【北から南から】中国・吉林便り(19)

食在広州(食は広州に在り!)

今村 隆一


 実質的に私の夏休みは今年は7月3日から8月20日までの7週間でした。
 この間中国では東北三省の黒龍江省、吉林省、遼寧省から、華北、華中、華南に至る各地で洪水と山崩れの災害、そして四川省アバ・チベット族チャン族自治州九寨溝県で8日夜、マグニチュード7.0、9日未明には、新疆ウイグル自治区精河県でマグニチュード6.6の地震が連続して発生しました。何処も人民武装警察部隊員の懸命な救助活動がされているのがTVニュースとNSNで紹介されています。

 日本では現代版「治安維持法」である共謀罪法(政府はテロ等準備罪と虚言)が7月11日施行されました。これまでは法的には公然ではなかっただけ、これで法律のお墨付きを得た公安・警察が喜び勇んで監視できる世の中になりました。「共謀罪? 私は大丈夫、関係ない」と思っている人を私は蔑む。同様に秘密保護法や集団的自衛権容認に疑問を感じない人を私は気の毒に思います。共謀罪に「一般の人は捜査や処罰の対象になることはない」と言った極悪政治家の安倍と菅、あの2人の言ったことを信用する人が未だいるとしたら、遺憾千万。核兵器禁止条約締結反対は一体どこの国の首相なのでしょうか? こんな日本の政治家に不愉快極まりない憤懣を抱え続けています。

●夏休み

 吉林に住んで10年、中国人学生を伴っての夏休みでの国内旅行は今年で5回目でした。
 最初は2008年7月16日から29日まで13日間、T孝君の故郷の山東省、2度目はやはりT孝君と2010年7月25日から8月1日まで8日間、黒龍江省の斉斉哈爾(チチハル)と内蒙古自治区の海拉爾(ハイラル)と同自治区の満州里。3度目はW海君と2012年7月20日から25日まで6日間、黒龍江省の哈爾濱(ハルピン)と五大連池及び黒河(ヘイハァ)。4度目はC李君と7月21日から27日まで7日間、哈爾濱から佳木斯(ジャムス)、鶏西(ジィシィ)、興凱湖(シンカイフゥ)でした。殆んどが黒龍江省を中心とした東北地方巡りだったのは夏の暑さを避けてきたからです。

●中国の鉄道、列車と寝台

 今回の夏休みの旅も鉄道を使っての旅でした。
 中国の列車には従来線と高速鉄道の列車があり、どちらも座席は日本でいう1等と2等があり、これを「軟座(ルァンズオ)」「硬座(インズオ)」(稀に特等があります)と呼んでいて、寝台列車も2種になっています。漢語で寝台車は臥舗(ウォプ)と呼び、それぞれ軟臥(ルァンウォ)硬臥(インウォ)の2種があり、一般的に硬臥は一両の列車に間仕切りの無い11のスぺース、そのスペースには、開放型3段ベッドが2列、ベッドにカーテンはありません。3段の上から上舗(シャンプ)、中舗(ジョンプ)、下舗(シァプ)と呼び、値段は下舗が高く、上舗が安くなっています。
 下舗は幼児と高齢者が、上舗は2m以上も上がらなければならないので高齢者にはあまり向かず、若者が多く利用しています。私は上舗しか買えなかったときは利用しますが多くありません。下舗は高い所への昇り降りが無く便利なのですがベッドに横たわっている間、地面に近いせいか車輪の機械音と線路との摩擦音をうるさく感じるので、下臥より一段上部にある中舗を好んでいます。中舗や下臥が先に売れてしまうので買えなかったときに上舗を利用します。

 軟臥(1部屋にカーテン付き2段ベットが2列)の利用経験はありますが、経済的理由(軟臥は硬臥より約5割高価)で敬遠しています。いずれにしろ20時間から30時間以上列車の中にいて熟睡するのは簡単ではありません。ただ、本を読んだり、文章を書いたり、囲碁の本で詰碁の練習などができますし、列車に乗ると私はいつもは飲まないビールが何故か飲みたくなり、結構楽しめるものです。

 チケットの代金は「吉林から北京」を例としますと、現時点では従来線では最も安価な硬座で157元(現在1元は約17円)、臥舗(ウォプ)の硬臥(インウォ)で269元、軟臥(ルァンウォ)で423元、夜発朝着で時間は17時間40分となっています。高速鉄道Dでは発着7時間25分、硬座で286元、軟座で376元、高速鉄道Gでは発着6時間57分(なぜだか発着5時間57分もあり同額)で硬座で472元、軟座で709元、特等座があり809元となっています。

 子供時代が遠い昔になってしまった私は、もう記憶が確かでないのですが、父の転勤で小中学高校生時代に当時の特別急行寝台列車だった「あさかぜ」あるいは「さちかぜ」に乗って博多と東京を何度か往復したことがありました。それ以来日本では寝台列車を利用したことがありません。最近では東京と北海道を直行する列車として運行を開始し、当時走行距離1,214.7kmはJRグループが運行する定期旅客列車として最長距離であったという寝台特急「北斗星」が2015年に廃止され、日本の寝台列車は限られた旅行者による数少ない高価な旅に特化されたようです。

 一方中国の寝台列車は学生の夏休みや冬の春節などの長期休暇における帰省列車として、また家族旅行、仕事での移動など広範囲に利用されています。ただ列車での長距離移動を安価にするため寝台列車を避け、座席列車を利用する人もとても多く、特に貧乏学生には従来線の乗車券が原価と比して半票(バンピァオと呼びます)、つまり半額になり、高速鉄道の硬座が75%になるそうです。しかし最近の学生は経済的に恵まれ、長時間着席の座席券を避けるようになったようで、多くの学生は帰省には飛行機や高速鉄道、寝台列車等割引の利かない交通を利用することが多くなりました。

 2008年7月、T孝君の故郷である山東省に行ったときは、吉林駅から山東省の首都である済南駅まで、寝台列車ではなく従来線の硬座列車に、上海など南方に帰省する北華大学の学生たち約10名と共に、座席列車で一夜を過ごしたのが懐かしく感じています。その時、彼等は皆チケットは半票でした。吉林から済南までは約20時間でしたが、今は高速鉄道路線も出来、時間は7時間半となり、3分の1となりました。チケット代が従来線原価は180元(半票はこの半額)、高速鉄道は552元と3倍以上になりました。

 中国の「十三五」(第13次五カ年計画:2016-2020年)計画によると、この期間に哈爾浜(ハルビン)-北京-香港(マカオ)、上海-昆明、広州-昆明などをそれぞれ直行で結ぶ高速鉄道路線を整備し、北京-香港(台北)、呼和浩特(フフホト)-南寧、北京-昆明、包頭・銀川-海口、青島-銀川、蘭州(西寧)-広州、北京-蘭州、重慶-厦門等大陸の大都市を結ぶ高速鉄道を新たに敷設、地域と地域をつなぐ路線開拓で高速鉄道の営業総延長は3万kmに達し、大都市の80%以上が網羅される見込みで、北京と台北を直通列車で結ぼうともしています。2015年12月時点で中国高速鉄道の総延長は1万2,000キロに達し、世界の高速鉄道の総延長の半分以上を占めるようになっています。

 このことから分かるように今の中国大陸は鉄道網をめぐらせ、従来線に加え高速鉄道の敷設も目覚ましい速さで進んでいます。高速道路も同様で、合わせてどの都市も地下鉄あるいは小型軌道整備も進んで、中国は広い国土故、鉄道と道路に加え河川改修や電気等都市基盤整備に費やす経済的エネルギーは日本の比ではないと私の目には映っています。

 鉄道網についてはトランプ米大統領が悔しがりながらも絶賛したように中国は日本同様、世界でも屈指の先進国と言えるのではないでしょうか。

●夜行寝台列車の利用で黒龍江省の漠河(モーハ)へ

 今夏の旅行は、先ず吉林から中国大陸最北端の地として知られる黒龍江省の漠河を目指しました。
 11日13時09分発吉林駅、哈爾濱西駅着15時8分、17時54分発哈爾濱駅、漠河駅着は12日7時25分でしたから夜行列車には13時間28分乗っていたことになります。

 漠河県は黒龍江省西北部に位置し大興安岭山脈が黒龍江(ロシアではアムール河)の南岸(対岸はロシア)に沿ってあり、街の60km北部に北極村と呼ばれる中国大陸最北端の集落があります。そこは中国最北のリゾート地(宿泊地)となっていて、入場券を徴収しています。集落での入場券徴収は中国の観光地では珍しいことではありません。北極村は観光地として、村おこしをしている地域で観光AAAA地区(最高はAAAAA地区)になっています。何と言っても漠河は人口が10万人と少なく、周囲は千メートルまでのなだらかな山脈に囲まれた森、特に白樺の森林に覆われた土地です。夏期の平均気温は19度、積雪期が年210日以上で中国では冬季極寒の地としてPRされています。
 また1987年5月6日に発生した大興安岭山脈での特大森林火災では1.7万平方km、受災者5万人余、死者211人、受災家屋63万平方m、経済損失5億元は世界的には特大の被害であったとされています。漠河の街の中心地に青少年教育基地「五・六火災記念館」が設置されており、閲覧無料で開放されていて親子連れ参観者も何組かいました。
 中国とロシア国境沿いは中国側には国境観察観光施設がいくつもあったのに、黒龍江(アムール河)対岸のロシア側は何処も人工の建造物のない自然のままの姿でした。旅行の同伴者F俊君は2年生、1年生の時から私との登山に積極的に参加し、何度も一緒に戸外活動をし、私が山や川が好きなことを知っていたので、納得のうえでの漠河でした。彼は華南の大都市である広州生まれ広州育ちの20歳の青年でしたので、自然のままで何もない所はきっと楽しくなかったに違いありません。

●夜行寝台列車で斉斉哈爾、そして哈爾濱から広州へ

 旅行の予定は漠河から飛行機で同じ黒竜江省400km東南の黒河(ヘイハ―)に行く予定でしたが、当日の雷降雨で欠航となりました。翌日の天気予報も雷降雨でしたので、漠河から斉斉哈爾(チチハル)、そして既に寝台列車のチケットを入手してある17日哈爾濱(ハルピン)から広州行きに間に合うよう予定変更となりました。従って急な入手が困難な寝台列車チケット15日の漠河駅発14時08分16日朝4時22分斉斉哈爾駅着のチケットは寝台が上臥しか売り残っていませんでした。しかし、スマホでチケットの残状況が判り、予約も出来ましたので、この3・4年での変化には驚きます。

 2012年に黒河(ヘイハ―)に行った時、1日しか余裕がなく、月曜日であったため博物館が閉館でゆっくり黒河を見れなかったので、今回の旅行予定地に入れたのでしたが、天候の変化では黒河行きをあきらめたのは仕方ありませんでした。既に購入予約してあった飛行機と列車のチケットは退票(トィピァオ)つまり取り消しの手続きもスマホで行いました。

 斉斉哈爾(チチハル)では私は既に2008年に行ったことがある丹頂鶴で有名な面積210平方kmの広大な湿地の「扎龍(ジャーロン)国家自然保護区」に行き、駅近くのホテルに一泊し17日の朝10時19分発斉斉哈爾駅発、11時48分哈爾濱駅に着きました。

 哈爾濱にはこれまで私は三回行ったことがあり、初めてのF俊君のため哈爾濱では特に有名な観光地のロシヤ正教寺院「聖ソフィア教堂」、東方のモスクワと称される欧風建築物で有名な「中央街(旧キタイスカヤ)」、眼前に松花江(吉林の松花江は上流)のある「斯大林(スターリン)公園」を歩きました。日本の旅行者には人気がある哈爾濱ですが、私は、欧風ムードのある中央街附近と博物館・公園以外は哈爾濱の街の良さをよく知らないからでしょうが、街が雑然としているのであまり好きではありません。しかし人民日報によると日本、中国、韓国3か国による文化交流、公共文化建設、無形文化財保護などの分野の専門家による審査の結果、哈爾濱(ハルビン)は2018年の「東アジア文化都市」(2013年から毎年行われている)に選ばれたとのことで、来年はイヴェント等で日本から多くの訪問客があることでしょう。

 なお哈爾濱駅は現在改修工事が進んでおり、以前駅構内にあった「伊藤博文暗殺(朝鮮独立運動家の安重根により伊藤は暗殺された)記念館」の現場は確認できませんでした。
 当日は21時43分哈爾濱西駅発、19日8時28分広州東駅着の寝台列車に乗りました。
 行きは何と34時間45分、概ね35時間、広州から吉林に戻るときは広州駅から長春駅まででしたが、夜行列車の運行系が異なり単純な往復路線ではなく37時間16分でした。
 いずれにしろ今回の旅行で往復は、寝台列車内2泊3日でこれまででは最長の移動距離と時間でした。

●食は広州にあり

 これまで私は暑い夏の時期での南方旅行は避けてきましたが、F俊君の故郷が広州で、夏休み前に誘われたからでした。広州が香港、深圳に至近で歴史のある中国屈指の大都市であることと、広州料理が中国を代表する料理の一つだということしか知りませんでした。

 有名な都市であることは知っていても、歴史にも食事にも詳しくない私にとって、あまり関心はありませんでした。ただこれまで私は2008年以降3人の中国人学生の家に宿泊させて頂いたことがありましたが、皆農家でしたので、広州の一般的家庭、都市生活者の家庭がどのようなものか予想できず、多少不安もありましたが楽しみでもあったのです。

 F俊君は一人っ子、家族は母親が既に定年退職(中国では一般的定年退職年齢が女性は50歳、男性は60歳)され現在は専業主婦、父親は広州から3時間ほどの沿海部である珠海で働いており、週一回、土曜の夜帰宅し日曜に珠海に赴任している、会社の電気技術者でした。
 家は中国ではどこででも見られる一般団地、8階建ての6階にありました。古いからエレベーターはありません。築20年を経た住居を10年ほど前に購入し、それまで住んでいた広州市の中心部から、地下鉄とバスで1時間弱の郊外である現在地に引っ越して来たそうです。F俊君の母親は私が滞在した5日間、自宅での朝食昼食及び外食と訪問先の案内に全て息子と共に同行してくださり、父親も帰省の貴重な一日を市内案内に費やしてくれました。
 食事については、これまで食べた他の地域の中国料理で美味しくいただいたこともありましたが、往々にして脂濃かったり、辛過ぎたり、塩っぱ過ぎたり、ご飯があまり美味しくありませんでした。しかし、広州ではご飯も麺も大概の料理が全体的に薄味でとても美味しく感じたのでした。お母さんは「お米は東北米の方がおいしい」と、そして土鍋でご飯を炊いていました。もちろん美味しいご飯でありました。『中国料理用語辞典』(井上敬勝/著、日本経済新聞社/刊)に「広東料理は、地理的にも外国との交流が最も早くからあった関係上、国外の料理の影響を受け、(中略)動植物などの材料が豊富でいろいろな珍しい料理が沢山ある。(中略)古くから調理法も発達し、各地方の料理の長所を吸収して、さっぱりした中にも複雑な味付けで独特の風味がある。あぶらっけは比較的少ない。特に日本人には好まれる料理である。」とあります。

 諺「食在広州(漢語でシィザイグァンジョウ)」はこれまでグルメではない私でも「確かに美味い!」と実感しました。私にとって確かなことでありました。

 広東省の省都である広州は中国華南地方最大の商業都市で、秦漢時代から今日まで2800年の歴史があり、当時から海外貿易の中枢として栄え、海のシルクロードの一つであったばかりか、多くの広州人が海を渡り、20世紀に入り日本でも有名な中国革命の父と呼ばれる孫文(孫中山)の革命蜂起した地域として知られています。また観光スポットも多く洋館の多い「沙面(シャミエン)」とウォ―タフロント化された「珠江(ジュウジァン)」、老舗レストランの多い「上下九路(シャンシャジュルゥ)」他各種の博物館、寺院、公園等があります。

 私にとって限られた期間でしたがF俊君家族の歓待と近現代の名所巡りで、中国華南を代表する都市広州を満喫できたことは、吉林と違った中国の素敵な部分を感じることができ、今夏の大収穫でありました。

 (中国吉林市・北華大学漢語留学生・日本語教師)

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