■臆子妄論  

~テニソンと陶淵明~        西村  徹

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 19世紀のイギリスにアルフレッド・テニソンという詩人がいた。1809年
ヴィクトリア女王より10年早く生まれて1892年女王より9年早く死んだ。
ヴィクトリア時代の陽のあたる部分を代表する、つまりは大英帝国の表紙のよう
な詩人である。1850年ワーズワースの後を襲って桂冠詩人となった。英語話
者のあいだではシャーロック・ホームズとおなじぐらいその詩集はいまなおポピ
ュラーである。英文学にさほど縁のない人にはヴィクトル・ユゴーより7年後に
生まれ7年後に死んだというほうが時代感覚はつかみやすいかもしれない。ある
いはダーウィンやリンカーンと同い年というほうがさらにわかりやすいだろうか
。3人とも今年が生誕200年になる。
 
テニソンに「粉屋の娘」という詩がある。長い詩の中の、これから話題にする
部分だけが広く知られている。The Miller's Daughter だから「水車小屋の乙女
」といいたいところだが、このMiller はもとの長詩のはじめにwealthy miller
とあって裕福らしく書いてある。だから「製粉所の令嬢」ぐらいになるのかもし
れないが、それではサマにならないのでこのようにした。

    It is the miller's daughter,
       And she is grown so dear, so dear,
     That I would be the jewel 3
       That trembles in her ear:
     For hid in ringlets day and night,
     I'd touch her neck so warm and white.  

    And I would be the girdle 7
       About her dainty dainty waist,
     And her heart would beat against me,
       In sorrow and in rest:
     And I should know if it beat right,
     I'd clasp it round so close and tight.

    And I would be the necklace, 13
       And all day long to fall and rise
     Upon her balmy bosom,
       With her laughter or her sighs,

    And I would lie so light, so light,    17
     I scarce should be unclasp'd at night.

 平明で耳に心地よい、ウェッジウッドかなにか、ちょっとした焼き物を眺め
ているような、いい気分にしてくれる詩で、女心をくすぐるのか女子学生にも評
判がよい。読むには中三か高一の英語力があればよく、翻訳の必要もないと思う
が、念のため大意を、あくまでも大意を日本語にしておく。

    それは粉屋の娘のはなし、           
    その子が今やなんとも花うるわしい少女になった。
    願わくは宝石になって、 
    彼女の耳もとに身をふるわせていたい。     
    ひねもす夜もすがら巻き毛に隠れて、    
    あったかくて白いその首に触れていたい。

    願わくは帯ともなって、          
 
    なんともきゃしゃなその腰をとり巻いていたい、 
    その心臓はわたしに寄り添い脈打ちもしよう、 
    悲しみのときも憩いのときも。        
      
    拍動の正しいことがわかりもしようし、     
    しっかりぴったりその心臓を放すことはあるまい。

    願わくは首飾りになって、           

    そしてひねもす上に下にと揺れていたい    
    そのかぐわしい胸の上で、          
     

    笑うときにもため息のときにも、       

    いやがうえにも軽やかに横たわっていようから、 
    夜分にもわたしはよもや外されることはあるまい。
              
  英詩の入門にはうってつけなので、私はこれを教室で取り上げたことがある。
そのとき、ひとりの台湾人留学生が書いてくれたレポートは、まったく意表をつ
く挑戦的なものだった。これは陶淵明のパクリだという。陶淵明のどの詩とは書
いていないが、高校で習ったことがあるものらしい。中国文学の専門家に訊くと
即座に「閑情賦」だろうと教えてくれた。岩波の中国詩人選集『陶淵明』(一海
知義編)には出ていなくて岩波文庫『陶淵明全集』で見つけることができた。陶
淵明にこんな艶冶な作があろうとは、この台湾人留学生から教わることがなけれ
ば知らずじまいだったかもしれない。「教えつつ学ぶ」(docendo discimus)と
はよく言ったものだ。
 
では、その陶淵明「閑情賦」なるものを見るとしよう。テニソン原詩3行目7行
目13行目のAnd I would の邦訳を「願わくは・・」としたのは陶詩の「願在・・
」に合わせてのことである。「閑情賦」中のいわゆる十願と呼ばれるもっとも有
名な、そのうちのまず第一聯を見るとしよう。読みはおおむね岩波文庫版全集に
したがう。                               
                                    
                    
   願在衣而為領  願はくは衣にありては領(えり)と為り
   承華首之餘芳  華首の餘芳を承けん.
   悲羅襟之宵離  悲しいかな 羅襟の宵に離るれば
   怨秋夜之未央  秋夜の未だ央(つ)きざるを怨む

 「願わくは上衣ならば襟となって、そなたの花のかんばせに漂う残り香を嗅ぎ
たい。しかし悲いかな薄絹の衣は夜には脱ぎ捨てられるから秋の夜長のいつまで
も明けやらぬが恨めしい」というような意味であろうが、その初めの二行とテニ
ソン詩との対照を見るに困難はあるまい。第一行はI would be the jewelでもあ
たらずとも遠くはなかろうし、I would be the necklace ならさらに近いだろ
う。第二行にひとまず照応するのはI'd touch her neck so warm and whiteとい
うことになるだろう。「華首」の「首」はじつはneck(頚部)ではなくhead(頭
部)ではあるけれど。

 第二聯はどうか。

   願在裳而為帶  願はくは裳にありては帶と為り
   束窈窕之纖身  窈窕の纖身を束ねん
   嗟温良之異氣  嗟かわしいかな温良の氣を異にすれば
   或脱故而服新  或は故きを脱ぎ新しきを服(き)るを

 「願わくは裳裾ならば帯となり、たおやかなそなたの細い腰を締めてあげたい
。ただ嗟かわしいことには季節の変わり目には、古いものを脱いで新しいものを
着ることになろう」の意であろうが、初めの行にはI would be the girdle があ
てはまるだろう。二行目にはAbout her dainty dainty waist,が「窈窕の纖身」
というには艶色に少しく欠けるけれども、まずは照応するものとしてよかろう。
 
類似照応を示す直接証拠としてあげうるのはこの二聯にかぎられる。しかし全
体として「願わくは」とする発想形式は共通している。陶詩はテニソン詩に先立
つことおよそ1400年。テニソンが陶淵明を知らなかったという証拠はないが、こ
れをあえてパクリとしたのは若き学徒の微笑ましきナショナリズムによるものと
みるのが穏当であろう。あるいはこれをタネに研究する学者もあるかもしれない
が、そういう「研究というのはまじめくさったゴシップにすぎない」(E.M.フォ
ースター)ことが多かろう。
 
たしかに似てはいる。その発見は十分に若者の心を弾ませるものであったろう
。「去年(こぞ)の雪いまいずこ」Mais ou sont les neiges d'antan?という有
名なヴィヨンの詩の一行がある。セルヴァンテスの『ドン・キホーテ』二部の大
詰めで、死の床にあって正気に返った、ありし日ドン・キホーテを名乗ったアロ
ンソ・キハーノがいう。「去年の巣には、もう今年の鳥はいない」と。いずれか
を知っていて、もう一方を読めば共通するなにかを感じることはあろう。そして
その発見は本を読む人間にとってのささやかな快感のひとつではあるだろうが、
かならずしもそれ以上である必要はない。
 
  ではちがいはどうか。どこがどのようにちがうのか。
  テニソン詩は願望を歌うのみである。願望に満足して願望そのものが満たされ
るか否かは問うところでない。楽天的とも恬淡ともいえるものである。陶詩は願
望を歌うにとどまらない。十願といわれるとともに十悲ともいわれるように、願
在の二行にはかならず「悲しいかな」と失意の詠嘆が伴う。夢はかならず破れる

  テニソン詩はまったくエロティックでないとはいわないが、陶詩とならべると
悲劇的でも耽美的でもない、はなはだ健康な少女の成長をたたえる、かなり能天
気で屈託ない歌にすぎない。万葉の恋歌にもあるような、素朴でおおらかなもの
に見える。これなら高校教科書に載せても日本国文科省といえどもくちばしは挟
むまい。しかし陶淵明のこの詩を高校で教えるとなるとどうであろうか。それを
思えば台湾当局の見識は相当に高いといっていい。
 
陶詩の嘆き節に似たものを西洋に求めるならば「こんなにわたしは恋い焦がれ
ているというのに貴女はいつまでもつれない」と歎く14世紀イタリアのペトラル
カ風ソネットであろう。しかし陶詩は14行に収まるような生易しいものでもない
。願在は衣裳にはじまり髪眉、莞(蒲)絲、晝夜、竹木と展開される。第三聯、
髪油となって黒髪を撫で肩の上に梳かしたくも湯浴みのたびに流されてしまうと
嘆き、第四聯、眉墨となって視線にしたがい上下したくも化粧のたびに消し去ら
れると嘆き、第五聯、蓆となって秋三月の間か弱い体を憩わせたくも年経ればと
りかえられると嘆き、第六聯、履(くつ)になって素足に貼り付いていたくも寝
台の前に脱ぎ捨てられると嘆いて、以下嫋嫋綿々第十聯まで続く。

 陶詩の描く女性の像はテニソン詩の健康優良児ではなく「傾城之艶色」である
。しかしまた「獨り曠世以て羣に秀ずる」がごとき、「幽蘭と斉(なら)びて以
て芬(かおり)を争う」がごとき、ほとんど夢幻的な、あやうく肉体性を保って
いるにすぎない、さながら重力の法則の外にあるかのような、しかもなお紛れも
ないファムファタールにはちがいない。耽美の極というべきか。フェティシズム
などと目の粗いレッテルを貼ってすむ段ではない。肉体性に関して直接に具象の
描写はむしろまれである。それでいて第一、第二聯は言うに及ばず第五、第六聯
など息を呑むばかりに官能的である。
 
かと思うと、相離かるイメージを結びつける意外性はジョン・ダンなどイギリ
ス17世紀の詩人たちの、その奇想(conceit)ほどにメタフィジカルではないもの
の、その誇張法において両者は相通じる。唐突に聞こえるかもしれないが、もし
噺家に名人巧者を得るならば本格の落語作品にもなるような誇張法がある。これ
が書かれたのは5世紀はじめ、日本はまだ古墳時代のことである。漢文明が早く
に達した高い醇度にただただ舌を巻くほかない。
 
念のために書き添えると閑情賦の「閑」は「シズメル」の意。仇しごころを鎮
めるべき旨を歌っているというのが建前である。だから篇末尾に「萬慮を坦(う
ちあ)けて以て誠を存し、遥情を八遐に憩わしめん」(大意:妄念の一切を告白
して誠意を吐露し、あられもない恋慕の情を雲散霧消させたい)などと取ってつ
けている。さてどんなものか。

 なお参考のため以下に十願の残り第三聯から第十聯までを掲げておく。

   願在髮而為澤  願はくは髮にありては沢となり
   刷玄鬢於頽肩  玄鬢を頽肩に刷(かいつくろ)はん
   悲佳人之屡沐  悲しいかな佳人屡しば沐し
   從白水以枯煎  白水に從りて以て枯煎するを

   願在眉而為黛  願はくは眉にありては黛と為り 
   隨瞻視以閑揚  瞻視(せんし)に隨って以て閑かに揚らん
   悲脂粉之尚鮮  悲しいかな脂粉の鮮かなるを尚び
   或取毀於華粧  或は華粧に毀たれんことを

   願在莞而為席  願はくは莞にありては席(むしろ)となり
   安弱體於三秋  弱体を三秋に安んぜん
   悲文茵之代御  悲しいかな文茵の代り御して
   方經年而見求  年を經るに方りて求められんことを

   願在絲而為履  願はくは絲にありては履と為り
   附素足以周旋  素足に附きて以て周旋せん
   悲行止之有節  悲しいかな行止の節有りて
   空委棄於床前  空しく床前に委棄せらるるを

   願在晝而為影  願はくは昼にありては影と為り
   常依形而西東  常に形に依りて西東せん
   悲高樹之多蔭  悲しいかな高樹の蔭多く
   慨有時而不同  時有りて同(とも)にせざるを慨(かこ)つ

   願在夜而為燭  願はくは夜にありては燭と為り
   照玉容於兩楹  玉容を兩楹に照らさん
   悲扶桑之舒光  悲しいかな扶桑の光を舒べ
   奄滅景而蔵明  奄(たちまち)景(かげ)を滅して明を蔵(かく)すを 

   願在竹而為扇  願はくは竹にありては扇と為り
   含凄●於柔握  凄●を柔握に含まん
   悲白露之晨零  悲しいかな白露の晨に零(お)ちては
   顧襟袖以緬漠  襟袖を顧みて以て緬漠たるを

   願在木而為桐  願はくは木にありては桐と為り
   作膝上之鳴琴  膝上の鳴琴と作らん
   悲樂極以哀來  悲しいかな樂しみ極りて以て哀しみ來り
   終推我而輟音  終に我を推して音を輟(や)めしむるを

●は「風」に「炎」
                    (筆者は堺市在住)

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