■【北から南から】

ある日曜の出来事                    山田 麻衣

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  ある日曜、私は母と某ショッピングモールで会う約束をしていた。少し早くに到
着したため、コーヒーでも飲んで母を待とうと、モール街に入ろうとした時、男
性に声を掛けられた。足を引いた歩き方や、少し聞き取りにくい話し方で、身体
の何処かに障害のある人だとすぐに察した。
  彼は私に、トイレの介助を依頼して来た。事故に遭って以来、下半身の感覚が
鈍り、一人で用を足せないのだという。彼は、モール街の中にある大手スーパー
のサービスコーナーで、既に介助を断られたと話した。私は昨年夏まで、別の大
手スーパーに勤務していたが、おそらくかの店でも、そのような依頼は断らざる
を得なかっただろう。今日はいつもついて来てくれるヘルパーさんが突発休で、
家族も留守にしていたが、どうしても必要なものがあり買い物に出てきて、想定
外に尿意をもよおし、家までもたないかも知れない、と彼は説明する。見知らぬ
男性とトイレの個室に籠もるなど、気分の良いものではないが、以前男性のヘル
パーに急かされて以来、男性の介助だと尿が上手く出ないとまで言うので、まあ
仕方なかろうと、私は彼の依頼を承知した。

 最近の新しい公共施設内の身障者用トイレはとても立派である。大小2つの便
器、ベビーシートに男児用の小便器、高さの違う2つの洗面台、四面に廻らされ
た手すり、そして引き出しのベッド。その冷たそうなベッドの上で、ズボンと下
着を脱ぎ横になった男性の傍らにしゃがみこみ、彼から手渡されたまっさらのド
ライバー手袋と分厚いナイロン袋を使い、私は15分ほどかけて彼の小用の手伝
いをした。私が待ち合わせがあるからと正直に言わなければ、もう少し時間がか
かっていたかも知れない。
  合流した母は、少なからず私の話に驚いた。母は、父も母も早くに亡くしてい
る人で、下の介護の経験などほとんど無いので、余計だったと思う。家に帰って
夫にこの話をすると、ほとんど不快そうだった。その後結構いろんな人にこの話
をしたが、女性はみんな(未婚・既婚、子供の有無関係無く)、「私には無理!
」と反応する。私とて楽しい体験であったかと問われると、そうではないと答え
るが、あの時あの男性の依頼を断っていたとしたら、それはそれで
多少なりとも後悔したのではないかと思う。

 彼が痴漢であったという可能性を排除して、その後私が考えたのは、私がもし
彼の依頼を断っていたら、彼はどうしただろうかということだった。誰か他の女
性に同じように声を掛け、失禁するまで拒否され続けたのではないか。彼の面倒
を見ているというヘルパーさんは、彼に新しい手袋とナイロン袋を渡し、「もし
ものことがあったら、これで誰かに頼めば手伝ってくれはるから」と言ったのだ
という。果たしてそれはどうだろうか? まかり間違えば、彼は警察に突き出さ
れるだろう。ヘルパーにとっては普通の「仕事」でも、介護の経験の無い一般女
性には、あり得ないシチュエイションだ。父でも恋人でも夫でもない男性の性器
の前に、15分以上座るなど。
 
それと少々困ったのは、彼が私に、プロであるヘルパーと同じ仕事を要求され
たことだった。ゆっくりしていいよと言い続けてくれ、おしっこが出ている間は
シーッと声を掛けてくれ、等々。その時私は、かつて働いていたスーパーで、少
しばかり似たようなことがあったと思い出した。電動車椅子で来店するその女性
は、手も少し不自由なため、彼女が売り場からレジに持ってきた商品は、従業員
が精算のために台に並べ、袋に詰める。店が大混雑している日などは、その後ろ
に並ぶ客は大抵イライラする。しかし当人にとってはそれはごく当然のことであ
り、その店で彼女から、「ありがとう」とか「お世話さま」とかいう言葉を聞い
た従業員は居なかった。

 日本はやはりマイノリティに不親切な国なのである。障害者が通りすがりの健
常者の介助を受けることは、残念ながら当たり前のことではないのだ。今回の事
件(?)で私が感じたのは、障害者と健常者とのあいだだけでなく、障害者に身
近に接している健常者と、そうでない健常者とのあいだでも、何らかの意識が乖
離しているということであった。そして、通りすがりの健常者に手伝って貰える
のが当然という態度で接し、彼らに微かな苛立ちを覚えさせる障害者がいたとし
たら、その人は身近な健常者に、冷ややかな真実をきちんと伝えて貰っていない
のだ(伝えるべきなのかどうか判らないが)。どっちにしろ、障害者に非は無い
だろう。
  バリアフリーが浸透していると評されるような国に、私は行った経験が無い。
今回私が遭遇したような出来事が、そういった国に暮らす人に起きた時、彼らは
どう対応するのだろう。

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