■「行動する市民と社会」 岩根邦雄

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1965年になぜ生活クラブをつくったか。 私は戦時下にひもじい思いをしながら育ち、中学1年で敗戦になりましたが、 少し年上の者は戦争に行っております。したがって私たちの世代がイラクへの 自衛隊派遣問題を考える時は戦争の悲惨を実感します。もっとも石原都知事も 同世代ですから世代論で片つけられません。むしろ、この意見の相違は戦後日 本の針路をめぐって自民党のなかにもあった中曽根元首相と宮沢元首相の国家 像の対立に見るように明治維新以来、日本を遅れてきた帝国主義国家群に入れ ようとそれを追い求めてきた勢力とそうでない勢力、一人一人の人権を認める 者と認めない者の対立とも考えることも出来ます。 今、日本人は拉致問題などで北朝鮮を不法国家として激しく非難しています が、北朝鮮の問題を考えるときには戦後日本経済の復興にとって大きな影響を 持ったがそれは同時に朝鮮半島の一般大衆に甚大な被害をおよぼした朝鮮戦争 の悲劇、そして南北分断国家がなぜつくられたのかなどについても思いを馳せ るべきだと思います。

イラク問題にしてもニューヨークで起きたのはテロですが、イラク人にとってイラクでやっているのはアメリカの言うようなテロではなく抵抗運動(レジ スタンス)なわけです。これは第二次世界大戦中にフランスなどで戦われたレジスタンスを思い起こすまでもありません。 勿論、フセインや金正日がその国民に対してやっていることが許されるわけではなく酷い連中には違いはないのですが、そうかといって名分もなく武力を 発動するブッシュが正しいわけではありません。私は直ちにどちらが正しいか を簡単に言うことはできませんが基本的にはその国民自身が解決するものだと 考えます。 ただ、私が生活クラブをつくり、一貫して皆に働きかけてきたのは『人は皆 すべて対等であり、他人の生活を侵さず自らの生活も侵されず』と言う原則 と、すべてのことについて『自分の頭で考え、他人の責任にしないで行動す る』ということがもっとも大切であり、『歴史は誰かが創るものではなく自分 たちが創るんだ』という気概が必用なのだということでした。 私はカメラマンで非政治的な意識の持ち主である1人の市民として60年安保 闘争に熱心に参加し、樺美智子さん事件の現場にも立ち会うなどしましたが安 保条約の自然成立という政治的には深い挫折感を味わいました。その後、高度 成長体制下で、いろいろと模索しつつ、大きな政治的変動の流れにほんろうさ れながらも生活クラブの組織化にたどりついたのです。 60年代の日本、とくに東京は職住が離れていて男性は地域にいない。会社 に行ってしまっている。青年もキャンパスにはいても地域にはいない。いるの は主婦と子供だけです。

  そこで主婦に訴えるしかないので牛乳の共同購入運動に取り組んだのが生活 クラブなのです。最初は329本から始めましたが生活クラブの牛乳はすぐ腐 るなどと言われたり、いろいろな妨害にあいました。しかし、その体験のなか で牛乳の生産・流通のしくみ、さらには行政とのかかわりなどについても自分 たち一人一人が徹底的に学習し、自分たちの頭で考えたのです。これは牛乳に 次いで卵についても同じことをやりました。こうしてマスコミから得た知識で はなく自分自身が体験して確かめるという基本的なものの考え方を創っていっ たのです。そのなかで行政の壁にあたったりして制度改革の必要性を自分自身 が認識して次第に政治的改革の意思を持つようになっていきます。 そして、もう一つ訴えてきたのは『一人一人では弱いけれどおおぜい集まっ て共同購入ということで購買力を集めれば経済的に強い交渉力を持つ』という ことです。 この二つが生活クラブのすべてであります。 また、生活クラブは自分の住んでいる地域を良くするために自分の責任で取 り組むことに努めてきました。そのためには自分たちと行政・議員との間に 「御願いする関係」でなく持続的で有効な社会しステムを構築しようと考えた のです。

 その一つが『代理人運動』(生活者ネットワーク)です。(03年04月現在、 代理人=地方議員は153人) 中央集権国家日本の自治は3割自治などと言われ、多くの問題がありますが 私たちは住民・行政・議員というものをばらばらでなく一体としてとらえ、行 政と住民との間に良い意味での緊張関係をつくる必要があると考えたのです。 政治というと何か特別の人がやるものだと思われがちですが、そうではなく 住民自身が行政のシステムを変えていこうとするのが政治なのだと考えます。 身近な保育園の問題、食品の賞味期限問題・牛肉・米の問題など生活に関わる あらゆる課題を他人まかせにしないで自分自身の問題としてとらえ、具体的な 行動に取り組んで徹底的に学習して行けば、すべてが社会問題なのです。

公立保育園では収容力に限界があり、さらばというので私立保育園で補完さ せようとすると営利主義的な運営に問題が発生したり、賞味期限表示を業者が 勝手にごまかしたりする。さらに米や遺伝子組み換え大豆・飼料のとうもろこ しなどを少し深く考えれば、そこには南の飢餓に苦しむ人々に対し、アメリカ の余剰農産物を補助金つきで売りつけようとする構図などがはっきり見えてき ます。これらを自分自身の問題としてどう取り組んで行くかということこそ政 治なのです。 私たちはうっかりしていると自分は「食料援助」をしているという正義の側 に立っているつもりでも実際には南の人々の自立を妨げ、生活を破壊している 場合もあるのです。 イラク問題にしても真の復興援助とはイラクの人たちに何かをばらまいて恵 もうとするのではなく、自立できるように支援することが必要です。生活クラ ブはそういうことを自分の頭で考えながら行動しょうと呼びかけているので す。残念ながら、そういう行動をしても必ず成功する保証はありません。それ どころか成果を上げられないことの方が多いのですが、それでも私たちは人々 に働きかけ自分の責任で行動するほかないと考えます。その働きかけは紙のチ ラシに頼るのではなく、人から人へ直接働きかけるものでなくてはならないと 強く訴えます。