【本の紹介】

宗教法人税制優遇は、負の外部性
〜『宗教法人税制「異論」』(現代企画室刊)出版の経緯〜

佐藤 芳博

 政権交代の時代に入って以降、宗教法人への課税強化の動きが垣間見えるが、宗教法人への課税問題が議論されるのは、特に新しい問題でない。戦後の宗教法人制度が始まって以来、折に触れて出てくる問題だ。それには、微妙に政界の動きが関係している。
 現行税制は、宗教法人に非課税としている税額分を、個人と他の法人が代わりに負担していることになり、納税者にとっては、負の外部性そのものに他ならない。現行のさまざまな優遇税制を総点検し、時代に即した税制にすべきではないかと考えながら、宗教施設を歩き続けている。まず、小生が、宗教に関心を持ち始めた経緯についてから話を進める。

 1601年仙台城に移った伊達政宗が、城下町警固のために、寺院を従来の場所から移転したのが、現在の宮城県仙台市若林区新寺小路だ。小学三年社会科の授業で、市街地整備のため墓地を現在の青葉区葛岡に移転させる市の計画への反対運動について学んだ。我家の菩提寺は本堂が残り墓地は移転したが、墓石の移動で道路の新設や拡幅だけに応じた寺院もあり、対応が分かれた。裁判の結果、後に市が関係寺院に賠償金を支払った。
 高校一年の朝のホームルームで、毎日一人五分間、各人が自由なテーマで話をした。私は祖母の弟(大本宣伝使)と大本の行事に参加した時、お酒好きの方が「神様に上げたお神酒は、同じお酒でも美味しい」と言ったことに触れ、「人智では分からないことがあるので、宗教の存在を明確に否定することはできないのではないか」と話した。
 高校二年の秋のある日曜日、父が東京の方に向かって祈りを捧げている姿を見た。1938年7月から1939年8月までの横須賀海軍工廠徴用後に、勤めていた横須賀の印刷所の社長さんの命日とのことだ。父の恩人に対する生涯変わらぬ感謝の祈りも、信心深かった祖母同様に、私の宗教観に強い影響を与えた。

 オイルショックによる物価高騰、大気汚染、水質汚濁など環境破壊が、人びとの暮らしを直撃していた1970年代、永田町で政治に係わる仕事を始めた頃、周りには宗教の存在を否定しアヘンと考えている人が沢山いた。そのような職場の環境にかかわらず、私は宗教法人に税の「優遇制度」があることに当時は疑念を感じなかったが、宗教界との接点が増えるにつれて疑問を感じるようになった。
 ある人からこんな話をきいた。終戦直後、寺院が経済的に厳しかったときに、住職から「病弱ならば、生前に戒名をもらえば長生き出来る」と言われ、そうした大本の信者が1975年88歳で亡くなった。納骨直前に、住職から、「大本で葬儀をしても成仏していないから埋葬出来ない」と言われ、菩提寺の本堂で改めて葬儀をした。葬儀の布施をした他に、「戒名の差額も志納するように」と言われ、そのようにせざるを得なかったとのことだ。それ以来、徐々に、宗教への不信が高まってきた。

 その後、行政による徴税と国民への給付、つまり、国による所得再配分機能の問題をかえりみながら、税制のあり方を考えてきた。
 五五年体制最後の内閣総理大臣である宮沢喜一氏は、大蔵大臣当時の1988年3月、『所得税百年史』で、「近年、所得税をはじめ税制への国民的な関心が高まりをみせ、現在、税制全般にわたる抜本的な改革が課題となっています。」と述べている。
 その年の7月、大蔵省主税局と国税庁の担当者が「消費税の説明をしたい」と私が勤務する議員会館の事務所に来た。「数々の新製品開発がされていく状況で、課税一覧表にある品目にのみ物品税を課税するのでは、税制度として十分に機能しなくなり、消費に対する課税に変更する」との説明だった。さらに、「宗教法人は、さまざまな物品を購入し、飲食もある。これらの消費にも課税することが出来るので是非賛成してほしい」と付け加えた。当時、私が仕える議員が所属していた日本社会党の組織内は、消費税反対一色で、この点での議論はできなかった。消費税のこの部分が、宗教法人税制に、大きく関与していることは、公開の場での議論にはならなかったが、今考えてみれば、極めて重要な観点だ。

 日本社会党の村山富市委員長が内閣総理大臣に就任し、1995年12月の閣議で、「今後の税制のあり方 租税負担のあり方については、活力ある豊かな経済社会を実現するという観点を踏まえ、高齢化、経済のストック化、国際化といった我が国経済の構造的な変化に対応しつつ、税負担の公平性、経済活動等への中立性、制度の簡素性という基本原則の下、所得・消費・資産等の間でバランスのとれた税体系の構築を目指して、幅広く検討する。」ことを決めている。いつの時代にあっても税体系は政争の具にされるが、この閣議決定にあるように、バランスのとれた税体系にするためには、時代の流れに沿い、宗教法人課税制度を見直すことをタブーにしてはならないと、考え始めた。
 自民党をぶっ壊すと言って内閣総理大臣に就任した小泉純一郎氏が在任中の2004年、税制調査会基本問題小委員会が報告書をまとめた。この報告書の表題がふるっている。『平成一六年六月 わが国経済社会の構造変化の「実像」について〜「量」から「質」へ、そして「標準」から「多様」へ〜』というものだ。その報告書は、「個人のライフスタイル(生き方、働き方)の多様化等が進む中、所得・消費・資産等多様な課税ベースに適切な税負担を求めていくことが課題となる。」と結論付けている。

 1999年、永田町の政治の現場を離れてから、宗教を見る自分の目が大きく変わりつつあるのを認識しながら、2004年春『宗教経営学』(舘澤貢次著)を読んで、宗教と税負担について改めて考え始めた。
 幣原内閣で外務大臣を務め、内閣総理大臣を歴任した吉田茂は、「改革は自発的に、且つ着実に(中略)そうした意味から、諸々の占領行政の遺産で、今後改革すべきことがまだまだあると思う。もちろん、改革といっても、政府の一方的に押しつけたものであってはならぬ。研究に研究を重ね、国民また甲論乙駁の間に適切な制度を生んでゆかねばならぬ。重ねていえば、こうしたことは、短日月の間に成就できるものではない。徐々に、然も適切に、時間をかけて対処することこそ肝要である。また何事も永久不変に妥当な制度などがあるはずがない。時間をかけて検討する間に、おのずと改革の機が熟するということもある。(後略)」(『回想十年 第三巻』)との言葉を残している。私は、この言葉を、この国の姿を「正義」に近づけるために、官民を問わず不断の努力を続けなければならない教訓と受け止めている。
 それは、宗教法人課税制度についてもいえることだ。最高裁判所が、大法廷で判例の見直しをすることもあるこの国で、宗教法人に対して、部分的ではあれ、永久不変に非課税が適用される制度が残り続けることが正しいことだとは、言えない。時代の変遷を考えるべきではないか。未曾有の財政危機のときこそ、国や自治体のさまざまな制度が、時代と国民の意識に合致しているか総点検すべきだ。
 この間の宗教施設を巡る旅路では、近隣に住む人びとの生活の一端を知ることが出来ればと考え、出来るだけ普通列車、快速列車を利用した。政界の裏話や宗教界のスキャンダルを書くことを少なからざる人びとから勧められたが、それは私の本意ではないので謝絶した。調べれば調べるほど、奥が深く、大変なことを始めてしまったと思うこともあった。

 拙稿の修正を重ねている最中に、大地震・大津波が襲来し、かつて見慣れてきた風景が一変した。災害復旧・復興にかけなければならない費用は膨大であり、国、都道府県、市町村の歳出の見直しは急務で、経済活性化による税収増を図らなければならない。そこで考えられるのは、大震災後の現状を把握した上で、宗教法人優遇税制を含めた租税特別措置法の全面見直しだ。さらに、地方税法に依る国指定の文化財に関する税の減免が課題となるが、それには、宗教法人所有の境内建物、境内地が含まれる。改正の仕方によっては、災害等の影響で指定解除された場合、税額に大きな影響を及ぼす。この観点の調査を続けていた時点での大震災で、懸念が現実のものになった。そこで、想定されるさまざまな事象から検証して提案した。
 特別職の公務員として、税金を原資とした歳入から給与を支給され、諸先輩の尽力で、厚生年金基金、組合健康保険制度が確立され、国民年金(基礎年金)、厚生年金、厚生年金基金からの年金を受けている。この厳しい経済状況の中で、それなりの年金を受給できることに感謝をこめて、次世代につなぐ制度について、積極的に発言しなければならないと考えての提案だ。
 近年叔父、叔母、兄の三人の葬送に関連し、神棚、仏壇、祭祀継承、墓地の維持管理、檀家としての責務について考え続けながら拙著の仕上げを急いだ。2011年10月、高校一年のとき、クラブ活動の社会部で一緒になり、それ以来交友が続いている友人宅を17年ぶりで訪ね、二人で平等院を再訪した。阿字池越しに鳳凰堂を拝観したとき、「平等とは」と考えていると、私の脳裏を離れない「正義とは、以上にも以下にも与えないことだ」との学生時代の講義が浮かんできた。
 正義は、科学技術の発達、地球環境、医療の進歩、人口構成、経済状況、社会構造、国際関係、文化、宗教観などの変化で、その定義が常に変化すると考えていた方が良いのかもしれない。そういう私も、25歳で政治の裏方を始めた頃の考え方と現在とでは、大分相違しているところがある。

 2010年7月の参議院選挙以降、宗教団体が主催する行事等の様子を仄聞すると、宗教団体と適当な距離を置き始めている政治家が増えているようだ。宗教法人課税制度見直しの機運が高まりつつあることが、ここにも表れている。大震災、大津波で被災された地域の復興と被災者の生活再建に不可欠の財源を捻出しなければならない。法律の制定、改廃は、絶えざる相互作用と変化をもたらし、想像もしなかったところまで影響が及ぶことを、政治の裏方として見聞きしてきた。そこで、2004年に構想を練り始めた時は、方法論的関係主義の視座から、宗教法人関連税制が影響するあらゆる面から検証しようと試みた。戦後政治の総決算を含め、税制全般のパラダイム転換を行なうべきだとの観点から、あらゆる租税特別措置の現状と問題点を検証した。
 出版してから2年が経過し、高校2年倫理社会の授業で学んだ止揚(アウフヘーベン)と、学生時代に学んだブレインストーミング(集団思考、集団発想法、課題抽出)の影響を強く受けていることを自ら感じている。それが故に、最大限の課税範囲について論じたが、その全てに課税すべきだと主張しているのではない。徴税経費を考慮しながら、国民的な議論を深め、負の外部性を極小化し、公平性を保つ為には、どこまで課税すべきかを決めなければならない。

 私は、小学生の時、生活保護対象なのに、予算が不足し措置されなかった経験を持ち、現状を強く憂えている。1946年2月17日の幣原内閣の金融緊急措置令で預金封鎖された両親は、当時、家を二軒購入できる預金が事実上消えたのに、困窮した時に助けてくれない国の制度を嘆き続けていた。
 その時のことは、半世紀過ぎても私の脳裏から離れない。制度に魂を入れ、遍く公平な行政を行うのには予算の裏づけが必要だ。そのためには、安定財源の確保は至上命題で、毎年僅かでも剰余金が出るような税収が得られる緩やかな経済成長を達成できる政治、行政を確立することが急務だ。

 (筆者は日本レンゲの会専務理事・事務局長 元国会議員秘書)


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