【コラム】
槿と桜(44)

韓国版「MeToo」

延 恩株

 「MeToo」運動は、ついにノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーにまで及んだようで、2018年の「ノーベル文学賞」発表が見送られることになりました。発端は「ノーベル文学賞」を選考するスウェーデン・アカデミー会員の一人である詩人のカタリーナ・フロステンソンの夫の行状でした。彼は過去20年間にわったって18人の女性にセクハラを行ってきていたことが、2017年11月に新聞で暴露されたからでした。
 社会的な格差が少ないスウェーデンですら、スウェーデン文化界で重鎮といわれるこの男性の20年間に及ぶ多くのセクハラ行為に対して女性たちが沈黙してきたのです。それだけ、この問題への対処に女性たちがいかに慎重にならざるを得なかったのかがわかります。

 この男性の性的暴行はスウェーデン・アカデミーの施設内に留まらず、ノーベル賞授賞晩餐会でも行われていたとのことで呆れるばかりです。さらに地位や権力を持つ人間が自分の意思に沿わない相手への常套手段ですが、性行為を拒否した女性に「仕事ができないようにしてやる」と脅していたそうで怒りを感じます。
 そして、彼がスウェーデン・アカデミーと密接な関係にあったことが今回の「ノーベル文学賞」発表見送りにまで至ってしまったわけです。

 「ノーベル文学賞」が一年先送りになったのは残念ですが、セクハラ問題が隠蔽され続けなかったことは、良かったのではないでしょうか。スウェーデン・アカデミー内での自浄作用が働き、内部対立など混乱が生じた結果だったからです。ここには世界中で日常茶飯事に起きているセクハラ問題がなかなか表面化しない要因が潜んでいて、その構造が崩れたと言えるでしょう。「MeToo」運動は、その意味ではこの問題を表面化させる何よりも大きな力です。しかし、暴かれた加害者が否認したり、その人物が所属する組織が事件を隠蔽したり、加害者を擁護したり、特権であやふやなまま収束させようとする構造がつきまとうのも現実です。

 日本でつい最近、起きた福田淳一財務事務次官のセクハラ問題も、発端は女性記者の訴えが公にされたことからでした。福田事務次官を擁護し続けた財務省も福田事務次官のセクハラ行為はあったと認めざるを得なくなりました(ご本人は認めていませんが)。そして麻生財務大臣はいまだに「セクハラ罪はない」などと発言していますし、なによりも〝うやむやのまま〟事態を収束させようとしているようで気にかかります。こうした事態を打ち破るためにも「MeToo」運動が大きなうねりとなっていく必要があると思っていますが、日本ではその動きが鈍いように見受けられます。

 それでは韓国ではどうでしょうか。
 韓国では日本以上に〝家父長的意識〟を持つ人が多いのは確かです。それが良い面で現れれば年長者を敬い、礼を尽くした言動にもつながります。また子どもたちは年老いた両親の面倒を見るといったこともごく当たり前に行われています。しかし、悪い面で現れると年長者には服従しなければならず、女性は男性より下位に見られ、男性の付属物のようにも考えられがちです。
 ですから女性が社会的に弱者の立場に置かれることが珍しくありません。男尊女卑的な思考が社会でまかり通っているため、女性の社会的な差別(たとえば雇用待遇や組織内での昇格等)は、今でも多くの組織で存在しています。
 そのためセクハラ行為を加えられても、被害を受けるような〝何か〟がその女性にあったからなどと、まるで被害者が悪いように批判する傾向が強くありました。つまりセクハラを告発することは恥ずかしいことであるばかりか、被害者が追いつめられることにもなると見られてきたのです。

 今から5年前の2013年3月23日、韓国の『中央日報』(日本語版)は、すでに次のような「社説」を掲載していました。
 韓国ではよく知られていた人権運動家で大学教授の高恩泰(コ・ウンテ 고은태)は、国際人権団体「国際アムネスティ」の最初の韓国人国際執行委員でした。その彼が20代の女性に裸の写真を送ってほしいなどとセクハラ行為をしたことに対する批判文章です。

 「誤った性文化は時代錯誤的な認識から始まる。性の役割と性逸脱の基準が急激に変わったが、一部の指導層の認識は過去の家父長的な文化、売春が許された世の中にとどまっている。覚醒しなければ、常に恥と刑事処罰を覚悟しなければならない時代だ」

 しかし、韓国のその後の状況は何も変わりませんでした。2017年10月5日に『ニューヨーク・タイムズ』が、2015年から性的虐待を行っていたという映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインのセクハラを告発したことから始まった「MeToo」運動にも韓国はほとんど反応しませんでした。
 ところが2018年2月、女性検事の徐志賢(ソ・ジヒョン 서지현)が上司による8年前のセクハラ被害を検察内のインターネット上で公表したことで、状況が大きく変わりました。変化した理由は、検察がすぐさま性犯罪調査委員会を発足させ、この検事をわいせつ罪で起訴したからだと思います。なぜならこれまでは、訴えた女性が非難されたり逆告訴されたりと不利益を被ることが多かったのですが、社会が性犯罪に注目し、被害を受けた女性たちが実名を公表しても不利な状況に追い込まれないという安心感がもたらされたからに違いありません。

 韓国では現在、「MeToo」運動が社会全体に広がる様相を見せてきています。法曹界から文化・芸術・芸能界へ、そして教育・政界にまで及んでいます。ざっと挙げるだけですが、以下の人たちが名指しされて糾弾され、その責任が問われています。
 ・ノーベル文学賞候補として名前が挙がったことのある詩人・高銀(コ・ウン 고은)
 ・演出家として数々の演劇賞を受賞してきた李潤澤(イ・ユンテク 이윤택)
 ・大学教授で俳優の趙珉基(チョ・ミンギ 조민기)。彼はその後、自殺しました。
 ・俳優オ・ダルス(오달수)
 ・俳優チョ・ジェヒョン(조재현)
 ・文大統領が所属する「共に民主党」の忠清南道知事・安熙正(アン・ヒジョン 안희정)

 わずか2か月ほどの間に社会的に権力、名声、地位のある人々の立場を利用した性犯罪に対する告発が次々に起きています。そしてこうした「MeToo」運動に恐れを抱いたのか、告発されていないにもかかわらずみずからセクハラを公表した俳優の崔一和(チェ・イルファ 최일화)のような人物まで現れてきています。
 まるでこれまで抑圧され、忍耐に忍耐を重ねてきた女性たちの怒りが一気に爆発したかのような感じさえします。そして日本政府と大きく異なるのは、政権トップが「MeToo」運動を積極的に支持していることでしょう。
 2018年2月26日に文在寅(ムン・ジェイン 문재인)大統領は、政府があらゆる手段で社会にはびこっている女性への抑圧、性暴力を根絶しなければならないと発表しました。さらに性犯罪に対し、司法当局が積極的に捜査するようにと指示し、被害者からの告訴がなければ検察が起訴できない親告罪の条項が削除された2013年6月以降の事件は、被害者の告訴がなくても積極的な捜査をするようにと要請しました。

 このような空気が社会に溢れてくれば、女性たちも声をあげやすくなるのは言うまでもありません。特に私が強く感じるのは、今回の韓国での「MeToo」運動の盛り上がりには、ただセクハラ行為を告発するだけではなく、韓国社会に伝統的に存在している女性蔑視から生まれた男性中心の性文化、権力や地位を利用した性犯罪への糾弾とその変革を求めていることです。それは文在寅大統領が「強者の男性が弱者の女性を力や地位で踏みにじる行為は、いかなる形の暴力であれ、いかなる関係であれ、加害者の身分と地位がどうであれ、厳罰に処すべきだ」(ソウル聯合ニュース)と述べたこととも重なっています。でもそれは、韓国社会にはびこる男性中心主義の根がかなり深いということも、かえって示しているようです。
 「MeToo」運動を一つの足がかりとして、韓国に男女平等とは何かを考える気運がもっともっと盛り上がってほしいと願っています。

 ただ一点だけ自戒を込めて言えば、現在、起きている「MeToo」運動は、もっぱら女性側から男性を告発する運動として取り上げられています。でもハラスメント行為は常に男性からだけではないということを、私も女性の一人としてしっかり自覚しておく必要があるようです。

 (大妻女子大学准教授)

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