【コラム】
大原雄の『流儀』

高麗屋の襲名(3)

大原 雄


 高麗屋の襲名披露は、九代目幸四郎が二代目白鸚を襲名し、七代目染五郎が十代目幸四郎を襲名し、四代目金太郎が八代目染五郎を襲名した。歌舞伎などの襲名披露興行は、新しい役者の誕生としての襲名披露とともに、先代の役者の〇〇回忌追善などを兼ねることも多い。つまり、先代の名優を追善し、新しい役者の誕生を寿ぐ、という意味合いがある。死に変り、生き変わる。

 メールマガジン「オルタ」の編集長であった加藤宣幸さんが、2・17朝、亡くなった。93歳の大往生。「オルタ」170号を20日にきちんと刊行し、171号の企画書を抱いての逝去だったと聞く。突然の訃報に接し、私はただただ驚愕、呆然とするとともに、責任感の強い加藤さんらしい、という思いも強く感じた。改めて、哀悼の意を表したい。

 「大原雄の『流儀』」は、169号から171号までの3号で、歌舞伎役者の高麗屋の襲名披露のことを書き続けてきた。このテーマで書き続けるべきか迷ったが、元々「オルタ」の守備範囲を広げたいという加藤編集長の要請を受けて、歌舞伎、人形浄瑠璃、映画、演劇、そして、本来のメディア論など、まさに「大原雄の『流儀』」ということで、「流儀」に拘って「オルタ」124号(2014年4月号)より参加させていただき、これまでに60本近い記事を書き継いできた次第であるから、ここはいつも通りに淡々と「流儀」を踏まえて書こうと思った。その方が、加藤さんも喜んでくださるだろうと思う。まして、歌舞伎の襲名披露は、先人を敬い、追善するという意味もあるので、まんざら、的外れでもないだろうと判断し、各位のお許しも得られるのではと期待して敢えて筆を進めることにした。

 松竹が興行する歌舞伎を普通「大(おお)歌舞伎」と称するが、1、2月は、いわば、毎月の大歌舞伎と違って、襲名披露興行で集まった豪華な役者衆、主役、ベテラン、中堅クラスの役者が30人以上出演という、つまり、文字通りの「大(だい)大(おお)歌舞伎」で贅沢な配役を実現することができた。贅沢な配役ゆえの歌舞伎の醍醐味を味わうことができる。歌舞伎は、同時代の生の役者衆の舞台がいちばん。「大大歌舞伎」に集う歌舞伎役者たち。まるで、これは、歌舞伎の神々のカーニバル(祝祭)であろう。

 2月の歌舞伎座昼の部からは、2演目を取り上げる。昼の部は、新・幸四郎襲名披露が優先されている。「春駒祝高麗(はるこまいわいのこうらい)」は、私も初見。「曽我もの」の代表作で、よく上演される「対面」の、いわば舞踊劇版。今回は、外題に「高麗」と入っているように、高麗屋三代同時襲名披露の舞台を寿ぐ祝祭の演目に変化(へんげ)している。
 「曽我もの」とは、本来は曽我兄弟物語。兄弟が、親の仇として付け狙う工藤祐経に、やっと逢う場面を「対面」という。つまり、暗殺者・ヒットマンが、暗殺の対象となる人物に接近する場面。歌舞伎では、「対面」というアクション場面の前に、「接近」の苦労を「所作事」で、緊張感を抑えたまま、明るく演じる場面を挿入した。ヒットマンは、ヒットマンらしからぬ、華やかさで、身をやつして、敵陣に、まんまと乗り込む。
 元々は、「當年祝春駒(あたるとしいわうはるこま)」という演目で1791(寛政3)年、中村座で初演された。本名題(外題)は、「対面花春駒(たいめんはなのはるこま)」ということで「対面」を明記していた。「春駒売」に身をやつした曽我兄弟が、工藤の館に入り込む。「春駒売」とは、正月に馬の頭を象った玩具(金色と銀色)のようなものを持ち、「めでたや めでたや 春の初めの 春駒なんぞ」などと祝の言葉を様々に囃しながら、門付けをして歩く芸人のことである。

 舞台では、幕が開くと、無人(役者が未登場の状態)の舞台奥の雛壇に並んだ長唄連中の「置唄」。主軸となる長唄の鳥羽屋三右衛門に大向こうから声がかかる。舞台中央には、大せりの大きな穴が空いている。富士の姿を中央に描いた書割は、さらに、松と紅白梅が描かれている。やがて、工藤祐経(梅玉)が、脇に、大磯の虎(梅枝)、化粧坂少将(米吉)、喜瀬川亀鶴(梅丸)という綺麗どころを引き連れて、大せりに乗って、せり上がって来る。今回は、両花道を使っているので、まず、仮花道から小林朝比奈(又五郎)が、登場。次いで、本花道から二人の「春駒売」に身をやつした曽我兄弟(十郎:錦之助、五郎:芝翫)が、なんとか検問突破で登場する。
 最初の内は、春駒の踊りを踊りながら様子を伺う兄弟だが、途中で、黒衣の持ち出して来た赤い消し幕の後ろで、衣装の双肩を脱ぎ、赤い下着を見せて、仇への感情(赤色)を表わし、五郎が、工藤に接近する。まさに、「対面」を予兆させる場面となる。すでに兄弟の正体を見破っている工藤は、兄弟に富士の狩り場の通行切手(つまり、入場券)を投げ渡し、「(私を)切って恨みを晴らせよ」。その時には父親の仇として(君らに)討たれよう。

 しかし、後日の対面。「まず、それまでは・・・」、仇討はお預け、という、つまり、結論先送り、という歌舞伎独特の、幕切れの科白となる。祝祭の場で血を見せない、という美学。それぞれが絵になる静止ポーズを見せる「絵面の見得」で、幕。

★ 新・幸四郎が「一條大蔵譚」を上演するという意味

 昼の部の襲名披露演目は、なんと「一條大蔵譚」! 染五郎、改め幸四郎が、主演。高麗屋筋ではほとんど上演していない演目「一條大蔵譚」への新・幸四郎の挑戦ということである。十代目幸四郎は、染五郎時代から高麗屋演目を軸に歌舞伎の継承と隆盛に挑戦するという趣旨のことを度々明言している。その第一弾が、叔父の播磨屋・中村吉右衛門の至藝演目「一條大蔵譚」への挑戦となったのだろう。染五郎時代を含めて、2回目。新・幸四郎としては、初の挑戦となる。

 本人は、明言していないが、胸底には、吉右衛門の娘の連れ合いになった尾上菊之助が、菊五郎以外、尾上筋ではあまり上演しなかった「一條大蔵譚」にも、吉右衛門の娘の連れ合いという立場を活用して播磨屋筋の演出を積極的に取り入れて(つまり、吉右衛門の指導を受けて)上演し始めたことへのライバル心もあるのではないか、と推測できそうな気もするが、判らない。
 菊之助は、去年、2017年7月、国立劇場(歌舞伎鑑賞教室)で大蔵卿を初役で演じている。半年遅れで、新・幸四郎として初めて、演じる、ただし、染五郎時代に叔父の吉右衛門の指導を受けて、既に初演しているので、事実上、2回目の出演。つまり、菊之助も幸四郎も、それぞれにとって、義父、叔父という立場の吉右衛門の藝を継承しようとしているのである。観客の私たちとしては、菊之助、染五郎の今後の精進で、吉右衛門の至藝演目のひとつでもある「一條大蔵譚」をこれからも楽しめるという観客冥利を味わうことができるというものだろう。

 菊之助の大蔵卿が、「国立劇場の歌舞伎鑑賞教室」という、やや控えめな舞台だったのに対して、七代目染五郎は、新・幸四郎の襲名披露という、大舞台で上演するという。その鼻息の荒さを感じるのは、私だけではないだろう。

 通称「一條大蔵譚」は、人形浄瑠璃「鬼一法眼三略巻」は、1731(享保16)年、大坂・竹本座で人形浄瑠璃として初演された。文耕堂らが合作した全五段の時代浄瑠璃の「四段目」に当たる。保元・平治の乱を経て、平家全盛となった世の中で、源氏の再興を目指す牛若(後の義経)系統の人々の苦難を描いた。我が世の春を謳歌する平清盛に対峙する弱者の物語。
 一條大蔵卿長成は史実の人物で、藤原氏の流れを汲む貴族だが、この芝居では、フィクションが付け加えられ、元は源氏の血筋の公家として描かれる。平家対隠れ源氏。いわば「1強」対多弱という構図。権力を独り占めする強者・清盛に対抗するには、政治には興味を示さず、芸能(能や舞など)に「うつつを抜かす」安全な人物を装って、時代の流れが変わるまで待とうという姿勢の人物として描かれる。

 「一條大蔵譚」の今回の場割は、序幕「檜垣茶屋の場」(緑豊かで、敷地内の建物など見えない広大な京都御所の公卿門。その門前にある茶屋という設定。鬼次郎・お京の二人が御所見物に紛れて接近してくる)、大詰「大蔵館奥殿(おくでん)の場」(御所の周辺には多くの公家屋敷があるが、大蔵館もその一つ。奥殿は大蔵卿や、今はその妻になっている常盤御前が居住しているプライベートゾーンという設定。鬼次郎が大蔵館に先に潜り込んだお京の手引きで忍び込んできた)という構成である。

 「一條大蔵譚」は、本来、吉岡鬼次郎の物語なのだが、主人公の鬼次郎と芝居の脇の人物・大蔵卿が、キャラクターのおもしろさ故に、主と脇が「逆転」してしまい、現在上演されるような大蔵卿を軸とする演出が定着してきた。特に一條大蔵卿役を得意とした初代吉右衛門の功績が大きい。それを二代目吉右衛門が、自家薬籠中として熟成してきた。ゆえに、播磨屋至藝の演目になっている。

 「一條大蔵譚~檜垣、奥殿~」を私が観るのは、今回で14回目。私が観た大蔵卿は、吉右衛門(6)、染五郎時代を含めて、新・幸四郎(今回含め、2)、先代の猿之助、勘九郎改め、勘三郎、菊五郎、歌昇時代の又五郎、仁左衛門、菊之助。そして既に述べたように、今回、染五郎時代を含め、2回目の新・幸四郎は、「大舞台」の襲名披露演目として改めて挑戦した。常盤御前は、魁春(3)、時蔵(今回含め、3)、先代の芝翫(2)、鴈治郎時代の藤十郎、先代の雀右衛門、福助、芝雀時代の雀右衛門、米吉、梅枝。鬼次郎は、梅玉(5)、菊之助(2)、松緑(今回含め、2)、歌六、仁左衛門、團十郎、松也、当代の彦三郎。鬼次郎女房・お京は、松江時代を含む魁春(2)、孝太郎(今回含め、2)、宗十郎、時蔵、玉三郎、菊之助、東蔵、壱太郎、芝雀時代の雀右衛門、児太郎、梅枝、尾上右近。

 これで判るように、大蔵卿は、吉右衛門、鬼次郎は、梅玉というイメージが、私には強い。吉右衛門(一條大蔵卿)と梅玉(鬼次郎)を軸として上演する時代が続いた。ふたりのキャラクターが、充分生かされて、見慣れた演目は、馴染みの役者の滋味で、「ことことと」煮込まれている。そこへ、菊之助と新・幸四郎が、音羽屋、高麗屋の「殻」から飛び出し、播磨屋の「型」を学ぼうというのだから、この二人のうち、どちらかが「一條大蔵譚」を演じる舞台は、今後、目を離せないのではないか。

 初代以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、いつも巧い。公家としての気品、風格。常盤御前を妻に迎え、妻の源氏再興の真意を悟られないようにと能狂言にうつつを抜かし(純粋芸能派文化人か)阿呆な公家を装う。その滑稽さの味は、いまや第一人者。吉右衛門は、阿呆顔と真面目顔の切り替えにメリハリがある。阿呆面の下に隠していたするどい視線を時に送る場面も良ければ、目を細めて笑一色の阿呆面もまた良し。緩急自在。珠玉の藝の流域であり、絶品の舞台であった、と思う。いうこともなし。ひたすら、さらなる熟成の果てを楽しむ。

 菊之助の大蔵卿は、さすがに熟成の吉右衛門の藝には及ばない。吉右衛門の藝とは違うが、その違いの中には、吉右衛門にはないフレッシュさがある。大蔵卿の愛嬌に加えて、菊之助のキャラクターの可愛らしさもあるからだ。

 新・幸四郎の大蔵卿も、吉右衛門とは一味違う。私の印象では、存在感がまだまだ違うようだ。しかし、新・幸四郎は、滑稽な役に味がある。二枚目より良い。滋味のある滑稽さは、吉右衛門とも菊之助とも違う幸四郎の味になりそうだ。

 今後も、二人とも、吉右衛門に改めて指導を受けることもあるかもしれないが、吉右衛門の藝に似せる(近づける)よう精進をしながら、そこから飛び立つ修業もしてほしい、と思う。

 「阿呆」顔は、いわば、「韜晦」、真面目顔は、「本心」、あるいは、源氏の血筋を引くゆえの源氏再興の「使命感」の表現であるから吉右衛門型の演出は正当だろう。当代の吉右衛門が金地に大波と日の出が描かれた扇子を使いながら、阿呆と真面目の表情を切り換えるなど、阿呆と真面目の使い分けを緩急自在な、緩怠なき演技で表現する。こうしなければならない大蔵卿は、さぞ難しかろう、と思う。しかし、それをいとも容易にこなしているように見える吉右衛門の藝は、長年の弛まざる努力の賜物であろう。菊之助に続いて、新・幸四郎も、今、その熟成の藝を見せる義父、叔父の後ろ姿をそれぞれの違った目で見ながら、長い旅に踏み出したと言えるのではないか。

 2月歌舞伎座夜の部は、二代目白鸚と八代目染五郎、つまり、高麗屋の祖父と孫の襲名披露共演という色彩が強い。新・白鸚、新・染五郎の襲名披露演目は、「祇園一力茶屋の場」、つまり「仮名手本忠臣蔵」の「七段目」であった。これは、見ごたえがあった。由良之助は幸四郎改め、白鸚、力弥は金太郎改め、染五郎。新・染五郎は、科白をとちらずにゆるりと演じていた。12歳、中学1年生。先が楽しみだ。
 この場面の見せ場は、お軽を軸に由良之助と平右衛門が、それぞれ絡む場面だ。2月、私も初日に、玉三郎(お軽)と仁左衛門(平右衛門)、そして二代目白鸚(由良之助)で観た。この配役で、七段目を演じるのは、38年ぶりだという。1980年3月、歌舞伎座。当時の染五郎(現在の二代目白鸚)と孝夫(現在の十五代目仁左衛門)が、由良之助と平右衛門を交互に演じ、玉三郎のお軽が、二人に対応した、という舞台だった。18年2月のこの場面は、高麗屋襲名披露という時空を超えて、歌舞伎史に記憶される舞台だろう。

 襲名披露の祝幕が定式幕に上手から押されるようにして、閉幕。「七段目(通称「一力茶屋」、あるいは、「茶屋場」)」は、いつも通り、定式幕開幕で始まる。

 七段目は、二つの芝居が合体。由良之助とお軽。平右衛門とお軽。最後に流れは一つになる。京の華やかな茶屋が舞台。忠臣蔵で最も華やかな場面。由良之助(二代目白鸚)は、敵討ち資金を遊興費に流用して茶屋遊び。咎める塩冶派の元家臣・「三人侍」(友右衛門、彌十郎、松江)を足軽の寺岡平右衛門(仁左衛門)が案内して茶屋まで出向いてくる。塩冶家の元家老(現役時代は、由良之助も九太夫も家老として二人は同格だった。つまり、重臣)・斧九太夫(錦吾)には、由良之助も生臭いものを食べてみせたり、赤錆びた刀を放置したりして、ごまかす。「韜晦の遊興」ではないかと疑う「寝返り派」の九太夫や敵方の鷺坂伴内(高麗五郎)らスパイたちを騙す。味方も敵も騙す。精緻な虚偽の遊興で敵討ちの本心を隠す。

 前半の見せ場は、密書読みの「トライアングル」。由良之助(白鸚)が力弥(新・染五郎)の届けた密書を見る場面。座敷(二重舞台)の縁側、手水のところ(上手側)の灯で文を読む由良之助。さらに上手の隣座敷の2階(二重舞台より幾分高い)から由良之助の読む文を手鏡(拡大鏡ではない)に写して(?)、興味半分に覗き読みする遊女・お軽(玉三郎)。座敷の縁の下(平舞台)から由良之助の読む手紙を盗み見る斧九太夫(錦吾)。ここは、お軽と由良之助の物語。

 裏切り者は、後に殺されることになる。お軽・平右衛門の父親・与市兵衛は斧九太夫の息子・定九郎に殺された(五段目)。茶屋場で出会った二人は与市兵衛の敵討ちを果たしたことになる。悲劇の兄妹。兄は、討ち入りに47人目の浪士として参加する道が開ける。ここは、お軽と平右衛門の兄妹の物語。妹・お軽の今後は? 男たちの歴史では、女たちは、きちんと記録されずに歴史の闇に落ちて行く。

贅言;斧九太夫と鷺坂伴内の駕籠を挟んでのやり取りは、三段目「門前」の「進物場」のパロディ。大きな石がかごの中にあるのに気がついた駕籠かきも交えて、駕籠かき:「おーい」、鷺坂:「しー」(口に指を当て、「静かに」)、というのは、親父レベルのダジャレ。抜擢で、鷺坂伴内を演じた高麗五郎が熱演していた。科白も多く、高麗五郎の存在感が、ぐんと増したように感じた。

 由良之助の「遊興(韜晦)」の意味。七段目、京の祇園での由良之助の遊興は韜晦。高家一派を欺くための偽装である。興味本位で密書を覗き見たばっかりに偽装が漏れそうになることを恐れた由良之助にお軽は殺されそうになる。お軽らの真意が由良之助にも伝わり、お軽は許され、平右衛門は勘平の代わりに足軽としてただ一人主君の敵討ち同盟に加えられる(史実の寺坂吉右衛門は、大石内蔵助から事件後の後処理のため遺族間の連絡員、世話役という密命を託されたと言われ、遺族の面倒を見ながら83歳まで生き延びた。江戸のほか仙台にも墓がある)。
 「七段目」の最後に、由良之助の本心が滲み出てくる。主筋は、由良之助や平右衛門ら男たちのプライドのドラマだが、脇筋では、お軽の女の心情のドラマ。「仮名手本忠臣蔵」も、「八段目」道行旅路の嫁入、「九段目」雪転(こか)し・山科閑居という「女たちの忠臣蔵」ともいうべき場面へ盛り上がる。そして、「十一段目」の討ち入り、男たちのドラマが、大団円を迎える。以上が、二代目白鸚、八代目染五郎の、祖父と孫の襲名披露の舞台であった。

 夜の部の新・幸四郎の襲名披露演目は、高麗屋所縁の「熊谷陣屋」であった。新・幸四郎の襲名披露演目が「熊谷陣屋」というのは、高麗屋としては、極めて全うな選択だろう。主役の熊谷直実は、染五郎改め、幸四郎である。「熊谷陣屋」を私が観るのは、今回で、22回目。私が観た直実では、圧倒的に多いのが九代目幸四郎(10)。吉右衛門(4)、仁左衛門(2)、八十助時代の三津五郎、團十郎、松緑、海老蔵、橋之助改め・芝翫、そして今回が染五郎改め・十代目幸四郎。これは、初見となる。だから、私の直実像は、九代目幸四郎によって、作られている。新・幸四郎の誕生で、直実像が今後どう変化してゆくか、楽しみだ。

 さて、今回の三代同時襲名披露の舞台。定式幕で開幕。8年前に初役で演じ、今回は、3回目となる新・幸四郎の直実はどうか。私は、染五郎時代の直実を残念ながら、一度も観ていない。新・幸四郎は、中年というよりも細面の好男子ゆえに、青年のイメージが今も強い。若々しすぎて、直実としては、残念ながら違和感がある。それは、幸四郎が直実を演じる時には、暫くは、マイナスに働き続けるのではないか。直実としての存在感が感じられないからだ。風格、貫禄含めて、中年武士になりきっていない嫌いがある。藝の力か、年齢か、いずれ、そういう懸念を払拭する時が来るだろうが、当面は難しいかもしれない。「十六年は、一昔。夢だあ。ああ、夢だあー」という決め科白も、父親がこってりとした味で言っていたのが私の耳にコビリ付いている。新・幸四郎の科白は、九代目に比べると淡白である。私が観た日には、目にも涙が浮かんでいるようには、見えなかった。淡白が悪いわけではないが、何か、違う。それを説明するためには、吉右衛門の直実を観ると良いかもしれない。

 これまで私が観た最高の「熊谷陣屋」は、13年4月歌舞伎座。歌舞伎座杮葺落興行の舞台。残念ながら、最高の直実を演じたという印象を私が持っている役者は、九代目幸四郎ではなかった。弟の吉右衛門。吉右衛門の直実は、肩の力を抜いて、役者吉右衛門の存在そのものが自然に直実を作って行く。時代物の歌舞伎の演じ方という教科書のような演技ぶりだった。「存在そのものが自然に直実を作って行く」。新・幸四郎の存在感に拘る私の批評の原点は、ここにある。

 ほかの役者評も少しだけ書いておこう。義経を演じた菊五郎は、さすがに貫禄があり、堂々たる「主役」(「熊谷陣屋」の筋立てを裏で指揮しているのは、実は、義経である、というのが私の説)の義経であった。菊五郎が義経を演じるのは、今回で11回目。「熊谷陣屋」の義経役者では、一枚上を行く義経振りである。このほか、私が観た「熊谷陣屋」の義経では、仁左衛門の義経も颯爽としていて良かった。

 「寿三代歌舞伎賑(ことほぐさんだいかぶきのにぎわい)~木挽芝居前」は、新作歌舞伎。芝居小屋の前で、出演する役者が興行の成功や歌舞伎の繁栄、観客の多幸・健勝を祈願するという、徳川時代から始まった歌舞伎の演出方法。原型を元に、興行に合わせた趣向で上演される。したがって、「芝居前」では、可能な限り、多くの歌舞伎役者を集める。集まった役者が、ほかの演目にも出演するので、既に述べてきたように、配役がいつもより豪華版になる。

 高麗屋三代が軸になるが、2月歌舞伎座に集った主な役者は次の通り。筋書きの順番で記録しておこう。

 菊五郎、仁左衛門、玉三郎、左團次、又五郎、鴈治郎、錦之助、松緑、海老蔵、彌十郎、芝翫、歌六、魁春、時蔵、雀右衛門、孝太郎、梅枝、高麗蔵、友右衛門、東蔵、秀太郎、猿之助、楽善、我當、梅玉、吉右衛門、藤十郎。高麗屋三代を入れて、30人という豪華な顔ぶれだ。

 「木挽町芝居前」は、今井豊茂の新作で、一幕もの。芝居小屋の前という想定で、出演する役者が顔を揃えて、興行の成功などを願う祝祭的な演目。

 高麗屋三代同時襲名披露興行とあって、有力な役者衆が勢揃いする「木挽町芝居前」の開幕前、閉幕後の幕間では、ロビーは、梨園のお内儀たちで賑わった。皆、正装の着物姿で、常連客に愛想を振りまいていた。特に、高麗屋のお内儀(二代目白鸚夫人)など、役者衆の美しいお連れ合いたちがロビーのあちこちで後援会の顧客やファンたちに囲まれていて、華やかな人の花が開いていた。

 客席に入ると、本舞台には、草間彌生のデザインの祝幕(個人寄贈)が飾ってある。やがて、「木挽町芝居前」の開幕。その前に場内がフェードアウト。真っ暗に暗転して、明転。本舞台が一気に明るくなると、そこは木挽町芝居前。徳川時代の芝居小屋には、歌舞伎座の紋を染め抜いた暖簾が上下2箇所に下がっている。櫓が立ち、三代同時襲名披露「二月大歌舞伎」の演目(今月の演目をそのままに)を知らせる看板や絵看板も掲げられ、木戸には、「大入」「客留」などの張り出し、下手に積み物もある。

 襲名披露興行の賑わいを見ようと、大勢の鳶の者と手古舞姿の芸者衆が繰り出している。江戸・木挽町の芝居小屋の前は、高麗屋一門の役者衆(錦吾ら)が、既に控えている。小屋の表方(廣太郎)も。本舞台下手の床几には、町年寄の二引屋(我當)、町火消の組頭(楽善)が既に座って待っている。我當は、すっかり痩せてしまっている。3年前に比べても、痩せておられるようだ。顔が一回り小さくなったような気がする。でも、科白はきちんと聞こえた。やはり、役者だ。目もご不自由と聞くが、お大事に。

 芝居茶屋松嶋屋の亭主(仁左衛門)が集まった人たちに礼を言い、高麗屋三代を呼び込む。本花道から高麗屋三代が、高麗屋番頭(猿之助)を伴って登場。猿之助の影が薄いのが気になった。怪我は、全治したのか。闊達な役者としての復活を期待したい。芝居小屋の中から、座元の音羽屋(菊五郎)、太夫元の播磨屋(吉右衛門)、吉原山城屋の抱え芸者(藤十郎)が、姿を現わす。吉右衛門が、何やら、夜の部は、控えめになっていやしないだろうか。

 両花道からは、江戸で名高い男伊達と女伊達が登場する。下手の本花道からは男伊達(左團次、又五郎、鴈治郎、錦之助、松緑、海老蔵、彌十郎、芝翫、歌六)は9人、上手の仮花道からは女伊達(魁春、時蔵、雀右衛門、孝太郎、梅枝、高麗蔵、友右衛門、東蔵、秀太郎)も同じく9人。両花道から、そろいの衣装の面々が、交互に順番に祝意を述べ、ツラネを披露する。

 彼らが本舞台に上がると、本花道からは、茶屋女房・お玉(玉三郎)が江戸奉行・中村高砂守(梅玉)を案内して現れる。襲名披露を聞きつけたという将軍の代行で、祝儀に厄除けの金の御幣を持参したという。

 高麗屋三代は小屋へ入り、小屋の本舞台から襲名披露の口上を言うことになり、中へと案内されて行く。芝居小屋前に残った面々は、舞台の支度が整うまで、一同揃って祝いの盃を重ねようというのが本来の場面だが、初日とあって、その手順を言い出す役者がいなくて、暫く、皆々が顔を合わせて立ち尽くしたまま、奇妙な間が空くという、珍しい場面があった。特に、菊五郎と藤十郎が顔を見合わせているだけで、ストップモーション。皆、苦笑い。観客は喜んでいた。誰かの音頭で皆、小屋に入って行く。吉右衛門だったか、仁左衛門だったかな。

 床几に座ったまま手持ち無沙汰だった我當も付き人(倅の進之介だろうか。判別できなかった。進之介の名前は、筋書にもなし)と黒衣の二人に左右を抱えられるようにして退場していった。ほとんど歩いていない。両脇から抱え上げられているように見えた。

 芝居小屋入口の大道具(引道具など)が場面転換。替わりに、芝居小屋の中の「本舞台」も大せりでせり上がってくる。「本舞台」の襖には、高麗屋の三つの家紋(四つ花菱、浮線蝶、三つ銀杏)が描かれている。その前には、別のせり穴が開いている。やがて、東西声が聞こえ、せりに乗って、高麗屋三代が上がってくる。上手より二代目白鸚、十代目幸四郎、八代目染五郎の順に座っている。白鸚と幸四郎は、柿色の肩衣に浮線蝶の紋。染五郎は、三つ銀杏の紋。鬘の髷は、3人とも鉞(まさかり)。

 「口上をもって、申し上げ奉りまする」。口上は、白鸚が取り仕切って始める。「高麗屋は、初代より320年……」。高麗屋の弥栄、歌舞伎の弥栄。
  (この項、了)

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、オルタ編集委員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧