【マスコミを叱る】(29)

2016年4〜5月

田中 良太


◆◆ 政治報道まで「血縁」という泥沼

 元朝日新聞主筆の若宮啓文氏(68)が死去した。朝日の第1報は28日夕刊だったようだが、30日付朝刊には3面に「アジア共生、挑んだ『闘い』 若宮啓文・朝日新聞元主筆死去」▼国際面(5ページ)に「友好交流に尽力 権力監視、他国へも 若宮さん死去、中韓関係者も惜しむ」といった記事が掲載されていた。2002年9月に論説主幹▼11年5月には主筆に就任。朝日の「顔」だったのだから、当然だろう。
 しかし若宮氏について、重要なポイントを隠した「虚報」に近いものだったというのが私見である。隠蔽された事実は若宮氏が、父小太郎氏と同じ朝日の政治記者という職業を選んだ「2世記者」だったということである。日本の政界は、「首相になるのは2世、3世ばかり」というだけではない。政治記者のトップまで同じことという深刻な「血縁支配」が実現しているのだ。

 お父上の若宮小太郎氏は、渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長の聞き書き回想録(『渡辺恒雄回顧録』=2000年1月、中央公論新社)に登場する。渡辺氏は1925年読売新聞に入社、読売ウィークリー編集部勤務の後、27年7月政治部に異動した。その後、アンチ吉田茂(当時首相)の中心となっていた鳩山一郎氏への「はりつき取材」を命じられる。渡辺回顧録で小太郎氏はまず朝日記者として登場する。
 「鳩山派のボス会議が行われるだろう。そのとき朝日新聞の若宮小太郎さんは会議室の応接間に入ることができる。だけど僕は、ガラス戸越しにしか見られない」と、「格差」に抗議している。
 その直後に鳩山一郎内閣が成立してからの場面が語られている。それまで首相官邸の階段を上がることさえ許されなかった新聞記者が、秘書官室まで占拠したという。「首席秘書官が朝日新聞出身の若宮小太郎氏だからみんな入って行っちゃう」と書いている。

 朝日ファンの方々は、若宮・渡辺両氏の「親密さ」が気にならなかっただろうか。護憲の朝日に対して改憲の読売という対立だけではない。市民派の菅直人氏については「亡国の宰相」(読売新聞政治部著、新潮社刊の本のタイトル)だとする倒閣キャンペーンまで展開し、第2次安倍晋三政権については明確な「支持」を表明しているのが読売である。それでも「若宮時代」の朝日は、渡辺氏と仲良しだった。30日付朝刊3面の記事は、以下のとおり書いている。

<立場の異なる論客と対話し、新たな視点で「解」を模索した。政治部長時代、改憲論の中曽根、護憲論の宮沢両元首相の対談を実現させ、保守内部で様々なニュアンスに富む憲法論があることを浮かび上がらせた。
 憲法論では対極にある渡辺恒雄・読売新聞主筆と、首相の靖国参拝反対で共同歩調をとったこともある。
 若宮さんは、憲法9条の堅持を唱えながらも、新たな法制で自衛隊を法的に位置づける必要性も認めた。安全保障における日米同盟の意義を評価する点では、自民党ハト派の論調に近かった。
 「やわらか頭でとんがろう」が口癖だった。思考は常に柔軟に、しかし、もの申すときは、ひるまずに正面から挑んだ。>

 「違うだろう」と言いたい。原点にあったのは渡辺氏との良好な関係ではないか? 渡辺氏が父・小太郎氏の親密な友人で、自分自身も可愛がってもらっていることに、啓文氏がいつ気づいたか? 推測の根拠となる事実は何もないが、朝日への入社を決めた時点で、それを意識しなかったとすれば、その方が異常だろう。
 若宮啓文氏が朝日に入社した1970年、渡辺恒雄氏はワシントン支局長だった。その後72年解説部長▼75年編集局次長兼政治部長▼79年取締役論説委員長など順調に昇格を重ね、92年5月社長となった。若宮氏にとって渡辺恒雄氏の「利用価値」はどんどん膨らんでいったのである。
 若宮氏の方も政治部で大平・宮沢派を担当。平河クラブ(自民党担当)キャップなどを経て、政治部次長(デスク)、論説委員、政治部長など順調に「昇進」した。2002年(平成14年)9月に論説主幹となった。11年5月1日、主筆に就任するまで、10年近くの長期にわたって朝日新聞の社説・論調を主導する地位にあった。その後就任した「主筆」は、社説だけでなく、報道・主張の内容全般に責任を持つ立場である。2013年1月16日、65歳になって定年退社したが、21世紀冒頭の10年間余、朝日を代表する存在だったのである。

 若宮氏の著書『戦う社説』(講談社、08年10月)によると、朝日の論説主幹は、どんな場合でも、その日組み込む社説(翌日朝刊掲載)のゲラ刷りを読むのだそうだ。社説の内容は論説主幹がチェックするというタテマエを実践するための日常行動ルールなのだろう。私が在社した毎日の場合は、事実上当番のデスク(論説副委員長)まかせだった。
 つまらないことのようだが、このあたり、両社が対極にあることを示しているというのが私見だ。毎日の場合、何よりも嫌われるのは「管理」である。記者は個々人の個性を発揮した記事を書けばいい。その総和が「社風」となるという「思想」である。
 これに対して朝日は、基調とする「社論」があると考える。その社論にそった紙面づくりが大切だというのが朝日の「思想」だろう。毎日には「組織の朝日、人の毎日」という言葉がある(少なくとも私が在社した96年まではあった)。「朝日は管理がキツイから」という言葉も、日常会話の中でよく交わされた。
 若宮氏は論説主幹となった時点で、朝日の論調を取り仕切る立場になった。渡辺氏と同格である。この段階で、渡辺氏との親しさという「世襲の財産」を生かせると判断したのだろう。そのチャンスを提供したのは、長期政権を維持していた小泉純一郎首相(当時)だった。

 当時朝日新聞社が刊行していた月刊誌『論座』2006年2月号に、渡辺氏との対談を掲載した。当時の首相・小泉純一郎氏は、靖国神社公式参拝を繰り返していた。靖国には東条英機を含むA級戦犯が合祀されている。中国・韓国は「侵略戦争・植民地支配を肯定する行為」と強く反発していた。若宮・渡辺対談では、「靖国参拝反対」で同調することを基本に、「朝読仲良く」が喧伝された。
 この対談は、発売日前日、06年1月4日付朝日新聞朝刊でも記事として掲載されている。全文は以下のとおりだ。

<見出し=渡辺・読売主筆、本社主幹と対談 首相の靖国参拝「おかしい」
 本文=読売新聞の渡辺恒雄主筆と朝日新聞の若宮啓文論説主幹が初めて対談した。首相の靖国神社参拝について渡辺氏は「軍国主義をあおり、礼賛する展示品を並べた博物館(遊就館)を、靖国神社が経営しているわけだ。そんなところに首相が参拝するのはおかしい」、若宮主幹も「『A級戦犯はぬれぎぬじゃないか』という遊就館につながる思想の人たちを喜ばせ、力をつけさせている」として、ともに厳しく批判した。
 ポスト小泉をめぐっては、アジア外交への姿勢が大きなカギだとする若宮主幹に対し、渡辺氏は「靖国公式参拝論者を次の首相にしたら、もうアジア外交は永久に駄目になっちゃうんじゃないか」と述べた。
 一方、憲法9条やイラク戦争の評価については違った立場から意見を戦わせた。対談は5日発売の朝日新聞社の月刊誌「論座」2月号に掲載される。>

 当然のことながら、この「朝読協調」は他のメディアでも話題になった。夕刊紙「日刊ゲンダイ」は、1月13日号の「 Today's Top News」に扱った。<■ 読みましたかナベツネ氏と朝日論説主幹の対談■ この正論に聞く耳持たぬ小泉と安倍は国を滅ぼす元凶だろう■ この対談を読んだ言論人の感想を聞いてみたところ>という派手な見出しである。
 冒頭に<月刊「論座」2月号に掲載された読売新聞と朝日新聞の共闘宣言は戦争を知らない若い世代にはぜひ読んでもらいたい出色の企画>というキャッチフレーズを置き、本文では、以下のとおり称賛した。

<朝日新聞が発行する月刊誌「論座」(2月号)での読売新聞主筆・渡辺恒雄氏(79、グループ本社会長)と朝日新聞論説主幹・若宮啓文氏(57)の対談はなかなか読み応えがある。日頃、憲法改正など両紙の主張は真っ向から対立している。
 だが「渡辺恒雄氏が朝日と共闘宣言」というキャッチコピーの通り、「首相の靖国参拝に反対し、戦争責任をはっきりすべきだ」で両者は一致。「靖国を語る 外交を語る」と題するこの対談を読めば、小泉首相の靖国参拝がいかに理不尽で、国益を損ねているかがクリアに見えてくる。とりわけ戦争を知らない若い世代は必読だ。

 ナベツネ氏の主張のベースは戦争体験だ。東大時代に二等兵で召集され、奴隷のように酷使され、特攻隊員に自爆を強制する残酷さを見てきた。「そういうことを命令した軍首脳、それを見逃した政治家、そういう連中に対する憎しみが今も消えない」と述べ、ホコ先を靖国神社に向ける。「靖国神社本殿の脇にある遊就館がおかしい。軍国主義をあおり、礼賛する展示品を並べた博物館を、靖国神社が経営しているわけだ。そんなところに首相が参拝するのはおかしい」「国家神道の教学のために日本が真っ二つに割れ、アジア外交がめちゃくちゃにされている。そんな権力を靖国神社に与えておくことは間違っている。これを否定するには、やはり首相が行かないことです」
 ナベツネ氏は、「中国や韓国が反対しているからやめるのはよくない」と言う一方、「彼らが納得するような我々の反省というものが絶対に必要」と明言。読売新聞で戦争責任の所在を明らかにするキャンペーンを始め、「2006年8月15日をめどに軍、政府首脳らの責任の軽重度を記事にするつもりだ」と言い切る。「あれは侵略戦争であった」という認識を国民の大多数が共有するための作業が必要だからだという。

 そして、若宮氏の「(A級戦犯の合祀以来)天皇は四半世紀以上も参拝していない。晴れて追悼に行ける新しい国立施設が必要」の提言に、「まったく同感」と応じ、2人の話は小泉首相の靖国参拝の外交的マイナスに進んでいく。「(小泉首相の参拝は)『反日』をあおり、日本国内の『反中』を元気づけてしまう」と若宮氏が指摘すると、渡辺氏は「靖国公式参拝論者を次の首相にしたら、もうアジア外交は永久に駄目になっちゃうんじゃないかと思っている。今はポスト小泉は安倍(晋三)さんが有力だと言われているけれどもその点を心配する」と小泉後への懸念まで表明した。

 さすがに憲法改正ではすれ違いだったが、ナベツネ氏が「言論の自由とか言論の独立を脅かす権力が出てきたら、読売新聞と朝日新聞は、死ぬつもりで結束して闘わなきゃいけない。戦時中にそうしていれば、あそこまでひどくならなかったと思うんだよね」に、若宮氏が「本当にそうですね」と応じ、靖国に続く“朝読共闘”が成立した。

▼ 戦争体験ない政治家への警鐘 ▼(小見出し)
 渡辺恒雄VS.朝日新聞論説主幹の出色の対談を識者はどう読んだのか。英エディンバラ大特任客員教授の國弘正雄氏(文化人類学)は、こう言う。「ナベツネさんの発言は、非常に論理的。同世代ということもあるのか、同感するところが多い。とくに戦争責任の検証について『死者の責任を追及するというのは嫌な仕事ではあるが、それをしなければ、歴史検証というのはできないんですよ』という一言は傾聴に値します。日本人にとって死者にムチ打つのはツライことだが、これが歴史と真摯に向き合う姿でしょう。『死んだら全員、仏様だ』という理屈で靖国参拝を正当化しようとする小泉首相や安倍官房長官は耳を傾けるべきです」

 戦争体験のない政治家たちの危なっかしさへの警鐘だと受け止める声もある。茨城大名誉教授の大江志乃夫氏(現代日本史)はこう言う。「渡辺恒雄さんの最終目標が、改憲にあるのは間違いない。改憲を実現させるためには、過去の清算が不可欠だと考えているのでしょう。実際、このまま憲法9条を改正し、正式の軍隊を持ったら、アジア諸国から『軍事大国の復活だ』『侵略戦争を反省していない』と強い反発が巻き起こるのは必至です。
 それと同時に、同じ改憲派でも安倍晋三官房長官など、戦争を知らない連中と自分は根本的に違うと言いたいのではないか。改憲を唱える若い政治家は、戦争の実態も知らず、机上の空論で改憲を叫んでいる。戦中派の渡辺恒雄さんは、あの嫌な時代を体験しているだけに、安倍晋三や民主党の前原誠司代表のような、何も知らない連中に暴走されたら、恐ろしいことになると思っているのでしょう」

▼ 保守派からも異論が出る異常事態 ▼(同)
 タカ派の論客とされてきたナベツネ氏が朝日新聞の編集主幹と意見が一致するほど、小泉政治は日本をおかしくしてしまったのではないか——。慶大教授の金子勝氏(財政学)は、そう見たという。「渡辺恒雄会長の発言は、保守派の分裂を象徴するものです。小泉首相が極端に右傾化を進めたために、さすがに保守派の中からも懸念する声が上がり始めている。改憲論の急先鋒だった小林節慶大教授までが『小泉政権での改憲は危険だから、大反対』と言い出している。これは異常なこと。それほど右傾化が進んでしまったことの裏返しです」
 渡辺恒雄会長がライバル紙の雑誌に出るのは異例も異例。金子勝氏がこう続ける。「もし、これほどナショナリズムが高まらなければ、渡辺氏は発言する必要性を感じなかったのではないか。小泉政権以前、日本は平和主義が大前提だった。自民党は改憲が党是だったが、田中派や宏池会を中心にハト派が一定の勢力を占めていた。しかし小泉首相は、平和主義、アジア重視、平等を掲げる勢力に“抵抗勢力”のレッテルを張って一掃してしまった。これでは、普通の保守派が『日本はどうなってしまうのか』と危機感を持つのも当然でしょう。保守派の渡辺恒雄会長も相当な危機感を持っているのではないか」

▼ 安倍政権誕生で終わり ▼(同)
 問題は、この国の2大新聞のトップ論客の正論に、小泉首相やポスト小泉の1番手といわれる安倍官房長官が聞く耳を持たないことだ。前出の國弘正雄氏が言う。「ナベツネさんは『政治家は、現実の外交を優先して考えなきゃいけない。小泉さんは政治をやっているんであって、イデオロギーで商売しているんじゃあない。国際関係を取り仕切っているんだから、靖国問題で中国や韓国を敵にするのは、もういいかげんしてくれと言いたい』と苦言を呈している。小泉首相より、よほど国際政治のリアリズム、国益を分かっている。果たして、小泉首相がどこまでこうした声をマジメに受け止めているか」
 外交オンチの小泉首相が9月まで居座り、その後「次の首相も靖国参拝するべき」と公言する安倍官房長官が首相になれば、日本はアジアで完全に孤立し、滅びの道に踏み込むだけだ。朝日、読売は、まず「安倍政権阻止」で共闘してもらいたいものだ。>

 さすがに鋭い。「安倍政権阻止での共闘」がなければ、朝読協調もニセモノだという主張なのだ。
 反響の一つに毎日新聞の記事もあった。2月17日夕刊文化面で<総合月刊誌:朝日『論座』が「右」と共闘? 読売、産経と連続対談>という記事を掲載した。前文は以下のとおりだ。

<総合月刊誌『論座』(朝日新聞社)が、保守系マスコミ人との意欲的な対談を続けて掲載し、話題を呼んでいる。2月号で、若宮啓文朝日新聞論説主幹が渡辺恒雄読売新聞主筆と討論し、小泉純一郎首相の靖国神社参拝批判で一致。読者にも好評で、約2万部が完売した。3月号では、薬師寺克行編集長が、『正論』(産経新聞社)の大島信三編集長と対談した。「左」イメージの強い朝日がなぜ保守に接近するのか。薬師寺編集長に聞き、大島編集長のコメントももらった。>

 薬師寺克行編集長については、末尾に略歴が付いている。<1955年生まれ。79年東大卒、朝日新聞社入社。政治部デスク、論説委員などを経て05年より現職>となっている。
 薬師寺氏は東大卒、朝日入社、政治部と、すべてが若宮氏の後輩なのである。若宮氏の「やわらか頭」路線に従うほかなかったのだろう。

 しかし当然のことながら、この「朝読連携」に反応したのは、メディアだけではなかった。権力中枢に位置する首相官邸も反応したのである。「論座」2月号が刊行された後、1カ月余経過した06年2月9日付の朝日政治面「首相動静」は以下の内容だった。

<(首相動静)8日
 【午前】8時19分、官邸。21分、長勢、二橋両官房副長官。58分、国会。9時、衆院予算委員会。
 【午後】0時2分、官邸。58分、国会。1時、衆院予算委員会。5時10分、官邸。13分、中川自民党政調会長。6時40分、東京・大手町の大手町ファーストスクエアウエストタワー。タワー内の日本料理店「トップ オブ ザ スクエア宴」で報道各社でつくる「七社会」の渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長、若宮啓文朝日新聞論説主幹らと会食。8時46分、公邸。>

 文中に<報道各社でつくる「七社会」>が、当然のように出てくるが、これが不可解である。私自身、毎日新聞の官邸キャップ経験者なのだが、官邸がらみの「七社会」が存在したことなど知らない。報道関係で「七社会」というと、警視庁にある複数の記者クラブのうち、「最も老舗」と誇る「七社会」だけである。その加盟社は朝日▼毎日▼読売▼東京▼日経▼共同の新聞・通信社6社。かつて時事新報も加盟していたので「七社会」という名になっている。時事新報は1936(昭和11)年12月末、東京日日新聞との合併を名目として事実上廃刊となった。
 つまり警視庁七社会は、戦前の遺物なのである。それでも警視庁にある記者クラブの中で最老舗であると誇っている。警視庁には他にNHK、産経、時事、ニッポン放送、文化放送、MXテレビが加盟する「警視庁記者倶楽部」と、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京の民放5社が加盟する「ニュース記者会」がある。一本化されないのは、「七社会」が最老舗であることによる特権を持っており、それにしがみついているからだと言われる。

 警視庁記者クラブの問題にまでそれてしまったが、上記首相動静に出てくる「七社会」とは何だろうか。警視庁の「七社会」と同じメンバー(事実上は6社)で構成されているのだろうか? それとも異なる「7社」なのだろうか? 私には分からない。
 「論座」の渡邉恒雄・若宮啓文対談で批判された小泉首相は、会食・懇談の主旨を「批判に応えたい」と説明したのではないか? 両氏とも出席を拒否することはできなかった。首相とマスコミ首脳との会食・懇談は、このときだけではすまなかった。首相が安倍晋三氏に替わった直後の2006年10月31日付朝日の首相動静は以下の内容になっている。

<(首相動静)30日
 【午前】8時59分、官邸。9時、伊吹文科相、塩崎官房長官、下村官房副長官。18分、下村副長官。57分、国会。10時1分、衆院教育基本法特別委。11時57分、官邸。
 【午後】0時7分、下村副長官。57分、国会。1時、衆院教育基本法特別委。5時3分、自民党役員会。24分、官邸。5時58分、規制改革・民間開放推進会議議長の草刈隆郎・日本郵船会長。6時35分、東京・大手町の大手町ファーストスクエアウエストタワー。タワー内の日本料理店「トップ オブ ザ スクエア宴」で報道各社でつくる「七社会」の渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長、若宮啓文朝日新聞論説主幹らと会食。8時30分、東京・富ケ谷の自宅。>

 「七社会」という名目はもとより、会食の会場(東京・大手町の大手町ファーストスクエアウエストタワー。タワー内の日本料理店「トップ オブ ザ スクエア宴」)まで小泉純一郎首相のときと同じなのだ。
 小泉氏も安倍氏もともに2世・3世の政治家。2世政治記者の若宮氏が会食・懇談して懇親を深めるのは当然かもしれない。

 このメールマガジン「オルタ」で、この連載を開始したのは120号(2013年12月20日)からだった。そのときはタイトルを「マスコミ昨日今日」とし、筆者も匿名で「大和田三郎」としていた。そのときのテーマは<マスコミと秘密保護法>とし、タイトルに<◆キャンペーン的な「反対」紙面づくりだったが……>という文言を盛り込んだ。
 とくに朝日新聞について、木村伊量社長、吉田慎一上席役員待遇コンテンツ統括・編集・国際担当、曽我豪政治部長の3人が13年2月7日夕、東京・内幸町の帝国ホテル内の中国中国料理店「北京」で、安倍首相と会食していたことを指摘した。
 また月刊誌『選択』がこの年8月号(8月1日に宅配)の最終ページ「マスコミ業界ばなし」で、以下のとおり書いたことも指摘した。

<新聞業界の「ご都合主義」が官邸の失笑を買っている。七月二十二日、東京・永田町の日本料理店で、安倍晋三首相が出席する会食が設けられた。二時間弱にわたって首相と相対したのは、木村伊量朝日新聞社長と大久保好男日本テレビ放送網社長らだ。席上、木村社長から安倍首相に対して、「来年四月からの消費税引き上げを先送りし、二〇一五年十月に一気に一〇%まで引き上げてはどうかという主旨の発言があった」(首相周辺)という。
 新聞業界の悲願である軽減税率適用は、来年四月に予定されている八%への引き上げ時には行われないことが確定している。仮に一〇%引き上げ時に適用されたとしても、「一度八%に引き上げられたら、軽減率は二%に留まる」(大手紙政治部OB)。つまり来年四月の税率アップが先送りになれば、現在の五%のままでいられるという算段だ。
 これに対して、「首相はやんわりと『五%も一気に増税すれば経済が壊れる。外国にも例がない』と説明した(前出首相周辺)という。「説明した」というより「諭した」のだ。安倍首相にしてみれば、初歩的な経済知識も持たずに虫のいい要求をする新聞社を腹の中で嘲笑していただろう。>

 『選択』が指摘した首相との会食も、朝日の「首相動静」で裏付けられている。社長が首相との会食にひんぴんと出席する。そして消費税軽減税率適用の「陳情」同然の発言をする。社長がこうした言動をしながら、紙面で「秘密法反対」をキャンペーン的に主張しても、政権を動かす効果はあるのか? と問題提起したつもりだ。
 朝日新聞首脳が、首相との会食・懇談に応じるようになった発端は、若宮氏の「七社会」出席だったのではないか。こう考えると2世記者・若宮氏の「罪」は軽くはないと言えるだろう。

(注)
 1.2016年5月15日までの報道・論評が対象です。
 2.新聞記事などの引用は、<>で囲むことを原則としております。引用文中の数字表記は、原文のまま和数字の場合もあります。
 3.政治家の氏名などで敬称略の部分があります。
 4.今号はこのテーマに絞りました。
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 (筆者は元毎日新聞記者)


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