【オルタの視点】

むのたけじにとって中国は特別な国だった
― むのたけじさんとの長い旅(6)

河邑 厚徳


 この号が出た直後には、映画『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』の、全国の映画館での上映が始まる。6月3日(土曜日)より東京では恵比寿の写真美術館ホールとヒューマントラストシネマ有楽町。全国での上映が予定されている。昨年世を去ったむのたけじさんが帰ってくる。スクリーンの中で生きて語りかけてくれる。

 医師で作家の鎌田實さん「健康で長生きをし、日本をよい国にするヒントがいっぱい。良く笑うこと。自由に生きること。言うべき言葉をいいタイミングで語ること。この映画すごい!」。解剖学者の養老孟司さん「若い人は歳をとるのが怖くなくなるでしょうし、年寄りは元気が出ますねえ。人の一生をあらためて考える時代になったんだと思います。貴重な記録でもありますね」など、多くの方に映画をみてもらいコメントをいただいた。

 さて映画では紹介できなかったむのたけじのこだわりを今回は紹介したい。むのは外国語学校に入学し、スペイン語科で学んだ。若きむのは、日本が外交関係を結び一番多く大使館・領事館がある国はスペイン語圏で、南米、フィリピン、ヨーロッパも、イタリア語、ポルトガル語とも親近感がある。世界で一番使われているのがスペイン語だからこの言葉を学ぼうと考えた。しかし、次第に自分が最も惹かれている外国は中国だと分かった。朝日新聞に務めながら、会社の了解を得て中国語の夜学に通った。中国への関心は毛沢東に惹かれたこと、一番好きな作家が魯迅だったという。

 「むのさんの中国への思いの核が魯迅だと聞きました。なぜ魯迅に惹かれたのですか? 魯迅は中国の留学生として東北仙台で医学を学んでいましたね。仙台時代に魯迅は文学者として立ちたいと決意しています。むのさんの原点として東北がいつもありますが、魯迅への近親感もその辺に少しはあるのでしょうか」

 「代表作は『阿Q正伝』ですね。民衆の愚かさ、賢さをもった普通の人間ですが、その人間を小説のなかでいろいろな動きをさせるわけですね。たとえば、非常に馬鹿げた、自分より弱い者に会うと、かさに着て侮辱を与える。女性が帰ってくると、スケベな言葉で言う。そういう人間を扱いながら、魯迅は阿Qという人間を侮辱して捨てるのではなく、こういう人間にもまともになる可能性があると、耕すような目で描いている。そういう文学作品だと思った。それで、この人は違うなと。それで心を引かれて読むようになった。
 最も惹かれたのは、論語を真っ正面から敵視したことだな。孔子を真っ正面からたたいたのが彼で、私も本当にそうだと思ったの。中学校で漢文を習いながら、この人はおかしいぞと。『中庸』でしょ? 左の端にも右の端にも行くな。真ん中で行くのがいい道徳だと。ところが私は貧乏人の子で、権力支配を受けてきて、それはとんでもないと思っていた。貧乏人が問題をつきつめて考えて、右か左か突き詰めて勝負してこそ、世の中を変えられる。真ん中でプラプラやっているのはごまかしだと思ってね。だから私は孔子の論語はごまかしだと思っている。その証拠に、あの子孫がいま79代目かな? あそこだけが皇帝が使う雲の幕の寝具を使っている。そこを真っ向から戦いを挑んだのは魯迅さん。そこに私は惹かれたの。
 だから上海に行くと、魯迅さんが亡くなった魯迅故居、魯迅が昔住んだ家が残っていて、中国人は殆どいかないけど、日本人の文化人はそこにいく。我々も訪ねたら、同じベットじゃないけど、似たようなのに、魯迅さんはここで亡くなりましたと書いてあって、手を触れないで下さいと監視人がいった。私は触れるなというのは分かるんだけど、この人が好きなものだから、どうしても手で触れてその感情を日本に持って帰りたいから、勝手に触れますがごめんしてねと言って、それから手でベットの四隅をあせが出るほど触れました。好きなのです。貧乏人のどん底にまで目を通した文学です。

 「日本人は論語が大好きだし、人間としても、社会規範としても論語を尊重しているように思いますが・・」

 「日本の権力階級が民衆を支配するのに使われていますね。だから学校の教科書でずっと使われているでしょ? 徳川時代から。権力、民衆を支配する権力にとって、これほど都合のいい味方はいないわけだ。私はそう思っている。中庸の考え方。なんでも中途半端。で、私は、生きようとするならとことんやれと。仕事をやるならとことんやれと。中途半端はやめろと言っているわけです。それは一致しているわけです。やらないなら指一本動かすな。やるなら死にものぐるい、命がけ。私は命がけ、死にものぐるいって好きなんですよ」

 魯迅の没年は1936年。むのが報知新聞に入社した年である。日中戦争がはじまる前年なので、魯迅は日本との戦争は知らない。魯迅は小説、翻訳、思想など多様なジャンルで筆をふるった中国現代文学の第一人者であるが、興味深いことにたくさんの名言(警句)を残している。そこでも、むのは魯迅の影響を強く受けている。詞集『たいまつ』は、週間新聞「たいまつ」の巻頭を飾っていた、むのたけじ語録である。魯迅という文豪から励まされ、今の人に希望を与えたいと願ったむのたけじ。二人の作家は共鳴し響き合っていた。

 「絶望は虚妄だ、希望がそうであるように(魯迅)」
 「希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ(魯迅)」
 「墨で書かれた虚言は、血で書かれた事実を隠すことはできない(魯迅)」
 「天才なんかあるものか。僕は他人がコーヒーを飲んでいる時間に仕事をしただけだ(魯迅) 」
 「うしろをふり向く必要はない。あなたの前には、いくらでも道があるのだから(魯迅)」
 「決心する限り、奮闘する限り、必ず成功する(魯迅)」
 「人々が寂寥を感じたとき、創作がうまれる。空漠を感じては創作はうまれない。愛するものがもう何もないからだ。所詮、創作は愛にもとづく(魯迅)」

 以下はむのたけじの言葉である。むのは「たいまつ新聞」に巻頭に短い警句を連載していたが、その中から選んでみた。

 「山にはいくつも登り口がある。どの口を選ぶかは問題ではない。問題は二つ。方角を誤らないこと、最後まで登ることである。そうすれば、みんなが頂上で握手する」
 「へたばったら、へたばればいいのだ。へたばりきるのだ。10回失敗して、11回立ち上るのなら、事はすでに成就している」
 「イネは夜に育つ、誰にも見られていないときに。自分ひとりのときにするかしないかで成長するかしないかが決まる」
 「賢い人は上り始めるとブレーキをかける」
 「脱皮しない蛇は死ぬ。脱皮しない人間は他人を死なせる」

 「たいまつは何にも依存しない。自分で自分を燃やす。自分で燃えながらどこでも照らす。照らしながら周りを温める。だれでもたいまつをつくることができる」

 魯迅の警句についてむのさんはこう考えている。

 「私も魯迅の残した言葉の影響は受けているかもしれないね。本当に会いたかった人だなー。それで思い出すけど、岩波書店は魯迅全集を出すんですが、私は魯迅とつながりがないんだけど、魯迅が好きだと言うことで質問があったんです。『魯迅の全集を出す所なんですけど、何冊売れるか見通しが立たないので、むのさんの意見を聞きたい。何冊売れるでしょう』と。で、私は即座に2万部は売れるでしょうと言った。実際本が出たら、2万セット売れた。なぜ当たったのかと聞かれたので言ったのは、知識人や文化人と呼ばれる人間が日本には2万人はいると思う。そういう人は自分が尊敬し心惹かれるから本を買うのではなく、日本の文化・社会を考えるのに、これを抜かしてはならないと思って本を買う。それが2万人はいるといってぴったり当たった」

 晩年暮らした埼玉のマンションの、寝起きする部屋の目の前に魯迅の肖像を置いているのは、魯迅が特別な存在だという証拠だ。むのが、本当に尊敬している魯迅に関しての質問を続けた。

 「やっぱり好きというのに説明はないんじゃない? もう一人自分がいるような・・。もう、もう一人の自分がいるような気がするの。なんとなく。言いたいことが何でも言える。実際に魯迅さんが生きていて話をすれば意見が合わないこともいっぱいあるだろうけど、仮にそうであってもかまわない。なんとなく・・。だから、仙台の公園に行って、一所懸命手入れしたのは私ですよ。仙台の公園に魯迅を記念した木が植えられたんです。いろんな人が来たとき。それがあると、横手から仙台にいったときに真っ先に駆けつけ、木を手入れしたりやっておった。
 だから、何か他人という気がしないんだな。なんとなく・・魯迅は希望という言葉をよく使いますが、魯迅は希望を作ろうとした人でしょ? 我々もそうですよ。もらうんじゃなくて、作るんだよ。希望を貰おうという人はいるけど、自分で作ろうという人がいないわけだ。たまたま「たいまつ」は、自分を燃やせば光るんだもんな。そういうことは魯迅も、そういう人生だったんじゃないかな。
 亡くなったときは枕元に日本人の医師と、奥さんと、書店のおやじと4人はいたはず。弔いをやるといったら、民族魂という文字を書いた白い布をぶら下げて、その下に学生・労働者3,000人が集まって行進したという、そうだろうなと思うな」

 魯迅は希望という言葉を好んで使った。むのは魯迅は希望を作ろうとした人と話していた。その魯迅に応えたと思われるのが、むのたけじ96歳の著作『希望は絶望のど真ん中に』である。

 「私より三十五年前に生まれた人で、私はこの人にだけに人生の師であるとの感銘を受けて、その作品を読み続けてきた。たった一つ、何としても私の受け付けない文章がある。『野草』という文集の中の「希望」と題した文章で、魯迅さんは四〇歳半ばの自身と周囲の社会状況について明暗の交錯する思いをポエムのように述べたあと、ハンガリー詩人の一句を引用して「絶望の虚妄なことは、まさに希望と相同じ」と言った。これに私の脳細胞が反発した。「魯迅さんよ、絶望も希望もウソだというのですか。それならそうと断定して、人生の大切な問題を希望だの絶望だのと形容詞のような名詞なんかでは考えないで、ズバリその実体と格闘したら、と言ったらどうですか」と反発した。以来、この一句をめぐって魯迅さんとの対論、討論を繰り返したあとで私自身は『希望も絶望もともにホント』と認識し、更に経験と省察を加えて、この本のタイトルに掲げた判断に到達した。魯迅の一生の長さは五五年でしたが、それにもう一五年をプラスした年数をかけて、やっとそこに到達した。(『希望は絶望のど真ん中に』(岩波新書))」

 101歳まで生きるということはこういうことなのか? 26歳で魯迅の言葉に触れて、むのたけじは75年後にひとつの答えを出した。贅沢な時間が生み出したむのたけじの確信は私の心に沁み入って勇気をくれた。

 (映画監督)

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