■ 海外論潮短評(54)                  初岡 昌一郎
   地獄の同盟国:パキスタン

―核兵器の開発と拡散阻止に奇襲を辞さないアメリカ―

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  この論文は『アトランティック』2011年12月号に掲載された。同誌は1
857年にボストンで創刊された穏健保守派的傾向の政治文化誌で、穏健進歩派
の月刊誌『ニューヨーカー』と並んで知識人の間でよく読まれている。

 論文はジェフリー・ゴールドバーグとマーク・アムビンダーの共同執筆で、2
人はいずれも『アトランティック』の編集記者である。表題の前半は原筆者が、
ハイフン以下の後半は紹介者がつけたものであることを冒頭にお断りしておく。
補足的な見だしを付したのは、紹介した論文の範囲を延長したコメントを書いて
しまったことによる。

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  ラジカルな“ジハーディスト(聖戦主張派)”と
  膨張する核兵器を抱える国
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 5月にアメリカ海兵特殊部隊がアボタバードのオサマ・ビン・ラディンを襲撃、
殺害した直後、パキスタン陸軍参謀長アスファク・カヤニ将軍は、パキスタンの
核兵器責任者ハリド・キドワイ中将に電話していた。文民政府が見せ掛けの存在
にすぎない同国内最実力者である将軍は、ビン・ラディン殺害後に多忙を極め、
士官学校近所にあった彼の隠れ家を軍は事前に知らなかったとアメリカに釈明す
るのに追われた。

 同時に、その攻撃がパキスタンの主権に対する明々白々の侵害なので、軍内部
の憤激を宥めなければならなかった。だが、彼の最大の心配はパキスタンが保有
する核兵器の安全だった。

 パキスタンはグローバルなジハーディズムの震源地帯に位置する不安定かつ暴
力的な国であり、イランや北朝鮮などの“ならず者”国家に核技術を提供してき
た。パキスタンは大量の核兵器を安全に保有しうる国ではないのに、多くの場所
に核を分散させているとみられる。ビン・ラディンの隠れ家があったアボタバッ
ドにはジハード派パルチザンが多数が住んでいるのだが、そこに核兵器があって
も不思議ではない。

 西側政府首脳が言明している反テロ作戦の至上目的は、核兵器がジハーディス
トの手中に落ちるのを阻止することである。「アメリカにとって短期的中期的そ
して長期的な単独・最大の脅威はテロ組織が核兵器を入手することである」とオ
バマ大統領が言明している。そして、アルカイダが「核兵器を略取しようとして
おり、その大量破壊兵器を使用するのを彼らは躊躇しないだろう」と述べている。

 ジハーディスト組織が核兵器を入手しようとすれば、パキスタンが狙われるの
は間違いない。世界で核開発を行っている約50ヵ国のうち、回教国はパキスタ
ンだけである。中央政府の能力は乏しく、その支配が有効でないところは随所に
ある。最大の都市カラチでさえ秩序維持の困難なことが稀ではない。最有力な権
力機構の軍部と治安機関には、無数のジハーディスト・シンパが浸透していると
みられる。すでに、多くのジハーディスト組織が同国に本部を置いている。

 想定される核の危険は3分類できる。第1にテロリストが核兵器を盗み、ボン
ベイやニューヨークなどに「核の9・11」攻撃をかける、第2はイランのよう
な国に核技術を移転する、第3は崩壊国家から戦闘集団が核兵器を奪取する、と
いうシナリオである。

 これまでパキスタン軍は核兵器が安全に保管されていると強調し、平常時は核
弾頭を着装せず、別の場所に保管していると説明してきた。だが、近年にはテロ
行為が国内外で頻発しており、パキスタン軍部は核の安全確保に腐心している。
でもアメリカなどの懸念には根拠がないと、パキスタン政府は一貫して否定して
きた。

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  核を巡る化かし合いゲーム ― アメリカとパキスタン
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 アメリカとパキスタンの安全保障上のナショナル・インタレストは相反してい
ることが多い。しかし、相互依存関係にあるので、その衝突を公然とは認めてこ
なかった。パキスタン軍部は依然としてアメリカの資金とアメリカ製兵器に依存
しているし、アメリカはアルカイダなどの過激派制圧にパキスタンの協力が不可
欠とみている。

 ところが、パキスタンが主敵とみなしているインドは、今やアメリカの主たる
同盟国である。インドがアフガニスタンをパキスタンに敵対する同盟に引き込も
うとしている、とパキスタンはみている。また、パキスタン指導者の多くは、タ
リバンや類似のグループをアフガニスタンにおけるパキスタンの利益擁護者とみ
なしている。

 ビン・ラディン暗殺攻撃以後、両国間で不信と対立が顕在化した。パキスタン
は、テロ組織を支持しているのが軍情報機関(ISI)の中の傀儡的な一部にす
ぎないと、20年以上にわたりアメリカにたいし意図的な嘘をつき続けてきた。

 今やアメリカも、ISI自体がテロ組織を育成し、インドに対する攻撃を行っ
てきたことを否定できなくなっている。ISIはアメリカと協力して一部のテロ
組織を攻撃しながら、他方では特定の反米テロ組織を支援してきた。タリバンと
アルカイダの提携を取り持ったのはISIだといわれている。

 2008年にインドのムンバイに凶暴な攻撃を仕掛けたラシュカール・エ・タ
イバは、パキスタン国内で公然と活動しており、首都ラホール郊外に200エー
カーの根拠地を維持している。インドとアメリカが収集した情報では、ムンバイ
やその他の対インド攻撃にISIの関与が明白である。アメリカの情報諸機関は、
ジハード組織に対するパキスタンの支持がここ数年に増大していると一致してみ
ている。

 ISIはまた、国内での反米感情に手を貸している。たとえば、アメリカは役
に立たないとみればいつでもパキスタンを見捨てる、という記事を記者たちに書
かせている。ビン・ラディン殺害事件以後、アメリカの調査会社「ピュー」が行
った世論調査では、69%のパキスタン人がアメリカを「どちらかといえば、敵」
とみており、「どちらかといえば、パートナー」とみているのは6%に過ぎない。

 アメリカ政府も国民に嘘をついている。過去20年間の歴代パキスタン政府が
テロ組織を育成するのに手を貸してきたことを隠蔽してきた。アメリカは現在、
スーダン、イラン、シリア、キューバの4ヵ国をテロ支援国家に指定しているが、
公然、非公然にテロ組織を支援してきたパキスタンはこのリストに含まれていな
い。
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  両国首脳は相手に幻想を抱かないものの、関係の敵対化を用心
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  アメリカの戦略家たちを悩ましているのは、イスラマバードやルワルピンジの
ホテルや街頭が危険になっていることよりも、パキスタン国家自体の長期的な安
定性と一貫性についての危惧である。パキスタンの不安定化から生ずる潜在的な
リスクは、第1に軍がインドに対し先制攻撃をかけること、第2は、核兵器や核
弾頭が紛失ないし盗難に逢うこと、第3に、パキスタン国家自体が崩壊すること
である。

 パキスタン政府は世界で最も腐敗している政府の1つである。ザルダリ大統領
は「ミスター・10パーセント」と陰口をたたかれている。昨年のインフレ率は
15%を超えており、実質失業率は34%に達している。パキスタン人の60%
以上は1日2$以下で暮らしている。そして、政府予算の約25%が軍部に直接
わたっている。インドに比較して、科学技術や教育が遅れている国で、核開発と
核武装の費用が突出している。

 核開発の中心人物で、パキスタン核爆弾プログラムの“父”と呼ばれているA.
Q.カーン博士は、アメリカ人を含む報道記者との懇談で、「欧米は1000年
にもわたって回教徒に対し攻撃を行ってきた」と批判している。このようなパラ
ノイアは、安全保障関係エリートの中で特にアボタバード攻撃以後広がっている。

 アメリカは回教国を嫌っているので、先制攻撃によってパキスタンの核能力を
無力化するという見方が軍部にも根強くある。このようなパラノイアが必ずしも
非合理的なものとは言えない。

 アメリカは過去にパキスタンの核開発を阻止しようとして制裁措置をとったが、
反米感情を高めただけで失敗に終わった。オバマ政権はパキスタンの核武装解除
を主張していない。ホワイトハウス高官は、パキスタンの軍部と治安機関こそが
核兵器を安全に管理するための最上の道具だとする立場をとっている。

 しかし、文民政府の弱体なパキスタンを信用しておらず、治安機関を頼りにな
らないとアメリカがみているとパキスタン人は考えている。アメリカ政府は、パ
キスタンの核に関して最悪のシナリオをすでに準備している。ブッシュ大統領の
安全保障顧問であった当時のコンドレッサ・ライスが、ケリー上院議員の「回教
徒のクーデタがおきたときに、核兵器をどうするのか」という質問に答え、「こ
の問題には留意しており、対処する準備をしている」と述べている。

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  「核があるので見捨てられない」ジレンマ
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 有力な共和党筋から、アメリカに敵対的な態度をとるパキスタンとの関係を整
理せよとの声が上がっている。アメリカ軍がアフガニスタンに駐留している限り、
パキスタン向け援助を打ち切ることはできない。アメリカはまた、パキスタンの
北部部族特別区域で無人戦闘爆撃機を使用している。しかし、これはジハーディ
ストを制圧するためであり、パキスタン政府の利益にも適っている。

 とはいうものの、多くの面でアメリカの利益に反して行動している国との関係
をただ拡大せよと論ずるのも考え物だ。パキスタン政府と軍部をもっとも苛立た
せているのは、アメリカが同国を軽んじており、尊敬心を持っていないことであ
る。関係改善のためのアプローチは、政治的軍事的エリートに関係を絞ってきた
ことを改め、パキスタン社会の幅広い階層との接触を図ることが必要だ。

 アメリカがパキスタンの核計画をぬかりなく監視してゆくことは、自国の安全
保障上の利益でもある。核戦争を防止し、核兵器がテロリストの手にわたるのを
阻止するのは両国共通の利益である。パキスタンも国際社会からの孤立を望まな
ければアメリカとの関係をおろそかにできず、軍部もアメリカの軍事援助とそれ
に伴う高度兵器へのアクセスを手放すことはできない。
   この悩ましい関係から逃れる道はないが、その関係が改善される兆しはない。


●●コメント●●


  ロンドン『エコノミスト』2月11日号がパキスタンについて「危険に向かう
行路」という、16ページにわたる特集記事を掲載している。その中で、ここに
取り上げた『アトランティック』論文がパキスタン国内で大きな波紋を引き起こ
した、と指摘されている。特に、同論文で「アメリカがパキスタンにおける核の
危険を予防するために奇襲攻撃をかけても、中国は黙認する」との趣意が述べら
れていることに、パキスタン軍部は動揺しているそうだ(注:この部分は憶測に
すぎると思い、本稿では紹介しなかった)。

 最近の『ニューズ・ウィーク』3月5日号の記事から見れば、パキスタンに対
してだけではなく、他の核兵器開発国に対しても、奇襲攻撃が準備されている可
能性を否定できない。『エコノミスト』2月25日号は「イランを攻撃する」と
いう長文のブリーフィングを掲載し、核兵器開発阻止のためにアメリカの奇襲攻
撃の可能性が高まったが、イランの転換は困難と分析し、警鐘を鳴らしている。
最近、北朝鮮が核兵器開発を中断することによってアメリカとの対話に踏み切ろ
うとしているのも、アメリカの新戦略への対応という角度から理解しうる。

 ビン・ラディン暗殺の奇襲攻撃が劇的な成果として評価されたアメリカの政治
風土の中で、新型奇襲攻撃戦略を政権浮揚の梃子として用いる誘惑は小さくない。
「オバマの秘密部隊」という3月5日のNW誌記事によれば、シビリアン・コン
トロールが強化されているCIAによる「工作」型作戦よりも、特殊訓練を受け
た軍エリート秘密部隊による限定目標に対する奇襲作戦が重視されるようになっ
ている。

 軍は、現在すでに膨張している特殊部隊予算の倍増を要求しているという。イ
ラクやアフガニスタンに対する長期かつ大規模な全面的反テロ戦争が成果を上げ
てこなかったことから、無人機など最新兵器を駆使した迅速な短期的かつ限定的
奇襲攻撃が反テロ作戦と核兵器拡散阻止の中心戦略になりつつある。

 しかし、このような軍事的手段の効率を重視する戦略は他国の主権侵害をする
攻撃を容認することになり、これまでの同盟国を含め、アメリカに対する国際的
批判をまねかずにはおかない。アメリカとの軍事同盟により自国の平和が脅かさ
れると感じるのは、パキスタンだけではないだろう。パキスタンの危機は腐敗し
た軍民エリートが招来したものであるとしても、それを助長し、協力してきた自
らの責任を問わず、相手だけを批判する身勝手な「上から目線」が気になる。

 核拡散防止と核兵器禁止には主要国間の和解と結束が不可欠なので、日本もア
メリカにただ軍事的外交的に追随するだけでなく、核非保有国の立場から積極的
な責任を果たす可能性を緊急な外交課題として追求すべきだ。

        (筆者はソシアル・アジア研究会代表)

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