【コラム】''''
大原雄の『流儀』

コロナ禍の中で…、東京国際映画祭2020

大原 雄

◆ Love After Love

東京国際映画祭2020(10・31~11・9)。東京・六本木のスクリーンに映し出されたのは、1930年代の香港。上海事変後の香港。90年前である。いわば、近代史の歴史ドラマ。主人公の葛薇龍は、両親とともに香港で暮らしながら学校(高校)に通っていたが、不況によって一家は上海に帰ることになってしまう。上海と香港にゆかりのある主人公、というのも、象徴的ではないか。

十代の女子高校生(女学校生か)・葛薇龍は、両親と離れて香港に独りで残るために、予てから父と不仲であった叔母(伯母?。何れにせよ、父の姉か妹か)の梁太太のもとへ居候を申し込みに行く。冒頭のシーンは、貧しい姪の女子高校生が、裕福な叔母を頼って、学資を含め、卒業まで1年弱の高校生活を全うするために、これまでの経緯を捨てて当面の生活維持を依頼に行くモノローグの場面だ。裕福な叔母は、金持ちの香港人の「若奥さま(実質的には、「妾」か)」になっていて、恋と社交こそが生きがいという奔放な「上流生活」を送っている。

贅言;「上海事変」後の香港が舞台となる映画。「上海事変(1932年1月28日から3月3日。いわゆる、第一次上海事変)」は、中華民国の上海共同租界周辺で起きた日本軍による軍事衝突。第二次上海事変は、1937年8月13日、台風接近中の上海・「日本租界」で勃発した中華民国軍と日本軍との軍事衝突。
当時日本側は、自ら引き起こした「戦争」(日中戦争)について、「事変」という曖昧な用語を用いた。その後、1941年から1945年の敗戦まで日本が香港を統治(占領)する軍政時代が続くはずだが、映画では、邸宅の外の、「激動」の歴史は、あまり伝わってこない。むしろ、外の社会の激動は、邸宅の外で終わってしまい、邸宅の中は、それ以前と変わらない上流生活の日常が続いているように描かれる。財力によって、守られた上流生活。1920年生まれの原作者の自画像が、主人公に投影されているとすれば、女子高(女学校)生は、17歳であった。

当時の上海には、「租界」(当時の中華民国内の開港場に設けられた外国人居留地)が置かれていた。阿片戦争後の1840年代以降、列強から不平等条約を押し付けられたことにより中国大陸の各地に設けられた。列強側は、中華民国側の主権を侵害し、行政自治権や治外法権を持っていた。上海の租界は、イギリス、アメリカ、日本、イタリアなどの国際共同租界とフランス租界からなる。日本は北四川路及び虹江方面に「約2万7千の在住民を有した」いう。これらの居留民の警護を理由に各国の軍隊が強制的に「駐留」していた(日本は、海軍陸戦隊が1,000人駐留していた)。

一方、中国大陸におけるイギリス資本主義の拠点となっていた香港では、イギリス政府による植民地統治機関である香港政庁の下で、19世紀末から20世紀初めにかけて華南貿易の基地として発展してきた。経済面では、1865年に創設されたイギリス資本の香港上海銀行が地域通貨として、初期には銀貨が使用され、1935年には、香港ドルが発券されていた。映画の舞台では、どちらが使用されていたか。香港の日本統治(占領)時代(1941年から45年)が忍び寄ってくる。

1941年12月8日、イギリスの植民地下であるマレー半島でイギリス軍に対する日本陸軍の攻撃(マレー作戦)により、太平洋戦争が勃発する。香港でも、同じ日、日本陸軍は、イギリスの植民地である香港に駐留するイギリス軍に対して侵攻を開始した。いわゆる、「香港の戦い」である。香港は、以後、3年8ヶ月にわたる日本統治(占領)時代を迎えることになる。映画の時代背景の概略は、大雑把に言えば、そういうところだろうか。香港人の裕福な一族は、邸宅の外の世界とは無縁のような日常生活を送って行く。

梁太太は、香港の繁栄をベースにした夫の財力をバックに、香港の社交界では、有名人になっている。広い庭を誇る邸宅では、頻繁にパーティーを主催していた。中心は、叔母の梁太太。葛薇龍が訪ねた際、叔母の住む邸宅の門は閉ざされていて、叔母の梁太太も外出中で、不在だった。庭にいた邸宅の「召使い」(家事を担当する女性従業員)たちは、よそ者の貧しい若い娘に冷たい応対をする。

やがて、叔母が、若い男の運転する「外車」(香港では、人力車が、1874年に日本から初めて輸入された。商人が、商品を運ぶためにも人力車は活用された。香港最初の自動車は、内燃機関があり、1900年代初頭に輸入された。当初、普及しなかった車は、1910年頃になって、社会に受け入れられるようになったが、所有者の殆どは、イギリス人であった、という。映画『第一炉香』では、香港の第一世代の自動車と思われるクラシックカーが、登場する。こちらの車の所有者は、香港人のお金持ちである)に乗って、帰宅したので、葛薇龍も邸内に入ることを許される。

門から屋敷の玄関まで、広い庭が強調される。屋敷に入った叔母は、美しく若い姪の頼みごとに耳を傾け、美貌と才能のある薇龍を社交界で利用することを思いつき、同居を許可する。やがて、姪を社交界の華(花)とするべく鍛えながら、彼女を徐々に香港の社交界に引きずり込んで行く。その後、薇龍は、叔母を乗せてきた車を運転していた若い男と懇ろになる。若い男は、ジョージという名前であり、邸宅の主人である父親(香港の金持ち)の10数人いる「妾」の一人が、実母であるという。自分は、父親の10数人いる子供たちの一人だという。金持ちの遺産を目当てに屋敷の一隅に部屋を貰い生活しているということが判ってくる。

ジョージは、自分までは、遺産は回ってこないと嘯きながら、彼は仕事らしい仕事もしていない。若さと美貌を武器に結婚する女性には金銭的価値を求め、さまざまな女性と遊び歩くような男性であった。彼をめぐって召使いの「ガイジ」(彼女もジョージと性的な関係を持っている)という名前の女性と大喧嘩した薇龍は、使用人と大喧嘩をしたことがショックで、両親のいる上海に帰ろうとするが、接近中の台風(ちなみに、第二次上海事変当日の台風は、967ミリバール=当時は、ヘクトパスカルという単位ではなかった)により上海行きの船は欠航となってしまう。

波止場に集う人々の群像の中で、薇龍の着ている青い衣装が、異常に目立つ。混乱の状況下でも、彼女のいる場所が判る。上品そうで、猥雑な生活。この船着き場のシーンは、映画のテーマを抉り出す象徴的な場面だと思った。衣装担当のワダエミ(亡くなったNHKの和田勉の連れ合い)のアイディアか。和田勉は、私も現役の頃、NHKの食堂で、時々見かけたことがある。

台風による欠航をきっかけに、薇龍の人生が変わる。彼女は、ジョージを手に入れるために香港に残り、叔母の希望通り、社交界にもデビューする。その後、彼女は金銭的にも成功をおさめる。金持ち一族への正式な参加となるのが、「結婚」。彼らにとっては姻戚関係が、一族たる資格のキーワード。「アンクル」という愛称で、一族の中でも存在感を持つ老人の登場も、印象的だった。結婚式の集団写真が額に入れられ、邸宅の中に何枚も飾られている。一族の歴史を窺わせる。セピア色の写真群。

葛薇龍は、ジョージと結婚することになるが、これも戦略。ジョージの方も戦略的で、望まない結婚に踏み切る。所詮、虚飾の世界だ。彼女の華やかな生活も長くは続かないことが物語の最後の科白に暗示される。こうした「報われない愛を抱えて自滅するヒロイン」は、アイリーン・チャン(張愛玲)の小説群に繰り返し登場する人物だ、という。

今回の映画化は、アイリーン・チャン(張愛玲)原作の短編小説「第一炉香」(小説集『伝奇』所収、1944年「雑誌社」刊行)による、という。女性監督のアン・ホイ(許鞍華)が女性らしいセンスで、歴史の中の「ラブ」を映像美も華麗に浮き彫りにした。
キャストは、葛薇龍を演じたマー・スーチュン(馬思純)、ジョージを演じたエディ・ポン(彭于晏)ほか。
撮影担当のドイル。音楽担当の坂本龍一。印象的な色彩感覚のある衣装を担当したワダエミなど。映画を支えたスタッフ陣の豪華さも話題になった。
ヴェネチア映画祭出品作品。東京国際映画祭にも今回、出品された。2020年製作/144分/中国映画。映画の原題は、『第一炉香 Love After Love』。

贅言;アイリーン・チャン(張愛玲、英語名は、Eileen Chang)。1920年~1995年。中国の女性小説家。作品に『金鎖記』『傾城之恋』『半生縁』『怨女』『赤地之恋』『秧歌』などがある。

◆ パンデミック

100年に一度と言われる歴史的、世界的規模の感染症に見舞われるとは、去年、第32回東京国際映画祭の会場で取材していて、思いを馳せた人は、誰一人いなかっただろう。去年の暮れに、中国の武漢から始まった新型コロナウイルスは、中国、日本、韓国、インドなどのアジア地区にとどまらず、アメリカ、ヨーロッパ、南アメリカなど全世界の各地に拡大し、1年が経過した今も、さらに、日々新たに感染拡大が続いている。

11月9日現在、感染者は、世界の合計で、5,000万人を超えた。大変な数字だ。感染者の数が多かったトランプ政権下のアメリカでは、1,000万人を超えた。死亡した人は、125万人をとうに超えている。このうち日本では、これまでに約11万人の人々が感染し、2,000人近い人々が既に亡くなっている。
特に、秋以降、日本列島の感染者は、横ばいか、徐々に拡大か、寒冷期に向かうシーズンを迎え、要警戒状況が続いている。クラスター(感染者集団)の発生も増えた。

感染者の増減のメルクマールになっている東京都は、春の第1波、夏の第2波のピークを超えた後、現在、秋から冬の第3波の感染拡大期に入っているようだが、毎日、上下幅が、1日当たり、数十人から300人という幅で感染者増は推移し、中心的なゾーンは、1日当たり100人から200人というところで、不気味な「高止まり」の状態が続いているように見受けられる。
全国では、1日当たり、1,000人を超える日も、珍しくなくなっている。「Go To ○○」キャンペーンの副作用も継続的に懸念される。チグハグな行政のツケが回ってき始めた。さらに不気味なのは、ヨーロッパやアメリカでの爆発的な感染拡大という背景があることだ。11月以降、ヨーロッパの感染者は、世界全体の半数以上を占める、という日が目立つ。いつ日本国内への大量感染移入にスイッチが入ってもおかしくない。

去年の東京国際映画祭の際には体験しなかった、こうした感染禍の凄まじい勢いに対して、今年の東京国際映画祭の主催者側では、どういう対応をしたのか、誰かが記録を残しておく必要があるだろう。公式の記録は、主催者側では、第33回東京国際映画祭実行委員会事務局辺りでも残しているだろうが、フリーのジャーナリスト(日本ペンクラブ理事。日本映画ペンクラブ会員。月刊メールマガジン『オルタ広場』に「大原雄の『流儀』」という連載コラムを掲載している)として東京国際映画祭に参加した身の一人として、また、現役時代に20数年間、NHKの社会部記者を続けた経験を踏まえて、いわば、「参加者ジャーナリズム」という視点から記録を残しておくことも、決して無駄ではあるまい。

◆ TIFF2020

第33回東京国際映画祭(TIFF2020)は、2020年10月31日(土)から11月9日(月)まで、東京の六本木エリアを基軸会場に開催された。映画祭の開催会場は、「六本木エリア」(TOHOシネマズ六本木ヒルズ・EXシアター六本木)、東京ミッドタウン日比谷(日比谷ステップ広場)、東京国際フォーラムであった。

新型コロナウイルス予防策などの対応について、主催者側は、以下のような説明をしている。「新型コロナウイルスによる制約の下で開催される今年の東京国際映画祭は、例年とは少し異なる性格を持つものになる」という。主催者側が、いちばん強調しているのは、「災禍の中でも私たちに日々の潤いと勇気を与えてくれる文化芸術、とりわけ映画の持つ力の大切さ」であるという。

映画に限らず、私が継続的に批評を書いている日本の古典芸能の歌舞伎や人形浄瑠璃の関係者(松竹=歌舞伎座ほか・日本芸術文化振興会=国立劇場ほか)も、映画界に負けず劣らず、文化芸術の持つ力の大切さを痛感している。その痛感の度合いは、今回のコロナ禍の中で、それぞれの自負心をベースにした厳戒な態勢による対応ぶりに現れている、と思う。それについては、この小論の中で、折に触れて述べることが出てくるだろうから、筆勢のなせるがまま点描するに任せておこう。

それはさておき、東京国際映画祭では、例年に比べて、参加が困難になっている外国の映画人の欠席分のパワーを、どう補うかも、大きな課題だったろう。主催者側は、「カンヌ、ヴェネチア、上海の映画祭などが取り上げた秀作を上映するなど、海外との連携にも積極的に力を入れた」という。確かに、シンポジウム、トークなども目についたが、そちらの報告は、どなたかが対応するであろうから、紙数の面もありここでは書かない。

◆ オープニング・メッセージ

世界でも知名度の高い映画祭が、新型コロナウイルスの趨勢に押されて開催中止が相次いだ中で、様々な対策を取り、開催された東京国際映画祭には、海外からも応援のメッセージが寄せられた、という。映画の原点である「大きなスクリーンで映画を観ること」の大切さを訴えるクリストファー・ノーラン監督の言葉が私には、印象的だった。「大きなスクリーンで」私が観た作品の一つが、冒頭触れた中国映画『第一炉香』というわけだ。映画祭の全景も、どなたかが対応してくださるだろうから、ここでは書かない。

◆ コンコースの光景

東京・六本木エリア。地下鉄の日比谷線・六本木駅の改札口を出て、六本木ヒルズに向かうコンコースの両側の壁が、映画祭参加の作品のポスター掲示でぎっしり埋まっている光景は、例年と変わらないが、地下から六本木ヒルズの正面広場(2階)に向かうエレベーターのステップ盤には、気が付きにくいかもしれないが、ステップ盤の1枚おきに足型のマークが描かれている。「3密」(密閉・密集・密接回避)防止対策の一つ、「ディスタンス」(密接せずに、互いに距離を置こう)ということだ。

このマークは、六本木ヒルズの森タワーのビルなど、あちこちで見つけられた。エレベーターでも、内部の広さによって、床には、5人とか8人とか、「ディスタンス」を強調した足型マークが明示されている。エスカレータにも、足形が描かれ、キープ・ディスタンスを無言で呼びかけている。各セクションの出入口には、アルコールによる殺菌・消毒剤が常備されている。タワー内を移動する人々は、皆、マスクを着用している。

東京国際映画祭で上映される作品は、各映画館のスクリーンで、順次上映される。映画館内は、コロナ感染予防対策のため、座席が制限されている。座っている観客の左右と前後には、人影がない(これは、歌舞伎座も国立劇場も同じだ)。定員100席の映画館の場合では、入場可能な座席は、上限50席となる。上限に達した場合は、打ち止めとなる。これで、密集、密接は、阻止されるだろうが、密閉は、どうであっただろうか。私も、2時間24分の映画を観たが、換気はどうなっていたか。主催者の資料では、強制的な換気システム対応だった。

◆ 新型コロナウイルス感染予防策

東京映画祭の主催者側や会場などを貸している六本木ヒルズが、ポスターなどで参加者に注意を呼びかけているのは、以下のようなことである。演劇の場合、例えば、古典芸能の常打ち館である歌舞伎座や国立劇場の場合と比べてみよう。

HILLS Rules for Everyone(みんなで守るルール)イラスト入りで、注意を呼びかける。

*密閉・密集・密接回避(入退場時、他のお客様と前後の間隔を空けて移動する。歌舞伎座や国立劇場では、観客席の座席は、前後左右に続けて座れないようにしているが、映画祭の観客席も、基本的に同じで、座席の左右、前後は、座らないように、という注意書きがあった)
*大声や近距離での会話の回避
*手洗い・うがい・こまめな手指消毒
*マスクの常時着用(着用がない場合、入場お断り。マスクは、「必携」ということ)
*入場時の検温(37.5度以上の場合、入場お断り。入場前、電子体温計で手首の体温を測っていた)
*飛沫防止
*法令を遵守した換気システム
*会場施設・備品のこまめな消毒

TOHOシネマズ 六本木ヒルズでは、東京都と連携して、画一化されたポスターで「感染防止徹底宣言」を掲げ、「新型コロナウイルス 感染拡大防止中」を呼びかける。これらが、階上にある各スクリーンに向かうエスカレータの横に置かれている。

東京国際映画祭の事務局は、マスメディアの取材対応の窓口となっているが、事務局は、以下のようなルールに従って、マスメディアの取材対応をしている。
例えば、概要以下のような要領なので、個人情報を配慮し、一部省略しながら、参考例として取り上げ、ここに記載しておきたい。

【マスメディアへの注意事項】

●取材で会場に入場される全ての方の名前と連絡先の申請が必要。
●コロナ感染予防対策により、例年より取材席が限定される(上限50席)。上限に達した場合は先着順となる。
●TVは1局1台での取材。2番組以上の申請があった場合は、相談となる。

【協力のお願い】
※取材スタッフの人数は、最小限に(協力お願い)。
※当日はマスク着用(必須)、受付にて手指のアルコール消毒。
※受付にあたっては、名刺を1枚、または、受付後に受信される確認メールに添付の回答PDFを持参。同行者も各自必要。
※受付の際、非接触型の体温計にて検温。体温が37.5℃以上の場合は、入場お断り。発熱や咳など風邪のような症状、体調不良、倦怠感や息苦しさなどがある場合、来場控えてほしい。

華やかな国際映画祭の陰で、一人もコロナ感染者を出さない、という強い決意が、主催者側にはある。事務局の水を漏らさぬようなこうした対応、きめ細から注意喚起などがあって、各国、各地の国際映画祭の中止が相次ぐ中で、今回の東京国際映画祭は、無事に開催しようという主催者側の思いが滲み出てくることが良く判ることだろう。

11月9日、東京国際映画祭も閉幕した。コロナ禍で外国人審査員が来日できないため、今年は、コンペティション部門を取りやめ、日本や世界の新作映画32本を上映する「TOKYOプレミア2020」部門が設けられた。この部門で観客の投票で選ばれる、今年の唯一の賞である「観客賞/東京都知事賞」には、大九明子監督作品『私をくいとめて』が選ばれた。主催者側に資料によると、映画祭の上演作品数は、138本、観客数(上映動員数)は、40,533人。

★100年に一度の記録として、『オルタ広場』次号では、今回の映画(東京国際映画祭)に続いて、伝統芸能(演劇)の歌舞伎興行でのコロナ禍対策が、どうなっているか、取り上げたい。

★細部に神は宿る。こうした「細部」を誰かが後世に記録として残す役割を引き受けなければならない。歴史の証人とは、歴史の歯車がきしる音を聞いたり、歯車を見たりするマスメディアの側ではなく、歯車の軋みの隙間からこぼれ落ちるような細部の、しかしながら、真実の断片を丹念に記録する人々の側のことを言うのであろう。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、『オルタ広場』編集委員)

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