8月15日に想う。 細島 泉 

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(1)国立追悼施設づくりを急げ


                             
 2007(平成19)年8月15日には、例年のように「全国戦没者追悼式」
が九段の武道館で行われ、私はその情景をテレビで見ながら、いつまでこういう
形が続くのかな、と考えこんでいた。
 今年も遺族代表ら約7000人が参列し、天皇、皇后、首相、衆参両院議長、
最高裁長官らも参加したのは例年どおりのようだ。国のために犠牲になった人々
を追悼し、平和への誓いを新たにする日、という趣旨でこうした儀式が毎年繰り
返されているわけだ。
 
 しかし、その趣旨がどれほど生かされているだろうか。
 まずは最も関連が深いはずの靖国神社の性格が現に変わりつつある状況をどう
するか。昭和天皇の歌「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひ
はふかし」にかかわる新聞記事がこの8月4日朝刊各紙に報じられている。
 故徳川義寛・元侍従長が1986年秋ごろのこの歌にこめた天皇の気持ちにつ
いて、「ことはA級戦犯の合祀に関すること」と述べたうえに、国のため戦死した
人の霊を鎮める神社であるのに、その祭神の性格が変わると思っていること、も
う一つが、あの戦争に関連した国との間に将来、禍根を遺すと考えていること、
と語っている。
 
天皇の憂慮の気持ちはまさに当然のことである。A級戦犯合祀を行った宮司及
び関係者の独断専行は非常に罪が深いといわねばなるまい。こうした軽挙妄動に
よって、本来国内問題であるべきものが国際問題に発展した事実はすでにわれわ
れの目前で展開している。
 従って神社当局、関係者としては、その分祀の努力を速やかに進めるべきであ
ろう。
 
それを成しとげたとしても、問題はまだ残る。従来から論議だけが続き、すべ
て先送りされている「国立の平和祈念・追悼施設」の建設に速やかに取り組むべ
きで、それと同時に靖国神社の位置付けを定める必要がある。
 従来、自民党政府は靖国神社が「わが国唯一の追悼施設」と固執し、国立施設
建設の方は先送りする理由としていたが、それは許されない。むしろ靖国神社は
大日本帝国の歴史的、文化的遺産として、一種の博物館のような存在で、また青
少年の歴史勉強のための施設として維持する知恵を出すべきであろう。 その場
合は、今の遊就館が示しているような偏向した史観(たとえば自虐史観反対など)
は当然再検討し、正しい歴史教育の場をめざすことはいうまでもない。
 また、千鳥ケ淵戦没者墓苑も靖国神社と合体化すべきである。無名戦士という
理由で別の扱いをするのは、国家の取り扱いとして公正を欠く。
 こうして新たな国立追悼施設を作るとすれば、それは北の丸公園が最適地であ
る。そうすれば毎年の武道館の行事は余り大げさでなく、別の趣向を考えてもよ
いではないか。


(2)餓死(飢え死に)した英霊


 「英霊」という語感はまことにおごそかである。あまりにおごそかであるため
に、ことの実態を見誤る恐れがある。
 私は最近『餓死した英霊たち』(藤原彰、青木書店)を見て、そのことを痛感す
るとともに、この戦争がいかに愚かな、不条理な、狂気の沙汰であったことにつ
いて、あらためて目覚めさせられた思いでいる。
 第二次大戦(日本にとってはアジア太平洋戦争)においての日本人の戦没者数
は政府資料には310万人、その中で軍人、軍属、准軍属の戦没者は230万人、
外地での戦没一般邦人は30万人、内地での戦災死者が50万人、合計310万
人である。
 
この書によれば、この戦争で特徴的なことは、日本軍戦没者の過半数は、華々
しい戦闘での名誉の戦死ではなく、餓死すなわち飢餓地獄の中での野垂れ死にだ
ったという事実である。
 たとえば、ガダルカナル戦での大量の餓死者の発生、ガ島は餓島といわれたほ
どの悲惨な有様だった。補給を全く無視して兵力を送り込み、戦死者の三倍もの
餓死者を出す有様、まさに太平洋戦争全局面を象徴する戦いだった。
 ニューギニアのポートモレスピー攻略戦も補給無視の無茶な作戦で、餓死地獄
が発生、その戦没者の統計は三割が敵弾による戦死、残る七割は病死だった。 ま
た、第十八軍はニューギニアの兵要地誌(現地の地形など)を全く知らない作戦
で、完全な壊滅状態となり、帰還者は1万3千人、実に90パーセントが密林の
なかで犠牲となった。
 
補給を無視した作戦として著名なのが、ビルマのインパール作戦。「1944
年、
どの点からみても成算のないインド領への大挙進攻を計画、無謀というほかない
作戦が第15軍牟田口廉也中将の功名心から実行された」とある。各参謀長も指
揮下の三個師団の各参謀長もあげて反対するのを押切り、形勢不利になると各参
謀長を相次いで罷免した。結局英印軍に完敗し、作戦中止となる。この戦線でも
戦没者18万5千人の78パーセント、14万5千人が病死(広義の餓死)だっ
た。
 
太平洋の戦場で最も多くの戦没者を出した地域はフィリピンで約50万人の犠
牲者が出ている。61万3600人のうち実に81パーセントの戦没者のほとん
どが病死、餓死である。
 中国戦線でも敗戦前二年間では病死者が戦死者を上回る。特に野戦病院での給
養が悪くなり、栄養失調、それに伴うマラリヤ、赤痢、脚気などで多数の病死者
が出た。
 以上の全体像からしても、いかに人命が軽視された戦争であるかが明白である。
 補給無視の作戦計画、兵站軽視の作戦指導、作戦参謀の独善横暴など、日本軍
隊の悪しき特質が露呈され、殊に人権無視は見逃すことができない。 21世紀
は”人間の安全保障”が重視される。自衛隊も旧軍の悪弊を脱皮するだけの努力
が求められている。


(3)国家戦略は「非核、非同盟、国際協調」


  7月末の参院選挙は、この国にとって近来にない歴史的な事件であった。
 大敗した安倍政権が受けた衝撃はことに強烈である。ただちに立ち直れるかど
うかは、自ら固執してきた路線を根本的に見直し、大胆に転換するだけの勇気と
柔軟性があるか否かにかかっている。
 「戦後体制からの脱却」、「憲法改正・教育再生」をあまりにも性急に、強権的
に押し進める態度は時代錯誤もはなはだしい。そこに思い至る感覚がなければ救
い難い。敗因は単に年金、政治とカネ、格差等々だけではないのである。 大勝
した民主党もまた、勝利に酔っている暇はないだろう。敵失が多かったこともた
しかにあるが、とにかく参院第一党の責任を十分に果たすための内部固めに早速
とりかからねばなるまい。
 
いずれにせよ、与野党ともに大きな課題に直面し始めている。なぜならこの選
挙が日本の政治潮流の潮目を変える一つのきっかけとなる可能性があるからであ
る。日本の政治やメディアは目先のこまかな現象に追われる傾向があるが、もっ
と国際的な広い視野に立って、しかも時代の底流を深く見つめる必要がある。
 今の日本が直面している最も緊急の課題は、「日米関係の再調整」だと思う。具
体的には、日米友好関係を堅持しつつ、日米安保体制は解消する。友好的な配慮
から、在日米軍基地はごく少数に限定し、基地貸与協定を結べばよい。 米国は
難色を示すだろうが、じっくり話し合う。日本側では、民主党ですら「北朝鮮は
脅威だ。日本の抑止力はどうなる」と消極的な意見は根強い。脅威とか、抑止力
などはかなりあいまいな概念で、そう重視する必要はない。
 問題なのは、日本自身の主体的なその体制をどう固めるか、であろう。一言で
いえば、非核国家を貫く、どの国とも軍事同盟を結ばない。従って国際協調の外
交を特に重視する。
 
この方針の基調は、先に述べたように、21世紀は”人間の安全保障”の時代
ということである。だから非人間的な核兵器は持たない。日米安保条約も米ソ冷
戦は終わり今ではすっかり変質し、最近の“日米軍事一体化”が示すように、米
軍の下請け的機能の色合いが強い。いつやめてもおかしくない存在なのだ。
 戦前の大日本帝国では「国体」即ち国家が至上のもので、国民はそれになびく
“民草”であった。戦後の日本は国民主権であり、人権尊重であり、「クニよりヒ
ト」なのである。
 
安保体制下のいまの日本の有様は真の独立国とはいえないだろう。真の独立を
めざすなら、脱安保があり、脱”戦後体制”なのである。そこでは憲法改正は全
く必要ない。
 安倍晋三グループのめざす脱”戦後体制”とは、一方で戦前回復をねらう保守
反動型であり、他方では安保強化、日米軍事一体化にそっているため憲法改正の
必要に迫られている。
 こうした二つの政治路線の競い合いがこれから始まろうとしている。いずれが
国民生活あるいは人間尊重の方へより進んでいくか、が少しづつ明らかになって
いくだろう。
 そして政治の様相も単に風まかせで動いていくのではなく、自覚的な民衆の力
が増え、それによって動いていくかどうか、この参院選がいささかのきっかけと
なれば、とひそかに期待している。
      (筆者は元毎日新聞編集局長・陸軍士官学校・東大卒・83歳)

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