【海峡両岸論】

偶発事件をこじらせた処理~全ては中国漁船衝突に始まる

岡田 充


 尖閣諸島(中国名:釣魚島)3島の「国有化」から9月で丸5年。領土問題は日中関係のトゲとなり国交正常化以来、最悪の状況が続いてきた。ここにきて「一帯一路」構想への協力を糸口に、ようやく改善に向け双方の呼吸が合い始めた。しかし日本人の中国への印象は「良くない」(「どちらかと言えば」を含む)がここ数年、9割を超える。「言論NPO」世論調査(図1参照)によると、その理由は「日本領海を侵犯」(64%)「国際社会での強引な姿勢」(51%)が1、2位を占めた。安倍政権は、国民に浸透した「中国脅威論」を追い風に、集団的自衛権の行使を認める安保法制を急ぎ、改憲への道筋まで描く。軍事予算を毎年二けた増やして空母を保有、尖閣諸島の領海を侵犯する―。こうしたニュースに毎日接すれば「脅威感」はいやでも増幅する。隣国への感情や認識を形成するベースは、メディア報道であろう。我々が抱く「脅威感」は本当に実相を反映しているのか。2010年9月の中国漁船衝突事件を再検証したい。両岸論第16号[注1]の論点をより明確にした「差し替え」である。

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  図1 「言論NPO」世論調査

◆◆ 「軍事侵攻リアルに感じた」

 ネットメディア「ビジネスインサイダー」にこの5月、日本の「柔らかなナショナリズム」に関する文章[注2]を書いたところ、一読者がツイッターで次のように書いた。
 「日本人が良くも悪くもナショナリズムを意識し始めたのは、2010年から。中国船が、尖閣諸島で海上保安庁に対し体当りの攻撃をしかけ、その映像が流出したことがきっかけ。中国からの軍事侵攻をリアルに感じたとき、国防に意識が行くのは当然だろう」。
 この読者のように「軍事侵攻をリアルに感じた」人が多かったかどうかは分からない。しかし「中国に親しみを感じる」が、内閣府の世論調査(図2参照)でも、38%から20%まで急落したことを考えると、「中国脅威論」を議論する上で事件と報道の検証は不可欠だろう。この事件がなければ、おそらく2012年の「国有化」もなかったし、日中関係が国交正常化以来最悪の状態に陥ることもなかったはずだ。

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  図2 内閣府の世論調査

 結論から言うなら、事件は泥酔船長による暴走という偶発事件だった。筆者は複数の日本政府関係者から確認したが、政府も最初から偶発事件という認識を持っていた。にもかかわらず、それを公表しなかった結果、「漁船はスパイ船」などの誤報が独り歩きし「中国は尖閣を奪おうとしている」という脅威論が広がっていく。
 漁船衝突事件が発生した9月7日から、船長釈放(24日)に至る過程を振り返る。主として共同通信の報道を基にした。

 海上保安庁の発表によると、尖閣諸島久場島の領海付近で、巡視船「よなくに」が中国福建省のトロール漁船「閩晋漁5179」を発見したのは同日午前10時ごろ。退去を命令すると、「よなくに」の船尾に接触し逃走。さらに巡視船「みずき」が停船命令を出したが、無視して逃げ続け11時前「みずき」の右舷に体当りした。巡視船が日本の排他的経済水域(EEZ)内で漁船を停船させ、船長と船員を拘束したのは午後1時前。船長を刑法の公務執行妨害の逮捕状を執行したのは、翌8日の午前2時過ぎ。拘束から13時間後だった。

◆◆ 中国の強硬対応

 外務省アジア大洋州局長は8日、程永華中国大使に電話で抗議した。石垣簡裁は10日、船長の10日間の拘置延長を認めた。これに対し中国の楊潔篪外交部長は丹羽宇一郎大使を呼び、船長釈放と漁船返還を要求し抗議。中国は11日、東シナ海ガス田の条約締結交渉延期を発表した。18日は満州事変(柳条湖事件)79周年にあたり、北京、上海で抗議デモが行われた。那覇地検が19日、船長の10日間の拘置再延長を決定すると、中国外交部は「強烈な対抗措置」として、①閣僚級以上の交流と航空機増便交渉の停止、②石炭関係会議の延期、③民間のイベント中止・延期―を発表した。温家宝首相は21日、ニューヨークで日本の対応次第で「さらなる行動」と警告、23日には中国から日本へのレアアース(希土類)輸出停滞が発覚した。河北省石家荘で軍事管理区域に侵入したとして、建設会社「フジタ」の日本人社員ら4人が拘束されたことが判明した。

 ここで論点を絞ろう。(1)船長の逮捕・送検という処理は、外交の「前例」を踏襲したのかどうか。中国側が日本の対応に意外感を抱き、強硬な対抗措置を引き出したのではないか、(2)漁船の体当りは意図的かそれとも偶発的か―の2点である。

◆◆ 前例無視の司法処理

 船長逮捕・送検については、当時の民主党、菅直人政権内に当初から「戸惑い」があった。7日、処理を話し合うため夕と夜の2回、国土、外務、法務など関係省庁会議が開かれた。前原誠司・国土交通相は「悪質。(逮捕の)意見を海上保安庁に伝えた」と述べる。当時ベルリン出張中の岡田克也外相は、「わが国の領海内の出来事。法に基づいて粛々と対応していく」と説明した。「毎日新聞」によれば、岡田は民主党幹事長就任後の9月29日、事件を振り返って「当初この問題が起きた時、私も小泉政権の時のやり方が頭の中に浮かんだ」と述べた。
 小泉のやり方とは何か。2004年3月24日、尖閣諸島に上陸した7人の中国人活動家を日本側が「入管難民法」で拘束した処理のことである。7人を送検せず、2日後に中国に強制送還した。小泉純一郎首相は釈放時の記者会見で「日中関係に悪影響を与えないように大局的に判断した」と述べ、送還が「政治判断」だったことを率直に認めるのである。
 岡田は「事を荒立てないなら、そういうやり方もあっただろう」と、「毎日」に語っている。また仙谷官房長官も7日夜の関係省庁協議でビデオを見た後「発生場所は中国が領有権を主張する尖閣諸島周辺。『逮捕するのか。日中関係に影響が出るなあ』とも漏らした」(共同通信)という。公務執行妨害による逮捕に対し、岡田が(強制送還という)やり方もあったと語ったことは、外交「前例」を認識していたことの傍証である。
 「共同」は04年事件の際、「政府は数年前に魚釣島に中国人が上陸したケースを想定し『対処マニュアル』を作成。マニュアルには原則として、刑事手続きに乗せずに速やかに強制送還する、つまり起訴しないという趣旨の内容が書かれているという」と報じた。

 事件が起きたのは、菅と小沢一郎による民主党代表選挙の最中だった。14日は民主党代表選挙で菅が勝利、17日に内閣改造が行われた。菅をはじめ民主党首脳は連日、選挙運動に追われていた。特に19日の拘留延長という節目に、菅内閣が対中関係を配慮した政治判断をきちんとしたかどうかは疑わしい。これが日中双方の不信感を増幅し、ねじれを決定的にしたのだと思う。当時の政府高官は「あの時は、海上保安庁が存在を誇示しようとしているように感じた」と証言していた。海保の“点数稼ぎ”が背景にあるともとれる発言である。

◆◆ 「不作為」の責任は重い

 首相官邸が「真剣」に対応し始めたのは、「対抗措置」を予告した21日の温演説の後からである。国連総会出席のためニューヨーク入りする菅が「何でもたついているんだ」という態度をあらわにした(毎日)。仙谷の発言トーンもこのころから変化する。22日の記者会見で、事態打開に向け「あらゆる可能性を追求する」と、初めて外交の土俵で交渉する姿勢に転換した。
 仙谷は同日、外務省中国課長を那覇地検に急派。そして那覇地検は翌日、突然船長の処分保留と釈放を発表した。処分保留の理由は「わが国国民への影響と今後の日中関係を考えると、これ以上身柄を拘束して捜査を続けることは相当ではない」。処分理由に「日中関係を考えると」との“政治判断”を入れたのは、検察が官邸による「司法介入」に不快感を抱き、それが分かるよう表現したからであった。
 この経過から言えるのは次の2点である。

・菅内閣が04年の上陸事件の前例を踏襲せず、代表選挙に傾注して政治・外交判断を放棄したことが、日中双方の不信感を増幅し中国側の強硬姿勢を招いた。
・当初は「粛々と対応する」としていた政府が、結局は「司法介入」し船長を釈放させた。ちぐはぐな対応は「中国の圧力に屈した弱腰」を印象づけた。

 特に石原慎太郎都知事ら対中強硬派は反発を強めた。石原は12年4月、米ヘリテージ財団での講演で、東京都による尖閣購宣言をした。彼は「本当は国が買い上げればいい」と、国有化が筋と述べていた。野田政権は、結果的に石原挑発のワナにはまり「国有化」に道を開くのである。

◆◆ 泥酔暴走船長の偶発事件

 しかし最大の論点は、巡視船に衝突した中国船の意図であろう。外務省も海上保安庁も、船長が拘束当時泥酔状態だったことを認識していた。結論から言えば、酔っぱらい船長による暴走行為という「単純な偶発事件」だったのである。04年事件と比べよう。中国人活動家7人の上陸は「確信犯」である。一方漁船船長の「犯意」は薄く、前原元国交相が言うように「悪質」とは言えない。まして一部メディアによる「尖閣領有を目指す中国政府の意図」を担った「スパイ船」「工作船」という指摘は、脅威論を煽る「ためにする報道」だった。

●ビデオ流出
 そこでまず取り上げねばならないのが衝突時のビデオ流出である。冒頭紹介したツイッター氏も「体当りの攻撃をしかけ、その映像が流出したことがきっかけ。中国からの軍事侵攻をリアルに感じた」と書く。ビデオは11月4日、「sengoku38」の名前で、動画サイト「ユーチューブ」に投稿・公開(写真1)された。毎日のようにテレビで放映されたから、「軍事侵攻をリアルに感じた」印象を抱く人は少なからずいたかもしれない。ビデオを流出させたのは海上保安官で、守秘義務違反容疑で書類送検された上、懲戒処分を受けて依願退職した。

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  写真1 衝突時のビデオが動画サイト「ユーチューブ」に投稿・公開された

 ビデオに対し、中国外務省スポークスマンは「日本の巡視船が妨害行為を行って漁船を追い込み、回り込んで衝突に導いた」と反論した。つまり「衝突するように日本側が仕組んだ」とみるのである。これについて映画監督の森達也氏は、自著[注3]の中で「映像は、明らかに反中国の世相を加速し熱狂させた。ただしあの映像は、海上保安庁の巡視艇の側から撮られている。もしも漁船の側から撮られた映像を見たのなら、また違う印象が絶対にあるはずだ」と書いた。確かに映像を見ると「みずき」が漁船の行く手を阻み、「衝突に導いた」ようにも見える。ここは「水掛け論」になるから深く立ち入らない。

●「スパイ船」「工作船」報道
 中国船の意図について日本メディアはどう報じたか。三例を挙げる。
 第一は同年9月30日付けの「週刊文春」。「中国衝突漁船は「スパイ船」だった!」(写真)というタイトルの「スクープ」。記事は「日本巡視船に『仕組まれた突撃』。船員たちの『自供』は中国大使館員の面会で一変した」などの中見出しで「スパイ船」だったとするのである。

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  写真2 「週刊文春」中吊り <中国衝突漁船は「スパイ船」だった!>

 第二。「日刊ゲンダイ」(10年10月1日付け)は「中国漁船、実は「工作船」だった?」とする春名幹男氏のコラムを掲載した。コラムは「この船は特殊な任務を帯びて領海内で意図的に巡視船に衝突したのではないか。日本側が毅然と公務執行妨害で船長を逮捕、拘留すると、中国側は計算したかのように事態を段階的に深刻化させた」と書いた。「特殊な任務」とはどのような任務なのか、また船がなぜ「意図的に衝突した」のか、その理由と根拠は明らかにされないまま、主観的観測をおどろおどろしく描写するのである。

 そして第三は「産経新聞」(9月17日付 電子版)。同紙ワシントン電で「米政府は事件は偶発的なものではなく、中国政府黙認の下で起きた『組織的な事件』との見方を強め、中国の動向を警戒している」と書いた。記事は「米政府は、中国政府部内で尖閣諸島の実効支配が機関決定された可能性があり、『漁船を隠れみのに軍と一体となって、この方針を行動に移している』(日米関係筋)との見方を強めている」と結ぶ。この見方をするのは「米政府」なのか、それとも「日米関係筋」なのかはっきりしない欠陥記事である。「中国政府が実効支配を機関決定した」というなら、その後も中国公船は常時「領海侵犯」しなければならないが、2012年9月の国有化までそんな動きはない。これこそ「ためにする記事」の典型だ。
 繰り返すが、日本政府は「泥酔船長の暴走という偶発事件」だったことを当初から認識していた。にもかかわらず、それを公表しなかった結果、数多くの誤報が独り歩きし「中国は尖閣を奪おうとしている」との脅威論が作られていったのである。

 次の三点を改めて強調し、筆を置く。
(1)偶発事件なのだから、04年の前例を踏まえて刑事手続きをせずに送還すれば、日中関係をこれほどこじらせることはなかった。
(2)菅政権が党代表選挙に追われ、政治・外交判断を放棄したのが一因。
(3)メディアの責任は大きい。今も中国船を「スパイ船」と信じる人は多い。根拠なく「スパイ船」と断定した記者や識者は、自分の原稿に責任を負わねばならない。

[注1]「不毛で有害な前世紀的争い 尖閣事件と領土ナショナリズム」
 (http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_16.html
[注2]なぜ「日本人」にこだわるのか——柔らかな内向きナショナリズム「日本ボメ」の解剖
 (https://www.businessinsider.jp/post-33644
[注3]「『自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか』と叫ぶ人に訊きたい」(2013年8月「ダイヤモンド社」)

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