■【ガン闘病記】(3)                吉田 勝次

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 最初の闘病記をお読みの読者が、「ゆがんだ生活習慣」を正すことが大切だと考
え、私が術後一心不乱に迷うことなくある療法に取り組んできたとお考えになる
としたら大いなる誤解です。本当のところは、ともかく死に物狂いで手当たり次
第、行き当たりばったりに闘病生活を始めました。周到な戦略をたて、順序だて
て戦術を遂行したなどということはまったくありませんでした。大半の癌の患者
もそうだと思いますが、前のめりに走ってきて角を曲がると癌に倒され、突然、
死に直面してパニックになっていました。冷静、沈着などということは私には不
可能でした。この心理状態はいま考えればごく自然のものだと思います。それど
ころか、人並み以上に臆病な私は、恥ずかしいほどうろたえ、おびえ、恐怖心で
心身を固く硬直させて術後最初の数ヶ月を過ごしました。今回の闘病記ではどの
くらい場わたり的であったかをしるしたいと思います。
 
 腎臓癌に効く抗癌剤はほとんどなく、わずかにインターフェロン、インターロ
イキンが気休め程度に効くとの話でした。病棟の若い医師は術後私に、「吉田さん、
次はインターロイキンですね」と言っていました。だが、経験豊富な泌尿器科部
長の主治医は、とくにインターフェロンを薦めることはありませんでした。主治
医は、「退院したら、まあ、栄養をとって元気になって下さい。癌はミクロの世界
の話ですからね」と淡々と(いずれ再発・転移は避けがたいものと決めているか
のように)接していたと思います。だが、効果的な西洋医学の療法がないという
ことは、今から思うと不幸中の幸いでした。
 
 まず、2月初めに退院してすぐに取り組んだのが丸山ワクチンでした。東京医
科大学腫瘍研究所と治験医を引き受けていただいたホームドクターK医師の対応
も敏速で文句のないものでした。濃度の濃いAと薄いBを一日おきに注射する療
法です。何年か前にはこのワクチンを手に入れるために全国の患者が大変な努力
をしたことは周知のとおりです。でも今日、多くの患者の方々の血のにじむよう
な努力の結果、この問題はすでに解決されたように思います。少なくとも姫路で
はなんの問題もなく投与を始めることができました。
 
 なぜ丸山ワクチンを最初に取り始めたのか。理由は簡単です。母親の敵討ちで
した。私の母は三十数年前、子宮癌に倒れ、大塚の癌研究所付属病院で放射線治
療を行い、帰らぬ人となりました。ちょうど当時、親友のI氏のお母様が同じ子宮
癌で倒れましたが、三大療法を拒絶して丸山ワクチン投与一本やりで闘病された
ことを知っていました。 I氏のお母様は良好な状態を20年近く保ち、事実上天
寿をまっとうされました。私にとって、丸山ワクチンが効くか効かないかなど全
然問題ではありませんでした。まちがいなく良い薬なのです。ですから私は、自
分が癌になったら、真っ先に丸山ワクチンを使おうと決めていました。主治医に
は先手を打って、丸山ワクチンを使いますと申し上げました。彼も一度もインタ
ーフェロンやインターロイキンの話はそれ以後しませんでした。
 
 東京医科大学の腫瘍研究所に行けば、丸山ワクチンの投与によって進行癌でも
末期癌でも良好な治療経過を遂げているという話などごろごろあります。丸山ワ
クチンなど水に過ぎないと一蹴した学会の長老と厚生省があれほど押さえ込んだ
にもかかわらず、人々は過去数十年来丸山ワクチンの良さを語り合い、広めてき
たのだと思います。ですから丸山ワクチンは癌に対する特効薬ではないにせよ、
癌の患者のからだとこころに良い影響を与える薬であることは間違いないと信じ
ていました。私にとって大切なことは、そうした効果にたいする自信に支えられ
たというよりは、丸山ワクチンをぜひやろうと決断させた力は、よし、自分の場
合は丸山ワクチンでおふくろの敵を討ってやるんだという理屈にならない理屈で
した。こういう屁理屈を笑う方も多いと思いますが、私は真剣にそう思いました。

 癌のような複雑な難敵とたたかうには、よし、これで勝負してみようという勘
というか直観力がこみ上げてくるような療法が本当の効果をもたらすものだと考
えるからです。私には丸山ワクチンによって、コラーゲンが細胞を包囲し、最後
には癌細胞そのものを食べてしまうという解説はどうでもいいものでした。おふ
くろのかたきを討つという理由は、せっぱつまった当時の自分の心理に不思議に
ストーンと得心のいくものでした。得心がいくということは、それでだめなら天
命だからあきらめもつくという心理と一体のように思いました。
 
 次に、術後さっそく始めたのは玄米菜食ですが、これについては次回の妻の闘
病記にまかせます。それとほぼ同時にケール葉の青汁を飲み始めました。これも
一時有名になった療法ですのでご存知の方も多いと思います。キャベツの原種の
ケールをジュースにして大量に飲む療法です。ビタミンCの大量投与の一種、ま
たはケールの中に存在する豊富なエレメントの抗癌作用がいいのだという説明も
あります。愛飲者の「ケール健人の会」の活動も有名です。でも私にとって大切
なことは、そうした説明や行動よりも、友人の神戸新聞OB、Mさんの熱い思いで
した。彼は電話の向こうでケールによってB型肝炎をどのように治療したかとい
う体験談を話してくれました。かねがね尊敬している兵庫の市民運動のリーダー
が代替療法の一つを私に熱っぽく語ってくれました。彼の熱意によって私はケー
ルに科学的根拠があるかないか、抗癌効果があるかどうかなどということは大し
た問題ではなくなっていました。

 生きるか死ぬかの瀬戸際に、友情に賭けることができないとすれば、お前の一
生とは何なのだと問いかけました。そう考えると迷いはありませんでした。走っ
てきたケールというバスに飛び乗りました。Mさんと一緒に妻と私は明石のケー
ルスタンドに飛び込んで試飲し、ケール療法を開始しました。ケールによってB
型肝炎を克服したMさんの自信に満ちた説明を聞き、信じやすい私は、よし、こ
れでいこうと直観しました。ここでも私の選択の基準は理由よりも感覚、理屈よ
りも直観、医師よりも友人でした。1週間10キロのケール搾りは大変な作業でした。
最初の1年半は妻が、週3回、14キロのケールを一晩がかりでジュースにしてい
ました。過去半年は体力が回復した私が自分で搾っています。夏場など虫が多く
それを取り除き、洗い、搾ったジュースは青臭くなんともまずいものでした。し
かし、からだはしっかり受け入れて一度も腹をこわしたり、下痢をしたことはあ
りませんでした。これはいいものだと信じればこそだったと思います。匂いもま
ずさも友情の対価だと思えばへっちゃらでした。

 2005年の5月、台湾の友人鄭昭良氏が漢方薬はどうだと電話をかけてきました。
漢方薬で癌とたたかおうということなど私の辞書にはまったくなかったので驚き
ました。私の研究者としてのフィールドワークは台湾でした。過去20年以上、台
湾での研究を応援し、導いてくださった澎湖島出身の民主運動の活動家鄭さんの
沈着で安定感のある人柄に深い敬意をはらっていました。だから鄭さんの漢方薬
を使ったらという助言に異存はありませんでした。白状しますが、漢方薬治療を
周到に考えて鄭さんに相談したなどという主体的なものではまったくありません
でした。私の人生を台湾と結びつけて下さり、澎湖島における研究調査の実施に
無数の支援をして下さった彼の助言はいわば神の声でした。本気で鄭さんを信じ
なくて何を信じるのかと考えました。まったく他力本願です。綱に全体重をまか
せてぶら下がったら、その綱が自分を支えてくれるかどうかわからなくても信じ
てぶら下がる。これが私の他力本願です。

 4月から始まる大学の前期の授業を休職して休もうかとすら考えていた私にと
って、姫路から関空に行くことにも自信がありませんでした。関空から台北への
3時間の空の旅も自信がありませんでした。台北市内で中国医師に脈をとっても
らい、薬を持って帰国する2泊3日の旅に自信がありませんでした。それでもな
んとか行きたいという気持ちだけははっきり持っていました。この気持ちを察知
して、ぐいと背中を押してくれたのは妻でした。「どこで死ぬのも同じだよ、お父
さん、行ってみたら」と励ましてくれました。ひょろひょろよたよた玄米のおに
ぎりと乾燥ケールをリュックに詰め、台北に向かいました。台北では二人の台湾
人中国医師が一緒になって脈をとり、漢方を処方して下さいました。処方箋もよ
くわかりません。ムカデ、蜂の巣、棗等々の何十種類の薬草が3種類に分けて袋
に入れられ、30個、1ヶ月分です。朝夕2回に分けて煎じて服用します。漢方に
慣れていない日本人の家庭ではこの煎じるときの匂いが大変です。飲むときのあ
の漢方特有のえぐい感じも相当なものです。ここでも私は薬草の種類やら効能に
はできるだけ頓着しないようにしてきました。そんなことに神経質になってもけ
っしてからだによくないと思ったからです。

 感心したのは二人の中国医師の人柄です。癌センターの主治医の人柄もけっし
て悪いとは思っていません。ただ、腕のいい西洋医師が鋭利なかみそりのような
緊張感を与えるのに対して、二人の中国医師はすごく穏やかなやすらぎを感じさ
せたのです。これはあくまでも直観であって、だからどうこうということではあ
りません。そう感じたのです。台湾の三軍総合病院の中医部長林医師の物静かで
温厚な姿勢に私はくつろぐことができました。ある種の恐怖感などまったくあり
ませんでした。さらに、高雄市立中医病院の院長楊先生の経歴は驚きでした。彼
女は澎湖島出身者でした。澎湖島を分析した私の著書も読んでいました。澎湖史
の研究者の脈をとるのは楽しいわとニコニコ笑っていました。楊先生は毎週、僻
地の澎湖に出張診療しているとのことでした。私も澎湖の馬公の街の無数の市民
の方々に混じって楊先生の診察を受けていると思うと不思議に心が落ち着いてき
ました。亡くなった澎湖の独立運動家呂振東さん、澎湖の生き字引鄭紹裘さんを
始め、懐かしい澎湖の友人たちがまるで私を応援しているかのような幸福な感じ
を味わっていました。こういうときめきは私の心とからだに絶対にいいに決まっ
ています。以来2年間、月1度航空便で漢方薬がわが家に送られてきます。首を
長くして待っています。昨年の暮には、林先生から、「経過が良好なのでしばらく
漢方薬を中断して自分の力で回復過程を促進したら」という助言もいただきまし
た。臆病者の私ですから一度に中断するのではなく、徐々に減量していこうと考
えていました。ただここにきて少し病状が動いている様子もありますので、改め
て処方し直していただきました。

 サプリメントにしてもそうです。まったくの偶然・場わたりの選択です。どれ
一つ効能やら成分やら治験の成績などを比較研究したものなどありません。私の
ゼミ生は在日コリアン、モンゴル人、台湾人、中国人と多国籍です。彼等に病気
のことはすべて話してきました。彼らがそれぞれの故郷から良いと思われるサプ
リメントを次々と持ってきてくれるのです。教師冥利に尽きるとはこのことです。
社会人入学の大学院生で在日コリアン人権擁護闘争のリーダーS氏はいちばん最
初に何やら高価そうな箱を抱えて見舞いに来てくれました。北朝鮮の高山でとれ
るサンファンとかいう名前の茸です。煎じて飲めば癌に効能ありというのです。
ところがきわめて硬く学部の食品研究室でも砕く方法がありませんでした。偶然
台湾に出張する同僚に台湾に持参していただき、台北の漢方薬街の専門店で粉々
に砕いていただきました。半年以上この茸を煎じたお茶を飲み続けました。大き
な鍋に水を一杯入れ、一定量の茸を入れて半分に煮詰めます。真っ黒なお茶が取
れます。それをペットボトルに入れて飲み続けました。

 台湾人大学院Oさんは、霊芝のお茶と歯磨きを持ってきてくださいました。も
ちろん有難く霊芝の歯磨きで歯を磨いています。モンゴル族のTさんは、チベッ
ト医学の秘薬だと称する紙包みを帰国するたびに持ってきます。もちろん何がな
んだかさっぱりわかりませんがありがたく服用します。実家が中国で養蜂業を営
む卒業生のS氏のお母さんが自家製の花粉を郵便局と苦労して交渉しながら送っ
て下さいます。台湾人の親友のK氏の未亡人Rさんはプロポリスをブラジルから
取り寄せて半年分づつ送って下さいます。要するに友人たちの真心という特別の
効能のあるサプリメントはどんなものでもありがたく服用します。ただ花粉だけ
はアレルギー反応が出て飲み続けることができません。花粉以外のサプリメント
は私のからだにぴったりあっているようです。からだが悪い反応をしたことはあ
りません。ケール4合、漢方薬朝夕大きなコップ2杯、各種サプリメント、ビタ
ミンC、総合ビタミン剤などいろいろなものを飲みますが、今まで一度も下痢や
腹をこわしたことはありません。信じることは恐ろしいことです。必ずいいもの
だと信じているのでからだもそのように反応しているのだと思います。

 ウォーキングにしろ気功にしろ熟慮して始めたものではありません。もちろん
からだに良いということはわかっていましたが、ある時に、よしこれだとピーン
ときたからです。前回私は、生活習慣を正すというところから私の闘病の柱を書
きましたが、それはいわば原稿を書くための後知恵の理屈づけでした。退院後、
癌生還者の体験談を読みあさりました。あっ、これだと生還者に共通するものが
ありました。進行癌、末期癌いずれであれ、生還した人たちに共通のものがあり
ました。生還者たちはほとんど例外なくよく歩いている人たちなのです。よく歩
くことが癌の特効薬であるなどと誰も証明できないと思います。でも一心不乱に
歩き、気功をし、太極拳をしている人たちが生還を果たしています。だから理屈
でなくこれだと直観したのです。この直観がなければ続けられなかったと思いま
す。
 気功や太極拳の本やビデオを買い集めました。動きが複雑なので本だけでは到
底できません。初心者にはビデオからの入門が一番でした。ともかく数ヶ月わけ
もわからないまま真似してみました。数ヶ月経ったときに、あ~あ、いい気持ち
だなと感じることが何回もおきました。しめた、と思いました。朝晩散歩をして
気功と太極拳をして家に帰り、妻の作った玄米と野菜たっぷりの食事をうまい、
うまいと食べるということが生活習慣として身についたように感じました。それ
から逆に考えて、なぜ気功や太極拳がからだにいいかということを思案して偶然
私の研究室に飛び込んできた中国人留学生で太極拳の達人、王さんと組んで、『太
極拳をはじめませんか』(仮題)を春秋社から出版することになりました。人生は
わからないものです。妻に、「あなたは転んでもただでは起きない」と冷やかされ
ています。ここでも理屈は後から貨車で運ばれてくるようです。

 宇宙の根源的エネルギーの「気」を大きくからだに取り入れ、循環させようと
する気功と太極拳はともかくからだを喜ばせてくれるのです。私には朝晩自然の
エネルギーを思いっきり吸収し、気分を爽快にすることが私の生命のエネルギー
そのものを大いに高くしていると感じたのです。論理でなくて直観、理屈でなく
行動、思案でなく決断、どれでもいいから走ってきたバスに飛び込む勇気、そう
いった一見すると軽はずみとも思われる態度が難病とたたかううえで不可欠なの
だと思います。癌患者にとって理屈はどうでもいいのです。究極のところ癌が暴
れず静かにしていてくれればいいのです。うまくいって消えてしまったら万々歳
です。西洋医学では、外科手術で切除し、放射線で焼き殺し、抗癌剤で殲滅する
ことを三大療法といいます。三大療法が適用可能な範囲はごく限られています。
適用が不可能になればそれでおしまい、というわけです。もちろん副作用も猛烈
です。

 しかし中国医学、代替療法まで視野を広げれば癌への対処策は余るほどありま
す。難敵とたたかうには武器が多いほうが良いに決まっています。もちろんこう
した無数の療法をどう組み合わせるかについての標準理論があるわけではありま
せん。一人ひとりの癌がそれぞれの異なる生活習慣のゆがみの結晶だとすれば、
癌に対する対処策は一人ひとり別のオーダーメードでなければならないはずです。
そのオーダーメードをどう作り上げるかは、今のところ、「これだ」という直観以
外にないように思われます。そうした直観力をみがくためには、癌の患者組織に
入り、苦労した戦友たちの体験談を注意深く聞いて自分の感性を鋭くする必要が
ありそうです。私は今、三つの患者組織に入っています。ガンの患者学研究所
(横浜)、いずみの会(名古屋)、ワハハの会(姫路)です。

 読者の皆さんは私が直観やら偶然やら友情やらを強調し、他力本願に場わたり
的に走り回っている姿を見て、なんだかさっぱりわからないとお感じかもしれま
せん。そこで私なりに、そうしたわけのわからない療法の組み合わせを私なりに
筋の通ったものとして皆さんにご説明する義務があると思います。次回にこの点
について細かく書いてみたいと思いますが、ここではその導入部分だけを書いて
おきます。2年前にご自身が前立腺癌で10年以上たたかっている陽気なI医師に
お目にかかりました。彼はこう言うのです。

 「江戸時代には結核も肺癌も区別できませんでした。まとめてこりゃ労咳だな
と診断し、漢方を処方していたんです。その時代にはそれで結構治った人いまし
た。今から百年も経ったら21世紀の初めには生活習慣病に外科手術や放射線治療
や抗癌剤投与などというなんて的外れなことをやっていたと言うかもしれません。
西洋医学なんて過大評価したら間違いですよ。からだのことでもようやく指1本
わかった程度のことです。心や魂のことになりゃ、全然わかっちゃいないという
のが本当です。だから西洋医学をそれだけしかないなどと思うよりも、あれこれ
組み合わせて何かうまいこといかないかな、という療法のほうがずっとうまくい
くんじゃありませんか。私は前立腺癌とたたかうためのキーワードはハワイと考
えています。ごらん下さい。6月でも診察室の中はストーブをたいてポカポカに
してますよ。吉田さんもハワイということを考えて養生して下さい」
 要するにI医師は西洋医学の水準などほんの初歩的なもので、傲慢になるなとい
ましめていたのです。

 癌が生活習慣病だという意味は、こころ、からだ、魂、さらには社会関係のゆ
がみの複雑な総計から生じたものだということを意味します。ですから、癌の発
生部位を局所的に切除したり、焼いたり、殲滅したりするだけでは複雑なゆがみ
を正すことは当然できないでしょう。癌は本質的に全心身がからむ病気である以
上、再発、転移を防ぐには局所の病変部だけに目をそそぐのではなく、こころ、
からだ、魂、社会関係の総体としての人間全体をとらえ、そのゆがみを正常化す
るという統合的な対策が不可欠のように思います。今、ホリスティックな医学と
いうことが叫ばれ始めたことはこのことを意味していると思います。ところがこ
のホリスティック医学にしろ、始まったばかりです。おそらく臨床的に効果のあ
る方法を確立するのは百年、二百年かかるのではないかとすら思います。ですか
ら当座は、さまざまな漢方、代替療法、食事療法、民間療法、ウォーキング、気
功、太極拳等々と西洋医学のなかの免疫療法をどのように組み合わせたらよいの
かは暗中模索が実情だと思います。暗闇のなかで、たしかに幾つかある療法を組
み合わせてこれなら効果を発揮するというオーダーメードの療法を作り上げるこ
とが難しいことはよく承知しています。その難しさを承知したうえで、次回はそ
の筋道を少し考えてみたいと思います。

 先日、オルタの読者のT氏(法政大学名誉教授)からビタミンCの大量投与と
いう代替療法について電話で懇切なご助言をいただきました。その晩は嬉しくて
寝られないほどでした。T氏は、私の記憶がまちがいでなければ、60年代の初頭
に杉田正夫というペンネームで『原爆帝国主義論』を出版した大先輩でした。歳
月は流れ、当時耳目衝動戦術を提唱していた大先輩が、見も知らない私にはるか
遠方から貴重な助言をして下さいました。このことほど心のときめきを感じた経
験は最近ありませんでした。大先輩に心から感謝申し上げます。
                      (筆者は姫路工業大学教授)
                                                  目次へ