■海外論潮短評(7)            初岡 昌一郎

-グローバリゼーションの明暗-

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  アメリカにおけるサブプライムローン騒動を契機に、世界経済の変調が新年に
入ってより明確になってきた。全般的にみて経済的な前途に悲観論が強まってい
るが、特に日本では自国の暗い先行きを懸念する論調が目立っている。
新年早々、ロンドンの週刊誌『エコノミスト』(1月26日号)は「世界の光明」
という、長文の解説記事を冒頭部分に掲載している。この記事は、金融の動揺に
よる暗雲におおわれているようだが、その下の世界は予想外の繁栄と平和の一面
で輝いていることにスポットライトをあてている。
以下はその要旨である。


◇世界は七色の虹


  政治家達は、最近「危険」に目を向けさせる発言を相次いでしている。ジョー
ジ・ブッシュは、昨年末のイラクへの増派を正当化して「そうしなかったら世界
はもっと危険なものになっていた」といった。イギリス首相ゴードン・ブラウン
は「今年が危険な年」という。ウラジミール・プーチンはブッシュ政権のために
「世界はもっと危険になった」とNATO会議に向けて発言した。
  一般的に市民もより悲観的、内向きになってきている。世界でアメリカがもっ
と積極的な役割を果たすべきだと考えるアメリカ人は、1990年代初めからみて最
低の42パーセントに低下している。国際貿易と国際企業にたいする風当たりも強
まっている。移民反対も各国で増加している。ほとんどの国で多数ではないとし
ても、グローバル化が自分にとって好ましくないとみる人々が増えた。一般的に、
外部の世界をトラブルの元凶とみる傾向が強くなっている。
  しかし、少なくとも重要な三つの側面で世界は改善しているのだが、これらは
十分な注目を惹いていない。第一は貧しい国の社会的諸条件、第二は過去10年間
の貧困削減、そして第三が戦争と政治暴力である。


◇激動の中での奇跡


  25年前の中国では、人口の三分の二にあたる約6億人が極度の貧困(1日1ド
ル以下の所得)にあった。今日ではその貧困層は1億8000万人以下となっている。
世界全体をみても、1999年から2004年の5年間に、1.35億人が極貧層から抜け
出している。
  貧困の削減に並んで、基礎的サービスが改善された。安全な水を入手できない
人の数は、南アジアでも1990年以来半減した。これが安全衛生を向上させ、ほと
んどの貧困国で疫病や伝染病を激減させた。ただ、アフリカは例外。
ユニセフは2007年、史上初めて、5才までの子どもの死亡が年間1千万人以下に
なったと発表した。これはまだ依然として重い数字だが、1990年以後四分の一減
となったことを示している。長年の識字運動も終幕を迎える段階が近づいた。1975
年当時、15-25才層で識字力を持っていたのは四分の三であったが、今や約10分
の9に近い。
  前世紀末まで貧困国に関する最大の懸念は人口にあった。東アジア太平洋地域
での出生率は、1970年代には5.4であったが、今日では2.1である。南アジアで
は6.0から3.1へと半減した。世界全体で、過去25年間に4.8から2.6へと低下
した。


◇世界経済のシフトと格差の問題


  2007年までの4年間、世界経済は好調で平均4%の成長を続けたが、なかでも
東アジアは10%、南アジアが8%強、東欧が7%弱、資源ブームのおかげでアフ
リカも6%以上であった。後進地域の成長が先進地域を大幅に上回ったので、世
界の経済的バランスが新興市場に向けてシフトした。
  IMF(国際通貨基金)は、2008年に中国とインドが世界規模の成長にとって最
大の寄与国に史上初めてなると予測している。これらの国も先進国発の金融不安
の否定的影響を受けずにはいられないが、先進国よりも軽いとみられている。
  しかし、過去20年間の世界的成長パターンが好ましいものでないと、多くの人々
はみている。グローバル化を推力とする成長が、所得不平等と格差を拡大した。
コミュニティが破壊され、貧困層が取り残された。所得と機会がより平等に配分
されていれば、成長はより好ましいパターンとなっていたであろう。グローバル
化の恩恵は富裕層によって横取りされた、という批判が生まれた。

  金持が最上の利益を得た証拠は否定できない。豊かな国と貧しい国の双方で、
不平等が拡大した。1950年から90年までは全般的に格差が縮小していたが、こ
のパターンが逆転した。この徴候は東アジアで最も顕著だ。貧困層が最良の利益
は得ていないとしても、世界の最貧層に属する人の数は急速に激減した。1990年
には、1日1ドル以下のものが開発途上国人口の四分の一以上を占めていた。現
在のペースでいけば、この最貧層の割合は2015年までに10%以下となると見込
まれている。
  この金銭的尺度だけでは、他の改善が貧困層にもたらす利点は十分に説明され
ていない。金持が収入の増えることのうれしさとは、貧しい家庭がその子どもに
教育機会を与えられる喜びに比較できない。この面での成果は、特に中国とイン
ドで著しい。この両国の25億人が、グローバルにみて、先進世界と後進世界のギ
ャップを急速に縮小させている。


◇戦争のラッパ音が遠のく


  冷戦の終結がパンドラの箱を開け、超大国の競争によって封じ込められていた
民族的人種的宗教的対立を燃え上がらせたといわれてきた。ほとんどの人が、紛
争が増加し、武力衝突が激化し、無差別大量殺人が拡大したと考えている。
  しかし、実際には国際的国内的武力紛争が、1990年代の50件から2005年の
30件強に減少している。1990年まで増加していた内戦の数はその後に急減した。
1980年代には年間20万人以上だった戦争による死者は、2000年代中頃には2万
人以下になった。
  反対に、武力紛争が終結し、解決するケースが増えた。アチェ(インドネシア)、
アンゴラ、ブルンジ、コンゴ、リベリア、ネパール、チモール、シエラレオネな
どである。これらの地名はニュースから消えていった。

  一般市民にたいする政治的暴力減少の最大の例外は、テロリズムの増大である。
ブッシュ政権による主張とは反対に、2001年9月11日以降、それまでの10年間
のテロ減少傾向が逆転した。テロ行為による死者数はほとんどの地域で増えた。
しかし、世界的に増大したというのは正確でない。アジア、ラテンアメリカ、ヨ
ーロッパが以前よりもテロ攻撃を経験してきたのは事実だが、それらの地域では
テロは稀なことである。
2001年以後、中東が最も大きく暴力とテロによる人命損失を蒙っており、他の地
域を合計したものよりもはるかに多い。


◇脆弱な世界


  中東における暴力、気象の変動の悪化、周期的な疫病騒動、その他多くマイナ
スをここにとりあげた過去の成果に比較して秤にかける必要がある。そして、世
界の不幸は、世界銀行が「脆弱」というレッテルを貼っている諸国に集中してい
る。「脆弱」の定義は中央政府が機能していないという意味で、「崩壊した」国よ
りもやや広義のものだ。脆弱国において、世界の子ども死亡数の約半分が発生し、
その国民の三分の一が栄養失調であり、国民の半数以上が安全な水を入手できな
い。これらの国はたいてい極めて高い出生率であり、戦争、難民、あらゆる種類
の政治危機に悩まされている。
  悪政と成長不足は、必ずしもではないにしても、並存している。グローバリゼ
ーションの諸問題がどうあれ、それらの国はそのプロセスから排除されているこ
とにより、罰を過大に受けている。
進歩派NGOなどの主催する「世界社会フォーラム」は「もうひとつの世界は可能」
というモットーを掲げているが、現実には、もうひとつの、より良い世界が、苦
痛を伴いながら、そして適合的な形で生まれつつある。


コメント


  この記事はわれわれの国際認識の盲点をかなり突いている点でおもしろいが、
国という枠の中からのみ問題をとらえている限界もある。経済格差の拡大は、国
の問題よりも人間の問題としてとらえるべきだというのが、国連などが提唱する
「人間安全保障」の基本的アプローチである。この観点からみると、世界の富が
所得上位20パーセント層に集中し、最下位20パーセント層の所得は低下しつづ
け、1パーセント前後になっているとみられる。

  中国やインドなど新興国の経済の目覚しい発展はそれ自体として好ましいこと
ではあるが、ほとんどの開発途上国に共通することは、公正な税制が確立されてお
らず、社会的セーフティネットが整備されていないことだ。そのため、一部のも
のが途方もない金持になり、後者はほとんど税負担から免れている。その反面、
貧困層にたいする発展の恩恵が少なく、貧富格差の目覚しい拡大が発生している。
経済成長が一面において生活向上をもたらしていることは疑いえないとしても、
半面でマイナス作用を果たしていることもますます無視できなくなっている。も
うひとつの問題は、経済活動が地球環境にもたらす負荷から見て、GDPの成長を
手放しで喜ぶことはできない。

  紹介した記事のすぐ後に「水を飲むな、空気を吸うな」との見出しで中国の環
境問題が報じられている。その中で、グリーンDGPという興味深い概念が北京の
学者の間で提起されたが、すぐに抑えられたと伝えられている。GDPから環境上
のコストを差し引いたものをグリーンGDPとし、それを発展の新しい指標としよ
うとしたものである。
  さらに見落とすことのできない問題は、発展と改善が世界的な政治ガバナンス
の改善につながっていないことだ。

  『エコノミスト』は、1月19日号で「自由がつまづく時」という記事を掲載し、
アメリカの自由拡大運動のシンクタンク「フリーダム・ハウス」の2007年度報告
をとりあげ、半世紀にわたる自由拡大の流れに逆流現象が生まれていると指摘し
ている。
  この団体は毎年、世界各国を「自由」「部分的に自由」「自由でない」の三つの
カテゴリーに分類してきた。共産主義独裁崩壊後の約20年間でみれば、アジアや
ラテンアメリカ等での軍事独裁の消滅もあって全般的に自由度が高まったが、近
年、逆転現象が生まれているのを憂慮している。
  特に、バングラデシュ、スリランカ、ケニア、レバノンなどで「自由からの後
退」が発生した。旧ソ連邦所属のグルジアとキルギスタンも一度は前進を評価さ
れたが、近年は「退行」とみられている。
  昨年、「前進」とみられたのが、タイとトーゴと二カ国だったのに、七カ国が
「後退」と判断された。イラクにおいてだけではなく、他の地域でも、ブッシュ
のいう「自由のための戦い」は成果をあげていない。
  「自由」なグループに新たに加わった国はなく、計43カ国、世界人口の約36
パーセントの人々が「自由でない」状態に依然としておかれている。このなかに
は、キューバ、リビア、北朝鮮、ミャンマー、ソマリア、スーダン、ウズベキス
タンなどが含まれている。

  フリーダム・ハウスは、自由度を1(最高)から7(最低)までの段階で評価
している。アメリカの密接な友好国イスラエルは、政治的権利では2、市民的自
由では3となっている。また、テロとの戦いで、アメリカの戦略的盟友となって
いるサウジアラビア、パキスタン、エジプトについてはさらに評価が厳しい。
ちなみに、日本は、政治的権利は最上位の1だが、市民的自由は2である。
  今後の世界で圧倒的多数の人々が自由を享受するようになるかどうかは、中国
の動向に大きく左右される。『フォーリン・アフェアズ』誌(2008年1/2月号)は、
巻頭の「ロングタイム・カミング」という、中国の民主化に関する注目すべき論
文を掲げている。筆者のジョン・ソーントンは、アメリカのブルッキング研究所
会長で、北京清華大学教授をも兼任している。

  この中で、問題は「中国が民主化するかどうかではなく、何時どのような形で
民主化されていくか」だとして、中国首脳の最近の民主化方針(中央指導部によ
ると、民主化とは、代表選挙、法による統治と司法の独立、チェック・アンド・
バランスと定式化されている)と、地方末端における競争的選挙の拡大を紹介し
ている。その反面、個人の自由や人権という形では正面から問題がとりあげられ
てはいない。
  未来を世界的にとらえるならば、グローバルな民主主義の確立は、個々の国の
民主化の総和では達成されない。この問題を、国際秩序の再編成として考える、
ノルウェイ人の平和学泰斗、ガルトウンクの理論などが次第に注目されることに
なろう。
              (筆者はソーシアルアジア研究会代表)

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