【オルタの視点】

「もう一つのイスラーム・インドネシア:AEC発足を控えて」

中村 光男


◆◆ <「大国インドネシア」>

 1998年のスハルト体制崩壊から17年が経過した。改革初期の混乱を経て、2004年、大統領直接選挙によって、ユドヨノ政権が誕生して以来、インドネシアは、民主化と開発路線を通して、「安定と成長」の道を着実に進んで来ている。近年、インドネシアは、現代世界における「第4の民主主義大国」、「2030年まで人口ボーナス(生産人口の持続的増加)を享受する経済大国」、「中間層が激増しつつある消費大国」、「世界最大のムスリム人口国」、「インド洋、南シナ海、太平洋の要に位置する地政学的要衝国」、さらに「ASEANの中核・先導国」などとして、国際的プレゼンスを高めている。日本にとって、インドネシアは、最大の援助受け取り国、最大の投資・貿易相手国の一つであり、アジアにおける最も緊密な友好国・親日国として、その重要性を高めている。

◆◆ <インドネシアのイスラーム>

 このたび、『オルタ』編集部から、年末の「アセアン経済共同体=AEC」発足を巡るインドネシアの動向に関して、私の見解を述べよという依頼を受けた。しかし、私は文化人類学者であり、インドネシアの経済、ましてやアセアン経済の統合に関しては、全くの素人である。私の専門は、東南アジアのイスラーム社会、とくにインドネシアのイスラーム社会運動の研究であり、1970年以来、現地調査に従事して来た。今年(2015年)は、7月から8月にかけて、二つのイスラーム組織の全国大会に招待されて、オブザーバーとして参加した。

 二つの組織とは、NU=ナフダトウルウラマー(Nahdlatul Ulama =「ウラマーの覚醒」)とムハマデイヤー(Muhammmadiyah =「ムハンマドに従う者」)である。前者は、1926年に結成されたインドネシア最大のイスラーム組織で、主として、農村部に存在するプサントレン=イスラーム寄宿塾(2万カ所以上、塾生300万人余)を基盤としており、スンニ派シャフィイ法学派の伝統的教義を順守するウラマー=宗教指導者の組織として、全国でほぼ4千万人の会員・支持者を有していると言われる。後者は、ウラマーの伝統的権威への盲従を排し、理性によるイスラーム教義の自主的理解を推し進める近代主義・改革主義の運動組織で1912年に発足した。主として都市部に広範な近代的学校網、病院/診療所などの社会福祉施設を設立し、運営している。その会員・支持者はおよそ3千万人で、インドネシア第二のイスラーム組織と言われている。

◆◆ <NUとムハマデイヤー>

 この二つの組織が、インドネシアのイスラームの主流となっており、宗教を始め、政治、経済、社会、教育、文化などの分野で、大きな影響力を持っている。中東における「アラブの春」の挫折と引き続く混乱、イラクとシリアにおける内戦の激化、「イスラーム国」の台頭とグローバルなテロリズムの頻発という新たな国際情勢の展開の中で、インドネシアのイスラームは、明らかに独自のカラーと路線を提示している。とくに、NUとムハマデイヤーは国内的には宗教的多元主義の容認、宗教・宗派間の寛容と相互理解、テロリズム・武闘の拒否を明確にしている。インドネシアのイスラームは、中東・アラブ世界のそれとは異なった「もう一つのイスラーム」である。

 以下、AECの発足という新たな展望に、インドネシアのイスラームがどのように対応しようとしているかという点を含めて、その特性を考察したい。まずは、インドネシアにおける国家、社会・個人、宗教の間の関係について概観しておこう。

◆◆ <国家と宗教>

 2014年現在、インドネシア総人口2億5千万人の88%の人々が、ムスリム=イスラーム教徒と登録しており、その旨が各個人の住民カードに記されている。憲法は宗教・信教の自由を保障しているが、無宗教・無信仰の自由はない。個々人は、宗教省によって公認されている6宗教(イスラーム、プロテスタント、カトリック、仏教、ヒンズー教、儒教)のいずれかを選ばなければならない。このように、インドネシアは、ムスリムが国民の大多数であるにも拘わらず、イスラームを国教とはせず、宗教省を通して6宗教の実践を保障する一種の「宗教国家」とされている。この特性は、国家五原則=パンチャシラの第一原則に「唯一最高神信仰」が謳われていることに由来する。各宗教の礼拝所(モスク、教会、寺院など)の建設・維持、公私学校における宗教教育、ムスリム家族法の施行、イスラーム法廷の運営に、国家の予算が用いられている。公共的空間における宗教、とくに、イスラームの遍在は、現代インドネシア社会の顕著な特徴の一つとなっている。

◆◆ <「パンチャシラ」とイスラーム>

 歴史的には、20世紀初頭、オランダ植民地支配に対抗して、独立を求める民族主義運動が展開される中で、先述のNUやムハマデイヤーなど、大衆的基盤を持ったイスラーム社会運動が台頭し、イスラーム政党も結成された。しかし、これら全ては、オランダ当局の弾圧と厳しい規制下に置かれた。日本占領期においては、軍政当局は、イスラーム勢力の「東亜解放の聖戦」への協力工作を積極的に推し進め、ムスリム青年を主体にした義勇軍(「ペタ」)、民兵組織(「ヒツブラー」!)が大規模に結成され、戦闘訓練がほどこされた。これらのムスリム軍事組織は、正規軍と並んで対英対蘭の独立闘争・ゲリラ戦の一角を担い、さらに独立達成後には、イスラーム政治勢力の基盤となった。

 日本敗戦直後の独立宣言、共和国憲法制定の時点で、イスラーム指導者達は、「イスラームの国教化=ムスリムのイスラーム法順守義務」の規定を憲法にいれるよう要求したが、スカルノ・ハッタら民族主義運動の主流や、キリスト教代表らの反対に直面し、妥協して、先述のパンチャシラの表現=「唯一最高神信仰の原則」を受け入れた。

 1957年の憲法制定議会において、イスラーム諸政党は「イスラームの国教化」を再び提案したが、否決された。1984年、スハルト政権は、イスラームの政治化を阻止するため、「パンチャシラ唯一原則」の受け入れを法制化して、全政党・社会組織に強制した。1998年のスハルト政権崩壊後、政治活動の全面的自由化に伴って、公然とイスラームを党是とする政党が幾つか結成されたが、「パンチャシラ」の宗教的多元主義を国家原理とする国民的コンセンサスは、国会で再確認され、現在も依然として維持されている。NU、ムハマデイヤーも、共に、「パンチャシラ」を「国民統合の最終的枠組み」として受け入れている。

◆◆ <イスラームの主流化>

 1980年代後半からは、上からの政治の「脱イスラーム化」と対照的に、社会・個人生活のレベルにおける「イスラーム復興」の動向が明確になって来た。この背景には、スハルト政権による反共宗教教育の普及、経済開発に伴う高学歴の中間層の台頭、所得の増大に伴うメッカ巡礼者の増加、イラン革命後の「イスラーム復興」の世界的潮流などの客観的条件の変化がある。

 このような状況の中で、在野のイスラーム指導者たちは、「文化的・非政治的アプローチ」を活性化させた。この傾向は、シカゴ大学で博士号を得たヌルホリス・マジッドが提唱した「イスラーム=イェス、イスラーム政党、ノー!」のスローガンに表されている。個々人のイスラーム意識の覚醒、社会生活での「イスラームの主流化」の動きである。スハルトはこの動向を利用して、政権の維持強化を図り、腹心のハビビ博士に命じて、「ムスリム知識人協会」を結成せしめた。他方、NUやムハマデイヤーなど、イスラーム組織は、これを好機として、草の根レベルにおける布教、教育、慈善、社会福祉の活動を一層、活発化させ、ムスリム市民社会の基盤が強化された。(この時期から、ムスリム女性のヴェール着用が目立ってきた。)

 1970年代末期から1980年代初頭にかけて、スハルト大統領の開発独裁を批判する学生運動が盛り上がったが、体制側は、これに対して大学キャンパスの非政治化・全国学生組織の学内活動を禁止した。これに対して、学生活動家たちはキャンパス・モスクを拠点とする自発的宗教啓発運動=タルビヤ(tarbiya =教育)運動にエネルギーを方向転換し、スハルト体制末期には、全国の大学に、その地下ネットワークが結成されていた(後の「福祉正義党」の基盤)。

 これらの動き全てが、1997-98年の経済危機を引き金とした全面的政治危機において、スハルト政権打倒=「改革=レフォルマシ」の大衆運動へと結集し、爆発した。この局面におけるNUとムハマデイヤーの役割は、1999年の総選挙を経て、アブドウルラフマン・ワヒッド(通称グス・ドウル)NU総裁(民族覚醒党)が、ハビビ博士に代わって、第4代の共和国大統領に国権の最高機関=国民協議会で選出され、さらにムハマデイヤー会長のアミン・ライス博士(国民信託党)が、この国民協議会の議長に選出された事実に、如実に示されていた。

◆◆ <「安定と成長へ」>

 改革闘争期の激動=デモと弾圧、暴動・放火・略奪、民族・宗教間の紛争と流血、中央政権からの離脱と独立への動きなどは、2004年、初めての直接選挙による軍人政治家ユドヨノ大統領の選出、NU系のユースフ・カラ副大統領によるマルク・アチェ紛争の解決によって、ようやく最終的に収まり、その後、2004-2014年、2期連続のユドヨノ政権下、インドネシアは持続的に「安定と成長」の軌道に乗った。

 2014年の次期大統領選挙は、庶民派ジョコウイ対強権プラボウオという新旧勢力の一騎打ちとなり、前者の辛勝で終わった。都市中間下層の無党派青年層と主婦層が、選挙キャンペーンの終盤になって、「勝手連」的ジョコウイ支持の運動を展開し、人気あるポップ歌手などがこれに加わり、そのイメージとメッセージが、ソーシャルメデイアを通して、広く拡散されたことが、勝利のマージンを作り出したと伝えられている。

◆◆ <ジョコウイ政権の課題>

 新政権発足から1年余りが経った。この間、地方の企業家出身で政党基盤の弱いジョコウイ大統領は、中央の政治エリート間の対立や取引に悩まされてきた。与党党首のメガワテイ元大統領を中心とした「改革の行き過ぎの是正」を図る勢力との対立——すなわち、警察長官人事におけるネポチズム、汚職撲滅委員会の人事への介入と法改正の動き、地方選挙の直接選挙制取りやめの動きなどが、様々な領域で発生した。しかし、今のところ、ジョコウイ大統領は、これらの逆コースの動きに対する、一定の歯止めに成功しているように見受けられる。

 新政権の基本路線としては、AECの発足を見据えて、ジャワ島外の大規模なインフラ整備、すなわち、陸上交通・航空・海運システムの整備によるインドネシア国内のみならずアセアン規模とのコネクティビティの形成、鉱産物・農産物加工業、製造業、知的産業、観光業の振興など、「フルセット開発主義」改訂版の路線が、漸次、実行に移されている。これらの施策は、今後、確実に国内消費の活況を持続させるであろう。たしかに、ユドヨノ時代よりも経済成長のペースは落ちているが、2025年に向けて、「世界の10大経済大国」に入るという前政権から引き継いだ国家戦略目標は、達成可能と思われる。

 それでは、このような展望の中で、NUやムハマデイヤーなど、イスラーム市民社会組織は、どのような位置を占め、どのような路線で、どのような役割を果たしているのか、また果たしていくのであろうか? 以下、これらの問いに対する答えを、この二大組織の動向の検討を通して探ってみよう。

◆◆ <「NU=ヌサンタラのイスラーム」>

 私が参加した二つの全国大会は、それぞれ明確な特徴を持っていた。NU全国大会はスローガンに、「インドネシアと世界文明のためにヌサンタラのイスラームを確立しよう」を掲げた。「ヌサンタラ(Nusantara)」は古代ジャワ語起源の言葉で、「群島・諸島」を意味し、歴史的には、広く東南アジアの群島部全体(インドネシアとマレー半島、フィリピン諸島を含む)を指していたが、現在では、とくにインドネシア共和国領域の別称・美名として用いられるようになってきている。

 NUは、東南アジア群島部のイスラーム化過程において決定的転回点となった16世紀におけるジャワ社会のイスラーム受容を、自らの伝統の起点としている(「ジャワ9聖人」が元祖)。「イスラーム・ヌサンタラ」、すなわち「群島部のイスラーム」という表現は、NUが受け継いできた伝統的イスラームの教義と実践の総体を示している。その内容は、地方独自の文化と慣習の尊重、布教における漸進主義、他宗教・宗派との共存、中道・穏健な法判断、慣習化した信仰形態の容認(先祖の墓参、聖者崇拝、唱名など神秘主義儀礼、地方色の濃い通過儀礼、スラマタンなど共食儀礼の実践)を特徴としている。

 とくに、NU組織の発足(1926年)が、20世紀初頭、サウジ王家の勃興による中東アラブのイスラームの「厳格化・純粋化」に対する反発を契機にしていた歴史的背景に見られるように、NUはイスラームのアラブ世界による独占に対して、当初より距離を置き、アラブ文化=イスラームの同一視に対して、「ヌサンタラのイスラーム」の対等な独自性の主張をバネとして活動してきた。インドネシアのイスラームを「亜流」や「田舎イスラーム」と見下すアラブ、とくにサウジ・アラビアの宗教指導者に対する対抗意識が、NUによる伝統的な地域文明としての「ヌサンタラのイスラーム」強調の背景にある。

 さらに、1970年代来の石油ブーム以降、インドネシアからの大量の出稼ぎ労働者がサウジ・アラビアをはじめ湾岸諸国に殺到した。その中で、とくに家事労働に雇用されたジャワ農村出身の若い女性たちは、しばしば、アラブ人の雇用主に非人間的な扱いを受け、強姦、自殺などの事件が頻発した。その悲惨さは、マスメディアと口伝えで、広くインドネシア農村部にまで知られるようになった。これが、庶民レベルでの反アラブ感情の増幅をもたらし、NUの「ヌサンタラのイスラーム」路線を支える一因となっている。

 他方、スハルト体制崩壊後の混乱の中で、ムハンマドの子孫を自称するアラブ系住民(「ハビブ」)の一部が軍エリートの一部のサポートを得て、「イスラーム擁護戦線 (FPI = Front Pembela Islam)」を結成して、対異教徒の「聖戦」を暴力的に展開してきた動きに対しても、NUは一貫して批判的であり、パンチャシラの宗教的文化的多元主義、宗教間の平和共存を擁護してきた。NU総裁のグス・ドウルは、「全能の神=アッラーは、擁護など必要としない。擁護されるべきは不正に苦しむ人々である」と言い放った。彼はインドネシアにおける華僑・華人の復権、中華文化・儒教の復活にも貢献した。組織的には、2000年代初頭、クリスマスにおけるキリスト教会襲撃事件の頻発以降、NUの青年行動隊であるバンセル(Banser)は、毎年、クリスマスには、インドネシア各地で、キリスト教会の警備に当たってきている。

 2015年のNU全国大会は、「ヌサンタラのイスラーム」を、改めて、NUのアイデンティティーとして強調し、「イスラーム・ヌサンタラ」の強化を通したインドネシア及び世界文明へ貢献することを、組織全体の運動目標として打ち出した。この過程では、「アラブの春」の挫折、イラク・シリアにおける「イスラーム国」の台頭など、中東世界の混乱と決別する姿勢が、明確に意識されていた。AECの結成による東南アジアの一体化の展望に対しては、NU=「ヌサンタラのイスラーム」路線の国際化で対応しようとしており、海外におけるNU支部の結成・強化、NU主催の「国際イスラーム学者(ウラマー)会議(ICIS= International Conference of Islamic Scholars)」の持続的開催の必要性などが強調された。

◆◆ <「ムハマデイヤー:進歩的イスラーム」>

 ムハマデイヤーは、2015年の全国大会において、NUと同様に、自己のアイデンティティーを再確認するスローガンを掲げた。すなわち、「進歩的インドネシアを目指す啓発運動」である。前世紀のはじめ(1912年)、ムハマデイヤーは、伝統主義のウラマー依存に対抗して、理性によるイスラーム原典の自主的理解と「相互扶助」など、イスラームの社会的倫理の自発的実践を主張して結成された。今大会は、この原点に立ち帰り、インドネシアの進歩=開発と民主化の深化への貢献を目指すという方向性を再確認した。

 具体的な社会的実践としては、幼稚園から大学までの膨大な学校網(172の大学専門学校、全部で1万箇所以上の幼児・初中等教育施設など)を通した人材育成、病院・産院・診療所(450箇所余り)、孤児院・老人ホーム・障害者施設(総計役500箇所)の設立と拡充など、教育と社会福祉の増進に、引き続き従事している。これらの施設はすべてムハマデイヤー会員と支持者のワカフ(「永代寄進」)で建設・運営されており、ムハマデイヤーは全国一の不動産所有(登記土地の総面積は2千万平方メートル)の法人格となっている。貧困対策、すなわち奨学金、教育里親、無料診療、小口金融など、草の根福祉活動の分野では、ムハマデイヤーの女性組織=アイーシヤーの活動が著しい。

 国際的には、「世界平和フォーラム(WPF= World Peace Forum)」の開催を通した宗教間・文明間対話と相互理解の促進、タイ・フィリピンなどムスリムと中央政府の紛争に対する非公式の仲介、ミャンマーの仏教徒・ムスリム対立の緩和のため、インドネシア仏教徒と協力した仲介の努力、海外における自然災害への救援など、きわめて活発に、「進歩的・開明的イスラーム」の路線で活動している。ムハマデイヤー前会長のデイン・シャムスデイン博士(南カリフォルニア大学 Ph.D.)は、今回のCOP21に先立って、ローマ法王とともに、国際的な宗教者の地球温暖化対策会議を主催し、世界的なNGOの動きに加わった。

 AECの発足、中国の政治的経済的勢力拡大など、東アジア/東南アジアの地政学的変化の展望に関しては、今回の全国大会の中でも、活発に討議された。幾つかの重要な決定の中で、注目すべきは、「進歩的・開明的路線」の具体化として、AECの発足によるASEAN諸国間の競争の激化を予期しながら、経済的主権の確立、生産性の向上、競争力の強化、知的産業の開発、所得格差の是正、貧困克服、社会保障・健康保険制度の確立などの政策を、政府に期待し、積極的提言を行っていることである。

 中でも特筆すべきは、憲法33条に基づく自然資源の公正な国民的管理の原則の貫徹として、現行の鉱物、石油・地下ガス、水源、森林などに関する法律とその運用制度の批判的点検を、憲法裁判所に提訴して、すでに幾つかの違憲判決を得ている事実である。また、自然・都市環境の保全、地球温暖化対策に関しても、自主的な改善運動を展開しながら、政府への働きかけ、さらに、先述のような国際的な宗教関係の市民社会組織(Faith-based CSOs)との連携を進めている。

◆◆ <「もう一つのイスラーム=真のイスラーム」>

 今年11月、日本は、インドネシアのイスラームの代表的指導者二人の訪問を得た。笹川平和財団の招待で、前記のデイン・シャムスデイン博士(現インドネシアウラマー評議会諮問委員会議長)が来日、11月4日に同財団で公開講演会を行った。席上、デイン博士は「一人の無実の人間を殺すことは、全人類を殺すことに等しい犯罪である」という預言者ムハンマドの言明を引用し、「イスラーム国」の蛮行を、イスラーム教義の立場から否定した。国際交流基金の招待で来日したイェニー・ワヒッド女史(グス・ドウルの次女、ハーヴァード大学ケネディースクールMA、ワヒッド研究所理事長)は、11月18日の日本インドネシア協会との共催の講演会で、「多元的平和的イスラーム」を推進する同研究所の活動を紹介し、インドネシアの「Angry Islam ではなく、Friendly Islam」こそが、イスラームの真の姿であることを強調した。

 両氏ともに、日本人が「イスラーム国」の発する歪んだイスラーム像に惑わされることなく、「もう一つのイスラーム、真のイスラーム」を享受しているインドネシアのイスラームを通して、イスラーム世界との相互理解/相互協力を深めてほしいと訴えた。そして、世界、とくに東アジアの平和と繁栄のためには、政府/経済界ばかりでなく、民間・市民社会レベルでの日本・インドシア両国民の交流と協力を一層増進する必要を訴えた。

◆参考文献◆
 最近のインドネシアの経済、政治、社会、宗教の動向に関しては、以下の著作が参考になる。

1.佐藤百合著『経済大国インドネシア:21世紀の成長条件』中公新書、2011年。
2.茂木正明著『インドネシアが選ばれるには理由がある』日刊工業新聞社、2012年。
3.本名純著『民主化のパラドックス:インドネシアにみるアジア政治の深層』岩波書店、2013年。
4.見市建著『新興大国インドネシアの宗教市場と政治』NTT出版、2014年。
5.野中葉著『インドネシアのムスリムファッション』福村出版、2015年。
              (筆者は千葉大学名誉教授)


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