■【横丁茶話】                  西村 徹

-崇廣中学の中井洽クン-

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  鳩山内閣の閣僚に中井洽という人がいる。国家公安委員長で内閣府特命担当大
臣(防災担当)である。先ごろ、艶だねとも言いかねる、まったく屁のようなこ
とで、週刊誌などの取り上げるところとなって話題になった。あまりにばかばか
しいことなので、それを取り上げる気は毛頭ない。しかしそのことで多少名が知
れたようなので、この人について同じくお粗末かもしれないが小耳に挟んだこと
を書き留めておく。これは政治家としての評価にはほとんど結びつかないことだ
ろうと思うが、ほんの少しは結びつくことになるかもしれないとも思う。

 たまたま私と同郷の伊賀上野の人である。満州からの引き上げだから、あるい
は生まれは上野でないかもしれない。父君の中井徳次郎は引き上げてから上野市
の市長になり、そして社会党の代議士になった。したがって中井洽氏は世襲の二
代目である。代議士の子はしばしば高校からは東京の高校に進学する例に漏れず
高校は東京であるらしい。しかし中学卒業までは上野で育ったのであるらしい。

 私の知人に神学校を出てすぐ上野の教会の牧師になった人がいる。信じがたい
ような薄給なので、やむなく夫人は家計を助けるために中学の国語の非常勤教師
をすることになった。今のソウル、むかし京城といわれたところで育ち最終学歴
は日本女子大なので関西の言葉にはなじみがない。ほとんど東京方言に傾斜する
共通語しか話せない。

 朝鮮(当時)育ちの牧師夫人と満州引き上げの中井洽氏の出会いは中学の教室
においてであった。教師と生徒としてである。中井氏は物心ついてからは伊賀上
野で育ったから身についた言葉は関西系である。あるいは満州における共通語の
記憶が意識の底にあって言葉の違いに敏感ということがあったと言えるかもしれ
ないが、多くの類例から見て先ずそれはないだろう。とにかく牧師夫人が語った
思い出によると、生徒の中井クンは先生の斜め後ろに付かず離れず一定の距離を
確保しつつ「チャッテ、チャッテ」と呟きながらついて歩いたそうである。

 話はこれだけで、あとの解釈はご存分にというところだが、あまりに愛想がな
いから少し付け足す。東京だけではなく関東全域で「チャッテ」は聞かれるのか
もしれないが、東の「チャッテ」は西の人間の耳に相当の違和感を呼ぶもののひ
とつである。西の言葉に促音がないわけでもないのに、この「チャッテ」と「~
シナクッチャ」とには、なぜかはしらぬが、とにかく閉口する。「言ッチャッチ
ャッテ」とか「食ッチャッチャッテ」いうのを聞いたことがある。

 むかしミヤコ蝶々というお笑いの大芸人がいた。じつは生まれは東京だが、コ
テコテ大阪弁の骨の髄まで大阪の芸人である。東京の舞台で東京弁を笑いのタネ
にして「シナクッチャクッチャ」とやった。もちろん笑いはとれたがテレビが映
した客席では、顔のこわばっている人もいた。東京弁を笑われて立腹したのであ
る。いま東京は世界の東京、ファッションのトーキョーである。関西弁を笑った
り東京弁を鼻にかけるような泥臭い田舎漢はいない。しかし三十年ぐらい前まで
はそんなだった。

 こんなことは中学生には珍しくないことかもしれない。少しも中井クンに個別
特殊なことではないかもしれない。たぶん個別特殊でないだろう。しかし、すく
なくとも「そんな人いたかな?」と記憶にも残らないということはなかったわけ
である。はっきりと牧師夫人の記憶に残るようなプレゼンテーションを中井クン
は成し遂げたということは言えるであろう。世襲の二代目でも、すくなくともバ
ンソウコウ大臣ほどお粗末ではないという立派な証拠にはなるだろうと思う。

                (筆者は堺市在住)

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