■ 落穂拾記(9) 歴史教科書登場の「人名」を読む      羽原 清雅

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  2012年の新学期から中学校では、これまでの「ゆとり教育」を改めて、新
しい学習指導要領による教科書で勉強することになった。
  そこで、とくに「社会」の『歴史的分野』の教科書に登場する人名から、教育
状況の一端をのぞいてみたい。
 
  『歴史的分野』の教科書を発行しているのは、東京書籍、教育出版、清水書
院、帝国書院、日本文教出版(旧大阪書籍)、育鵬社(旧扶桑社)、自由社の7
社。これらの教科書には、どのような人物が、どのような頻度で登場しているの
だろうか。近現代史を語るとき、欠かせないような人物が意外にも触れられてい
ないことも目につく。

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  <国内政治関係>
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 明治維新前後については、比較的丹念に触れられている。7つの教科書共通で
登場するのは、井伊直弼、吉田松陰、坂本竜馬、徳川慶喜、勝海舟*、西郷隆盛*、
大久保利通*、明治天皇*、岩倉具視、木戸孝允*、板垣退助*、福沢諭吉*たち。
そして、三條実美、井上馨、高杉晋作、中江兆民らは5、6社に登場する。植木
枝盛、江藤新平、後藤新平、後藤象二郎らは3~5社に出ている。

 首相の扱いはどうか。伊藤博文*(初代)、黒田清隆(2代、官有物払い下げ
事件)、大隈重信*(8代・5人目の首相)、原敬(10人目、政党内閣制、暗
殺)、犬養毅(18人目、5・15事件で殺害)はいずれも全7社に掲載されて
いる。

 だが、山県有朋(3代)は3社にしかなく、松方正義(4代)も2社しか扱っ
ていない。山県は2次3年余の首相、藩閥政治の遂行、陸軍軍制の整備、地方自
治制の整備などの点で、松方も2次2年半の在任であり、地租改正、殖産興業、
財政整備などを推進した財政家として、その是非はあってももっと触れるべき人
物ではなかったか。
 
  歴代首相14人目の加藤高明(普通選挙法・治安維持法公布、対華21か条要
求)は6社、浜口雄幸(17人目、テロ後死去)は4社、桂太郎(6人目)、西
園寺公望(7人目)は3社、山本権兵衛(8人目)、寺内正毅(9人目)は2社
のみだ。ちなみに、山本をはじめ高橋是清(11人目)、若槻礼次郎(15人目)
、鈴木貫太郎(29人目)が出るのは、とかく教科書問題で話題に上る育鵬社、
自由社のみである。幣原喜重郎もこの2社だけに出るのだが、戦前の外交官、外
相としての登場で、首相としてではない。

 中学校用であること、ボリュームに制限があること、あるいはオールラウンド
の知識を提供しようとすることなどの制約はわかるが、日本の歴史を築き、カー
ブを切らせる政治の重さからすると、いささか選択上に問題はないだろうか。あ
えていうなら、歴史的に「負」に属するような人物については、避けて通ってい
るような印象を受ける。

 たとえば、軍人宰相の記載がきわめて乏しい。加藤友三郎(12人目、育鵬
社)、田中義一(16人目、同社)、斎藤実(19人目、東書)はそれぞれ1社
だけしか取り上げていない。さらにいえば、清浦奎吾(13人目)、岡田啓介
(20人目)、広田弘毅(21人目)、林銑十郎(22人目)、平沼騏一郎
(24人目)、阿部信行(25人目)、米内光政(26人目)、小磯国昭(28
人目)は掲載されていない。
 
  この不掲載の問題点は、戦争への道を急がせることになった軍人政治家への記
述が緩く、戦争突入をめぐる政治の責任を考える材料を避けているように思える
ところにある。戦争か和平かの岐路に立って、武力行使を選択した責任を負うべ
き近衛文麿(23人目)、東条英機(27人目)は四社しか触れていない。しか
も、加藤、斎藤、岡田、米内は海軍、田中、林、阿部、東条は陸軍の幹部として
の首相だった。この歴史的責任、そして戦争の背景を知る部分はきちんと記述さ
れたほうがいい。

 外交関係では、陸奥宗光*、小村寿太郎*は全教科書に出てくる。また、軍人で
は戦前の教科書に欠かせなかった乃木希典、それに秋山真之は育鵬社、自由社の
みにとどまり、是非ものだった東郷平八郎*は生き残って日文以外の6社に掲載
されている。時代とともに教科書の内容が変わっていく典型なのだろう。

 それでは、戦後の首相はどのようになっているか。
  30人目の東久邇宮稔彦から62人目の野田佳彦まで、33人の首相のうち,
全七社の教科書に登場するのは吉田茂のみ。東久邇宮、片山哲、芦田均を含め、
近年の1年交代の首相はもちろん、半数の名前がない。自由社のみが三木武夫、
大平正芳、中曽根康弘、竹下登、小渕恵三に触れているものの、ほかの教科書は
黙殺状態である。安倍晋三は育鵬社のみが教科書改訂問題で触れているが、自由
社は触れていない。
 
  自民党長期政権を変えた細川護煕が2社のみ、鳩山由紀夫が1社のみ、という
ことからすれば、首相の影が全般的に薄いのもやむを得ないのかもしれない。
  吉田以外の多い掲載を見ると、ノーベル平和賞の佐藤栄作、列島改造論の田中
角栄が6社、安保改定の岸信介、所得倍増計画の池田勇人が5社、そして訪朝や
拉致問題での小泉純一郎が4社、といったところである。

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  <外国政治関係>
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 まず戦後では、全7社に登場するのは日本占領を果たしたマッカーサーひと
り。アメリカでは、ブッシュは4社、ケネディ、ニクソン、オバマが3社、アイ
ゼンハワー、レーガンが2社、と概して記述は少ないようだ。
 
  ソ連に目を向けると、ゴルバチョフ4社、フルシチョフ3社、スターリン(戦
後)2社。そんなところかな、とも思えてくる。ネルーの4社もわからないでは
ない。

 イラクのフセイン、東京裁判のパル(パール)判事は、育鵬社と自由社のみ。
ダライ・ラマ14世は育鵬社だけ。両社の姿勢がうかがえる材料かもしれない。
  金正日、ワレサ(教出)、フセイン(育鵬社、自由社)などを取り上げたとこ
ろもある。
 
  戦前では、ヒトラー、レーニン、スターリン、それにガンジーが全7社にそろ
う。ムッソリーニと、ニューディール政策のルーズベルトは6社、チャーチルは
5社、トルーマンは2社だった。これも、まあそんなところか、の印象である。

 戦前、戦後の中国関係を見ると、毛沢東、孫文、袁世凱、溥儀は全七社に並ぶ
が、蒋介石は一社だけ欠ける。育鵬社と自由社は日本軍爆殺の張作霖と張学良に
ついて触れているが、ほかの四社には張作霖の名前は見当たらない。太平天国の
変の洪秀全も四社が取り上げているが、日本にとって張作霖事件は日中戦争の前
段として見落とせないのではないか。

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  <文学関係>
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 全7社に出てくる文学者は、芥川龍之介、夏目漱石、森鴎外、与謝野晶子にと
どまる。石川啄木は自由社のみになく、谷崎潤一郎と樋口一葉は清水書院だけに
ない。小林多喜二、二葉亭四迷、島崎藤村の名がないのは清水と自由社、志賀直
哉は清水と日文である。
 
  また、川端康成は4社に、小泉八雲、正岡子規、武者小路実篤は3社に出てく
る。育鵬社は全般に人物名が多く掲載されており、文学面では山岡荘八、大仏次
郎、田山花袋、国木田独歩、有島武郎、藤原てい、徳富蘇峰、横光利一、新美南
吉、与謝野鉄幹、大岡昇平、太宰治、坂口安吾、安部公房らを幅広く挙げている。
 
  最近の作家では、大江健三郎が4社、三島由紀夫、石原慎太郎、司馬遼太郎が
三社、それに松本清張、江戸川乱歩、吉川英治、野間宏、石川達三らが1、2社
に出てくる。
  文学者ではないが、哲学用語などに道を開き、日本の近代化に寄与した西周の
名前が出てきてもいいように思える。

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  <その他>
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 当然のことながら、社会の流れに逆らい、変革の旗を掲げた人物も掲載されて
いる。大逆事件で不本意のまま処刑された幸徳秋水、朝鮮の独立を主張して伊藤
博文を暗殺した安重根、足尾鉱毒事件で天皇に直訴した田中正造、女性解放の狼
煙を上げた平塚らいてうは、いずれの教科書にも登場している。平塚とともに活
動した市川房枝も、6社に顔を覗かせている。
 
  移ろう歴史の流れの中で、後世になって正当な叫びや行動として扱われるよう
な、これらのケースは、「悪」は悪としても、中学生のころに、その時代の風潮
や背景などを考える契機となれば、優れた材料といえよう。単一的な思考でがん
じがらめにせず、その可否を含めて歴史という過去を知り、現時点での比較や可
否を考え、そうした知識や考察のうえで未来を展望する、そんな歴史の教育であ
って欲しい。

 ほかに、全国水平社結成時に少年ながら立ち上がった山田孝野次郎(このじろ
う)、第五福竜丸で被曝死した久保山愛吉の話も、2社の教科書で紹介されてい
る。
 
  ノーベル賞については、最初に受賞した湯川秀樹を筆頭に各教科書が触れてお
り、18人全員の名前を挙げた教科書も2社ある。日本の誇りというか、若い人
の憧れというか、若い子どもたちのロマンをかきたてるに違いない。

 教科書作成の個性は、個別に取り上げる人物からも読み取れるものがある。
  大衆的なところでいえば、美空ひばり、長嶋茂、力道山、大鵬(2社)、長谷
川町子、王貞治、棟方志功、藤田嗣治(1社)らがいる。
 
  アイヌ文化研究の萱野茂、常磐炭鉱発見の片寄平蔵、青年海外協力隊の大塚詩
子、原爆の子の像のモデル佐々木禎子、国連難民弁務官事務所の高嶋由美子、国
際宇宙ステーション滞在の野口聡一、台湾の農業水利事業の成果をあげた八田與
一といった、知名度はともあれ、地域社会や地道に社会貢献した人びとが取り上
げられている。新幹線の開発に3代にわたって取り組む島安次郎、秀雄、隆を登
場させた教科書もある。それぞれの教科書に個性があっていいわけで、こうした
人選も採択に向けての、ひとつのチャームポイントになるのだろう。

 外国人では、アベベ、チャスラフスカなどのスポーツ人に触れたところもある。

 ところで、古代の歴史はどこまでさかのぼることが妥当なのだろうか。
  教科書編纂をめぐって、出版社や編集・執筆者の思想的傾向が取り沙汰されが
ちな育鵬社、自由社の教科書は、国産みの神とされるイザナギ、イザナミの命
(みこと)や、天孫降臨のニニギの命など神話にまでさかのぼって言及している
が、ほかの教科書は倭の五王(讃珍済興武)、ワカタケル王(雄略天皇)のよう
に、「宋書」などに記載される史実に、より近いあたりから取り上げている。

 神話と神をもとに国家伝説を定着させた戦前の教科書から脱皮して、史実に基
づこうとする姿勢と、神話は神話としてでも伝えようと考える姿勢に、出版社間
の距離が感じられるようだ。

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  <学習指導要領のことなど>
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 小学校の学習指導要領によると、「例えば、次に掲げる人物を取り上げ、人物
の働きを通して学習できるように指導すること」として、以下の42人を挙げて
いる。したがって、小学校でこれらの人物を学ぶことになる。中学校について
は、特定の人物の指定はないので、小学校で学んだ人物をさらに広げつつ、深め
ることになるようだ。
 
  《卑弥呼、聖徳太子、小野妹子、中江大兄皇子、中臣鎌足、聖武天皇、行基、
鑑真、藤原道長、紫式部、清少納言、平清盛、源頼朝、源義経、北条時宗、足利
義満、足利義政、雪舟、ザビエル、織田信長、豊臣秀吉、
 
徳川家康、徳川家光、近松門左衛門、安藤広重、本居宣長、杉田玄白、伊能忠
敬、 ペリー、勝海舟、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、 明治天皇、福沢諭
吉、大隈重信、板垣退助、伊藤博文、陸奥宗光、東郷平八郎、小村寿太郎、野口
英世》 (文中にある人物には*印を付した)

 とすれば、各教科書の取り上げた人名の扱いぶりがわかってくる。ただ、この
文部科学省の指導にとどまってしまうと、近代まではいいとしても、現代をどの
ように教えるか、が難しい問題になる。授業のなかで「現代」を避けて通れば、
つまり過去を切り離してしまえば、現実として目の前にある事象についての真の
理解は得られないし、歴史への興味も生み出すことはない。「戦争」推進の軍人
宰相が続いた政治状況についても、どのように教えたらいいのだろうか、先生方
の悩ましいところである。

 また、「神話・伝承」については、「古事記、日本書紀、風土記などの中から
適切なものを取り上げること」と指導要領に記載されている。史料をどう読み取
り、どう実証的に教えるか、これも先生方にとって深い理解とひと工夫が必要に
なるに違いない。

 ちなみに、この『歴史的分野』の教科書125万部のシェア(2012年度)
は、東京書籍53.5%、教育出版14.3%、帝国書院13.4%、日本文教
出版12.7%、清水書院7.1%、育鵬社3.8%、自由社0%だった。
<敬称略>

             (筆者は元朝日新聞政治部長)

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