【書評】

『砂川闘争とは何か』

―「オルタ」とのつながりから考える記憶継承と連帯
福岡 愛子

 これまでの寄稿記事でも何度かふれたが、私はジャーナリストの岡田充さんの仲介でメールマガジン「オルタ」に参加して、代表の加藤宣幸さんから砂川平和ひろばの福島京子さんを紹介された。2015年、ちょうど第二次安倍政権下で安保関連法案に対する反対運動が広がり始める頃だった。福島さんと一緒に沖縄の辺野古や高江を訪問する旅にも参加し、私にとって反基地運動が急に身近なものとなった。それは砂川闘争60周年の年でもあり、その記念集会を機に通い始めた砂川平和ひろばで、内外の老若男女と出会う機会に恵まれた。

 1955年当時、統一社会党の青年部・軍事基地委員として現地入りしていた仲井富さんとも親交を深めることができた。仲井さんが、自身の経験談を語るだけでなく様々な関係者のつながりを広げて下さったおかげで、私も若手研究者たちと共に、反基地運動や市民運動の歴史継承の一端に連なることができたのである。
そのうちの一人、当初はまだ大学院生だった高原太一さんが砂川闘争をテーマとして博論を書き上げ、昨年それを基に『砂川闘争とは何か――連帯の民衆史』と題する著書を出版した。その書評を書かせて頂く機会に恵まれ、拙文が「運動と研究のであう場所」と銘打った下記サイトに掲載された。

書評 高原太一『砂川闘争とは何か――連帯の民衆史』法政大学出版局(2025年) │ ピープルズ・プラン研究所

https://www.peoples-plan.org/index.php/2026/03/18/post-1582/

 しかし、その長文の書評に書ききれなかったことも多々ある。あらためてここで、1989年生まれの高原さんと1950年生まれの私と1933年生まれの仲井さんが「砂川」で出会い、世代を超えて聴き取り語り合ったことを、思いおこしてみたい。

 仲井富さんは、自分の人生においても日本の戦後史においても、砂川闘争がいかに重要であったかをくり返し強調した。しかし後年(今から思えば晩年)の語りで印象的だったのは、1955年10月から現地で自ら体験した「衝突」の激しさや「測量中止」の「勝利」感よりも、仲井さんたち動員勢力が去った後なお闘い続けた地元の人びとへの敬意だった。また1956年10月、最後の激突を経験した若い警官がその数日後に自死したことについても、当時の自分の感情と後年の気持ちの変化を、率直に吐露していた。
 高原さんも、学生として砂川に通い始めた当初から既存の「砂川闘争像への違和感」を聴きとり、「衝突中心史観」に「一石を投じる」ことをめざした。さらに、地元住民を中心に、「闘い」というより日々の暮らしに迫り、対立の構図だけでなくその分断線を乗り越える「連帯」の意味を問い直した。そして『砂川闘争とは何か』の最後の章「補章」では、博論執筆後に入手した「警察資料」について詳述した。その章を、仲井さんに読んでいただけなかったことは残念でならない。

 二人に共通する独特のエピソードのひとつが、仲井さん達を警棒で苦しめた側の警備警察に関することだった。
 「まだ青かった」仲井さんは、若い警官が遺書を残して自死したという小さな記事を読んだとき、その死を悼むどころか勝ち誇った気分になったという。しかし後年、砂川の反対同盟がその警官の死に際して弔慰金を送っていたことを知り、「保守リベラルの幅広さ、人間性」というものに感じ入った。2007年には、その警官が実は仲井さんと同郷の貧しい地域出身で、上京してからは都内の大学の夜間に通っていた勤労学生であったらしいことも知った。
 高原さんは2023年10月以降のパレスチナでの暴力シーンに触発され、「流血の砂川」で警官隊が国策に反対する人びとに対して行使した暴力のすさまじさを想起しなおした。そして戦前戦中との連続性に注目しながら、1956年秋の若い警官の自死についても記述していた。さらに、博論を提出した後に古本屋で偶然見つけたという「警察資料」を入念に読み解いて、「補章」として追記したのである。

 それは警察による「報告書」で、基地内民有地の測量に反対する学生・労働者が米軍基地内に侵入した「砂川事件」(1957年)前後のことが書かれていた。そこには他の在日米軍基地をめぐる前例からの教訓や、米軍基地のAP(エアポリス)との関係なども含めて、警備計画と出来事の報告が詳細に記録されていた。時系列的記述や図示も綿密で、反対運動内部の議論や予定までもがかなり正確に把握されていたことが察せられる。
 1956年の測量阻止運動に対する徹底した暴力性とは異なる、警察側の入念さや配慮さえうかがえる内容でもある。「砂川事件」当日1957年7月8日の記録として、基地内侵入は「暴力行為」を意図するものではなく「うっぷんのはけ口」を求めている状態とみなされていた。現に反対運動の当事者たちは、結局双方代表の話し合いによって事態は収拾し一人の「現行犯」逮捕者も出なかった、とつとに語っていた。それから2カ月も経った後に、彼らのごく一部(明らかに全学連や主要労組の指導部)が逮捕・起訴されたことで「砂川事件」は事後的に作られたに等しいという疑念が、この新資料によってますます深まるわけである。

 これからも新世代の研究者たちによって新たな資料が発掘され、異なる観点からの考察が加えられるであろう。
 高原さん自身、『砂川闘争とは何か』ではあえて捨象した社会党=総評に関する新資料に関心を寄せ、新しい課題に取り組んでいると書いている。近年、国会図書館憲政資料室に、砂川闘争に直接関与した社会党関係者の個人文書が立て続けに寄贈され、公開されたのだという。
 「砂川闘争」の根幹にあった現地当事者たちの精神に学びながら、多様な記憶と記録が対象化され、新たな連帯の広がることを期待したい。

(2026.5.20)
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