【コラム】
酔生夢死

150年で変わらなかったもの

岡田 充


 ことしのNHK大河ドラマは「西郷どん」。明治維新150周年を記念した番組である。日本の近現代の150年はいったい何を変え、そして変わらなかったものは何か。東アジア政治という土俵で考えて見た。まず登場願うのは「松下村塾」の吉田松陰。

 彼は明治維新に先立ち次のように書いた。「北は北海道からカムチャツカ、オホーツクを奪い、満州を分割し南は琉球の日本領有、李氏朝鮮を属国化し台湾、ルソン諸島(現フィリピン)の領有」。欧米列強に伍して日本が「世界の一流国」になるには、これらを日本領土とすべしと説いたのである。

 「松下村塾」には伊藤博文、山縣有朋ら明治政府の指導者がいたから、松陰の考え方が明治政府に影響を与えたのは間違いない。その拡張思想は、琉球処分(1879年)や日清戦争後の台湾割譲を通じ、日本の帝国主義的拡張政策として実現された。日本はアジアを踏み台に世界の一流国への道を歩み始めた。

 日清、日露戦争に勝って思い上がった日本は、中国を侵略しさらにアジア全域へと軍事侵攻した後に自滅した。1945年の敗戦によって150年の後半史である73年間が始まる。ここからが本題。メディアをはじめ多くの歴史・政治・経済学者は敗戦で区切って思考するのが習い性。確かに統治システムなどは変化したが、断絶せず継続しているものも少なくない。

 最も大きい変化は主役交代である。中国が今世紀に入り日本を追い抜き米国に迫る大国として台頭、主役は150年前の日ロから米中に変った。日本は経済低迷から脱皮できず、次世代経済の基軸である人工知能(AI)でも中国に大きくリードされた。「日米同盟」以外の選択肢のない外交で、日本は「脇役」へと格落ちした。

 冷戦後に始まる「米一極体制」、「普遍的価値としての民主主義への信任危機」「グローバリズム」の三本柱からなる「ポスト冷戦時代」も終わり始めている。トランプ登場と英国の欧州連盟(EU)離脱はその象徴であり、変化はさらに加速する。米政治学者のイアン・ブレマーが新年早々、ことし最大のリスクとして中国を挙げ、米国の指導力低下で生じる力の空白を中国が埋めることに警鐘を鳴らしたのは、米国の危機感の表れ。

 だがこの150年、変わらなかったことも多い。日清、日露戦争で主戦場になったのは朝鮮半島だが、今も核ミサイル問題で朝鮮半島がゲームの主舞台になっている。天皇主権から国民主権へと統治システムは一変したようにみえる。しかしその実、徳川300年以来続いてきた「ムラ社会」の論理とタテ型秩序は、日本社会と統治の性格を規定し続けている。

 しかし最大の不変は、多くの日本人が抱くアジア観ではないか。アジアを見下す視線は変化せず、「嫌韓反中」は依然として市場を得ている。TVにあふれる「日本ボメ」番組は、凋落する現実を覆い隠そうとする自慰行為である。

画像の説明
  日本政府の「明治150年」ロゴ

 (共同通信客員論説委員)

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