【コラム】槿と桜(19)

韓国の姓名について(1)

延 恩株


 日本では自分の苗字や名前を「氏名」とも、「姓名」とも言って、一般的にはほとんど区別していないように思います。事実、『広辞苑』で調べると、「氏名」の項では“「うじとな」「姓と名」”とあります。「姓名」ではどう解釈されているかというと、“(「かばね」と「な」との意)「苗字と名前」「氏名」”となっています。要するに「氏名」と「姓名」に異なる意味合いはほとんどないことがわかります。

 それでは「氏」だけですと、どうなのでしょうか。同じく『広辞苑』を見ると、“(1)血縁関係のある家族群で構成された集団。(2)古代、氏族に擬制しながら実は祭祀・居住地・官職などを通じて結合した政治的集団(以下略)。(3)家々の血統に従って伝えて称する名。また家の称号。(4)家柄。(5)(略)(6)姓・苗字の現行法上の呼称。
となっています。

 現在、日本では「氏」だけでも、『広辞苑』の(6)に見られる解釈をしているようです。ところが韓国では公的な文書では、「姓名」欄はありますが、「氏名」欄はありません。堅苦しい言い方になりますが、法律的には苗字は「姓」とされていて、「氏」は「姓」として扱われていないのです。

 それでは韓国では「氏」は使われていないのかというと、そうではありません。「氏」は『広辞苑』の「氏」の項にある(1)と(3)を合わせたような意味合いとして、今でも重要な役割を果たしています。「本貫」(본관、ポングアン)と呼ばれているものが、それに当たります。

 韓国での本貫とは、氏族の始祖が住み着いた場所や、出世をした子孫が与えられた土地を指しています。同じ父系であることが求められ、母系ではありません。基本的には、宗族集団が誕生した土地(発祥地)を指しますから、現在、日本で使われている「本籍地」とは意味合いが違っていて、自分の「姓」の発祥地を指しますし、遠い遠いご先祖様との結びつきを自覚させる役割を持っています。

 この本貫は、朝鮮王朝(1392~1910)時代以降、家族制度の重要な要素として、人びとの生活に根付き、法的にもそれなりの拘束力を持つようになりました。現在でも韓国では、「姓」と一緒に「本貫」がついて回ります。なぜかと言いますと、韓国では、金(김、キム)、李(이、イ)、朴(박、パク)、崔(최、チェ)、鄭(정、チョン)の苗字は“5大姓”と呼ばれていて、この5つのいずれかの姓を名乗る人が大雑把に言って、全人口の55%近くになっています。つまり韓国人の2人のうち1人は金、李、朴、崔、鄭さんということになります。
 こうなりますと、「それではあなたと私は初めてお会いしましたが、親戚同士?」といったことが起きてしまいます。そこでこの「本貫」の果たす役割が出てくることになります。
 韓国の戸籍には、「本」(본、ボン)という欄があります。もうおわかりのように「本貫」の略です。この欄には始祖が住み着いた土地の名前が記されます。
 たとえば「金」さんですと、伽耶王族系と新羅王族系というように、始祖が違う宗族が存在しています。始祖が違うのですから、たとえ同じ「金」さんでも、ご先祖様は違うことを示す必要が出てきます。この本貫は宗族集団が同じか、違うのかを区別するのに大変有効な手段となるわけです。

 したがって戸籍の「本」に“金海金氏”とあれば、“金海という地域を始祖とする金氏族の宗族集団”の末裔の金さんということになります。韓国人であれば、“金海金氏”と聞けば、「ああ、金海が本貫だから、伽耶王族系の金さん」だと理解することになります。ですから“慶州金氏”と聞けば、「慶州が本貫の新羅王族系の金さん」となり、この二人の金さんは、お互いに親戚ではないと判断することになります。そのほか“光山金氏”“金寧金氏”なども地域によって区別されていることは言うまでもないでしょう。
 姓が同じで、本貫も同じ場合は「同姓同本」(동성동본、トンソンドンボン)と言います。つまり同じ一族、親戚と見なされることになります。逆に「同姓異本」(동성이본、トンソンイボン)は、同じ姓だけれど自分とは関わりのない別の一族と見なすことになります。

 本貫の制度そのものは、朝鮮王朝以前の高麗時代(918年~1392年)に取り入れられて、統一王朝として郡県制が実施される中で、地方の有力豪族たちがみずからの出自を正統づける意味合いもあって盛んに行われるようになったといわれています。これに拍車をかけるように、より正統性を示す道具立てとして、朝鮮王朝時代には、一族の系譜が記された「族譜」の整備が進み、家族制度を保つ重要な要素となっていきました。

 この「家族制度を保つ」という一つの典型的な例が、「同姓同本」同士の結婚が許されないというものでした。同姓同本の人たちは一族と見なされたため、それまでたとえまったく面識がなかったとしても近親結婚を避けるという意味から、結婚が許されなかったわけです。なおこの朝鮮王朝時代は異姓同本の婚姻も禁じられていました。

 そして1910年~1945年の日本の植民地統治下においてすら、家族制度については朝鮮戸籍令に基づいて戸籍に「本貫」が残され、朝鮮民事令で「同姓同本」の結婚が禁止されていました。
 しかもこうした法令は1945年以降の韓国においてもそのまま受け継がれていきました。それだけ韓国の人びとにとって「本貫」の持つ意味が重かったとも言えるでしょう。

 結局、韓国では「同姓同本」の結婚を禁止した民法第809条の規定が憲法裁判所で違憲とされたのは1997年のことで、今からわずか20年足らず前のことでした。しかし国会は憲法裁判所の違憲判決に対して、即座に応じず、2005年に至って、ようやく改定案を発表しました。こうして同姓同本の禁婚規定は正式に廃止され、同姓同本婚は相当緩やかになりましたが、しかし現在でも8親等以内の婚姻は認められていません。ちなみに日本では3親等以内の血族者との結婚は認められていませんので、いとことなる4親等とは結婚ができます。韓国の場合は8親等ですから、自分の曽祖父母の兄弟のひ孫まで離れないと結婚はみとめられないことになります。

 そもそも「本貫」や「族譜」は、両班(양반、ヤンバン)のもので、少なくとも朝鮮王朝時代の両班を除く良民(中人と常人)と賤民(奴婢と白丁)など、多くの人びとには無縁のものだったはずです。しかし現在では韓国人なら誰もが「本貫」を持ち、どの家系にも「族譜」があります。

 この不自然さを解く鍵は、朝鮮王朝時代末期に没落した両班階級が裕福な一般人に家名を売って生活をしのぐということがごく当たり前に行われ始めたことにあるようです。また「族譜」についても、ある時代まではなかった名前がそれ以降の「族譜」に、突如として現れるということも珍しくなくなっていきました。 こうしてごく一部の特権階級が持つだけだった「本貫」や「族譜」を誰もが持つようになったことが、韓国人の苗字が日本と比べると桁違いに少ない理由になっていると考えられます。

 やや古い統計になりますが、韓国の統計庁は2000年11月1日現在で実施した人口住宅総調査での姓と本貫について、2003年1月29日にその結果を発表しました。それによりますと、韓国には286個の姓(帰化した人を除く)があり、4179個の本貫があるそうで、1985年以降に新しくできた姓はなく、15個の本貫が新しくできたとのことです。
 韓国でいちばん多い姓は「金」さんで、約992万人、韓国の全人口(2000年基準)の21.6%を占め、次いで「李」さんの約679万人で14.8%となっています。
 ちなみに私の苗字、「延」は約3万2千人で、全人口の0.07%にすぎません。 (つづく)

 (筆者は大妻女子大学准教授)


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