【コラム】酔生夢死

だって被害者だもん

岡田 充


 戦後70年の羊年は、パリの週刊紙「シャルリー・エブド」襲撃事件で明けた。言論へのテロは絶対に許してはならない。同時にイラク、シリアでは米国の空爆が続き、多くの住民が犠牲になっていることを忘れてはならない。欧米との戦争状態が続く中のテロであり、欧米先進国の首都を標的にエスカレートする恐れを秘めている。

 去年は、永遠に成長を保証するシステムとみられてきた資本主義の衰退が真剣に論じ始められた。グローバル化は国民国家の枠組みを溶かし、最善の統治システムと考えられてきた代議民主制にも疑問符が付いた。日米など先進国での低投票率がその具体例である。
 では資本主義は崩壊し、国家も民主制もなくなるのか。そうは簡単ではない。代わるシステムが見つからない以上、「危ない」「溶けちゃう」と危機感を募らせながらもシステムは維持されていく。

 これらが世界全体の直面する課題だとすれば、東アジアはどうか。領土や歴史認識をめぐる中国、韓国との対立と紛争の発端は、日本のアジア侵略と植民地支配にある。「中国と韓国はまた反日やるんだろ!」。ネトウヨ君たちの溜息が聞こえそうだが、戦後70年をきちんと見つめ直さないと、両国と真の和解はできない。

 多くの日本人にとってあの戦争は「被害者」の立場から語られてきた。広島、長崎の原爆、あるいは東京、大阪など大都市空襲の被害者として。「二度と戦争はいや」「過ちは繰り返しません」という声も、戦争被害者の叫びだった。

 しかしあの戦争の主戦場は、沖縄を除けば中国と朝鮮半島、それに東南アジア一帯である。戦争関連の中国の死者は少なくとも1300万人、インドネシアで300万から400万。仏領インドシナでも100万人とされる。その加害者はいったい誰なのか。

 戦後日本政府がアジア全体に対し侵略と植民地支配を謝罪したのは、戦後50年たった1995年の村山首相談話だった。なぜ加害責任を認め謝罪するのが遅れたのか。それは戦後の冷戦下で反共陣営の一員として、中国や北朝鮮と敵対したからである。

 そんな政治環境の中で、日本人の多くは中国や朝鮮半島への戦争責任を忘れ、中国が戦勝国という法的な事実すら忘却した。今年は日韓国交樹立から50年。当時、韓国は安全保障の論理を優先して、植民地支配の清算は後回しにした。国交を正常化した中国も、近代化を進めるため日本の経済的支援を優先する道を選んだ。
 70年たった今、中韓両国が歴史認識で対日批判するのは、民主化や大国化という個別の理由もさることながら、冷戦終結によって、米国を要とする「反共同盟」のイデオロギーが脱色されたからである。

 戦後70年の問いを正面から受け止めるのはなかなかしんどい。ただいつまでも「だって被害者だもん」と逃げるわけにはいかないのである。

 (筆者は共同通信客員論説委員)


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