【北から南から】中国・深セン便り

『SARSの時のこと(1)— その前に、まずMERSのこと』

佐藤 美和子


●韓国のMERSコロナウィルスが問題になっています。

 5月下旬、一人の韓国人ビジネスマンが、すでに発熱していて感染の可能性があることを知りながら、韓国→香港→広東省シンセン市→広東省恵州市と、移動してきました。恵州にてMERS感染が確定したのち、現在も恵州の病院で隔離治療中です。

 そして香港衛生局は、この感染者と同じ交通機関を利用した接触者を探しましたが、うち二人の韓国人女性が検査・隔離を拒否、のちに香港一の繁華街・コーズウェイベイにて観光中の二人を説得のうえやっと確保できたというニュースが流れました。しかし、その時点でまだ他に数名の接触者の足取りがつかめていないという報道も……。

 なんとも間の悪いことに、私はニュースを聞いた翌日、買いたいものがあってコーズウェイベイへ出掛ける予定でした。感染の確率は低いだろうとは思うものの、在外邦人感染者第一号として報道される事態だけは、何としても避けねばなりません。狭い邦人社会のこと、誰が感染者かなんて、すぐに周囲に知れわたってしまいますから……。SARS、豚・鳥・新型インフルと中国で新しい病気が発生するたびに、邦人第一号にならないようにと毎日ニュースをチェックし、繁華街への外出を避け、病院にもいかずに済むよう、普段以上に神経質な生活を送る羽目になっています。

 それに感染はせずとも、もし隔離勧告をうけて帰宅不可となったら? 家で待っている愛犬が、飢え死にしてしまいます! そんなわけで、買いたいものも諦め、目下、香港買出しを自粛中の私です。たった一人の無責任な行動で、こんなに広範囲に迷惑をかけていることを、ご本人には充分反省していただきたいものです。

 MERS感染者である韓国人ビジネスマンは、なぜ恵州出張を強行したのでしょうか。
 彼がMERS患者との接触暦はないと虚偽の説明をして入国をしたため、国内感染者発生のリスクにさらされた中国や香港では、もちろん彼の行為は強く批判されています。特に香港は、かつてSARS流行のときに煮え湯を飲まされた経験があるため、政府も一般市民も、とても神経を尖らせています。SARS流行当時、ウイルス発生源である中国が報道統制をおこない、また香港が中国側に要求してもなかなか正確な情報をもらえず、そのために香港は観光業などで長期にわたって大ダメージを受けたという苦い過去があるのです。

 昔から中国人が韓国人を嫌う理由の一つに、韓国人が中国を後進国だと見下したり、横柄な態度を取ることが挙げられます。今回の韓国人ビジネスマンも、中国だから構わないと思ったのだろうと考えている人が多いようです。また、韓国人が、SARSを発生させた中国と放射能汚染を出した日本は、人のことを言えた義理ではないとネット上で発言したせいで、中国・香港では嫌韓意見が増えています。

 実は最初にあげた韓国人ビジネスマンの恵州入りのルートは、途中香港側と中国大陸側の二ヶ所での出入境手続きが必要で、またバスの乗り継ぎもあり、外国人にとっては複雑でわかりにくく、とても大変です。駐在員のように土地勘のある居住者、あるいは何度も訪問経験がある人ならともかく、初めて訪問する外国人が一人で移動するには、少々ハードルが高いのです。それに恵州や東莞のような広東省の地方都市へ、外国人ビジネスマンが初訪問する場合、せめて香港空港からの越境リムジンバスが到着するシンセン市まで、訪問先企業や関連会社などが車で迎えに来るのがこちらでは一般的なのです。しかしこのビジネスマンは、わざわざバスを乗り換えて恵州入りしています。そういった現地事情から、件の韓国人ビジネスマンは、今回の恵州は初訪問ではなかったと私は推測します。

 ところでその韓国人ビジネスマンが隔離治療をうけている広東省恵州市とは、私の住むシンセン市の北東に隣接する市です。現在は郊外型の大規模居住エリアがどんどん開発中で、工場もたくさんある地方小都市、という感じです。つまり、中国屈指の大都市シンセンと違い、割と田舎の埃っぽい工業町なのです。私の北京留学時代の友人が、日本から恵州出張にやってきたことがあります。彼らが恵州での仕事を終えてシンセンに戻ってきた時、シンセンでは深呼吸ができて心底ほっとすると言っていました。中国語が堪能で、中国居住経験も豊富なその友人ですら、恵州は知らず知らずのうちに緊張するところだったようです。

 韓国出発の数日前には発熱症状があらわれて病院にもかかっていたとのことなので、無理を通せば恵州到着後に悪化し、現地で病院にかかることになる可能性を、このビジネスマンも考えたはずです。言葉が不自由な外国人が、地方小都市の医療機関にかかるのは、少々勇気がいるものです(現在の入院先の医療スタッフとは、ジェスチャーや絵などでコミュニケーションを取っているとの現地報道があったので、中国語はあまり分からない人だと思われます)。それを押してでも、出張を取りやめなかったというのは、よほどの理由があるのでしょう。

 逃すには惜しいほど、大きなビジネスチャンスがある出張だったのでしょうか。
あるいは現在恵州では大型マンションや別荘地が次々と開発されており、人気の投資先となっています。その出張で、そういった不動産投機を予定していた可能性も考えられます。
 または、恵州が初訪問ではないという私の推測があたっていれば、現地に馴染みのいわゆる『夜の店』があったのかも知れません。そういうお店の女性は、こまめにお客にメールを送って再訪を促します。すでに出張予定に絡めて女性と約束してあったので、出張はキャンセルしたくなかったのかもしれない……というのは、穿ちすぎでしょうか。

 実は日本人出張者にも、こういう人が多いのです。前任駐在員から会社支給の中国用携帯電話を引き継いだところ、携帯ショートメールボックスには前任者とカラオケ店女性との恥ずかしいやり取りがそのまま残されていたとか、会社備品である中国出張者用の携帯にも、歴代出張者宛の風俗女性のおねだりメールや、後朝の文ならぬ後朝のメール記録があったとか……使い終わったら、せめて履歴を削除しとけばいいのに……。

 そんなわけで、次回からはSARS流行当時のことをご紹介しようと思います。せっかく(?)SARS発生当時も現地にいて貴重な体験をしているので、前々から書こうとは思っていたのです。ところがなにぶん13年も前のこと、記憶が曖昧になっていて、なかなか書くきっかけが掴めませんでした。ですが連日のMERS関連報道のお陰で、当時のことをまざまざと思い出すことができました。棚ボタ? 塞翁が馬? 不幸中の幸い? ———どれもちょっと違う気はしますが、来月からしばらく、少し古いお話にお付き合い下さい。

 (筆者は中国・深セン在住・日本語教師)


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