を言われ、マスメディアで騒がれる。予は自分の境遇について次のように感じ、何とか無駄な時間を使わずに卓越した自分の政策が通る世の中にしたいと考えている。

 予が任命した大臣たちは失敗が多いが、過日、せっかく大臣にしてやったのに、つい本心を吐露してしまうものだから、生意気な連中から大臣を辞めさせろといわれ、このことで自分の人気まで落ちてしまったら大変だから震災地に出向いて愛想笑いをしてこなければいけない羽目になった。寛容な自分だから首にしただけで済んだが、ジョンのところだったら本当に首を切られている。
 幸い予が行けば住民たちは喜んで迎えてくれるだけではなく、復興の遅れなんか忘れてくれるからいいものの、次回の選挙で票でも減らしたら責任を問われかねない。

 その点ジョンは恵まれている。選挙がないから政治や軍事に集中できる。政治家にとって選挙ほど悪いものはない。そのために議員たちは、立法や、行政を監督する活動を犠牲にしてまでも、次回もまた当選できることに神経を集中させざるを得ない。選挙民は候補者の出自がいいかどうか、選挙区に良い話をもってきてくれるか、後援会などの付き合いが上手いかなどを評価して一票を入れる。政治能力なんて論外だ。

 ジョンは誰からも批判されないから、自由にのびのびと生活ができる。わが国のメディアは権力者の意向をソンタクして大分おとなしくなったが、まだ時々人を傷つけるような些末な報道をすることがある。
 たとえば2016年5月に国会で質問する議員に対して「議会の運営を少し勉強した方がいい。予は立法府の長だ」と教えてやったのに、立法府の長は間違い、と報道されてしまった。あれは立法府の長も兼ねたいという気持ちがひょいと出てしまっただけの話しなのだ。
 だいたい立法だ、行政だと偏狭な考えで審議しようとするから、法務大臣が法案説明をしないで担当官僚にさせようとしたら文句が出た。本当は国会が立法するというのが間違いで、そもそも大概の法案は行政機関において作成されているのだ。

 「そもそも」も野党は辞書に従って「当初は」という意味に使い、予は「基本的に」と意訳してみたが、上記傍線部分に限ってはどちらの意味で使っても間違いではない。法案は最初、省庁でつくられて国会に回され、ほとんどそれが常態となっているのだから、当たらずといえども遠からず、だ。国会が立法機関だなんて勘違いする者もいるが、国会議員には法案を作成する能力はない。
 「一面を業火と爆風にさらわせ、廃墟と化しました」(14年8月6日)の「業火」は罪人を焼く地獄の炎のことだから猛火というべきではないかとか、「さらわせ」は、「さらし」の間違いではないかとの記事もあったが、マスコミなんか今やだれにも信用されていないのだから、政府広報機関一つで十分だ。

 予は自分と同じ瑞穂の国信仰を持ち、教育の再生をするために勅語を暗唱させ、軍歌を歌わせ、シン万歳と叫ばせている教育に共感し、妻は憲法を廃棄して戦前に戻りたい人々が望む学校設立に手を貸したのに、まるで悪いことをしたかのように騒ぎ立てる。
 この国にはまだ予に従おうとしない者がいるが、官僚には、予のシン意を理解して、よく働く者が多い。事実に合わせて法解釈を変えたり、意味不明の言葉を羅列して真相を隠したり、国民を愚弄しているという批難にもめげず書類を隠したり、本当に「民はよらしむべし、知るしむべからず」という明治以来の教えを実践しているのだ。あの真っ黒に塗って全く読めない書類を臆面もなく開示するなんて秀逸だ。
 「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」というものがあるが、そんなことは無視して差支えない。守らなければいけないのは「特別秘密保護法」だ。少しでも油断したら権力者のやっていることが知られてしまう。

 そう言えば、野党の追及にこたえる官僚の姿が、卑屈で後ろめたさに耐えているようだ、との噂があるが、気にすることはない。そうしていれば、やがて花の咲く春が来る。真実を隠す術に優れていれば政治家になれるかもしれない。
 いや、今の最後の言葉は取り消す。実は国会はない方がいいと考えており、もし残すとしてもごく少数の議員にしたい。貴重な税金を無駄遣いしたくないということもあるが、議員が多いと、その分謀反を起こす危険が大きくなり、その監視が大変になる。
 選挙も無駄、審議時間も無駄。本心を言うとジョンみたいに予の意をくめる側近だけで、国を治めたいのだ。世襲で。

 官僚の中にも駄目なやつがいる。2017年1月の参院本会議の答弁で「云々」を「でんでん」と言ってしまい、いかにも教養がないかのように言いふらされてしまったが、答弁書を作成したやつがカナを振らなかったのが悪かった。人偏がついていると勘違いした予も多少悪いが。
 しかし、国会の記録はよく考えられている。間違ったままには記録しない。発言しても取り消せば記録されないなど議員の名誉ファーストで処理する。

 中国はモーさんの教えを守り一党独裁の統治を行っているが、経済発展にあわせて徐々にだが言論の自由が進んできた。あれは間違いだ。統制を緩めたらみんな勝手なことを言うようになり、やがて昔みたいに軍閥が割拠して内戦が始まる危険がある。海外旅行もよくない。
 爆買いの荷物の中に海外の思想が紛れ込んでいたらどうするつもりだ。一度、自由や民主主義を味わったら厄介なことになる。

 中国にはもっと悪いことがある。わが同盟国と対立しないように気をつけているため、近頃は米中のコミュニケーションが密になり、経済的にも軍事的にも交流が盛んになってきたのではないかとの疑いがあることだ。そんなことをされたらトランプの太鼓持ちの存在がかすんでしまうではないか。
 ジョンは偉い。自由に海外に行けない経済状況にしておいて、ひたすら将軍様を敬うようなマインドコントロールをしている。

 昔の日本も良かった。神の国から大御神の命を受けて、この世に降りてきた神が定めた支配者が、国の統治の始祖であるとの創作を信じさせておいて、長州や薩摩から上ってきたものたちが実権を握っていた。
 ヨーロッパでは、ゼウス(いうなれば大御神のような神)やアポロン、ポセイドンなどギリシャ・ローマ神話に登場する神々は、神話の世界にとどまっており、地上に降りてこなかった。
 ヨーロッパでは、神の世界と現実の世界を一緒にするような話をしたら、病院に連れていかれるだろうが、わが国では仲間が寄ってきて賞賛してくれる。

 それにしてもジョンの祖父は偉かった。革命の功績が認められて、神の国との関係がなくても現人神同様の尊崇を集め実権を握り、子孫にその体制を引き継いだ。
 わが国だってジョンの国とはちょっと違うが、太平洋戦争に負けるまでは、現人神が現実世界を支配し、臣下である宰相などがわが世の春を謳歌していた。ちょっとの違いというのは、革命と維新は異なるということと、かの国は名実ともに権力を一身で握ったことである。

 予の尊敬する祖父は太平洋戦争開戦時の閣僚の一員だったが、当時アメリカがあんなに強いとは考えてもみなかったようだ。ましてや開戦後あっという間に航空機や艦船の燃料も、あるいは武器を作る材料もなくなるなんて考えたことがなかったのだろう。
 開戦時の東条首相をはじめとした閣僚たちは中国人を嫌いでも孫子の兵法はよく読めばよかった。そこには敵のことや自分たちのことをよく知ってから戦争しろ、と書いてあるそうだ。だから予は強い者の後に従い、軍備を増強してから堂々と戦争に参加したいと考えている。これまではトレーニング期間だったが、これからは違う。

 今の予にとって保護者であり錦の御旗であるアメリカは、自国に従属している限り思想の違いは問題にしない。だから、予が絶対的な権力を握っても同盟国でいられる。
 予はトランプが好きだ。マントヒヒに似ているからではない。青白きインテリでは言えないことをためらわずに言えるからだ。メキシコとの国境線に塀を作ることや特定国のアラブ人の入国拒否、米軍基地費用の駐留国負担、貿易不均衡など実態に合っているかどうかに拘わらず発言する。
 そして、発言の誤りに気がつくと潔く別なことを言う。予はトランプが好きだ。だがアメリカという国は本心から好きになれない。制度がわが国より遅れていることや、権力にたてつくメディアが多いせいだ。

 戦争など問題がある場合、大統領の意思決定や行政活動が適正に行われたかどうかのチェックのために、議会内に委員会をつくって調査検討をする。わが国でそんなことをしたら、当該委員会に属する議員が議会活動に縛られて選挙活動の時間が奪われてしまう。思うように選挙活動が出来なかったら次回の選挙で落選することだってあり、政権維持が脅かされることだってある。
 わが国では政権のやったことを表立ってとやかく言う民はいないし、力のある野党が存在しないので、今のところわが党は安泰であるが、アメリカのような制度があったら、政治が安定しない。権力にたてつく不逞の輩が現れる前に国会の機能と議員の数を縮小しなければならない。

 実を言うと、戦前のように議員は大政翼賛会に所属させて政党を無力化させたいのだが、一気にやると反対者が現れたり、同盟国から注意されたりすることがあり得るので、もっと憲法改正を進めてから実行することにする。
 アメリカの場合、司法の独立性が強すぎるのも問題だ。頭の回転が速い大統領が一瞬にして思いついた命令を裁判所が阻止することがままあり、大統領の権威を冒涜することになる。きっと裁判官や検事の任命方法に問題があるのだろう。

 わが裁判所の最高の地位である最高裁判所長官は、天皇が内閣の指名に基づいて任命することになっている。実際上、指名を拒否することはないので、内閣が決めることと同じだ。その他の最高裁判事は内閣が任命し、下級裁判所の判事も、最高裁の名簿によって内閣が任命する。
 わが憲法のこの規定は世界の統治者に誇れるものであり、改正の必要は全くない。つまり、最高裁長官をはじめ全国の裁判所の判事は、内閣の意向で任命され、内閣は総理大臣が組閣するので、結果として裁判官が総理大臣の考えに逆らえないのが人の世の常だ。
 違憲裁判ではこの優れた任命制度のおかげで、よほど反抗心の強い裁判官でない限り、「違憲とまでは言えない」と言って訴えをしりぞける。自信をもって違憲ではないとはっきり言ってもらいたいが、「とまでは言えない」というのは裁判官の慣用句のようなものだから勘弁してやる。

 過日「パン屋」という記述が文科省の指導で「和菓子屋」に直されたことが話題になったが、わが国の有能な官僚は、以前から正しい教育を行わせるため頑張ってきた。欧米の多くの国では、教育に関してこんなに頑張るところはない。役人が手抜きをして教科書の選択を学校の自由に任せているからだ。
 わが国は実にこまめに教科書の内容から発行・採択にいたるまで管理を徹底している。やりすぎて海外の批判を浴びることがあるが、文科省はめげずに頑張っている。伝統ある美しい国では和菓子が伝統的に好まれており、パンやケーキを食べるのは邪道である。

 かつては、わが国の民が歴史的事実を知って自虐的になってはいけないという配慮で、太平洋戦争の末期に壊滅的な攻撃を受けている沖縄での集団自殺がなかったとか、侵略を侵入に改めさせるとか、あるいは慰安婦の記述を教科書から削除させる運動を行っていた民間団体と連携して「新しい歴史教科書」を作らせようと頑張っていたものである。

 上高森遺跡から出土した石器が60万年前のものであるという調査団の発表が捏造であるということが判明したのに、『新しい歴史教科書』には何の科学的根拠もなく、その遺跡が60万年に18万年上乗せして、78万年前までさかのぼることができると記述された。
 この頃、「歴史は実証科学ではなく物語だ」とか「歴史はわれわれの意識に映る光景である」と主張する学者が現れたが、ということは天照大御神に始まる神話を歴史だということも可能だということになる。立派な学者もいるものだ。歴史的事実は文学的虚構と同じとは歴史的快挙だ。

 それはさておき、文科省が努力してきたおかげで教職員組合もおとなしくなり、体制順応型の民を育てる効果を上げてきた。愛国教育も着々と進み、これに教育勅語でも加われば、戦前レジームへの回帰も現実のものになる。
 予の使命である憲法改正は、味方の多いうちに成し遂げなければならないが、憲法9条についてはあと一歩のところまで近づいた。予の仲間たちは、憲法改正を声高に叫んでいるが、すでに個別的自衛権はおろか集団的自衛権をいつでも発動でき、同盟国の侵略行為に追随することすら解釈変更や違憲立法によってできる状態である。
 有権者の大方が予を支持しているのだから、憲法でも法律でも自由に使える。違法の声が高まったとしても、法の読み方を変幻自在に変えれば切り抜けられることは実証済みだ。南スーダン派遣の時のように、武器を持って戦っているのに「戦闘行為でない」と言って逃げればいいのだ。3日もすればこの国の民は忘れてくれる。

 本当は、予は国会議員であり、総理大臣であるので、現憲法を尊重し擁護する義務があるとの条文があるが、予の身の回りでは憲法99条の存在に気づく者はいない。万一誰かが訴訟を起こしたとしても「尊重し擁護する気持ちはある。憲法をよりよくするために議論することを提案しただけである」と弁明すれば大丈夫だ。
 個別具体的な事件がない限り、裁判所は原告を門前払いする。わが国は、立法段階で裁判所による違憲審査が行われない。かりに個別具体的な事件での訴訟があったとしても、裁判所は「違憲とまでは言えない」との判決を出すであろう。

 立法府の怠慢と遠慮がちな司法のおかげで、安全保障法制が政権の好き勝手につくられてきた。おかげで9条問題を片付ければ、憲法原理の一つである平和主義が消えて、残りは自由と主権在民だ。そこを何とかすれば、ジョンに限りなく近づき、グランパ・コンプレックスから抜け出せるだろう。

 忠君愛国の民が予を信じて、明治維新以来の大改革に参加することを願い、抵抗勢力が地の底から湧き上がらないことを祈る。
 既成政党が闘う術もその意思も失ったこととマスメディアが民を啓蒙しないようになったのには心から感謝する。

 (映像コンテンツ制作)

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