■宗教・民族から見た同時代世界 荒木 重雄 

  ~高成長IT大国のインドでヒンドゥー主義台頭の気配~
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政界の汚職蔓延に抗議する大衆のデモやハンストがインドで始まったのは4月
からであったが、ここにきて、その運動にヒンドゥー至上主義の影が濃くなって
きた。たとえば6月に首都ニューデリーで、著名なヨガ行者に率いられて行われ
た1万人を超える規模のハンスト・デモである。

会場では、ヒンドゥー至上主義派のスローガンである「母なるインドを讃えよ」
が連呼され、腐敗した政治家の「死刑」や富裕層が国外の銀行口座に蓄えた資産
の差し押さえ、外国製品の不買や、はては、英語教育や議会制民主主義の廃止な
どが叫ばれ、ヒンドゥー教の伝統への回帰が声高に唱えられていた。

このハンスト集会は翌日には警察による催涙弾なども使った実力行使で排除さ
れ、そのさい60人を超える負傷者を出して、マスコミでも大きく報じられたが、
この騒動にほくそ笑んでいる者がいる。それは、ヒンドゥー至上主義派の上層部
である。


◇◇ ヒンドゥー至上主義派とは


インドのヒンドゥー至上主義派の根幹はRSS(民族奉仕団もしくは民族義勇
団と邦訳)とよばれる組織である。1925年の創設以来、反イスラム・反西欧を掲
げて、武力闘争を含め、さまざまなしかたで宗教紛争を挑発したり介入したりし
てきた。団員は1千万人を超えるともいわれ、直営組織の他、多様な職能団体や
労働組合、学生組織にネットワークを広げている。

インドの公園ではよく白シャツにカーキ色半ズボンの制服を着た男たちが武闘
訓練をしているのを見かけるが、彼らはRSSの末端メンバーである。
この組織は、ヒンドゥー教聖職者中心のVHP(世界ヒンドゥー協会)や、そ
の下部組織で血の気の多い若者を集めたバジュラング・ダル(ハヌマーンの軍
隊)などをはじめ、インドのほとんどのヒンドゥー・ナショナリズム団体の母体
となっている。そのRSSの政治組織が、1998年から2004年までインドの政権を
握ったBJP(インド人民党)である。

そして、先に述べたニューデリーのハンスト騒動に彼らがほくそ笑むのは、彼
らが描くシナリオに現実の状況が沿いだしたと見えるからである。


◇◇ 騒乱こそ党勢拡大の好機


ガンディー、ネルーらの国民会議派が掲げた「セキュラリズム(宗教的融和主
義、政教分離)」と「少数者への配慮」を独立以来の政治理念とするインドで、
その理念に真っ向対立する「ヒンドゥーこそが至高」「多数派ヒンドゥーの力に
よる強大な国家を」と唱えてRSSを母体にBJP(インド人民党)が発足した
のは1980年であった。しかし当初はその極端な主張から政治の主流にはなりえな
い政党とみなされ、事実、84年の選挙では下院選出議席543の内、僅か2議席を獲
得したのみであった。その後、漸増はしていたが、党勢を一挙に拡大したのがア
ヨーディヤ事件であった。


◇アヨーディヤ事件とはなにか。


北インドにあるアヨーディヤという町は、古代叙事詩『ラーマーヤナ』の主人
公ラーマ王子(ヒンドゥー教の主神の一つヴィシュヌの化身)の誕生の地とさ
れ、ヒンドゥーの聖地とされている。そこに16世紀に建立されたバーブリ・マス
ジッドとよばれるイスラムのモスク(礼拝堂)があった。それに対して、「ここ
はヒンドゥーの聖地だからそのモスクを壊してラーマを祀るヒンドゥー寺院を建
てよう」というキャンペーンを、ヒンドゥー至上主義派が展開したのである。

90年10~11月、ヒンドゥー至上主義派は数万人の支持者をアヨーディヤに動員
し、モスク破壊を企む。だが、セキュラリズムを国是とする政府が派遣した治安
部隊に阻まれ、衝突して怪我人がでた。一旦、流血の騒ぎなどが起こるとすっか
り興奮するのがインドの大衆の常である。ヒンドゥー対ムスリムの宗教暴動が全
国に亙って起こり、数万人の死傷者がでた。

この騒乱と興奮をヒンドゥー教徒の結集に結びつけて、BJPは、翌91年の選
挙で119議席を獲得し、政党としての地位を確立する。

これに味をしめたヒンドゥー至上主義派は92年12月に再びモスク破壊の大号令
を発し、20万人を動員して、ついにモスクを破壊した。再び宗教暴動が全国に広
がり、前回に増す犠牲者をうんだ。宗教暴動といえ、その内実は、RSSやバジ
ュラング・ダルの活動家に率いられたヒンドゥー大衆による一方的な少数派イス
ラム教徒コミュニティへの襲撃、暴行、略奪、殺戮である。

これが効を奏して、BJPは次の選挙では162議席を得て第一党にのし上がっ
た。社会の閉塞感や貧富の格差拡大への大衆の不満を巧みに利用したBJPは、
紆余曲折を経ながらも、98年にはついにBJP主導の連立政権を立ち上げるに
至った。

BJPが政権の座につくや手がけたのが核爆発実験であった。これは当時、専
ら核拡散をめぐる国際問題として国際社会の非難を浴びたが、国内的には別な意
味をもつ。

BJPは選挙を通じて政権は手にしたが、その得票率は僅か25%、連立を組む
諸政党と合わせても37%にとどまった。政権を強化するためにはなにか手を打た
なければならない。アヨーディヤ事件のような国民を湧かせ興奮させるなにかを
そこで選択されたのが核爆発実験であった。結果、BJP政権は一挙に92%の支
持率を得た。 


◇◇ 舞台は再び回るのか


BJPは政権獲得後も、核爆発実験に次いで、2002年のグジャラート州におけ
る宗教暴動など、冒険主義的なパフォーマンスで大衆の支持拡大を図ったが、新
自由主義的な経済政策で期待を裏切られた貧困層の離反によって04年の選挙に敗
れ、政権を国民会議派に譲った。

国民会議派政権は、「公正と社会正義を伴った経済成長」を旗印に比較的バラ
ンスのとれた政策運営を維持してきたが、長期政権の驕りからの政界汚職の蔓延
や高成長の一方でますます広がる貧富の格差から、今また、大衆の間に不満が鬱
積しつつある。

この大衆の不満に乗じて、宗教や民族というアイデンティティ・レベルの刺激
に長けたポピュリズム(大衆迎合主義)の政治勢力がまた蠢きだしているのであ
る。

      (筆者は元桜美林大学教授・社会環境学会会)

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