【オルタの視点】

100歳の誕生日に
―むのたけじさんとの長い旅(7)

河邑 厚徳


 2015年は敗戦から70年の節目となった。その正月の1月2日は、むのたけじさんの誕生日である。朝9時ごろに自宅に着いたが、外にカメラを構えたテレビ取材陣が待っていた。1915年に生まれて、この日に100歳を迎えたむのさんはどんな顔をして、何を語ってくれるのだろうか。

 マンションの一室で取材が始まった。各社の共同取材なので新聞社とテレビ局のカメラが座敷にずらりと並んで、むのさんにマイクを向けている。むのさんは、今日は何でも好きなことを聞いてくださいと上機嫌だった。よっこらしょと、ソファーから立ち上がり座敷へ移動。ところがどうも目が怪しいようで、カメラに背を向けて後ろ向きに座ってしまった。壁に向かって「遠慮なく聞いてください。なんでもいいです。皆さんへの感謝の気持ちです。時間の許す限り聞いてください」と話が始まった。「むのさん、カメラはこっちですよ」と言われて、そうかと姿勢を変えて座りなおす。皆がアレアレという顔だったが本人は堂々としている。
 最初の質問は秋田の民放テレビ局から、まず視聴者への一分メッセージといわれて口を開いた。

 「私は1915年1月2日生まれ。今日は2015年の1月2日。ちょうど100年生きてきたところです。まあジャーナリストとしての道をずっと歩いてきましたが、やっぱり気になるのは戦争です。戦争を経験した者として、戦争をなくしたい、そして、人間らしい喜びに満ちた生き方、世の中を願って、戦争に殺されるよりは、戦争を死なせるためにと思って今日まで生きてきました。100歳ですから先は短いと思いますが、私が生きているうちに戦争をなくすのは出来そうもないけど、とにかく命ある限り平和な人類の社会を作り上げるために、とにかく最後の日まで頑張り通していこうと思います。それは偉い人にやってもらうんではなく、皆、当たり前の人たちが、自分の生活感覚で、やるべきだ、その自分の声を聞いて、とことん真剣に生きて、平和な世の中を作りたいと思います。・・・」

 次は埼玉新聞の編集長の長寿の秘訣の質問が続いた。

 「子どもの時代、青年時代、ケガはあるけど殆ど病気をしなかった。中学生時代に2里を春夏秋冬、4年ぐらいてくてく歩いていたから、それが元気の秘訣じゃないかと医者に言われたことがある。90になって、知っている人から長生きの秘訣は何かというと「よく眠り、よく食べること」と言っていたんですが、ずっと病気がなかったんですが、60歳から眼底出血、80歳から胃がん、肺がん、眼底出血、心臓に水がたまる。次々襲われて、4つとも乗り越えたのは不思議に思うんですが。

 ま、参考になるかわからないけど、私はやっぱり、自分の命は自分で守ると。息子の関係で順天堂大学に世話になって、向こうは専門家だから、薬や手術をどうするか、聞いて納得すればその通りにするけれど、やっぱり自分に言い聞かせていたのは、自分の命は自分で守らなきゃいかんのだと。

 で、笑い話ですが、胃がんは残った分をくっつけた、肺がんは放射線治療したが3割残っていると言われた。で、あるとき寝ながら、がん細胞に語りかけたんですよ。細胞に男と女があるだろうから、「こらこら、がん太、がん子さん、おまえらそこにいるらしいが、ほどほどにして遊んでおれよ。あまり急ぐと、火葬場に早く連れて行かれて、俺もお前も灰になっちゃうから」なんて笑い話だけど、とにかく命の第一責任は自分だということで、プラスマイナスいろいろなことを自分で心がけることを言い聞かせながら努力したことが、80~90で重い病気を乗り越えた理由じゃないかと。その証拠に、胃がん、肺がん、いろいろやって、ノミに食われたような痛みも感じたことがないの。1度も。本当に皆、不思議だという。

 だから、自分の命に対しておびえずに、激励したりなだめたりするのが、100歳まで生きた私の場合の秘訣。だって私、長生きしようとお参りしたりしたことがない。ご祈祷とか、さそわれたけど行ったことがない。だって生きることはどこかでお願いするようなことだとは思わなかった。そして100歳まで生きてきたというのは、1人の生活者としてごくごく平凡なことをやってきただけのことだけど、もし何かと言えば、自分の命、自分の暮らし、何のために働くか、このことについては自分で責任をもつぞという態度。それが理由だと思います。」

 「日課はありますか?」

 「2年前から足が衰えたのは残念だけど、そうなる前は自転車で97までどこでも行っていた。出来るだけ手足を動かす。あと寝る前にだるいなと思ったら、足で拍手をする。これを50回ぐらいやる。すると血液が身体に回って、具合がよくなる。自分で考えて、今でもやってる。ちょっとでもだるいと、数えながらやって、具合がよければ100くらいやる。身体がポカポカする。各自で工夫してやることあるんじゃないですか?

 あともう1つ。今、入歯なんですが、45歳で私は歯を全部なくした。なぜかというと、私は当時横手で小さな新聞出しながら平和運動やって歩いていた。それを聞いた台湾の歯医者が、あんたの口は歯が具合が悪いぞというので、金は後でいいからと、私がやりましょうとやってくれたのはいいですが、気合いを入れすぎて金属を入れたりしたら具合が悪くなっちゃった。それで全部抜いちゃったの。45歳で。で、入れ歯が入っているんだけど、入れ歯をしていると食べ物を味がしないもんね。それで、食事は歯茎だけ。50年間歯茎だけで食べるので、よく噛んでいる。それがかえっていいのかも知れない。ま、色々悪くなるところがあると思うけど、嘆き悲しむより前に、できるだけ自分で対策を考えてやれば道はあるように思う。

 もう1つ言うなら、人間が普通願って実現できないことを奇跡といいますね。普通は起こらないことを奇跡だと言うけど、奇跡は起こらない。奇跡を起こして下さいと、いくら神様に賽銭を投げたって起こるわけがない。でも、奇跡のような変化を自分をおこそうと本人が努力する。奇跡は起こるものではなく、起こすものだというのが私の言葉です。そうやって努力すれば私のように、45歳で歯が1本もなくなった、普通なら50歳ぐらいで死んでしまうが、100まで生きた。~~そういう努力があるということよ。

 長生きのコツは何かって、自分の身体にあうように工夫すれば生きられるんじゃないですか? だって今の平均寿命は男女トップ。人類が700万年前に誕生したときは平均寿命は30歳。それが700万年かかって50歳伸びた。各人が自分の命、生活に責任を持って頑張ればね。私の100歳はそういう意味ではね、自分を労っている、いい子いい子、よく生きてきたと思っているよ。今は余裕なんてないけど、とにかく悪条件をもちながらここまで来ましたもんねー。」

 続いて日経新聞の記者の「今また戦争前と同じ空気になっていると感じますか」の質問。

 「感じますね。先だっての国会議員の選挙の時、私は、自民党が勝って、民主党が負けたとか、裁きはそこじゃないと。裁かれたのは、主権者とされる我々国民が裁かれた。48%の人間が主権者でありながら、投票に足を運ばなかった。足を運んだ連中は自民党びいきが多いから、自民党が勝った。自民党がいやだと思っても、他にとってかわる政権が出てくる可能性が見えないから、良心的な人間は棄権したんでしょう。で、安倍を勝たせた。その責任は政治家の問題じゃない! 我々が、我々が自分の命を戦争に売っちゃったんだよ! このままでいったら、またとんでもない過ちを犯す危険性があるから、とにかく死ぬわけにはいかないと思って、声を出して言えるときは言っているわけ。」

 「あきらめようと思ったことは?」

 「ないね。あきらめるようなことは思わない。21歳から今までジャーナリストとして何を心がけてきたかというと2つですね、記者としては。取材した相手の信頼を絶対裏切らない。取材をすると、相手にいいことばかりじゃないでしょ。世間から非難されるようなことで会いに行く場合もある。そういう場合であっても、相手の言いたいことをストレートに文章にして書く。2度目に行ったときに「2度と来るな」と言わせない。80年間やっていながら、それはないね。とにかく、相手が喜ぶ記事もあれば、喜ばない記事もあるけど、喜ばない記事でも相手を納得させるだけの努力はきちっとやらなきゃいかんと思う。

 もう一つは仕事をやるときに、いやだなと思ったら断る。やってはならない仕事はやらない。これは職場でどういう問題があろうがなかろうが。やりたい仕事がやれるわけじゃないけれども、できるだけ、やりたいし、やらねばならぬ、こういう仕事を自分で作ってやっていこうと努力をしてね、そういうときにどういう態度をとるか。私が言ってきた言葉は、「死に物狂い」と「命がけ」。やるならば、命がけ! 死に物狂いでやる! こういう風にしてやったら、必ず願いは時間がかかっていても通ると思っているんですよ。ところが、100歳になって自分の思いが通ったと思うことは1つもない。全部はずれ。だから、今、過去を振り返ってよかったと思うことはない。だって、今はこのざまでしょ。けれども、命をかけた仕事は続いている。」

 一連の取材を終えて、歩いて5分ほどの行きつけのお寿司屋さんに移動した。むのさんはお寿司が好物だ。歯がないけど、いまでは歯ぐきが歯の代わりでなんでもゆっくりかみしめて食べると味もよくわかるし問題なしのようだ。お寿司屋さんが100歳のお祝いに100本のろうそくを立てたバースデイケーキを準備してくれた。ろうそくの明かりに照らされてむのさんの顔は光り輝いていた。

 (映画監督)

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