【編集事務局便り】268
■羽原 清雅氏から「『高市独走政治』が本格化へ~—国民2分の政策は許されるか」、岡田 一郎氏から、「日本人は政治意識が低いのか」をいただきました。また、インド・南アジア専門家の福永正明から、3年の休載を経てこの3月のネパールの選挙についてご寄稿いただきました。皆様からの毎月のご寄稿をありがとうございます。
■「人間の手による作品か、AIによって書かれた作品か、全く区別がつかない」
星新一賞の審査員がそう語った。今年の受賞作4点にはAIを積極的に活用して書かれたものが3点含まれていたという。昨年までは、AI小説が受賞作に選ばれることはなかった。この一年で、AIの表現レベルが格段に上がったということだろう。
先日、初岡氏らと会食した折、外国人の日本語スピーチ大会の審査の話がでた。今年はどの応募作にも文法の間違いや誤字が極端に少なく、甲乙つけがたかったという。昨年までは間違いもけっこうあったのにと。皆、生成AIでつくられたのだろう。あるいは、少なくともAIによる校正はされているだろう。
人間の手による作品か、AIによって書かれたものか、まったく「わからない」というのはどういうことだろう。AIの技術的な進歩を喜ぶべきか、「人間が書く」ということを問うべきなのか。
でも、「わからない」ことと「面白いこと」は同じではない。では、文章の面白さとは何なのだろう。
AIにブログを大量に書かせたけれど、結局面白みがなくて自分で書き直したという話を最近どこかで読んだ。星新一賞の受賞作は、審査員が高く評価している。それは「面白い」ということなのだろうか。そういえば、初岡さんには、尋ねなかった。内容は面白かったのですか?と。
一方で、「書きたくても書けなかった」人にとって、AIは恵みだ。滝ノ内さんは子育てと仕事に追われながら、締め切り一週間前にChatGPTで初めて小説を書き上げ、受賞した。
「書き慣れない人」には「書くこと」への扉を開いてくれる存在になるし、これまでなにかしら書いてきた人にも「ちょっと手伝ってよ」と言いたくなる相手になっている。
アイデアを出したり、考えを広げたり、確認したりする「壁打ち」相手として、AIは欠かせなくなってきている。さて、どうしようかなぁ。と悩んで、実際私はまたClaudeに尋ねることになった。(MK)
(2026.4.20)
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