【自由へのひろば】

エスペラントとは

川良 日郎?(かわら ひろ)


 エスペラントについて紹介する前に、簡単に自己紹介をさせていただきたい。筆者は現在駒澤大学文学部社会学科に所属する学生で、現在4年生である。言語としてのエスペラント歴は4年あまりだが、エスペラントで活動を行っているのはここ1年以内の事である。

 エスペラントがどの程度の知名度があるか分からないため、今回はごく簡単にエスペラントの紹介をして、それから筆者が今年行った小さな活動について書いてみたいと思う。まずエスペラントについて箇条書きに説明する。

◎エスペラントは国際語である。

◎エスペラントは人工の言語である。

◎エスペラントはポーランドの眼医者、ザメンホフが一人で始めた言語である。
 ザメンホフ以前にエスペラントは存在しなかった。

 ザメンホフの意図はこのようなものだった。国の違い、民族の違いによる偏見や争いは、言葉の違いを原因としている。だから互いに通じる言葉、それもなるべく平等な言葉を使おう。

 それで1887年に『第1書』が出た。それ以降エスペラントを広める運動はヨーロッパだけでなく、アメリカ大陸やアジアの国々にも広まっていった。驚くべきことに、この約130年の間、エスペラントは一度も国家・国際機関の積極的支援を受けたことがない。エスペラントを広めようと努力し、またそれを生きた言語として守っているのは一人一人の市民である。

 現在、約100万人のエスペランティスト(エスペラントを喋る人)が世界中にいると言われているが、定かではない。しかし筆者の知る限り、ヨーロッパの全地域およびアメリカ大陸、それにアジアの大部分の国々にエスペランティストがいる。そしてエスペランティストは誰でも、互いにコンタクトする方法を持っている。つまり旅行するとき、なにか現地の情報を知りたいとき、エスペランティストは直に現地の人とつながる手段を持っているといえる(それを使うかどうかは人それぞれだが)。
 また、エスペラントのみが使われた雑誌やインターネットラジオなどがある。毎年世界中で何十ものエスペラントの大会がある。それなりにメディア・イベントは充実しているわけである。こうしたメディア・イベントを通じてエスペランティストが作り出す国際的なコミュニティを通称、エスペラント界という。

 とはいえエスペラント界が何を行っているのかが疑問に思われるだろう。学術書などではエスペラント界をスピーチコミュニティという言葉で説明することが多い。運動の目的が言語そのものなので、内容自体は決めていないのである。そのため、具体的な活動は何かの同好会やクラブ活動などである。もちろん学術機関もあるが、日本社会と同様、大衆的な存在ではない。

 話をエスペラント界から、エスペラントを使うことに移そう。エスペラントは世界中の人々を結びつける。そしてエスペランティストは様々な活動を行っている。しかし、一方で英語が同じことをしているし、英語はもっと大きな舞台を持っている。なのになぜエスペラントを喋る意味があるのだろうか。

 筆者の体験をここで引用したい。筆者がフランス、パリに行ったとき、ホステルでこんなことがあった。フロントに行って英語で質問をした。すると伝わらなかったのか、フロントの男性に怪訝そうな顔で聞き返された。また同じことを言うと、今度は何を言ってるんだという顔で黙られてしまった。こちらの表現が悪かったのか、発音があまりにおかしいのか、しどろもどろになって、必死に伝えようとする。すると向こうもこちらの単語一つ一つを拾ってなんとか理解しようとし始め、最後にはなんとか伝わった。フロントの男性は筆者のことをどう思ったのだろうか。もしかすると英語という国際語を使えない筆者のことを何か怪しい人だと思ったのかもしれない。あるいは怪しい人だとは思わないまでも、英語がちゃんと使えない、つまらない人物だと感じたのかもしれない。とにかくこのとき筆者はフロントの彼と親しく話す機会を失ってしまった。

 比較すると、エスペラントではこのようなことがまるでない。エスペラント界では誰と話すときでもお互いの言葉を分かり合おうという姿勢がある。またエスペラント界で人を評価するときも、言葉の上手さ・下手さよりも、そこでどんな話題を話すかが、重要になっている。どうしてこうした違いが起きるのだろう。
 おそらく英語を使えない人が「英語を使えない外国人」として捉えられるのに対して、エスペラントを使えない人は「エスペラントを使った国際交流をしたいがまだ慣れていない初心者」だからだ。つまり、英語がなるべく言語的完成を前提にして国際交流をするのに対して、エスペラントでは国際交流のなかで言語的完成を共に目指すことができる。この差は意外に大きく、親しい関係になりたいときや、新しい活動を行おうとするとき、相手を説得したいとき、大きく結果を変えてしまう。

 英語と比べると、エスペラントは大きな舞台を持っていない。しかし世界中とのつながりはある。それは小さくて広がりのある活動である。それが英語と比べて価値がある点は、なによりエスペラントによるコミュニケーションが日本人にとっても「気安いもの」でありうるからだろう。

 さて、エスペラントについての紹介はここまでにして、最後に筆者が最近行っていた一つの試みを紹介したいと思う。それは「私たちの戦後70年談話」という名前のキャンペーンである。エスペラントを用いて、第二次世界大戦に関連する一人一人の経験を記事にして共有しようという企画である。日本の歴史や韓国の歴史を一端わきにおいて、歴史について自分たち自身の意見を述べようとするものである。その際、エスペラントは単に国際語として、様々な国の人々が参加できるという意味も持っていたが、それ以外にも意味があった。それは個々の国々が主張する国家の歴史に疑問を投げかけ、国際的な市民の交流を元に歴史を捉え返すことの重要性を訴えるという事である。参考までに、日本エスペラント協会が発行する機関誌『エスペラント』の7月号に載せた呼び掛け文を引用する。

◆「企画「私たちの戦後70年談話」へのお誘い」 /川良日郎

 2015年夏、第二次世界大戦が終結してから70年の節目の日が来ます。この日、世界中の国の人びとが、世界大戦を思い出し気持ちを新たにします。この機会に私たち自身の歴史をエスペランティストとして振り返り、エスペラントでそれを表現してみませんか? 日本の総理によって「日本人の歴史」として語られる70年談話。また韓国の大統領によって「韓国人の歴史」として語られる談話。そしてもちろんそのほかの様々な国の歴史。エスペランティストとして、これをどう思いますか? 私たちは、エスペラントでこうした離れ離れになった言葉をつなぎ合わせることができるのではないでしょうか? それをするために、「私たちの70年談話」を作り始めましょう。それは私たち自身の感覚によって捉とらえられた歴史についての記述であり、歴史家や政治家の記述ではなくて、私たちの身近な人たちの話の延長線上にあります。

 この機会に私たち自身の経験や視点を公にして、もし望むなら議論もしましょう。でも私たちは何らかの結論に到達する必要もないし、政治家のように歴史を断定する必要もありません。私たちの宣言は私たち一人一人の歴史として語られるわけですが、私たちは、エスペラントによってその歴史を共有し、共同で未来を作り上げることができるのです。本企画はネット上で行われます。さらに詳しい情報はこちらまで→ http://nia70akomento.blogspot.jp/
 (日本エスペラント協会, 2015, 『エスペラント Revuo Orienta』, 第83巻7号:28)

 「私たちの戦後70年談話」は結果として、日本人12人、韓国人2人の参加者がいた。それぞれ自分の経験について語り、中には力作を書いてくださった人もいた。何より筆者自身が、過去の戦争についての様々な知識や実感を聞き、非常に勉強になったし、様々な人とつながりを持つことが出来た。それは筆者自身には、とても満足できるものだった。ただ運動としては、試み以上のものにはなれなかったと言わざるを得ない。今後はこの企画をなんらかの形で物にして残していきたいと考えている。

 以上、簡単にだがエスペラントの紹介と「私たちの戦後70年談話」の紹介をしてきた。もしエスペラントとそれにかかわる活動に少しでも興味を持っていただけたら幸いである。

 (筆者は駒澤大学4年在学)


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