■ 【エッセイ】

   1.ゆれる移民の国アメリカ(2)           武田 尚子
     あるウエットバックの冒険
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 実を言うと、私がこの問題に興味をもち始めたのは、中間選挙を秋に控えた
二〇〇六年の国会で、イラク戦争、アメリカ経済とともに移民問題がメデイアを
にぎわしていた日々のことだった。かつて夫のオフィスで数年働いたフランク
が、何年かぶりにわが家を訪ねてきた。彼はエル・サルバドール生まれで、十数
年前には夫のいたビルのランチカウンターで、サンドイッチ作りをやっていた。
夫に引き抜かれ、まずオフィス内の雑用係になる。

 フランクの誠実さ、聡明さは、あらゆる機会に発揮されて重宝された。夫は休
み時間に幾何を教えたりして、彼が将来のために夜学に通うよう励ました。フラ
ンクはその忠告にしたがう一方、文字通り爪に火をともすような節約をして、一
間きりのアパートを買う。次第に不動産に興味をもつようになり、めちゃめちゃ
に破損していた自分のアパートの修理からはじめ、塗装や、水道工事や電気工事
なども夢中で習得した。オフィスはやめ、抵当流れの不動産の投資と修復にかか
りきってほぼ一〇年後のことだった。
 
  初めて見せるりゅうとした背広姿でわが家を訪ねてくれたフランクは、故郷の
町、サンサルバドールからの帰りで、空港からわざわざ足を伸ばしてきたのであ
る。自分がスポンサーになって、五〇〇人を招いた妹の結婚式に出てきたのだ
と、私たちを驚かせる。今では小さくともアパートビルのオーナーになったと語
るフランクは、故郷に錦を飾ったあと、成功に手を貸してもらったと、夫に挨拶
に来てくれたのだ。少しばかり口ひげを蓄え、髪にグレイのまじりはじめた彼
は、初老の紳士といった貫禄もそなえて、三〇年に近いアメリカ生活が与えた変
貌ぶりに私たちの目を見張らせた。

 フランクがもともと非合法移民としてアメリカにきたらしいことは夫も察して
はいた。しかし、すでに大きなビルで働いていた上に社会保障番号もあり、それ
以上は詮索したことがなかった。毎年あったアメリカ政府の恩赦で正式の市民権
を得たのが、オフィスをやめた直後のことだとも始めて知った。その日はわが家
に泊まることになってよほどくつろいだ気分になれたのだろう、ビールに上気し
た顔で、彼はとっておきの話をしてくれた。フランクは正真正銘のウエットバッ
クだったのである。
 
  彼の母国の首都サン.サルバドールからグアテマラをほぼ直線に通り抜け、メ
キシコとの国境に達するまでの道のりは、地図で見る直線距離でもゆうに七-八
〇〇キロはありそうだ。メキシコを縦断して、メキシコ湾岸に近いアメリカとの
国境に着くまでには、さらに少なくとも二〇〇〇キロはある。この道程を彼は、
バスとヒッチハイクと徒歩で、いうにいわれぬ苦労をして旅したらしい。

 最後に乗せてくれた親切なトラックの運転手の行く先である、国境の町のひと
つレイノサにたどり着いたときには、持ち出した金も道中で稼いだわずかな金も
ほとんどなくなり、渡河のプロを見つけて金を払い、リオグランデを安全に渡る
案内をしてもらうという初めの計画はおじゃんになった。金なしに越境する方法
を見つけるために、フランクはしばらくその町でホームレスになり、タコス店の
使い走りや、ガソリンスタンドなどで働いた。その日その日の食べ物は、教会の
スープキチンと、みつけられるかぎりの半端仕事のチップでまにあわせた。

 アメリカに着いてからすぐ仕事を見つけるにしても、あるていどの金はいる。
フランクはようやく三〇ドル余の金ができたとき,町で国境越えを話している四
人のグループに近づいた。メキシコ側の規制がほとんど皆無なので、越境の計画
はおおっぴらに話されることが多く、候補者は難なくみつかるのだ。  
 
  フランクが、自分も北方をめざしているが(アメリカ行きのことはこう表現さ
れる)金はほとんどなくなってしまった。どうか自分もグループに加えてもらえ
ないかというと、みな顔を見合わせた。「だめだ、新米を連れて行くとろくなこ
とにならないからな」と三O代半ばに見える一人が言う。

「それにお前、そんな汚い格好をしていたら、イチコロでつかまっちまうぞ。」
と別の一人。だが、ちょっと間をおいて一番背の高い一人が、「いずれにしろ
俺たちみな一緒に行動するわけじゃない。二組に分れて川を渡るんだ。行きたい
なら後発組の俺たちと来い」といってくれた。小柄なフランクの一九才という若
さに同情してくれたのかもしれない。すぐにサントスとホセに伴われ、シャツと
ズボンを買うと、そのまま、河岸に近い彼の家までいった。

 この町はメキシコ湾の沿岸にちかく、対岸はテキサス州ミケランに近い。
  コロラド南部に源流を持つリオ・グランデは、南下してテキサス州の最西端エ
ルパソから東へ流れ、アメリカとメキシコの国境線を定義しながらメキシコ湾に
注ぎ込む。エルパソから西方への国境線は、リオ・グランデを離れ、バハカリフ
ォルニアのテイフアナを越えたところで太平洋に出会う。   

 ウエットバック、あるいはウエッツと呼ばれるのは、もともと背中をぬらして
この河を泳ぎ渡り、アメリカに不法入国するメキシコ移民をさす言葉だった。現
在では差別語とみなされて公には使われないが、非合法移民一般、とりわけメキ
シコや中南米系の移民をさす。現在、政治的に公正な用語では、'Undocumented
  Workers'とよばれる。「(正規の)書類のない労働者」とでも訳したらよいだ
ろうか。ウエットバックたちはリオ・グランデを渡って、ニューメキシコやテキ
サス入りをするか、エルパソから西に進み、陸路で国境をこえ、アリゾナ、カリ
フォルニアから全米にちらばってゆくのである。

 リオ・グランデ(大河)は、その名を知らぬ人がいないほど有名だ。スペイン人
はもとリオ・ブラボー・デル・ノルテ、つまり「北方の急流」と呼んでいた。「
大河」の名はその川幅よりも、三〇〇〇キロメートルというその長さと、流域地
方でのこの河の重要さや、人々の想像力に訴える力によって生まれたらしい。

 一九三〇年ごろ、この河にまつわる歴史を求めてその流域を騎馬で旅したハー
ヴィ・ファーガソンの『リオ・グランデ』によると、時として流れは旱魃や灌漑
のために水を枯らして白い砂底を見せるが、洪水のときだけは大河らしい雄姿で
川幅を八〇〇メートルにも広げる。そしてその川岸も土砂も流木も、あるいは地
域全体をも、憤怒のうちに海へ運び去ろうとする赤い激流に変る。人間に対して
も荒々しい河であり、河口のほかは船も通れない。橋もかけにくい。浅いところ
でも徒歩では渡りにくく、しばしば流砂が、ワゴンも人も馬も羊も、瞬時にのみ
こんで溺れさせてしまう。

 この流域には、古くからのインデアンの部落がいくつもあり、その多くはアド
ビーレンガ作りの家屋を持つプエブロインデアンだった。彼らはしばしば、部落
よりも数マイルも離れたところに、旱魃にも耐えるとうもろこしなどを植える
が、木を切って土地を開くということはたえてしない。土地がやせれば、もっと
肥沃な平地へと部落ごとに移動するだけで、環境にはまったく変化がない。イン
デアンを未開の野蛮人としか思っていなかったファガーソンは、彼らの牧歌的な
暮らしぶりに強く心を動かされた。

 「朝になると小鳥の声で目を覚ました。ブラックバードやひばりなど何百もの
小鳥がいっせいに歌い始めるのだ。すると、インデアンたちが太陽に向って挨拶
をしはじめる。彼らの声の豊かなひびきは、半マイルも風に乗って流れ、小鳥た
ちのコーラスに深く唱和した...このインデアンたちは、夏場は精出して働く
が、冬には、蓄えた十分な食糧を消費しながら、古老の昔話を聞き、工芸品を作
り、歌を歌い、祈祷と娯楽のためのダンスに興じる。狩猟専門の部族にとっては
窮乏の時期であるが、プエブロインデアンには余暇をたのしむ充実した季節なの
である」と。

 この周辺には古くからの神話や伝説がいろいろと残っている。中でも黄金にあ
ふれる七つの都市がこの流域のどこかに存在するという話は、メキシコを征服し
たスペイン人の冒険心を大いにかきたてた。一七世紀以後に何度か組まれた探検
旅行の記録によると、黄金への欲望と、クリスチャンとしての宗教的な熱情が、
インデアンの霊魂の救済という大義のもとに彼らを数々の冒険に向わせることに
なった。その大義を信じていたために、彼らは自らの命の危険を顧みなかった
し、残酷な殺戮もやってのけた。

 「神の加護によって」悔い改めさせ,改宗させることのできたインデアン部落
を何ヶ月か後に訪ねると、キリスト教を受け入れたはずのインデアンが、スペイ
ン人が去るやいなや十字架をひきおろし、昔どおりの偶像神を祭っているのを発
見するのが常であったとはいえ。 いずれにしても、カソリックの僧侶を伴った
いくつかの冒険旅行は、数々の逸話を残しながらもほとんど成功せず、探検者の
多くは横死している。

 フランクの話に戻ろう。サントス、ホセ、フランクの三人は、日が暮れてから
出発し、河を渡った後、夜の間にできるだけテキサス内を北に進む。国境パトロ
ールの手薄になるハイウエイまでは連れて行ってやるから、後は自分の才覚で好
きなところに行け、とサントスは言った。何度夢に見たかわからないリオグラン
デを、いよいよ泳いで渡るのだ、とフランクは興奮した。

 国境に近いサントスの質素な家には、彼の高齢の父母がいた。夕食に出された
トーテイアのスープとチキンは、サンサルバドールの家を出てからの放浪ではじ
めて知る暖かさで、彼を感激させる。サントスの父母がかわるがわる十字を切っ
て、旅路の平安を祈ってくれたとき、フランクは涙をとめることができなかった。

 サントスの家のあるレイノサはメキシコ湾に近い。川幅はここでは四〇メート
ルていどであり、急所を心得ていれば、ほとんどの部分を大人が歩いて渡れると
いう。サントスは水に入る前に、服はプラスチックの袋に入れて運べ、歩くとき
ピチャピチャ音をたてるな、泳ぐとパトロールに見つかりやすいから、初めと終
わりの深いところのほかは泳ぐなと、眉を寄せてフランクに警告した。

 フランクは、二人のベテランのあとにつづいたが、たちまち斜めに大きく流さ
れて、かなり離れてしまう。不安が嵩じたとき、静かにサントスが戻ってきて、
何メートルかフランクの手を引いて歩きやすいところを教える。対岸近くになる
と、ここからは泳げといって離れ、先に川岸へあがった。
  フランクがやっと崖をよじ登り、二人を追って土手に続く道路の向側の草むら
に身を投げようとすると、"伏せろ"というサントスの声がきこえる。二人に伍し
て伏せ、土手沿いの道路を走ってくる車をやり過ごしてほっとしたとき、サント
スが言った。「どうだ、ここはアメリカだ。お前はアメリカにいるんだぞ」。

 フランクはくらくらとめまいを感じた。現実感がなかった。星空も、草むらも、
その向こうの道路も、メキシコで後にしてきたばかりの風景と違いはないよう
に思えたのである。しかし、じわじわと心の中に達成感が広がってゆく。躍り上
がって、「やったぞ!」と叫びたかった。

 その夜は闇を利用して数時間を歩き、草むらに寝た。国境パトロールの出てこ
ないうちにできるだけ距離を稼ぐのだと未明に起こされ、三人は前の者を見失わ
ない距離で離ればなれに歩くこと、万一パトロールにつかまってきかれたら、互
いは何の関係もないといえと告げられる。サントスは三人の中間にフランクをお
いてくれた。

 フランクはけっきょく、彼だけがパトロールにつかまり、拘留センターで何日
かをすごしたという。同房の仲間には逮捕の経験者が多く、若いフランクにさま
ざまな忠告をしてくれる。尋問のときエルサルバドール人だといえば、お前の国
まで送り返されるぞ。それがいやならメキシコ人だといえ。俺の土地の歌を教え
てやるからそれを覚えろ。今の大統領の名も覚えろ。メキシコの旗をちゃんと見
分けろ、メキシコの旗には星がないのだぞ。などなど。

 メキシコ人であると最初から認められ、しかも初回の逮捕であれば、拘留セン
ターゆきにはならず、すぐにメキシコまでバスで送還されるのがふつうなのだと
いう。フランクはその後仲間の忠告に従った結果、実際にメキシコ中部のサン・
ルイ・ ポトシまで送られた。このくだりを話すフランクは、親切だった仲間
や、不安にみちた時間を思い出すのかしばらく黙したあと、尋問のためにおぼえ
た民謡を歌ってくれさえした。

 アメリカは不法入国者をふつうの意味での犯罪者とはみなさない。たとえ国境
パトロールに捕まって拘留センターにいれられても、二回までは本国送還以上の
罰はない。三回目に捕まると、裁判を受けることになり、判決しだいで刑務所に
入れられるきまりだ。しかしこの場合でさえ、刑期をおえれば罰則は本国送還だ
けだ、少なくとも自分が捕った七〇年代はそうだったとフランクはいう。たとえ
刑務所にいれられても、ウエットバックはふつうの囚人よりお手柔らかに扱わ
れ、食事さえも彼らのよりは上等だときいたと、彼は続ける。

 国境パトロールは、逃げてゆく移民を威嚇はしても、正当防衛以外に実際に射
撃することは許されていない。拘留センターには、農場で働いたのに約束の賃金
を支払ってもらえぬまま、センターに送られてきたウエットバックが一人ならず
いた。抗議すると、支払いを避けようとする雇い主が警察に知らせたために逮捕
されたのである。センターではその雇い主の名を聞き取ると、できるかぎり呼び
出して彼らと対面させ、賃金を支払わせる。できないときは後日に徴収して、メ
キシコの住所に送ってくれることさえあるという。フランクのアメリカへの熱い
思いが、ますます燃え上がるのはむりもなかった。

 フランクはこうして一度は失敗したが、二度目の、サン ルイ ポトシ発の北
方行で、アメリカへの密入国を果たした。しばらく農場の手伝いをしたが、それ
に見切りをつけて産業の盛んな北東部にやってきたのが、彼の成功の元になっ
た。彼は母国では不可能な機会をあたえてくれたアメリカに深く感謝し、アメリ
カ市民であることに大きな誇りをいだいている。
     
   第二章は、エル・サルバドールの少年の母恋いの旅と、コヨーテによるメキ
シコからのグループ移民の、アメリカ密入国の顛末をおつたえする。

     (筆者は米国・ニュージャーシー州在住・翻訳家)

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