■歴史資料

□1937年総選挙の結果を報じる当時の新聞記事

   『東京朝日新聞』1937年5月3日付朝刊、総選挙を報じる
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現在の政治状況は、1937年の政治状況に似ているとよく言われますが、戦争 政策が進められ、民主主義の危機が深まるといった点のほかに、野党の躍進や それにもかかわらず居直ろうとする内閣など現在と驚くほど、似ている点が多々あります。
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◇◇波瀾を含む政局の新分野確立◇◇

◇国民の総意を映し、反政府陣営堂々四百!社大一躍倍加の進出  第二十回総選挙の結果は一日、二日の両日に亙る開票によって確定し、厳正な る国民の審判はここに下された。選挙結果は、最初より予想されていた通り、 定員四百六十六名の衆議院の新分野において政民両党の反政府連合軍は合計三百五十四名となり絶対多数を掌握し、一方両党の第一党競い合いは僅か四名の 差を以て民政党が依然第一党の地位を確保することとなった。次いで開票第一日以来目覚しき躍進振りを示した社大党は、遂に選挙前に約倍加して三十六名 を獲得し、既成両大政党並にその他会派に脅威を与え、我国無産政党のために万丈の気を吐いたのである。更に今回の選挙結果を政府陣と反政府陣について みるにまづ政府支持陣営においては唯一の与党昭和会は選挙前の二十四名から一挙十八名に衰退し、準与党と見らるべき国民同盟は辛うじて原状を維持し、 その他諸派、中立中の政府支持議員を併せても政府支持派は総数四十名に過ぎず、政府陣営はここに完全なる敗北を喫した訳である。これに対し反政府陣営 は政民両派並びに社大、東方及び諸派中立の一部合わせて尤に四百名以上に達することとなったが、政府支持派の敗退に対する反政府陣営の圧倒的勝利は決 して選挙の技術的巧拙に結果するものに非ず全く国民総意の顕現であり、国民 意思のありの儘の真姿と見るべきである。かくて今後の政局は右の如き国民審 判の結果を中心としていよいよ深刻にして、複雑な展開を見せることになろ う。

◇政局の暗雲はれず 政府政党睨み合い 動向決定に相当の時日  総選挙の完了によって政局はいよいよ新局面に展開することになったが、政民両党は総選挙における闘争題目をそのまま今後の行動に移し、民政党は早く も七日に新代議士会を開いて、町田総裁から林内閣打倒を目指し、政府と一戦を交うるの決意を表明することとおり、政友会も新代議士会を開いて民政党と 相提携し、一路倒閣に邁進するの意思を表明することになっている。この間にあって政府は総選挙における政民両党の闘争題目が林内閣打倒にあったとして も政友会内には相当内紛の危機がはらまれており、民政党内にも政府に好意を持つ穏健派が相当にあるから、数日経って選挙気分が薄らぐにつれ党内の情勢 も自ら変化して、両党の提携は結局困難であろうとの見解の下に静かに両党の態度を注視し、これまたすこぶる強気である。即ち政府は選挙の結果そのもの によって進退を決せんとする意思なく、選挙終了と共に政府、政党の対峙は新たに始まる訳で、政局前途は客観的に見て少なからず政府に不利な情勢を展開 してはいるものの、政局の動向が判然とするまでには相当の日時を要すべく、 その間政界は政府、政党の睨み合いという陰惨な空気に覆われ、政局は極めて 混沌たる状態を呈するであろう。

『東京朝日新聞』1937年5月3日付朝刊。 注:句読点の打ち方や仮名遣いなどを現在の使い方に直してあります。

(ちなみにこのときの選挙結果は定数466のうち、民政党179・政友会175・社会大衆党36・昭和会18・国民同盟11・東方会11・日本無産党1・その他35でし た)