■臆子妄論

~病気、病院、電車のはなし(その3)~  西村 徹

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■カテーテル検査


  入院した日に腹部のCTがあって造影剤を使った。その翌日にカテーテル検査
とかでまた造影剤をいっぱい使った。前の病院でも何度か造影剤を使った。入院
した日の晩に心臓血管内科の若い医者が来てカテーテル検査の説明をした。「最
近造影剤使われましたか?」「昨日使いました」「ああ、それは、ハア、でも、
まあ・・」で、このところ造影剤漬けの感じだが、カテーテルで手術前に血管の
状態を調べておくのだそうだ。株取引などの時と同じでリスクの説明をしておく
ことが病院には義務付けられているらしい。まかり間違えば死ぬこともあるのは
手術と同じだ。

 大和郡山の、さる病院では生活保護受給者を入院させては不必要にこれをやっ
たりステントを入れたり、入れないのに入れたと言ったりして稼いでいたという
。実際死者も出た。診療報酬詐欺事件で病院はつぶれた。それとこれをいっしょ
にする気は毛頭ないが検査としては危険な検査であることは間違いない。承諾し
たら「奥さんの立会いが必要だから伝えろ」という。電話したら「奥さん」に叱
られた。「断るべきだった。誰かさんは途中で血管が破れて死んだ」という。「
あんなに患者の権利が書いてあるのに」という。結局無事にすんだことだし血管
に異常ないことも分かったのだから、まあいいとしよう。零点だがマイナスでは
なかったとしよう。

 担任の看護師(男)が「CTやPETとおんなじですよ」という。それじゃ簡単
なものだと思った。朝になって着替えさせられてクルマ椅子で運ばれて、擂り鉢
の底のようになったところの台に乗せられた。上から医者なのかナースなのか若
い女性が覗きこんで「何でも言ってください。鼻が痒かったら痒いといってくだ
さい。私が掻きますから」と、ほとんど挑発するように言って、ほとんど鼻に指
を触れた。そして痛いはずはないはずなのに「痛かったら痛いといってください
」とも言った。痛かったらどうするとは言わなかった。

 「オカちゃん、造影剤入れてぇ」(オカダという医者が造影剤係りらしい)と
カテーテルを操るチーフの医者が言うたび、おなじみの反応が起こって、そのあ
たり一面クワーッと熱くなる。あちこちやって最後は肢だ。「こんどアシ。オカ
ちゃん、アシ造影剤入れてぇ」で、なんと、なんと、熱いどころか痛いではない
か。「痛かったら痛い・・」を律儀に実行して「痛いっ!」と大声で言ったら間
髪をいれず「がんばってぇ!がんばってぇ!」と来た。なんだ、初めから分って
たんじゃないか。肢には右と左がある。右も左も痛かった。どっちが先だったか
忘れたが後のほうのときは一秒か二秒が堪えきれずにちょっと動いた。途端に「
動かないでッ!」。

 これ、けっこうキツイ。手術の予行演習みたいだ。四人部屋の窓側の先住者二
人は心筋梗塞と糖尿と掛け持ちの、もうヴェテランの患者でカテーテル治療は慣
れているらしい。病室に戻ると二人とも満面の笑みで迎えてくれた。初めは何故
こんなに歓迎してくれるのか気味が悪かったが、同病で同様の治療を受けたと思
っているらしかった。「PETぐらいと言ったけど痛かったよ」と担任看護師に
言ったら困ったような顔をしていた。医者も看護師もみんな知っているが患者に
は内緒にしているらしい。それも分別にはちがいない。知らぬがホトケだ。 

あらかじめ痛いと知っていたら事前の不安がたまらないだろう。動物のうちで
人間だけは、必ずいつか自分は死ぬと知っているからいつのこととも知れぬ死
が不安なように。大分あとになって担任看護師に「PETぐらいと言ったのは
正解だよ。知らなくてよかった。痛いのも、まあ一秒かな」と言ったらホッと
した様子だった。「そう、一秒」だなんて相槌を打った。知らないくせに。


■手術が済んで


  手術が済んだらICUで一泊するはずであった。ところが続々と手術があるのでI
CUが立て混んできて、夜の7時に追い出されて病棟に戻った。身動きできないだ
けで急変の心配はないとの判断によってであろう。戻ったのはもとの4人部屋で
なく、ICUの代用というわけで個室だった。むしろ独房と呼んだほうがいいよ
うな狭苦しい個室だった。

 手術前に腸をカラにしておくべきところ、朝食抜きで排出は無理であった。軽
い下剤は即効性がなく、手術後の夜間に効いてきて便意との格闘になった。つい
に屈して屈強の中年男性看護師の世話になってしまった。一夜明けて朝六時にな
るまでは寝たままで動いてはいけないからだ。看護師の懇切、熱い蒸しタオルに
よる清拭はさすがプロフェッショナルと嘆ずべきものであったし、それに対する
謝意は当然のことながら、屈辱の感情もまた記憶に痕跡を残すこととなった。

自ら招いた失態が今回の入院中に味わった最大の苦痛であったかもしれない。
肉に加えられる苦痛は一過性であるが、恥のような自傷による心理的苦痛は過
ぎ去ることがない。過ぎ去ったと思っても、しばしば俄かに以前にもまして新
鮮によみがえる。

 一夜明けて6時になって看護師がトイレに誘導してくれた。やっと点滴のスタ
ンドに縋ってのつかまり立ちではあるが、なんとか目的を果たした。「わたしの
言うとおりしてください。絶対ひとりでやろうとしないで」と強く警められ励ま
されて、とにもかくにも用を足した。足よりも頭がふらついて、不思議に腕も外
側から後ろに回せなかった。それから何時間かして、予約してあった別の部屋に
移るときは早朝はじめて床をはなれた時よりは目に見えて回復していた。


■リベンジか?導尿管の変!


 部屋が変わってすぐトイレに入った。手術を受ける者は自前の浴衣寝巻きを着
ることになっている。その寝巻きの裾に褐色の汚れがついているのに気付いた。
それも三本線になって付着している。途端に自分がしくじったのだと思って私は
蒼ざめてしまった。看護師はヨーチンだという。最初の思い込みがあまりに強く
て、どうしてもそれが耳に入らなかった。軍隊では注射の消毒にもインキンにも
、なんでもかでもヨーチンだったが、その後久しくヨーチンにはごぶさたしてし
まって、まさか最新鋭の手術室で大正時代にはすでに家庭にも普及していたヨー
チンを使うとは思っていなかった。

褐色の汚れがヨーチンによるものだというのも思いもよらないことだった。手
術の時は消毒に大量のヨーチンを使うこと、それを先ず言ってくれていたら理
解できたかもしれない。それがないから私はこれをまったく了解しなかった。
了解しなかったことに看護師はキレた。
 
  キレた女は一変した。患者に接する時のマニュアル言語をかなぐり捨てて、地
を剥きだしの伝法な女に変わった。「自分でしなさい!」と怒気あらわに言い、
便座に腰を下ろした私の頭上に寝巻きの裾を茶巾に被せた。ウォッシュレットの
トイレで人手を借りる意図などもとより私にはない。ただ汚れを申告し、一刻も
早く新しいものに着替えたかっただけである。そういうちょっと緊張した一場面
があって、そして女は再度変化した。元のマニュアル女に戻っただけでない。

日増しに過剰に慇懃になった。病院の患者接遇は職員看護師において近ごろ一
般に慇懃であるが、この女は部屋を退くときに「ありがとうございます」と言
うようになった。戸口でわざわざこちらを向いてニコニコ顔で浮き浮きした声
で言うようになった。あるいはそれも自己抑制の手法としてマニュアルにはあ
るのかもしれず、そのような躾けがなされているのかもしれない。しかし、ど
うもそれだけではないようだ。
 
  例えば本屋で、安価な古本を買う。品物をレジに持っていくと「ありがとうご
ざいます」と言う。千円札を出すと「ありがとうございます」と言って釣り銭を
くれる。品物にカバーをかけて袋に入れて、また「ありがとうございます」と言
う。三度ともまったく同じ調子で、高らかに若い女が言う。ものの数分の間に「
ありがとうございます」が三度はやはり過剰だ。三度目になると江戸っ子でなく
ても尻のあたりをなにかが這うような気分になる。ましてや看護師が脈や血圧や
体温を測ったり、いろんなことをして、つまり一仕事して、礼をいうならこっち
の方だろうに向こうが礼をいうのだから、こっちはなにやら気持ちが落ち着かな
い。と言うより気味が悪い。
 
  やがて導尿管を抜くことになった。これは過去三度の手術のたび、したがって
三度経験しているが、目にもとまらぬ早業で痛みを感じているヒマなどない。ジ
ョン・ホームズのような大物ならばともかく普通人ならほとんど無痛である。と
ころが四度目の今回はちがった。「ありがとうございます」の看護師が来て抜い
た。なんと、じわじわと痛いではないか。じわじわと抜いたからじわじわと痛い
のだ。

後日泌尿器科の医者に確かめたところ「ゆっくり抜いたらそりゃ痛い」と言っ
た。過去三度は男の医者だったから早業で、四度目の今回は女の看護師だか
らゆっくりというわけではないようだ。反則と知りつつわざとやったのであるら
しい。知ってやったのなら目的はリベンジしかない。オヤジ狩があるならジジイ
狩もあるだろう。リベンジによって得られる快感は「人の不幸は蜜の味」の域を
出ない、いわゆるSchadenfreudeよりも積極的で強烈な、まさに肉食的なもので
あるだろう。そのあたりの女の心理を推理するのは興味津々ではあるが、禁欲し
て事実関係を記すにとどめる。その後その女は私の前に姿を現さなかった。


■退院直前のCT、そして直後の「マラリア」!


 術後5日、執刀医が来て「不安要因もあるのでCTの結果次第で再手術、その場
合は開腹になる」という。まことに不安な一夜が明けて午後遅くにCTを撮った。
そのとき留置していた点滴針が詰まって使えないということがあったが撮影は一
先ず無事に済んで病室に戻った。そしてベッドに横たわった途端に激しい震えが
きた。むろん発熱もしたが、震えはマラリアにそっくりだった。私自身マラリア
に罹ったことはないが、学徒出陣を生き延びて外地から復員した友人が高校の寮
の一室で発作に激しく震える有様を目撃したことがある。それとまったくそっく
りだった。主治医、婦長以下看護師多数が駆けつけたが抗生剤の注射であっけな
く治まった。
 
  ここで婦長という言葉を使ったが、婦長のことを今は看護師長とか師長とかい
うらしい。しかし婦長という呼称にはそれなりの歴史があって、看護師のあいだ
でも抜きん出た貫禄を示す言葉として、ほとんど尊称のように、いまだに生きて
使われている。もともと「身分の高い既婚婦人」を意味するラテン語に源を持つ
英語およびフランス語のmatronあるいはドイツ語のMatroneその他ヨーロッパで
広く使われていた言葉の訳語だ。ただのhead nurseではないのだ。それゆえ私は
絶大の敬意をこめて、あえて婦長の呼称を採った。婦人はよくない、女性という
べしというが、貴婦人を貴女性とはいえないだろう。ただし伝統的ヒエラルヒー
はこの病院において賢明に内面化されているらしく、見るところきわめて平等主
義的で医師も看護師も服装からは判別できない。
 
  わが「マラリア」は院内感染ということになるが、結局どこから感染したかは
特定できずじまい。よくあることらしい。手術後入浴もなくベッドに転がしてお
けば、患者自身の皮膚からだって、消毒はしても点滴の針やカテーテルから雑菌
は入るだろう。近所の外科の開業医がそう言った。翌朝にも少し弱い程度に同じ
ようなことが起こったが、今度も抗生剤で治まって、その後今日まで異状はない
。最初の発作で多勢が駆けつけたおり、婦長はため息まじりに言った。「せっか
く手術はほんとにいい結果だったのに」。あれあれ、そうだったのか。CTの結果
を医者が告げるいとまもなく「マラリア」が起こってしまったというわけだ。明
日にも退院のはずが三日ほど延びてしまった。
 
  CTの結果を明かすと同時に、留置した点滴の針を抜いて硬くなった瘢痕を見て
、婦長は私の手首を静かに手にとり「こんなに腫れあがって」と、まるで我がこ
とのように嘆息した。「手あて」という言葉がある。古くから病や傷のケアを指
すものとして使われてきた。文字通り手をあてることで痛みを和らげるからだ。
このとき一瞬、婦長の手の触覚を通して私の手首に見えざる光か微弱な電流のご
ときものが浸透するように感じた。それには一種のおどろきが伴った。若い看護
師が脈をとったりするときの感触とは性質がちがっていた。対比として直ぐ浮か
んだのは子供のとき母が私の手をとって木綿鋏で爪を切ってくれたときの、あの
母の手の感触だった。
 
  手あての恵みはだれの手にもあるのではあるが、魔的なまでに抜きん出た力は
母のものである。母のものでなければ天性のものであり、稀にそういう天性の持
ち主はいるにはいるが、より確かなものとして看護師の修練をきわめたすえに獲
得される場合がありうる。じつにそのようなプロフェッショナルなもののオーラ
を、この婦長の手触りから私は感じて思わず息をのんだ。
  まだその気で拾えばヴェテラン看護師から聞いた話などもあるが、一先ず病院
のはなしを終わる。通院に利用した電車のはなしは残る。
                        (筆者は堺市在住)

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