■【コラム】フォーカス:インド・南アジア(42)

「ゴキブリ人民党」から見るインド社会の現実

福永 正明

はじめに

 2026年5月、インドで「CJP」という奇妙な名前が急速に広がった。Cockroach Janta Party、「ゴキブリ人民党」である(注記:「ゴキブリ」という語は不快感を伴う表現であるが、本稿では、この語をあえて自称として用いている運動の実態を示すために使用する)。
 政党と名乗るが、登録された正式な政党として生まれたものではない。SNS上で浮上した、風刺であり、抗議であり、若者たちの自己表現である。
 6月6日には、首都ニューデリーで初の集会・デモが行われた。現地報道によれば、全国から千人規模の若者らが集まり、大学入試などの試験不正と政府の対応に抗議した。
 CJP創設者とされるアビジート・ディプケ氏(Abhijeet Dipke、30歳)が米国から帰国、街頭抗議を主導した。独立系メディアThe Wire(6月7日付け記事)も、ディプケ氏のSNSでの呼びかけに応じ、デリーのジャンタル・マンタルに抗議のため若者多数が集まったと報じた。ジャンタル・マンタルは首都中心部にある歴史遺跡公園であり、さまざまな主張や抗議を掲げる集会の場として2010年代まで頻繁に利用されてきた。しかしその後、治安当局や管理者による規制強化のため、集会開催が制限されていた場所である。
 この動きを、単なる「若者の怒り」や「Z世代の決起」とするだけでは足りない。そこには教育、雇用、家族、政治をめぐる構造問題がある。なぜ若者たちは「ゴキブリ」という名を選び、試験不正への怒りが拡大したのであろうか。本稿はCJPの背景となる社会の混迷を論じ、日本の私たちにこの現状は何を語るのかを考えたい。

1 CJPの登場と「ゴキブリ」の意味
 CJPという名前を考えるには、まず「ゴキブリ」という言葉の意味を考えなければならない。ゴキブリは、人びとから忌避され、排除され、見ないことにされる存在である。駆除すべきもの、目の前に現れてほしくないものとされる。しかし同時に、どの地域にも、どの家庭や職場にも、社会の隅々にいる。どれほど見ないことにしても、存在そのものを消すことはできない。
 若者たちは、その名に自分たちの姿を重ねた。軽んじられ、邪魔者扱いされ、政治や社会から見えないものにされている。しかし、自分たちは少数の例外ではない。インド社会のどこにでもいる。排除されても、無視されても、消える存在ではない。CJPという名称の核心は、単なる不快語の逆用ではなく、社会から忌避されながらも遍在する存在だという自己認識にある。
 さらに、CJPという名には、もう一つの皮肉が込められているという。現政権を担うインド人民党はBJP(Bharatiya Janata Party)であるが、Cockroach Janta PartyはCJPを名乗る。Bの次のアルファベットはCである。この意味を公式に説明していることは確認できないが、報道ではCJPがBJPを風刺する動きとして受け止められている。インスタグラム(Instagram)上にも「CJP対BJP」や「選挙シンボル」としてゴキブリの図柄を掲げる投稿が多い。そこには、見下されてきた若者たちが、BJPの次へ進む存在としてCJPに期待する意識が表れている。
 CJPは、ディプケ氏が始めたオンライン運動を基盤とし、SNSで複数の運動関連アカウントでのフォロワーは、2200万人超とされる。同氏は西部インドのマハーシャーストラ州プネー市(Pune)のカレッジでジャーナリズムを学び、その後は米国ボストン大学でパブリックリレーションズ(広報)の修士号を得た。政治コミュニケーションやオンライン・キャンペーン戦略に関わってきた人物ともメディアで紹介されている。
 ただし、さまざまな現地メディアの報道を踏まえると、CJPを完全に自然発生的な無党派運動として見ることには慎重であるべき要素もある。複数のメディアは、ディプケ氏がかつて庶民党(AAP:Aam Aadmi Party)のソーシャルメディア活動や政治コミュニケーションに関わっていたと報じる。するとCJPには、若者の自発的な怒りだけでなく、既存政治の技法やデジタル動員の経験も流れ込んでいる。一方で、CJPをAAPの下部組織と断定する根拠はない。The Wire(6月8日付け記事)は、野党連合INDIA blocの会合でもCJPの抗議が議論され、参加者の多さは既存野党への不信を示すものとして受け止められたと報じる。むしろCJPは、既存政党の外側から若者の怒りを可視化し、反BJPの不満を一時的に集める「非公式の野党」的空間として見るべきであろう。
 このように見ると、CJPは単純なネット上の流行でも、完全な草の根運動でもない。受験不正への怒り、若者の政治的不満、SNS上の風刺、そして既存政治のデジタル動員の技法が重なった運動である。また、ディプケ氏は自身が被差別社会集団層であるダリト(Dalit)出身であることを明かした後、社会成層制度に基づく差別的な攻撃を受けたとされる。CJPが受験不正への抗議にとどまらず、階層や排除の問題とも結びついていることがうかがえる。

2 世代論だけでは見えないもの
 CJPは、時に「Z世代」の運動として語られる。近年の南アジア各国では、若者を中心とする抗議運動が政治を揺さぶってきた。しかし、それらを単純な世代論でまとめることはできない。各国には固有の政治・経済・社会的背景があり、インドにはインドの教育制度、雇用構造、家族の期待があるからだ。
 2025年にネパールでは、SNS規制への反発や腐敗批判が若者の抗議として拡大してきた。バングラデシュでは2024年、公務員採用のクオータ制度をめぐる学生抗議が政治変動につながった。スリランカでは2022年、経済危機と生活破綻が若者を含む抗議の背景となった。これらは若者が主体となった動きではあるが、背景は同一ではない。だが共通するのは、若者たちがネット空間で緩やかにつながり、その連携が短期間で爆発的に拡大したことである。すなわち、注目すべきなのは、一人一台のスマホ利用が広がるなかで、SNSが既成政党や組織に依存しない新たな政治参加のステージを提供したことである。
 街頭に出る前に、若者たちはネット空間で不満を共有し、言葉やシンボルをつくり、互いの存在を確認する。CJPは、そのようなバーチャル空間での結びつきが、現実の政治関与へとつながりうることを示し、その力によって急速に広がった。
 一方、CJPのXアカウントはインド国内で遮断されており、オンライン空間で生まれた声が政治的圧力によって抑え込まれる危うさも抱える。

3 試験不正の奥にある教育と雇用の不安

 CJPの影響拡大については、NEET-UG(医学・歯学系学部課程への全国入学資格試験)をめぐる問題流出や採点ミスが大きく報じられている。NEET-UGは、インドの国家試験庁(NTA:National Testing Agency)が実施する全国規模の入学試験であり、2026年5月3日に実施された試験には、医学・歯学の学部課程への入学を目指す227万人超の受験生が参加した。この試験をめぐり、大規模な問題漏洩および不正が明らかになった。若者たちは教育行政の責任を問うが、怒りの背景は一度の不正事件だけではなく構造的な問題である。
 インドでは中等教育段階の10年生、日本でいえば高校1年にあたる時期と、12年生、日本の高校3年にあたる後期中等教育修了段階で実施される州統一ボード試験(Board Examination)が、進学や進路を大きく左右し、大学入試や就職にも影響する。家庭の経済力や教育資源へのアクセスの差は早い段階から結果に反映され、多くの若者は大学入試以前から競争のなかでふるい落とされる。
 映画『きっと、うまくいく』(2009年、原題:3 Idiots)が描いた成績競争や親の期待は、いまも現実の問題であり、本マガジン5月号で論じた「教育貧困」とも結びつく。
 さらに、その厳しい競争を勝ち抜いたとしても、将来の保証はない。定期労働力調査(PLFS:Periodic Labour Force Survey)2024–25によれば、15〜29歳の若年失業率は9.9%で、都市部では13.6%に達する。
 しかし、失業率の数字だけを見ても実態は十分に見えてこない。重要なのは若年人口そのものの規模である。インドは世界最大級の若年人口を抱えており、たとえ失業率が一桁台であっても、その母数が巨大であるため、職を得られない若者の絶対数は極めて大きくなる。
 州による差も大きく、定期労働力調査(PLFS:Periodic Labour Force Survey)2023–24の州別資料では、南インドのケーララ州のように若年失業率が高い地域がある一方で、人口規模の大きい州では失業率が中程度であっても若年失業者の実数は大きくなる。それが北インドの国内人口最大州であるウッタル・プラデーシュ州であり、インド政府の『インドおよび各州の人口推計 2011–2036(Population Projections for India and States 2011–2036)』によれば、同州の総人口は2021年時点で2億人を大きく超える。また、インド統計・計画実施省(MoSPI)『インドの若者 2022(Youth in India 2022)』は、インド全体で2021年の15〜29歳人口が総人口の27.3%を占めるとしており、この比率を踏まえれば、ウッタルプラデーシュ州の若年人口も数千万人規模に達する。
 若年人口の絶対数が極めて大きいため、失業率が数ポイント高いだけでも職を得られない若者の数は膨大となり、十分な雇用創出が追いついていない地域も少なくない。
 高学歴化が進む一方で期待に見合う雇用は十分ではない。職を得られない若者、不安定な非正規・低賃金労働に向かう若者、さらに試験準備のために就学にも就業にも十分に接続できない若者たちが存在する。こうした層の広がりが、若者の不安を深める。教育を受ければ安定した仕事に就けるという前提そのものが揺らいでいる。
 加えて、就職できても安定が約束されるわけではない。中小零細企業の経営環境はコロナ禍以降厳しく、またAI導入の進展がホワイトカラー職に及ぼす影響も、インドに限らず世界的に議論されている。若者たちの問題は、失業率の高さだけではなく、「働き続けられる仕事か」「生活を支えられる仕事か」という点にある。
 こうした教育と雇用の不安は本人だけでなく家族や親族全体に及ぶ。塾や予備校、農村から出て都市で受験準備を行う下宿費用、借金などは家計の負担となり、進学や就職の失敗は家族の将来設計にも影響する。だからこそ、CJPへの共感は学生層を超えて広がった。

4 日本のインド認識への問い

 CJPが示した若者たちの不満は、インド社会の内部問題にとどまらない。それは、日本がインドをどのように見てきたのか、との問いにもつながる。日本ではインドを『巨大市場』や『人材供給地』として認識することが多く、人材交流やインド人材の受け入れも議論されている。しかし、こうした『大国化』や『人材活用』の視点だけでは、若者たちやその家族が直面する教育、雇用、生活不安などの現実は見えてこない。
 日本が「人材」として見るインドの若者の背後には、若年人口の大きさ、都市部の高い若年失業率、州ごとの雇用機会の格差がある。つまり、人材交流は単なる高度人材の移動ではなく、インド社会の雇用不安とも接続する。
 日本へ向かう若者の背景には、インド側の若年失業や不安定就労という現実がある。高度人材だけでなく、インフォーマル雇用や中小零細企業が大きな比重を占める雇用構造では、低賃金のサービス労働も、大卒者の就職先となりうる。
 また、高度な技能を持つ人材のなかには、本来は欧米を志向した者も多い。日本で2-3年勤務した後に欧米へ流出するケースが多い。また、継続する円安や賃金低水準、外国人への厳しい視線も、若者たちの選択に影響している。nippon.comの記事「稼げない国・日本では働きたくない? 外国人材からの魅力度、円安で低下」(2024年6月13日)は、円安が外国人労働者にとっての日本の魅力を低下させた。
 インドの労働法制も、日本では企業進出の障壁として語られる。それだけではインフォーマル雇用や、中小零細企業が大半を占める現実は見えてこない。主要産業が乏しい百万人都市が点在している結果、大卒者がサービス業での低賃金労働に流入する現実がある。インドが成長するかどうかではなく、その利益を誰が享受し、誰が取り残されているのかが問われる。本マガジン先月号で批判した大国論だけでは、CJPで拡散した若者たちの怒りは理解できない。

5 民主主義と自由を損なうもの

 CJPの広がりは、インドの民主主義と自由の問題にもつながる。モディー政権下では、主流派に属さない者、すなわち女性、ヒンドゥー教徒以外の宗教的少数者、辺境の人びと、メディアへの圧力が強まっている。異論を抑え、批判的な声を「反インド」とみなし、見たくない存在を見えないものにする政治は、まさに政府による言論空間の統制や排除の問題と重なる。
 ジャンタル・マンタルは、市民が声を上げる象徴的な場とされてきた。The Wire(同日記事)もこれを2023年の五輪女子レスリング選手らの抗議以来の大規模抗議とする。CJPが中央政府教育相の辞任を要求したことは、教育制度への不満が、政府責任を問う政治的抗議へと接続したことを示す。
 CJPの若者たちは、雇用や試験への怒りを語るだけではない。自分たちの声が政治に届かないこと、社会から見えないものにされていることに抗議する。だからこそ、「ゴキブリ」という名は象徴的である。忌避され、排除され、見えないものにされる。しかし、どこにでもいる。その存在を認めない政治に対して、自分たちはここにいると突きつける。

結び

 CJPは、奇妙な名前のネット上の流行として片づけることはできない。それは、インド社会のなかで見ない存在にされてきた若者たちが、自分たちの存在を突きつけた出来事である。
 そこには、失業、教育競争、試験制度への不信、親と家族の負担、不安定な雇用、政治的代表性の欠如が重なる。
 さらに、その不満は若者だけが背負うのではなく、家族、地域、労働市場、教育制度、民主主義のあり方にまでつながる。求められるのは、この動きを単なる「Z世代の反乱」とすることではない。医学部入試不正という目立つ事件だけで理解したつもりになることでもない。
 成長や大国化の言葉だけでは見えないインド社会の現実をしっかり観察することであり、CJPの名前は、その入口となる。

(ふくなが まさあき、大学教員)

(2026.6.20)
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