【視点】
「人気取り」選挙のもたらす日本政治の行方
――高市政権の長期的禍根を正せるか
羽原 清雅
突然の衆院選挙が進められる。新年度予算案の審議や関連法案の成立を放棄しての「党利党略」選挙である。選挙には有権者の納得しうる「大義名分」が求められるが、それが見当たらない。
就任早々の高市政権の支持率は高く、「いまこそ!」ということだろう。
国会が始まれば、「数」に頼る自民党一党が、この30年間の課題であった政治とカネの問題の決着をさらに逃げ続け、新たに政治資金システムから裏金を引き出す手法を編み出し、それを放置する実態がまたも攻撃される。軍事優先をさらに拡充するための安全保障3文書の改定により、国際緊張を煽りかねない、として批判を受ける。ふえる外国人への対応策の必要に乗じて対外排除の風潮を掻き立てる立法も責め立てられる。スパイ防止法案は言論の自由を脅かすものとして追及されよう。
そうした問題だけではなく、諸物価高騰の折から、政権が最優先の手を打つと言いながら、その対応は見送られる。脅かされる日々の生活が続く。安倍政権の右傾政策を受け継ぐ高市首相は、そのような方向を進める。
選挙による多数議席確保によって「政局の安定」を図ることは、一見真っ当のようだが、十分な論議もなく、「数」の力で日本の将来を軍事優先・外交軽視の方向へと持続させることにもなりかねない。民意を聞く「選挙の大義」が示されないからこそ、こうした不安が持たれる。
このまま沈黙していいのか。
目先ばかりに踊らされず、もう一度踏みとどまって、将来の日本のあり方がこのままでいいのか、あるべき日本の進む道はこれで良いのか、この選挙のもたらす現実を、踏みとどまって考える機会にしたい。
*衆院選の位置づけは 衆院議員の任期は4年。現議員の衆院解散が1月23日とすると、それまでの在職期間は454日、つまり責任ある任期の3分の1以下の任務しか果していないことになる。
解散する論拠は、内閣の助言と承認で天皇の国事行為としての解散(憲法7条)と、内閣不信任決議可決による解散(同69条)の2とおりあるが、7条解散は首相の判断・権限だけで進められるところから批判を受けている。
69条による短い任期での解散は「バカヤロー解散」(1953年吉田茂首相・165日)と「ハプニング解散」(1980年大平正芳首相・226日)の2回あったが、今回の高市首相による7条解散はさらに短期間での在任となる。国会の軽視とも言える。
新年度予算案審議の通常国会が12月召集だったころに国会冒頭に解散した例は佐藤栄作首相(1966年「黒い霧解散」時)、1月召集になってからは海部俊樹首相の「リクルート・宇野女性スキャンダル解散」以来のことになる。これらは国民に信を問うだけの背景があったが、今回は政治とカネの問題にすら手をつけないでの解散強行だ。
ちなみに、海部解散も36年前の、まさに今回と同じ1月23日のことだった。
*否めぬ政治空白 衆院選の実施のために、予算の執行は4月の新年度には間に合わず、1ヵ月程度遅れるとなれば暫定予算案を組まざるを得ない。「働いて働いて」5乗の公約、「責任ある積極財政」「中低所得層への手厚い支援策である給付付き税額控除策」「最重要の物価対策」などといった施策が軒並み遅れる。「小学校の給食費や高校授業料などの教育無償化」「各種の減税措置」「税と社会福祉改革」などは置き去りになる。国民の生活の軽視でもある。政治の空白は必至だ。口先と実際が異なる。
新年度予算案は一般会計122兆3092億円、前年比7兆円増。新規国債の発行、つまり国の借金は29兆5840億円、一方でこの借金の償還と利払い分(13兆円)の国債費が計31兆2758億円。つまり予算の4分の1が借金。現時点での国と地方の借金は1300兆円を超す。財政規律のありようからいえば、非常に不健全であり、これが常態化している。家計でいうなら、破産状態で容易なことではない。ピンチの財政である。
世相は今、貧富の格差を拡大する方向にある。株などで稼いでいよいよ富裕化する少数者がいる一方で、諸物価高騰による日々の生活費にあえぐ層はどんどん増えてきている。財政面での給付などではとても追いつかない。こうした階層に政治の光が当たっているのか。最近の犯罪の増加は、経済動向や生活苦に関連はないと言えるのか。
世相は今、人口減少が急ピッチで進む。1億2000万人から30年余には8000万人に向かっている。労働力の不足は各方面で進んでおり、身近な周辺の出来事が国の政策と密接にかかわって進んでおり、そこに政治の手が回っているか、ということでもある。
国民の年収の中央値は1995年に550万円だったが、2023年には410万円に低下、年収400円未満の世帯の比率は34%から49%と、大幅に増えたという(毎日新聞26年1月13日付)。
このような個人の生活が国の財政や政策と直接的に関わっていることを知って、貴重な参政権の一票を使わなければなるまい。
政党や政治家の好き嫌いではなく、国の施策がわが身に降りかかる現実を実感し、どの党、どの政治家がどう取り組むか、それをどう伝えてくれるか、そのうえで判断を下すことが望ましい。
「政治の空白」の及ぼす影響は見えにくくはあるが、結果的にはごく身近な現実の問題でもある。
*高市首相発言の招いた社会責任 高市首相は2025年11月7日の衆院予算委員会で、日本にとっての台湾問題の「存立危機事態」についての立憲民主党の岡田克也の質問に対して、台湾が中国の一部であることを認めつつ、「戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケース」と述べた。
「存立危機事態」とは、2015年の安全保障関連法で、同盟国に対する武力行使が日本の存立を脅かす事態を指し、そうした状況では脅威に対応するため自衛隊が出動できる、というもの。
この発言について、在大阪の中国総領事が、外交官であれば発することのないような愚かな発言をし、その後に中国側は相次ぐ対日攻勢に移った。
この台湾をめぐる微妙な問題について、歴代首相はどちらともつかない慎重な物言いをしてきたが、就任直後の高市首相は官僚の準備した文面を自ら手を入れて具体的に強める表現にした、という。このひと言が、日中関係を大きく悪化させた。中国の最もシリアスな台湾有事の問題に触れるべきではない刺激を与えたのだ。これは、新任とはいえ、国益への大きな疎外になった。
一国の首相として、不用意な発言ながら、メンツとして訂正することもできないままに日本の被害は続いている。こうした波紋の責任を問われる、愚かな言動である。
具体的は、訪日観光客などインバウンドの低迷、経済3団体の訪中延期、再開の決まった海産物輸出業務の停滞、浜崎あゆみら芸能などの興行の停止、軍事転用の可能性のある軍民両用品の輸出禁止、レアアース(希土類)輸出規制など広い範囲に及ぶ。
些細なようだが、島国日本の痛いところを突かれた形だ。とくに民間の日中交流については、観光などを通じた両国の交流は、お互いの文化や流儀、考え方、マナーなどを分かりあえて、敵対的な印象を避け、時間をかけつつ相互理解を深めていくチャンスがつぶされることが惜しまれる。
*高市政権、自民党への基本的な懸念 高市首相は思いがけない就任とともに、めったにない運に恵まれていた。2025年末に、折からのASEAN首脳会議、APEC首脳会議などで、トランプ米大統領、習近平中国主席をはじめ李在明韓国大統領、マレーシア、フィリピン、オーストラリアなどの各国首脳に会い、年が明けて李大統領と2度目の会談を持ち、またメローニイタリア首相の訪問を受けるなど、国際的な舞台で存在感を示すことができた。もちろん、会談とはいえ挨拶を交わす程度ながらも、パフォーマンスとしては成功している。
対中国のマイナスが大きいので、この国との外交をこなしきれるかはこれからの課題である。
問題はトランプとの関係である。横須賀の米軍基地で、この女性首相はトランプに対して縋り付くかの媚態を見せ、異様なほどの満面の笑みと姿態はこれが独立国の主人公かと思わせた。かつて小泉純一郎首相がブッシュ大統領の前でプレスリーの真似をした姿も見苦しかったが、これに劣らない高市像だった。
それはそれとして、トランプの相次ぐ、ありえないような国際的な言動に対して、高市首相が物申さず、追随するかの姿勢はどうみても「従属」を思わせる。「日米同盟」とは自国のステータスを捨て去ることなのか。言うべきことを言う、それが正当な姿勢ではないか。
トランプの異常性は、一方的な関税引き上げに始まり、イスラエルへの一方的支持とパレスチナ・ガザへの攻勢容認、ロシア・ウクライナ戦争への侵略する側への甘さ、グリーンランド入手の策略、ベネズエラへの突然の攻撃やマドゥロ大統領夫妻の拘束や裁判沙汰、その裏の石油利権狙い、麻薬がらみのコロンビアやメキシコ,キューバへの脅迫的言動、さらに気候変動枠組み条約をはじめ66もの国際組織や国際機関からの脱退などなど、国際法をないがしろにする言動に示されている。いわば、民主主義体制下のヒトラーのようでもある。
高市首相の問題は、その逸脱するトランプに追従するかの姿勢にある。国際法に照らして、おかしいこと、異常なこと、他国侵害の非などに、物申すことなく、むしろ暗黙の支持を与えるかのすり寄りである。日米同盟とはそういうものなのか。強いものに巻かれ、迎合と見られかねない言動は明らかにおかしい。すべて、と言うことではないが、そうした事態にものを言わないことは、国際的に不正義を許容することになりかねない。そこに、この時代を統括する首相として、責任を問われる。
このトランプへのべったり感と、対中国に乱を招くかの姿勢は、日本外交に反映する。
日本はアジアにあり、アジアに生きながらえなければならない。だが、より近い中国との意思の疎通は弱く、対立的でもある。外交交渉は、トラブる以前に、友好の会話を持たなければならないが、それが弱い。せめてバランスを取らなければならない。中国側にも問題は多く、だからこそ対話の機会が強く求められ、民間交流を含めて相互理解の外により意思の疎通を強めなければならない。
日本の外交は中国には対立的、米国には追随的、の印象が強い。今後、自立性を高める必要に迫られよう。中国とは、相違点は相違点、過去の不始末は不始末を認め、接近の対話を日常的に保たなければならない。高市外交はむしろこれに逆行して、対米オンリー、対中不接触、とくに沖縄周辺を見ると軍事的対決風でさえある。
長く権力の座にあった政府自民党による対中国姿勢を変えていく必要がある。中国にも対外的、国内的に問題も多い。それでも、国際間の平和を求めるならば、大国との距離感を主体的に保たなければなるまい。そこに、大きな懸念がある。
*立憲民主党と公明党の結集問題 にわかな解散劇のなかで、にわかに野党再編の事態が生まれた。高揚する高市政権、問題を解決せず、維新の会にすがる沈滞の自民党。これに対する方向性を見失った野党第1党の立憲民主党と、低迷から抜け出せずにあえぐ公明党。
立憲・公明の突発的な事態に「野合」の批判がある。その一面は否定できない。しかし、政界が息を吹き返すには注目はされよう。
「中道改革連合」という足場を共にする姿勢は不自然ではない。有権者の多くはかねて「中道」のレベルにあったが、この勢力の一部が次第に富裕化して離れ、かなりの部分は物価高と収入の低迷で下層化して転落、こうして「中道」は退潮気味になっているが、自民党の右傾化の強まる中で、この階層への着眼は妥当と思われる。
異色の組み合わせのようだが、小選挙区制導入時のほぼ30年前、1994年の「新進党」結党から3年間、日本新党の野田佳彦、公明党の斉藤鉄夫のふたりには当選1回生としてこの新党で合流した経験がある。
政策的には現行憲法の充実、核兵器廃棄、生活環境の安定などでは一致しているが、公明党が自民連立時代に同調した安全保障法制、原発再稼働などについての扱いが残される。
ただ当面は、両党の衆院議員は合流するが、参院議員と地方議員はそのまま両党に残るという。突然の事態とはいえ、泥縄的で中途半端ではある。
筆者(羽原)は、この選挙中に結党を急がず、この時期には新党の大きな方向性を示すにとどめるとともに、いずれ政権を取るといった姿勢で将来性に布石を打つことに力を注ぐ。また、有権者に大きな長期的な夢を語り、同時にこれまでとは異なる政権への覚悟と努力を明らかにして将来性をアピールするなど、内部の統一性と地方の組織化に努めて、十分な体制で走り出しつつ、各方面の期待に添える行動を、と考えていた。
というのは、公明党は地方議会に一定の勢力を持ち、これまでの自公時代には首長選挙で同一候補を推し、議会では与党の立場にあって、自公協力が根を張っているが、立憲の地方議会での議席はごく少数で、しかも公明勢力とは対立関係にあったケースも多い。そこで、各地で両勢力が十分な交流を持ち、理解度を高め、そのうえで選挙後に正式に結党することが望ましい、と考えていた。
一枚岩的上意下達型の公明党が、宗教政党から中道を掲げる政党となるには、それなりのプロセスを擁する、と思ったのだ。地方組織への配慮である。
「中道」の概念はややつかみどころがない。かつての保守対革新という区分のイメージが崩れ、右派と左派も分かりにくくなった昨今、「リベラル」と言う呼称が使われるが、「中道」との関係をどう考えるか。リベラルは革新的、左派的のイメージでとらえられるが、政治動向を批判的に見たり、対比的に考えたりする層を含む。政治的関心も強いと言えよう。公明・立憲の合流に当たって、このリベラルは阻害されるか、あるいは内部的な客観的視点を持つものとして尊重するか、興味深い。新党の視界の狭さ、広さにも関わるだろう。
自民・維新の保守右傾化政党VS中道型政党という新たな構図を継続することは重要な転機であり、将来の日本のありようをめぐって方向性、政策指針などに十分な検討を進めることが必要だろう。自民党自体も体質改善を進め、両勢力が政権を争う前に、政党としての理念を固め、党内外に徹底することが求められる。旧来の惰性的、目先き的な体質を改める好機にしたいものだ。
*参政党の存在を疑う 日本政治の右傾化が進む。小党の台頭が相次ぐなかで、地方議会の足場を作ってきた参政党には、格別の目を持って見続けなければならない。
高石政権の周辺には、自民党内でも旧安倍派出身の右傾議員が多い。中国との対決ムードのもと、核兵器問題や殺傷兵器の導入や保有、あるいは旧安保3文書の改定による軍事強化、沖縄の基地体制の推進など、和平努力以上に軍事化努力に熱中する。
そうしたムードに乗りながらも、自民党に飽き足らない有権者が参政党の支持に代わる。また、日本の戦争参加の経緯、実態、もたらされた惨劇の結果などを知らない世代、知ろうとしない年代も多い。そうした若い世代が、既成の政党に飽き足らず、新党に向かう。
参政党はその流れに乗って議席を増やす傾向がある。社会の流れであり、否定はできない。SNSなどに反応しても不思議はない。
だが、戦争を知る高齢者に目をつぶり、過去の歴史動向や政治の歩みの成否を未体験の若い層を啓発しようとしない政治勢力には課題が多い。
とくに「創憲」をうたう参政党の「新日本憲法(構想案)」を見ると、現憲法にある思想・良心、信教、表現、居住・移転・職業選択、国籍離脱の自由、人権尊重に触れていない。裁判を受ける権利、拷問の禁止、黙秘権、弁護士依頼の権利なども示されていない。
「核武装は安上がり」(塩入清香参院議員)、「日本軍の中国侵略はウソ」(神谷宗幣代表)といった発言もある。
こうした異様な政党が人気を呼び、国会に議員を送り出すことは怖い。政党は人気ではない。その主張が先行きのひとり一人の生活状態を左右する以上、惑わされることのないよう、有権者は上滑りせず、各政党の取り組みを十分に見極めておきたい。
(2026年1月18日現在・元朝日新聞政治部長)
(2026.1.20)
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