■【コラム】フォーカス:インド・南アジア(44)
「バングラデシュ初の原発が問う~誰のための電力、誰のための開発~」
はじめに
バングラデシュ初となるループール原子力発電所(Rooppur Nuclear Power Plant)の稼働が近い。1号機は2017年、2号機は2018年に本格着工し、1号機では核燃料装荷が行われた。首都ダッカから北西160km、パブナ県のガンジス川東岸に位置し、出力は2基合わせて2400MW、建設開始から約10年が経過したが、その事業構想は60年以上前にさかのぼる。
本稿は、バングラデシュ独立前から60年以上に及ぶ原発建設の歴史をたどりながら、ループール原発建設計画を検証し、原発と人間社会の関係について考える。
1.60年以上続いた「原子力の夢」
近年、急速な経済成長を続ける諸国には、安定した電力供給の確保は国家的課題である。電力は、産業、交通、医療、教育、農業などの社会経済活動を支える基盤であり、人びとの生活に不可欠な社会資本でもある。バングラデシュは1990年代以降、縫製業による軽工業製品の輸出拡大を背景に高い経済成長を維持してきた。また、産業活動や都市化の進展に伴い電力需要は急速に増加している。
だが、電力が必要であることと、原発が必要であることは同じではない。導入する発電源は、原子力発電でなければならないのか。問われるのは、その電力が安全かつ安価に持続して農村や小規模産業、辺境地域にまで行き渡るのか、配電網の整備は十分かという点である。さらには、原発事故や放射性廃棄物、巨額の債務、対外依存などの代償を負いながら、原発を選択する必要があるのかが問われる。
現在のバングラデシュの大地に原発を建設する構想の起源は、1950年代にアイゼンハワー米大統領が提唱した「平和のための原子力(Atoms for Peace)」にまでさかのぼる。1947年に分離独立したパキスタンでは、原子力を科学技術力の獲得と近代化の象徴とする考えが形成され、軍部中心での原子力・核開発計画が進められた。しかし1958年、パキスタン政府の要請を受けた米国の原子力専門家エドウィン・D・キルブリッジ(Edwin D. Kilbridge)による『報告書』は、東西パキスタンの電力需要や発電コストを検討し、大型原発導入に経済合理性から否定的な評価を示した。
しかし、『報告書』の否定的な評価にもかかわらず原発建設構想が断念されることなく、「原子力を保有すること」自体がイスラーム国家発展の象徴として意味を持ち続けた。すなわち、「開発=善」「原子力=近代化」との軍部・政府や科学者・技術者らの構想は継続し、経済合理性への疑問は置き去りにされた。
1961年から東西パキスタンでの原発建設が具体化し、1963年に東パキスタンではループールが建設予定地に選定され、200MW級原子炉の建設計画が進行した。
1971年の独立戦争のため中断したが、事業は新国家バングラデシュへ継承された。1973年のバングラデシュ原子力委員会(BAEC)設立後も、発電規模や協力国候補を変えながら原発建設計画の検討が継続した。しかし、軍事クーデターの続発など長期の政治的不安定な状況のため、「原発計画は夢」とも評された。
2000年1月、アワミ連盟(AL)のシェイク・ハシナ(Sheikh Hasina)政権は、『バングラデシュ原子力行動計画』(BANPAP)を承認した。2007年にはBAECがループールに500MW級原子炉2基を建設する計画を立案、中国、韓国、ロシアが技術・資金協力に関心を表明した。そして2009年、2400MWのロシア型加圧水型炉(VVER-1200)による巨大事業が決定した。独立前の1960年代に構想された200MW級原子炉は半世紀を経て、設備容量2400MWの巨大原発計画へと発展した。
2011年、バングラデシュ政府とロシア政府は、原子力発電所建設に関する政府間協定を締結、ロシア側では国営原子力企業ロスアトム(ROSATOM)が事業を主導、2015年にBAECとロスアトム傘下の原子力エンジニアリング企業アトムストロイエクスポルトが総額126.5億ドルの建設契約を締結し、その約9割をロシア政府が国家信用とする融資することが決定した。バングラデシュは、2400MWの原子炉発電設備だけではなく、資金、燃料、保守、廃棄物処理まで、長期にわたりロシアへ依存する原子力技術体系を受け入れる。
2017年11月30日、1号機で最初のコンクリート打設、2号機でも2018年7月14日に初打設が行われ、2024年までの完成を目標として工事が進んだ。コロナ禍で遅延した後に工事は進行、2023年10月には、1号機用の初装荷核燃料がロシアから到着し、記念式典ではプーチン大統領とハシナ首相がオンラインで祝辞を述べた。その後、ダミー燃料集合体による各種試験や規制当局の審査を経て、2026年4月に1号機への核燃料装荷が開始され、本格商業運転が近づいている。
だが、この60年以上は原子力技術の発達の歴史だけでなく、人類がチェルノブイリ原発事故や東京電力福島第一原発事故(以下、東電福島事故)による被害を経験した歴史でもある。1950年代の「原子力の夢」をいま実現するのであれば、その間に原子力をめぐる現実を、改めて検証する必要があるだろう。
2.126.5億ドルの電力は誰に届くのか
バングラデシュ政府の「2024~2025年度改訂年次開発計画」(RADP)によるループール原発事業への累積支出は、2023~2024会計年度末までに現地通貨で7374億6060万タカ(約63億ドル)に達し、総事業費126.5億ドルの約半分が投入済みである。
Goswami、Rahman、Chowdhury が2022年に学術誌『Environmental Science and Pollution Research』へ発表した論文は、均等化発電原価(発電所の建設から廃炉までに必要となるすべての費用を、生涯に発電すると見込まれる総発電量で割る、1kWh当たりの平均発電コスト、LCOE)を用いて、ループール原発と、インドのタミル・ナードゥ州にあるクーダンクラム原発(KKNPP)の3・4号機(合計出力2000MW、当時建設中)を比較した。KKNPPではすでに1・2号機が稼働中であり(1号機は2013年、2号機は2016年に商業運転を開始)、3・4号機はロシアの技術協力のもとで建設が進められている。同研究は、ループール原発の発電コストを1kWh当たり9.36セントと推計し、KKNPP3・4号機の5.36セントより約75%高いと評価した。
さらに、原発を建設しただけでは電力は人びとに届かない。2400MWの電力を全国の電力系統へ組み込むためには、大容量送電線に加え、変電所、変圧器、開閉・保護設備、地域配電網など送配電設備の整備が必要となる。これら設備の整備がなければ、原発の発電能力を十分に活用することはできない。ここで問われるのは、「誰のための電力なのか」である。
バングラデシュは1990年代以降、縫製業を中心とする輸出拡大により高率の経済成長を維持したが、その成長の成果が社会全体へ均等に及んではいない。『2022年人口・住宅センサス』(Population and Housing Census 2022)によれば、農村人口は約68%、都市人口は約32%であり、人口の過半は現在も農村部で暮らす。電力需要は都市部と工業部門が中心だが、国全体の発電容量が増加することと、農村住民の生活が改善することには直結しない。農村では、家庭電気製品や照明だけでなく、学校、診療所、灌漑施設、農産物の保存・加工、小規模商店や地域産業など、人びとの生業を支える電力が必要とされる。
一方、バングラデシュには、大規模発電所や全国送電網だけに依存せず、農村部へ電力を普及させてきた実績がある。その代表例が太陽光ホームシステム(Solar Home System、SHS)である。送電網が未整備な農村の各家庭に、小型の太陽光パネル、蓄電池などを設置し、必要な電力を家庭単位で供給する仕組みである。政府系機関(IDCOL)を中心として、NGOや民間事業者が設置、融資、保守を担う方式で普及が進み、2000年代以降、400万台を超えるSHSが設置され、約2000万人が電力サービスを利用する。
巨大発電所で発電し長距離送電する方式とは異なり、電力を必要とする地域で小規模に発電し、その地域で利用する分散型電源は、バングラデシュで既に広く普及している。太陽光を中心とする地域分散型電源に、蓄電設備、ミニグリッド、地域送配電網を組み合わせれば、人びとの生活や生業に近い場所で電力を供給できる。もちろん、再生可能エネルギーにも土地利用、機器製造、廃棄物などの課題はある。
すると最重要な問題は、「原発か、電気のない生活か」という二者択一ではない。巨大集中型電源への投資と、分散型電源・送配電網への投資のいずれが、人びとの民生向上により大きく結び付くのかである。そして、その比較は発電コストだけではなく、安全性、事故の危険性、放射性廃棄物、長期に及ぶ対外依存、将来世代への負担まで含めて行われなければならない。
3.ロシア、中国、インド――原発がつくる長期的な国家関係
ループール原発は、ロシアの原発輸出戦略を象徴する事業である。ロシアは国家信用として建設費の9割を融資し、燃料を供給し、運転開始後も燃料供給と技術者育成を担い、使用済み核燃料も引き取る。原発輸出は原子炉売却だけのビジネスではなく、金融・燃料・保守・廃棄物管理を通じて輸出国と導入国を半世紀以上も結び付ける。この長期的依存関係は、第三国インドも巻き込み構築されている。
2018年3月には、ロスアトム、バングラデシュ科学技術省、インド原子力庁の3機関が協力覚書(MoU)を締結し、インドによる技術協力、人材育成、コンサルティング、建設経験の提供などを内容とする。建設工事では、インド企業が下請けとして工事の一部を担う。ループール原発はロシアが主導する事業であるが、実際にはインドも重要な役割を担う国際共同事業である。
大きな影響を与えたのが、2022年のウクライナ侵攻である。対ロ制裁でドル決済が困難になると、ロシアはルーブル決済を求めたが、バングラデシュの求めにより2023年に中国の人民元での支払いに合意した。制裁対象のロシア船はバングラデシュ港湾に直接入港できず、インド経由での機材輸送も生じるなど、物流面でも影響は大きい。原発事業は二国間関係だけで完結せず、米欧の制裁、中国の人民元決済、インドの地理的位置までも巻き込む事業であることが明らかである。
2024年8月、学生・市民らの反政府運動で政権崩壊後にハシナ前首相はインドへ逃れた。その後、ムハマド・ユヌス暫定政権を経て、バングラデシュ民族主義党(BNP)が2026年2月総選挙で大勝し、タリーク・ラーマン(Tarique Rahman)政権が発足した。しかし、政権交代後もロシアとの融資、燃料供給、技術協力は継続している。ラーマン首相は6月、就任後初の外国公式訪問として中国を訪問し、習近平国家主席と会談した。両国は関係強化を進めており、さらに中国の原発企業は、南部ベンガル湾沿岸での第2原発(2000~2400MW規模)の受注に関心を有しており、今後の動向が注目される。
ループール原発の完成は、バングラデシュが原発を建設・規制・運転する制度と人材を備えた国となることを意味し、今後、南アジア・東南アジア諸国における原発導入にも影響を与える可能性がある。
4.核不拡散と「原発の安全」は別の問題である
バングラデシュは核兵器不拡散条約(NPT)加盟国であり、国際原子力機関(IAEA)との保障措置協定を守る。使用済み核燃料はロシアへ返還することとされ、国内で再処理を行わない仕組みは、核不拡散において重要である。再処理施設を保有すれば、使用済み核燃料からプルトニウムを分離することが技術的に可能となるため、核不拡散の観点から国際社会は再処理能力の拡大に慎重な姿勢を維持してきた。なお、日本は「核燃料サイクル」政策として、青森県六ヶ所村に再処理施設を建設しているが、2026年8月現在も本格稼働していない。
インド、パキスタン、中国など「核保有・核兵器国」に囲まれた南アジアで原発を導入するバングラデシュを、NPTと保障措置の下に置く意義は大きい。また、現在確認できる資料からは、ループールが核兵器開発を目的とした計画とは言えず、バングラデシュ研究専門家も「現在のところバングラデシュには核兵器開発計画はないだろう」とコメントする。
しかし、NPT加盟を原発の「安全性」と混同してはならない。NPTと保障措置の目的は核物質の軍事転用の防止であり、事故が起きないことを保証する制度ではない。VVER-1200は、非常用炉心冷却系、二重格納容器など多重の安全設備を備え、過去の事故を踏まえて技術が改良されている。だが、その時点で最大限の安全対策が施されていても、事故発生の可能性をゼロにはできない。自然災害、設備故障、人的・組織的要因が複雑に重なり、設計時の想定を超える最悪事態に至る可能性は残る。
原発重大事故の被害は施設内にとどまらず、避難、土地や水の汚染、農業や漁業への影響、地域共同体の分断など、その影響が社会全体に及ぶことを私たちは既に経験している。ループール周辺にも農村や農地、河川があり、人びとの生活と生業が存在する。安全設備の数だけでなく、万一事故が起きたとき、誰がその被害を引き受けるのかという問いを正面から考える必要がある。
まとめ 原発と人間社会の関係
ループール原発は、増大する電力需要、政府の工業化政策、ロシアの原発輸出戦略、そして「原子力=近代化」とする歴史的発想を背景として実現した国家事業である。しかし、原子力発電は単なる発電技術ではなく、「近代化」の象徴でもない。巨額の建設費、長期に及ぶ対外依存、使用済み核燃料と放射性廃棄物の管理、重大事故による被害まで含めた総合的な評価こそ求められる。
現代社会において電力は不可欠であり、発展途上国のエネルギー利用を否定はできない。バングラデシュの人びとにも、安定した電力を利用し生活を向上させる権利がある。大量の電力を利用して経済成長を続けた日本が、これから発展しようとする国の人びとに「電気を使うな」と言うことはできない。原発の安全性を問うことは、その権利を否定することではない。真に考えるべきは、太陽光、蓄電設備、分散型電源、送配電網を組み合わせ、都市だけでなく農村を含む社会全体へ利益を届ける電力供給を、いかに安全かつ持続可能な形で実現するかである。
事故の可能性をゼロにはできないことは、すでに述べた通りである。例えば、日本の原子力規制委員会は、新規制基準への適合を審査するが、「安全を保証するものではない」と繰り返し表明している。加えて、事故が起きなくても使用済み核燃料と放射性廃棄物は残る。さらに、建設、燃料供給、保守、廃棄物管理をめぐる課題は長期間に及び、国家間の依存も半世紀以上続く。原発は、短期的な電力供給と引き換えに、将来世代へ長期の危険と負担を残す技術である。私は、原発は人間社会と共存できないと考える。
また、バングラデシュは2019年に核兵器禁止条約(TPNW)を批准し、核兵器廃絶を支持する立場が明確である。一方、日本は世界で唯一の戦争被爆国を強調しながら、TPNWに加盟せず、締約国会議へのオブザーバー参加すら拒否している。東電福島事故を経験した日本こそ、核兵器と原子力利用の双方を問い直す責任を負うべきではないか。原発導入を進めるバングラデシュについて、「原発を有すること」だけを論評するのでは十分ではない。核兵器廃絶に向けたバングラデシュの姿勢には、日本が学ぶべき点が数多くある。
日本は、東電福島事故を経験した原発事故大国である。事故から15年以上を経た現在も、2011年3月11日午後7時3分に国が発令した「原子力緊急事態宣言」は解除されておらず、私たちはいまなお原子力緊急事態の下で生活している。避難、故郷の喪失、地域社会の分断、放射性物質による環境汚染など、事故の被害は現在も続く。福島県では、子どもたちに甲状腺ガンが確認され、その健康と将来をめぐる問題は現在も続いている。そこまでして危険な原発にしがみつく必要があるのか、いま私たちが問われる。
日本から世界へ伝えるべきは、原子力技術や安全神話などの「明るい側面」ではなく、人間を苦しめる厳しい現実である。バングラデシュをはじめ原発導入を模索し進める国々の人びとにも、東電福島事故の経験と教訓を伝えることは、日本に住む「同時代人」としての私たちの責任である。
「誰のための電力であり、誰のための開発なのか」。ループール原発を問い直すことは、東電福島事故を経験した日本を問い直すことでもある。
(ふくなが まさあき、大学教員)
(2026.8.20)
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