【コラム】
槿と桜(52)

韓国語の方言

延 恩株


 「日本の大学で教えている韓国語は実は方言なのです」と言ったらびっくりするかもしれません。現在、韓国で標準語とされて、使われている言葉はソウルを中心とした地域の方言なのです。このソウル方言は京畿道(경기도 キョンギド けいきどう)という地域の言葉が下敷きになっています。
 日本の標準語も明治30年代に入ってから標準語を定めようとする動きが活発になり、東京の中流階級の人びとが使っていた言葉が元になっているとのことです。その意味では韓国と似ています。
 この方言を韓国語では「사투리 サトゥリ」とか「방언 バンオン」と言います。「사투리」には漢字がありませんが、「방언」は漢字に当てはめれば、「方言」です。どちらも使いますが、「사투리」の方が多いです。

 では韓国にはどのくらいの方言があるのでしょうか。日本より国土は狭い(日本は韓国の国土面積の3.8倍)のですが、それでも大まかな区別でおよそ6つの地域にそれぞれの方言があるとされています。
 日本は自治体として、47都道府県(東京都 北海道 大阪府 京都府 そのほかは県)に分けられていますが、韓国では京畿道、江原道、忠清北道、忠清南道、慶尚北道、慶尚南道、全羅北道、全羅南道の8道と1特別自治道(済州島)、1特別市(ソウル)、6広域市(釜山・大邱・仁川・光州・大田・蔚山)に分けられています。

 普段、韓国人が方言について言う場合(私もそうですが)、研究者的な厳密な考え方には立っていませんから、だいたいこの自治体の区分を頭に描いて、その特徴を示すのが一般的です。言葉は人間が使うものなので、人間の移動と定着によったり、また言葉そのものの移動や伝播などで広がったり狭まったりします。さらに長い時間をかけて言葉の意味が変わっていくこともあります。ですからその方言が使われている地域の明確な線引きはなかなか難しいと言えます。したがって私の説明もあくまでも「おおよそのところは」ということになり、あまり研究論文的なしっかりとしたものでないことはお断りしておきます。

画像の説明

○ 京畿道(경기도 キョンギド けいきどう)
 韓国の地図で言えば、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と接する、韓国ではもっとも北の西側の地域で、行政的には特別市となっているソウルも含まれます。つまり標準語とされる韓国語の元になった「京畿道方言」と呼ばれる地域です。
 京畿道は三国時代からすでに政治的にはとても重要な場所となっていて、いくつもの王朝がこの地域に首府を置き、歴史的にも長く中心的な場所として存在してきています。現在、ソウルが韓国の首都になっているのも理解できると思います。
 だからというと変ですが、言葉の統一、標準化をする動きの中でこの地域の方言が元にされたのも頷けるところではないでしょうか。
 標準語の元になっていますから、多くの韓国人にも、もちろん外国人の韓国語学習者にもあまり違和感はないと思います。例えば私が韓国の他の地域の人から何度か言われたのは、「ソウル子の喋りは女性らしくて柔らかいので憧れる」と。

○ 江原道(강원도 カンウォンド こうげんどう)
 京畿道の横に接する東側地域で日本海に面していて全体的に山間部が多く、韓国では寒さが厳しい地方として知られています。積雪量が多く、2018年2月には冬期オリンピック・パラリンピックが平昌(평창 ピョンチャン)で開催されました。
 韓国語ではよく使われる語尾の一つの「요(ヨ)」が省略されることが多いのが特徴です。これはあくまでも私の感覚ですが、言葉足らずの印象を受けてしまいます。 
 ついでに言いますと、日本でもすっかり馴染まれている「지짐이 チヂミ」という韓国料理があります。お好み焼きに似ていますが、この「チヂミ」、韓国では一般的に「전 チョン」、あるいは「부침개 ブチㇺゲ」と呼ばれます。それがなぜか日本ではすっかり「チヂミ」で定着していて、この言い方、実は江原道の方言なのです。日本で韓国語の方言がしっかり定着しているなんて、とても面白い現象だと思っています。

○ 忠清道(충청도 チュンチョンド ちゅうせいどう)
 自治体としては忠清南道(충청남도 チュンチョンナㇺド、ちゅうせいなんどう)と忠清北道(충청북도 チュンチョンブㇰト、ちゅうせいほくどう)の二つに分かれていますが、方言的には一地域として見ています。北は京畿道と江原道に接しており、東(日本海側)は慶尚北道(경상북도 キョンサンブㇰト、けいしょうほくどう)、南は全羅北道(전라북도 チョㇽラブㇰト、ぜんらほくどう)と接していて、韓国の中央部になります。そのため行政区では「忠清北道」となる地方は、周囲を海と接していない韓国では唯一の地域で、山間部が多く、海側と異なって内陸気候のため寒暖の差が大きい地域です。

 方言として見た場合、忠清道方言は「しゃべり方がゆっくり」とされていますが、これは海側の「忠清南道」とされている地域に多く、山間部の「忠清北道」地域では、もう少しきびきびとした話し方をします。
 これは私の経験、感覚だけでなく、広く言われているのは、忠清道地域では標準語の語尾「요(ヨ)」を「유(ユ)」とする人が多いです。
 もう一つ、忠清道の人たちがゆっくりしゃべることのたとえとして、韓国人なら誰でもが知っている笑い話を紹介します。息子が山から岩が落ちてくるのに気がつき、「お父さん、山から岩が落ちてくる」と教えたのですが、あまりにゆっくり話したために、お父さんは岩の下敷きになってしまった、というものです。

○ 慶尚道(경상도 キョンサンド けいしょうどう)
 ここも自治体としては、慶尚北道(경상북도 キョンサンブㇰト、けいしょうほくどう)と、慶尚南道(경상남도 キョンサンナㇺド、けいしょうなんどう)に分かれますが、方言としては一地域として見られています。
 東は日本海に面し、北に江原道があります。西は忠清北道・全羅北道に接しています。南の慶尚南道は韓国でもっとも暑い地域で、日本の方にも馴染みのある釜山(부산 プサン)があります。韓国語を多少、学んだことのある人なら、この地域の人が話す言葉がプツプツと切るように、しかも早口で話すのに気づかれたのではないでしょうか。イントネーションも韓国語ではいちばん激しいと思います。
 たとえ標準語で話していても、韓国語はきつい感じがすると私などはよく日本の方から言われるのですが、慶尚道地域の方言で話している会話を耳にしたら、きっと喧嘩をしていると勘違いされるかもしれません。

 標準語との発音の違いを示しますと、標準語では「慶尚道」は(경상도 キョンサンド)」ですが、慶尚道地域では「갱상도 ケンサンド」となります。また「東京」は標準語では(동경 トンギョン)ですが、慶尚道地域では(동갱 トンゲン)と発音します。もっとも最近は、「東京」はそのまま(도쿄 トキョ)という方が一般的になっていますが。

○ 全羅道(전라도 チョㇽラド ぜんらどう)
 ここも同じく行政区としては全羅北道(전라북도 チョㇽラブㇰト、ぜんらほくどう)と全羅南道(전라남도 チョㇽラナㇺド、ぜんらなんどう)に分かれています。韓国の南西部に位置しこの二つの行政地区は北と南で接しています。この地域は平野が多く、穀倉地帯であると同時に海産物が豊富に採れる所として知られています。

 全羅道の方言として特徴的なのは間投詞のような、日本語にすれば「え~」「あの~」に近い「거시기 コシギ」という言い方が言葉の間によく入ることが挙げられます。私などには耳障りに感じる言い方ですが。
 そのほか語尾に「잉 イン」が良くつけられます。韓国語で「ありがとう」は「고마워요」(コマウォヨ)と言いますが、全羅道方言では「고마워잉」(コマウォイン)となります。さらに標準語の語尾によく使われる「요 ヨ」の代わりに「벼(ビョ)」「랑께(ランケ)」がつきます。

○ 済州島(제주도 チェジュド さいしゅうとう)
 済州島は韓国の最南端に位置する楕円形の、韓国では最大の島です。日本の沖縄より大きく、大阪府とほぼ同じ広さです。済州島は日本にも近く、長崎県の五島列島まで、わずか180kmほどですから、東京から浜松あたりまでの距離です。周囲を海で囲まれていて、暖流の対馬海流が流れているため、韓国でいちばん気候が温暖です。そのため韓国で唯一のミカンの産地となっています。
 済州島の方言は標準語しか知らない韓国人にはまったくと言っていいほど理解できません。言葉そのものも違いますし、文法的にも異なっていて、もし済州島方言だけで話す人と会話を成立させるためには通訳が必要になります。

 済州島の方言が標準語とどれほど違うのか話題にするときに韓国人なら誰でも知っている言葉があります。
 済州島方言の「혼저옵서예」(ホンジョオㇷ゚ソイェ)がそれです。この言い方、済州島方言では「いらっしゃいませ」「ようこそ」の意味になるのですが、この発音が標準語の「혼자오세요」(ホンザオセヨ)に聞こえて、「一人で来てください」という意味になってしまうという笑い話です。
 このように済州島の方言はこれまで述べてきた5つの地域の方言とは根本的に違っていると言えます。その大きな理由は地形にあると思われます。他の5つの地域はすべて陸続きですから長い歴史の積み重ねの中で、互いに言葉の交流もあったはずです。しかし済州島は海に囲まれた島ですから、言葉が交流する機会もずっと少なく独自の言葉が生き続けてきたからでしょう。

 最後に韓国語の「こんにちは」を6つの地域の方言で言うとどうなるのか、紹介しておきます。
 先ずは韓国語の標準語を形成した京畿道方言です。
   「안녕하세요」 (アンニョンハセヨ)
 以下続けて
   「안녕하시까?」(アンニョンハシカ)→江原道
   「안녕하세유」 (アンニョンハセユ)→忠清道
   「안녕하셨지라」(アンニョンハショッジラ)→全羅道
   「안녕하십니꺼」(アンニョンハシㇺニコ)→慶尚道
   「펜안 하우꽈?」(ペナン ハウクァ)→済州島

 今回は大変大雑把に、しかも感覚的に方言について紹介しましたが、この文章を書きながら方言を本格的に研究し始めると、きっと奥が深すぎて私など頭が混乱してくるだろうという予感がしてきています。

 (大妻女子大学准教授)

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