【コラム】
『論語』のわき道(18)
また、よろこばしからずや
新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が生活に影響しはじめたのはいつからだろう。
中国・武漢市の海鮮卸売市場が閉鎖されたのが正月元日、23日には武漢市全体の封鎖へと拡がる。このロックダウンのころには、東京都内でも感染者が出ている。月内に3件が報告されており、そのいずれもが中国からの観光客だったようである。
このころの日常行動は、それまでとあまり大きな変化もなく過ごしていた。しかし、店頭からはマスクが消えていった。
2月になると、香港で下船した乗客に感染が判明したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に停泊する。厚生労働省による検疫が行われ、船内で感染が拡大していく話題がメディアに大きくとり上げられていた。国内各地の感染者の発生状況も定期的に報道されるようになったのは、このころだったろうか。
感染に対する意識は高まったものの、生活ぶりはさほど変わってはいなかった。
そうした中、26日に安倍首相(当時)が大規模イベントなどの自粛を求め、さらに27日には全国の小・中・高校および特別支援学校について臨時の一斉休校を要請した。
3月11日になって世界保健機関(WHO)がようやく「パンデミック」を宣言する。
「不要不急の外出の自粛」が各地で叫ばれ、東京での7月開催が決まっていたオリンピック・パラリンピックも1年延期が決定した。月末には有名コメディアンの感染死が報じられ、社会的な関心をさらに高めた。月末1週間の都内における感染者数は50人(1日当たり)を超え、地元の調布市でも一人の感染者が出た。
閑な年金生活の中で、いくつかの趣味グループなどに参加していたが、それらの中には活動を一時中断するところが現れ、カレンダーに記入していた予定を二本線で消すなどという作業が始まった。
4月7日、首相は東京・大阪など7都府県に「緊急事態宣言」を発した。16日にはその対象が全国に拡大された。これに伴って、図書館や各文化施設がクローズとなり、趣味グループの活動の場が失われてしまった。
当初、宣言の解除はゴールデンウィーク明けとしていたが、5月4日になって月末まで延長された。その後、月の半ば以降に地域を限定して徐々に解除され、25日には東京都を含めて全体が解除となった。
もともと出かけることは少ない方であったが、このころには巣籠もりが常態になってしまった。総理大臣やら東京都知事のいうままになるつもりなど毛頭なくとも、出かける用事も行先もなくなってしまったのである。
人としゃべりあうという行為は本能といってもいいくらいに重要なものとみえる。蟄居生活はこの本能まがいの欲求に反するため、日が重なるにつれて不満が高じてくる。鬱々とした気分の中で、何か晴れ晴れするようなことはないものかといった気持ちが起きるが、所詮は無い物ねだりに終わる。やることもないままに身の回りの整頓などをしていると、とりとめのないことが頭を通り過ぎていく。
孔子さまは、晴れやかに「よろこばしからずや」、「楽しからずや」と宣言していたなぁ……。
およそ五百の章節からなる『論語』の冒頭を飾る章句の出だし。
学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや
岩波文庫『論語』(金谷治/訳注)の現代語訳は次のようになっている。
学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね。〔そのたびに理解が深まって向上していくのだから。〕
呉智英という人が著した『論語』にまつわる随筆の中に面白い部分があった。
「この一章を正しく理解している人は少ない」、多くの人は、「学んで、これを時々復習すると訳す」。これでは「英語の単語帳や数学の公式集を、時々復習する、というイメージ」ではないかといっているのだ。
まことに同感。勉強嫌いを自認する身にあっては、復習などが心嬉しいだろうかと心底から疑問が湧くのである。
二千年数百年もさかのぼる『論語』の世界を、現代の学びの経験や勝手なイメージで理解することは大いに危うい。孔子の真意は別ではないかと思えてしかたがない。
呉氏はこの章句について以下のように解しているように読める。
学とは礼の学習であり、礼と楽とは一体となるものである。そのいずれもがパフォーマンスを伴うので演習が必須である。礼の演習にふさわしい日に、しかるべき数の弟子を集めて演習をする。そうすれば「いかにも心嬉しいことではないか」。
この解釈には同感できなかった。
いくつかの解説書に抱く違和感のもとは「習」の意味をどうとるかにありそうだ。
『論語』の中に「習」という字は、この章を含めて三回しか使われていない。
曾子(曾参)という弟子が、自身の行動を日ごとに反省するときの一つとして「自分が習してもいないことを人に教えたりしなかったか《習わざるを伝えしか》」という言葉と、もう一つは孔子の言葉、「生まれつきの本性は、誰でも似かよったものだ。しかし、習によって隔たりはできる《性、相(あい)近し。習(ならい)、相(あい)遠し》」である。
これら三つを通して考えてみると「習」の字義は、おさらいや復習といったものではなく、「身につく」といったニュアンスではなかろうか。中国文学の専門家ではないが、武者小路實篤が著した『論語私感』には「習うと云うのは自分のものにすることだ」とある。これだろう。
もう一つ、「時」の字も引っかかる。この章の時については多くの人の見解がある。千八百年も昔の中国の学者からして、その意味について言及している。諸説があるということは、どう解するかが分かれる字だといえよう。
吉川幸次郎は「英語でいえば timely の意であって、時どき、occasional の意ではない」と解説し、しかるべき時と解釈している。
時どきという意味にとることは、かつては普通であったのかもしれない。安岡正篤も「その意味に解しておった。しかしどうも意味がおかしい」と考えるようになり、結局は「時習する」と読めばいいと語っている。
貝塚茂樹は、孔子の時代、「時」は意味をもたない助字として用いられていたとし、「ここ」と読んだ上で「そしてあとから」と訳している(貝塚自身は、これを新説といっている)。
文脈は、学ぶ→ 身につく→ よろこばしい、と流れる。この流れで「時」はどのように解すればいいだろうか。
学んでいけば、そのことが次第に身についてくる。これはよろこばしいことだ。素直にとればこうかも知れないが、いま一つ「時」が隠れてしまう感じがある。
段々に身につくということは珍しくない。あえて意識することなくやっているうちに、自然と習得したというのは、むしろ普通のことだ。しかし、ことによっては、なかなか身につかずに苦労するということもある。難しい問題に突き当たり、机上で紙に書いてみたり、頭を掻いたりする。それでも解き方、答えが出てこない。いつしか頭の隅っこにそのことがよどみ、電車を待つ間、あるいは何かほかのことにかかずらっているときなどに不意に浮かんできたりする……。そんな時、まさにその時に「あっ、そうか!」と答えが閃くことがある。
身体を使うスポーツの類にしても、どうにもうまくいかず、絶えず練習していた技が、微妙な身のこなしの加減で一瞬のうちにそのコツを習得するときがある。
このように、自分がやっていて、つまり学んでいて、思わずできるようになる(身につく)、その時のよろこびを孔子はいっているのではなかろうか。
学ぶとは練習・復習などといったものまでを包含する概念であり、習うとは身につく、自分のものにする、習得するということ、時は「その時」、吉川博士をまねれば at the time である。
恥を忍んで彼の文句を自己流で現代文にするなら「学んでいると それが身につく時がある、そのときは本当にうれしく感じるね。」といったくらいだろう。
このように理解するのがわたしの新説、ではなかった、素人の珍説である。
(「随想を書く会」メンバー)
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