【書評】回想のライブラリーを読んでー書評・感想・想い出
『回想のライブラリー』を私的に読んで
荒木 重雄
1 本書を手に取って第1章(essay 1)から読みすすめ、終章(essay18)まで読んで、著者・初岡さんの活動の経験や思いを堪能すると、もう一度読みたくなるのが第1章の「岡山県の山間僻地から広い世界に」である。そこに初岡さんの人となりや活動、思想のすべてのルーツがあるように思えるからである。
評者が初岡昌一郎さんを知ったのは、すでに氏が大学教員時代に入ってからのことである。本書にも出てくるソーシャルアジア研究会や安東自由大学、バリへの旅などに声をかけていただき、ご一緒させていただいた。評者自身に一言触れさせていただくと、評者は、変革志向の生き方を保ってきたつもりだが、組織的運動を好まず、窮民革命論に触発されてアジアへのかかわりを深め、インフォーマル・セクターに関心を向けたタイプなので、肝心の、初岡さんが主要な活動の舞台としてきた労働組合運動の分野にはうとい。そんな評者の目に映った初岡さんは、一言でいえば、「人との信に生きる人」である。
とびきりのヒューマニタリアンと言ってもいいかもしれない。人を信じ、人を愛し、人に寄り添い、人と和し、人と協調しながら、ゆるぎない信念を貫き、説得し、実現する。その、氏の優しさ、丁寧さと、ねばり強さを思うとき、その依ってきたるところとして、岡山での幼少期と国際基督教大学(ICU)での青年期の氏に思いが及ぶのだ。
氏は、岡山県の、氏が言うところの「山間僻地」の小集落の、素封家の広大な屋敷で、祖母に育てられて幼少期を過ごした。終戦を小学校(国民学校)の途中で迎えている。評者は氏の1歳下で、終戦を疎開先の村で迎えているので、氏の幼少時代は想像がつく。快活に振舞うが、内心、孤独で、人の生の本源的な哀しさ頼りなさを自然に感じ取っていた少年だったのではないだろうか。祖父の家に遺された古風な書斎で、読書の楽しみも知った。
中学校は、伯父が住む東京・武蔵野市で通い、はや、多読による博識と巧みな話術でつねに人の輪の中心を占めるようになるが、氏の人となりを育み全面開花させたのは、再び岡山に戻った、津山での高校生活である。
なにしろユニークな高校で、津山基督教図書館高等学校と命名され、無教会派の思想家・内村鑑三の薫陶を受けた地元の篤志家・森本慶三氏が、戦前に開設した図書館をベースに、戦後、義務教育修了後に学ぶ機会のなかった人たちのために夜間高校として創設された高校で、氏は、その昼間部1期生として入学した。
創立者自宅の庭先に建てた、十字架を頂く教会風の図書館が校舎で、創立者が聖書講読、子息が英語を、子息の奥さんが音楽(讃美歌斉唱)を担当。しかも、前東大総長・南原繁や当時の東大総長・矢内原忠雄をはじめ錚々たる人物が、内村鑑三門下生のよしみで訪れ、高校で講義する。さらにである、初岡さんは、教頭を務めるその子息の自宅の門長屋に居住して家族のように扱われたというのだから、そこで受けた影響は絶大なものであったろう。
豊富な蔵書に囲まれ、内村鑑三の著作をはじめ、多くの宗教・思想書を読み、マルクス・エンゲルスの著作や、岡山県出身の片山潜や山川均の著作にもここで初めて触れた。市内の他校の仲間たちも加え、平和運動のサークルや読書会を組織し、リーダーを任じた。
この、津山基督教図書館高校でこそ、氏の人生の方向が決まったと言っていいだろう。
大学は当然のように、国際基督教大学を選んだ。住まいは大学に近い井の頭公園裏の井上良雄東京神学大学教授の邸宅に寄宿した。戦時下の獄中体験からキリスト者となり、平和運動に積極的な井上教授から受けた感化も大きいだろう。
大学では、社研グループのリーダーとして、大学とのある程度の軋轢も経験しながら、「学内では一番左翼的で政治色が強い」活動に打ち込んだ。思想軸のキリスト教とマルクス主義に実存主義のアンガージュマンが加わり、氏が座右銘のようにその言葉を引く歴史家E.H.カーの思想と出会ったのも、このころである。
社会党青年部や関東社研連と学外活動も広がり、社会主義協会を含むさまざまな社会主義思想を遍歴しながら、ソ連型共産主義や前衛党指導、経済分析中心主義に疑問を感じはじめていた氏の歩みに転機をもたらしたのは、岩波書店発行の『思想』誌や『中央公論』誌を舞台に斬新な議論を展開した松下圭一や佐藤昇の大衆社会論であった。彼らは、民主主義の確立がもたらす社会の変化への期待、すなわち、民主主義はブルジョワ社会だけのものでなく、社会主義とその達成のための改革・革命にとっても不可欠であり、その目的を追求する組織の中でも欠かせないことを主張していた。
氏は、躊躇なく、両者の居宅に押しかけ、交流を深め、社会民主主義の道へ歩みだすが、この地点への到着は、岡山での幼少期や津山基督教図書館高校での経験や思索から連なる当然の帰結だろう。
民主主義の最も基本的な行動様式は、人を信じ、人を大切にし、人に寄り添い、人と協調しながら、よりよい状況を実現していくことである。氏は、その後、社会党青年部、社会主義青年同盟、ベオグラード大学留学を経て、モスクワ世界青年学生フォーラム準備会などを皮切りに、全逓本部書記、国際郵便電信電話労連(PTTI)東京事務所長、国際労働機関(ILO)労働側顧問・委員など、国際労働運動活動家としてキャリアを広げていくが、その活動を支えてきたのは、まさにこの、人を信じ、人を大切にし、人に寄り添い、人と協調しながら、よりよい状況を実現していく姿勢であった。
構造改革派や国際自由労連(ICFTU)の側に立った氏には、路線対立などで、人を信じられない局面もあったことと思われるが、それでも氏は、人を信じ、人を大切にし、人に寄り添い、人と協調しながら、よりよい状況を実現していく姿勢を貫いてきた。
本書は、この、国際労働運動のなかで出会ったさまざまな魅力的な人たちとの交流を描くのが主な内容だが、この部分について論じるのは、労働運動分野の知見に乏しい評者ではなく、運動を共有してきたどなたかに委ねたい。
余談だが、初岡さんが学生時代、コーヒー代が安い午前中を狙って新宿・風月堂に通ったことや、谷川雁の著作に刺激を受けたことは、評者にも共通する経験である。
2 評者は初岡さんの文章を「楷書の文章」と評したことがある。外連味や勿体つけたクセが一切ない素直な文章で、平明で、解り易く、しかも温かく、滋味がある。ときにユーモアも混じる。氏の人柄がそのまま表れた文章である。これも本書の特徴であろう。
思えば不思議な構造をもった書でもある。氏の生涯に亙る盟友である加藤宣幸氏が編集発行していた『メールマガジン・オルタ』(現『オルタ広場』)に書評欄の執筆を依頼されて書きはじめたものだそうだが、本に触れながらいつのまにか労働組合運動や運動で出会った人々に話が移り広がっていく。本の話と人々の話が違和感なく融通無碍に混じり合い、融合し、ストーリーが展開していくのだ。
各章に、じつに魅力的な人物が多数登場し、その人物たちと氏との交流がまたじつに魅力的に語られている。評者には、氏の話に聞いた人物や、氏とご一緒のときに会った人物と文中で再会して、あの人はこういう人だったのかと納得したり新たな情報を得たりで楽しめるのだが、評者が知る人物は登場人物のなかでそう多くはない。そこで思ったのだが、氏を知らない、そして労働組合運動分野にかかわり薄い人が読者だったら、本書はどう映るのだろうか。
本書は、先に触れたように、2005年から7年にかけて『メールマガジン・オルタ』に氏が連載した18篇のエッセイで構成されている。各エッセイは、異なるテーマで書評と人物論と運動回顧が交錯・融合して展開されるが、本書全体としては、初岡さんの自分史と、初岡さんという日本のベテラン活動家が実践を通じて見た国際労働組合運動史との側面をもっている。そこで、個人史および国際労働組合運動史として理解するためには、切り口と時期が異なる各エッセイを時系列を含めて俯瞰する助けとなる章がないのは不親切だなと思いつつ読みすすめたのだが、その役を見事に果たしているのが「あとがき」であった。ここでは、自身の歩みと思想・信条の推移や、性格の自己評価までを、じつに的確に要領よくまとめている。これから本書を読む方には、まず「あとがき」から読むことをお勧めしたい。
そして、ここで表白されている思想・信条をお読みいただければ、評者が冒頭で氏を「人との信に生きる」ヒューマニタリアンと評したことも納得いただけるだろう。
「あとがき」に記されたポイントの一つは、氏が後年、強い関心をもった「人間の安全保障」についての記述である。やや長いが、下に引いておこう。
[引用]
50代半ばに大学教員となり、国際関係論を担当したが、その頃の関心は国際関係を国家関係と見る伝統的視点から脱却して、安全保障、地球環境、経済の質的成長と社会的公正、人権と結社の自由、独裁と市民社会など、イシューの視点から国際関係を捉える事であった。
そのような視点の到達点が、1992年の国連社会開発報告において提起された『人間安全保障報告』であった。安全保障の視点を国家と国境の安全保障という狭義の軍事的な視点を超えて、人間一人ひとりの安全を保障する現代的な課題として広義にとらえる事である。この国連報告は、現代社会における社会民主主義にとってバイブル的な文書であると評価するのは過言ではないと思っている。 [引用おわり]
「人間の安全保障」は、評者も大学教員時代、担当したアジア地域研究や途上国開発論で軸とした概念であったが、それは、なにより一人ひとりの生存と尊厳を重視する社会経済政策であり、思想、価値観である。初岡さんがそこに自身の思想・信条との共通点を見いだしたのは頷ける。
ところで、評者は、初岡さんに、その人格形成の原風景となった山間の小集落や津山を見たいと、岡山への同行をせがんだことがあるが、それはまだ実現していない。
(2026.02.20)
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